言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

文字の大きさ
108 / 357
調査

しおりを挟む


「────どう? 何か掴めそう?」


瞑っていた目をうっすら開けて目の前に座る志らくさんを伺う。今日も相変わらずあぐらをかいて、両手を広げ天を仰いでいた。


「あの、すみません。正直言うと何一つ分かりません」

「アハハ! やろうな!」


吹き出した志らくさんは目尻の涙を拭いながら私を見た。

昨日から御依頼を担当することになって、放課後はしばらく鼓舞の明の練習が出来そうにないと志らくさんに相談すると「ほんなら、朝拝の前にやるか?」と提案してくれて、"鼓舞の明マスター講座"は今日から朝に開催されることになった。

かれこれ数回目の開催になるマスター講座だけれど、初日に基礎を教わって以降何一つ進んでいない。


「そもそも授力って、体のどの辺りにあるんですか? 言霊の力は血液みたいに全身を流れてるんですよね?」


鼓舞の明を扱うには、自分の中にある鼓舞の明に刻まれたリズムを見出さなければならないらしい。

そのために"鼓舞の明"を感じなければならないのだけれど、そもそも鼓舞の明がどこにあるのかが分からないので何も始まらない。


「どこって言われてもなぁ……授力は母親から引き継ぐ際に肉体に刻まれるもんやから、"ここのこの場所や"とも言えんしなぁ」

「肉体に刻まれる……じゃあせめて、"鼓舞の明を感じる"って言うのがどういう事なのかだけでも教えてください」

「う~ん、なんかこうバシャーンサァーみたいな」

「バシャーンサァー……」

「アハハ! 私に説明求めても無駄無駄。めちゃくちゃ感覚派やもん」


そう言って志らくさんはケラケラと笑った。

どうしよう本当に何一つ分からない。私はどちらかと言えば言葉で説明できるようになってやっと納得する方なので、感覚で説明されると余計にこんがらがってしまう。

禄輪さんにも以前「深く考え込むくせがある」と笑われたっけ。


「あの……じゃあ志らくさんが初めて鼓舞の明を使えた時はどういう状況だったんですか?」


せめて何かヒントを、と食い下がる。志らくさんは顎に手を当てる。


「初めて使えた時は確か……」

「確か?」


志らくさんが目を細めた。昔を思い出しているときの表情だ。


「お姉がかむくらの社に立つ前日やった。知ってるとは思うけど、言祝ぎの巫女はかむくらの社に入ったらもう二度と外には出てこれんやろ。"あんたの舞を最後に見たい"て言われて、ここで舞った時が初めてや」


お姉、先代の審神者の志ようさんのことだ。


「それまではうんともすんとも言わんかった鼓舞の明があっさり発動してな。お姉が"これは私のおかげやな"ってドヤ顔で言うんよ。……そうや、その時そんで、"これはお礼にマリオのカセット貰ってもええくらいやな"なんて言うて、私のゲームボーイのマリオ、かむくらの社に持って行きよってん! 小遣い貯めてこうたやつを! あの泥棒女は!」

「あ、あの志らくさん……?」

「ああああッ! 今の今まで忘れとったけど、思い出したらまた腹立ってきた!」


目をかっぴらいて髪を掻きむしった志らくさん。

その時、朝拝の準備をするためにゾロゾロとみんなが神楽殿へ入ってきた。


「なんやの朝から。騒がしい子やね」

「ちょおお母さん聞いて! 志ようが私のマリオのカセット取ったんよ!」

「あんた何年前の話してんの。それよりもさっさと神楽の用意しや」

「ほんまにあの女許せん! いつもいつも、私のものを平気な顔して奪いよるんよ! 残してたハンバーグの最後の一口も唐揚げの最後の一個もケーキのいちごも!」


どすどすと足音を立てながら神楽殿を出ていった志らくさんに苦笑いをうかべた。

その日の朝拝の神楽は何とも荒々しい舞だった。思い出した志ようさんに対する小さな恨みがそうさせたのだろう。

隣に座っていた泰紀くんが「あの人、俺より食い意地汚いな」と零す。堪えきれずにプッと吹きだしてしまった。



お昼ご飯を食べたあとは、私と嘉正くんが授与所の当番だった。参道脇の長方形の建物に裏から入ると、千江さんが品出しをしている所だった。

入ってきた私たちに気が付いて顔を上げる。


「あらもうお昼休憩終わり? ご飯ちゃんと残さず食べた?」

「はい、ご馳走様でした。美味しかったです」


嘉正くんに続けてご馳走様でしたと私も頭を下げる。

さよかと目を弓なりにした千江さんは「ほんなら」と一言置くと奥から積み重なった木箱を持ってくると私たちの前にどんと置いた。

私と嘉正くんは苦笑いを浮べる。


「ほんなら今日も、豆の袋詰めよろしくなぁ」


はい、と返事はしたものの溜息をつきたくなるくらい気が重い作業だ。私たちは席に座って渋々木箱に手を伸ばした。

あと数日で行われる二月頭の恒例神事、節分祭せつぶんさいで使用される福豆ふくまめだ。節分祭当日に、小分けに袋詰めされた福豆を参拝客に配るらしい。

その福豆の袋詰め作業を、実習が始まった初日から毎日頼まれている。

決められた数の豆と乾燥剤を袋に詰めて口をホッチキスで止めてからテープで封をするだけなのだけれどこれが意外と面倒で、さらに同じ作業の繰り返しだから昼食後はすごく眠くなる。

以前眠気に抗えず船を漕いでいた慶賀くんが目の前に置いていた福豆が入った木箱に頭から突っ込んで豆をぶちまけて、千江さんに一時間くらい説教されていた。

そしてその日の晩御飯は大豆料理のオンパレードで、まなびの社の皆さんは「今年もか」という顔をしていた。学生が豆をぶちまけて晩御飯が大豆料理になるのは毎年ある光景らしい。


「巫寿ホッチキスとテープ頼める? 俺袋に詰めるね」

「わかった」


一人でするよりも分担した方が効率がいいことを学んだ私たちはすぐに役割分担をすると作業を開始した。


「いやぁ、この時期に学生さん来てくれへんかったら、毎年間に合ってへんと思うから助かるわぁ」


千江さんがそう笑う。

もしかして毎年この時期に実習先として学生を受け入れている社は、豆詰めの人員が欲しいからなんじゃないだろうか。


「まなびの社の節分祭はどんな感じなんですか?」


嘉正くんがそう尋ねる。すると千江さんが手を止めてニヤリと笑った。


「参拝者に福豆を配って皆で豆まきをするんやけど、まぁ他所に比べたらかなり本格的・・・やで」

「本格的?」


思わず聞き返す。

節分祭にちゃんと参加したことがないからなんとも言えないけれど、有名な大きな社だと有名人を呼んで福豆を配ったり、演武や神楽が奉納されたりするんだとテレビで見た。

福豆を参拝者に配るだけなのに、何が本格的なんだろう?


「ふふふ……腑に落ちんいう顔やな。神職の打ち合わせはまだ先やけど今日これから先方と打ち合わせがあるし、折角やからあんたらも参加し」

「私たちが参加してもいいんですか?」

「ええよええよ、堅苦しいもんちゃうし。あんたらと同い年の子もおるから相手してもらい」


私たちと同い年の子? 神職の関係者だろうか。でもそうなら私たちと同じ神修の学生ということになるけれど……。

ますます謎が深まる。


「ほれ、それまではしっかり袋詰めしてや。参拝者来たら御守と御札の説明もしっかりな!」


はい、と返事をすると早速観光客らしき老夫婦が授与所へ向かって歩いてくるのが見えた。

白衣の前あわせを整えて姿勢を正した。




「そろそろお客さん来はるから、社務所の会議室にお茶の用意してもろてええ? そのまま会議参加し」


二時間くらいして時計を見あげた千江さんがそう言った。はーい、と返事をして立ち上がると「あ」と千江さんは何かを思い出したかのように声を上げる。

首を傾げて振り返った。


「戸棚に入ってる茶請けが団子かクッキーしかないんやけど、団子出さんといて」


これから来るお客さんは団子が嫌いなんだろうか。

深く考えずに「分かりました」と答えた。


社頭の掃き掃除をしていた泰紀くんと慶賀くん、社務所で書類仕事を手伝っていた来光くんと恵衣くんにも声をかけた。

皆で社務所の二階にある会議室に長机を並べてお茶の用意を整える。


「僕らも打ち合わせに出ていいって?」

「うん。千江さんが事前にどんな流れなのか把握しとけって」

「なぁこのクッキーちょっと食っていい?」


わいわいと喋りながら用意を整えていると、社務所一階の方で「ああ、お久しぶりです。よう来てくれはりました」と宮司が誰かに挨拶する声が聞こえた。

どうやらお客さんが来たらしい。


「来たみたいだね。慶賀、それ以上食べたら流石にバレる」

「ちぇー、じゃあこれでラスト!」


そう言いつつ両手で一枚ずつ手に取った慶賀くんにくすくす笑う。

会議室を見回す。今お湯を沸かしに行けばちょうどいいかもしれない。用意していた急須に手を伸ばしかけ、私よりも先にほかの手が急須を掴んだ。


「恵衣くん」


顔を上げると恵衣くんと目が合った。しかしすぐにふっと視線を逸らす。


「やる」

「ありがとう、じゃあお願いするね」

「ん」


相変わらず口は悪いけれど、口も聞きたくない顔も見たくないという頑なだった態度は、二学期の騒動を経てだいぶ軟化した。

口数は少ないけれど無視されることも嫌な顔をされることも少なくなった。少なくなっただけで減ってはいないけれど。


「客が上がって来る前に三馬鹿をどうにかしておけ」

「三馬鹿って」

「事実だろ」


苦い顔をした恵衣くんがまだクッキーをお皿から盗もうとしている慶賀くんをちらりと見てため息を吐く。いいからどうにかしろ、と目で訴えると急須を待って会議室のドアに手をかける。


「あ、恵衣くん待って。クッキーだからお茶よりもコーヒーの方が────」


その続きの言葉は、勢い良く開いた会議室のドアの音でかき消された。激しいその音に皆その場に硬直した。

目を見開いて顔を向けると、勢いの反動で少し弾き返ってきた会議室のドアが半開きの状態になっている。そのドアの隙間からぬっと太くて赤い何かが見えた。樹皮のような分厚い茶色い爪に太った芋虫に見える五本の指、毛深い肌。それは腕だった。

分厚い手のひらが半開きのドアを押した。ギィ、と嫌な音を立てて開く。

誰かが唾を飲み込む音が聞こえた、と思った次の瞬間────。





「────ガッハッハッ。すまんすまん、毎年まず一番に神修の学生を驚かせるのが恒例行事なんや」


ガハガハと笑うその人は、大きな手でカップの繊細な取っ手を摘んで珈琲を煽る。美味い!と会議室中に響き渡る声で感想を述べるとまたガハガハと笑った。

まだ少しバクバクしている胸を白衣の上から押さえつけてその人を見る。

座っているのにたっているように見える大きな体で、皮膚は白でも黒でもない燃えるような赤。後ろに撫で付けるように伸ばされた方そうな黒髪から覗くのは四本の角。

ぎょろりとした大きな目は黄色味が買った眼球で、笑う度にちらちら見える歯は鋭く長く歯と言うよりも牙に近い。


「皆、こちら八瀬童子やせどうじ一族の鬼三郎きさぶろうさんや」

「よろしくなガキンチョ!」


宮司に紹介され、鬼三郎さんは愉快そうにまた笑った。


「お頭、そろそろ人の姿に合わせてやれよ」


呆れた声でそう言ったのは、その隣に座っていた少年だ。

私たちと同じくらいの歳だろう。背が高くて短髪の黒髪、凛々しい眉に切れ長の目が印象的な少しクールな雰囲気の男の子だ。


「おお、そうだな。悪い悪い」


がしがしと後頭部をかいたその人、瞬きをした次の瞬間そこに座っていたのはライオンのたてがみのようなもみあげをした強面な初老の男性だった。

大きな口を開けてガハガハと笑う。そしてその人が、さっきそこに座っていた人と同一人物であることを理解する。


「改めて挨拶する! 八瀬童子一族の頭領、鬼三郎や」


やがて金縛りが解けたみんながパラパラと挨拶をした。


「あ、あの……八瀬童子って事はつまり」


来光くんが恐る恐る手を挙げた。


「おう! 生粋の鬼一族や!」


胸を張った鬼三郎さんにみんなは納得したように息を吐いた。

八瀬童子やせどうじ、京都に住む鬼の妖で伝説では平安時代の日本の仏教僧である最澄が使役した鬼とされている。

冬休み明けの妖生態学の授業で鬼の44種を全て書く小テストがあって、前日の夜に皆で悲鳴をあげながら勉強した記憶はまだ新しい。


「千江から聞いたやろ、うちの節分祭は特別やって。うちの節分祭は毎年本物の鬼に鬼役をしてもらうんや」

「ガッハッハッ! 毎年社頭はガキ共の泣き叫ぶ姿で阿鼻叫喚の地獄絵図やぞ!」


ハッハッハ、と吉祥宮司も声を上げて笑う。私たちはすっかり笑うタイミングを失って、引きつった笑みを浮かべてお互いの様子を伺った。


「────まぁ、そんな訳で去年までとは何ら変わりないんですわ。いつも通りやって貰ったらよろしいかと」


打ち合わせは三十分も経たないうちに、宮司のその一言で終わった。


「おう、任せとき! 今年も地獄絵図見せたるし!」


ガッハッハッ、鬼三郎さんが豪快に笑う。


「ほんならこっからは大人だけの打ち合わせやし、子供らは恵衣の様子でもみてきたり」


宮司にそう言われて私たちは顔を見合せた。

大人だけの打ち合わせ? 学生の私たちが聞いてはいけないような大切な打ち合わせなんだろうか。


「行こうぜ。"オトナノウチアワセ"が終わるまで、暇だし付き合ってくれよ」


そう言って立ち上がった鬼三郎さんの隣に座っていた男の子。ぞろぞろ立ち上がって会議室を出る。

ちらりと振り返ったその時、鬼三郎さんと吉祥宮司の手に酒瓶が握られているのが見えたのは気のせいだろうか。

一階の社務所に降りてくると、千江さんが「えらい悲鳴あげてたな」とくすくす笑って私たちを労う。慶賀くんは「ひどいよ千江さん!」と唇をとがらせて詰め寄る。


「毎年恒例なんよ、許してや。宮司もこの後の奉仕はせんでええ言うてたし、お小遣いあげるからみんなで遊びに行っといで」

「マジで!? やりぃ! 千江さん大好き!」

「単純な子やねほんま……。ほんなら用意しとくし、恵衣くんの事ちょっと様子みて来て。部屋で寝かせてるから」

「はーい!」


機嫌よく返事をして揃って社務所を出た。社頭を横切り宿舎へ向かう。


「あのぶっ倒れたやつ、恵衣って言うんだな。大丈夫なのか」

「派手な音立ててたもんな~、まあ千江さんも何も言ってなかったし大丈夫だろ。そういやお前なんて名前?」

鬼市きいち。よろしく」


よろしく~、とみんながその流れで自己紹介を始める。一番最後に自分も名乗ると鬼市くんは「よろしく」と笑う。


「鬼市も八瀬童子なんだろ? 鬼三郎さんみたいなあんな感じになんの?」

「なるよ、あんな筋骨隆々じゃないけど。まぁ俺は人の姿の方が気に入ってるし、滅多に鬼の姿にならないかな」

「ふーん。そういうもんなんだ」


慶賀くんが興味深げに目を丸くする。


「鬼市も高校通ってたりすんの?」

「通ってるよ。今日は創立記念日で休み。ちなみにお前らと一緒で高一な」


自分たちが知っている妖は基本的に百歳を超えている。

漢方薬学の豊楽ほうらく先生は雪童子と呼ばれる妖で、体は雪で出来ている。大体50年くらい生きてから水に還ってまた赤ん坊から生まれてくるのが雪童子と呼ばれる妖の生態で、豊楽先生は今の人生の前に五回生まれ直しているらしい。トータルすると二百年近く生きていることになる。

身近にいる妖は私達からすればかなり年配者になる訳で、こうして同い年の妖と出会うのは滅多にない。

皆もそれが珍しいのかこぞっていろいろ質問を投げかけている。


「どこ高なの? この辺?」

「神修、鞍馬の」

「ああ。修霊の方か」


話題についていけずに曖昧に笑っていると、それに気が付いたのか鬼市くんが話題を止めた。


「巫寿はもしかして編入生?」

「あ、うん。そうなの、高校からで」

「なるほど。それじゃ知らないか。神役修霊高等学校しんえきしゅうれいこうとうがっこう、京都の鞍馬にある妖が神職になるための学校。そっちの神修と略し方同じだから、鞍馬の神修とか京都の神修とかって呼んでる」


妖のための高校もあるんだ、と目を丸くする。

よくよく考えてみれば、神修で働いている神職の先生には妖もいる。神職になるためには階位の取得が必須だし、取得するためには勉強もしなければならない。

私たちと同じように学ぶ場所があるのもおかしくない。


「鞍馬の神修のこと、知ってはいたけど生徒と会うのは初めてだな。どんな勉強してるの?」

「部活とかある?」

「鞍馬の神修はどんな制服? やっぱダサい?」

「他にどんな妖がいんの?」


矢継ぎ早に質問する皆に少し苦笑いを浮かべた鬼市くん。落ち着けって、と両手を上げてみんなを宥める。


「全部後で答えるから。でもまずその恵衣ってやつの様子見に行かなきゃ行けないんだろ」


そうだ、恵衣くん。あれから一時間くらい経ったけれど目は覚めただろうか。


「派手にすっ転んでたもんな。お頭に来年はやるなって言っとく」


代わりに申し訳なさそうな顔をした鬼市くんに、来光くんは「不可抗力だよ」と息を吐く。

私も一時間前のことを思い出して苦笑いを浮かべた。

あの時、恵衣くんの身に何が起きたかと言うと────。



『骨の髄まで食ってやろうかァァ!?』


突如として会議室飛び込んできた"鬼"に、私たちはお約束のように大絶叫した。

でもそれは仕方がない。

妖に慣れてきたとはいえ鬼イコール怖いというイメージはまだ払拭できていないし、そもそも真昼間の会議室に鬼が飛び込んでくるなんて誰が想像出来ただろうか。

そして次の瞬間、私たちのように大絶叫はしなかったもののそれなりに驚いていたらしい恵衣くんが、驚いた勢いでバランスを崩したのか体が後ろに傾いた。

さらに運悪く倒れた恵衣くんの後頭部の先に、ちょうど折り畳みの長机の角が来た。ガシャンッ────と激しい音が響いて、恵衣くんが床に倒れ込む。

今度は鬼が「うおお!?」と焦った声を上げる。


『え、恵衣!?』


嘉正くんがいち早く駆け寄った。青い顔をした恵衣くん、もう意識はない。


『す、すまん大丈夫か!?』


相変わらず顔は怖いけれど明らかに動揺した鬼が駆け寄ってきて恵衣くんを抱き起こす。ぺしぺしと頬を叩いたけれど反応はなかった。


『おい吉祥! 吉祥ーッ! ガキが気絶した!』


その声を聞き付けた吉祥宮司がバタバタと階下から駆け上がってきて、やがて恵衣くんは宿舎へ運ばれて行ったのだ。




「────千江さんは"様子みてこい"って言ってたけど、今はそっとしておいた方がいいと思うんだよね」


嘉正くんがそう言って肩を竦める。私達は顔を見合せて「確かに」と苦笑いを浮かべた。

怪訝な顔をした鬼市くん。


「恵衣って結構プライド高いからさ、多分俺らがお見舞いに来たらめちゃくちゃ嫌がると思うんだよね」

「クラスメイトが心配して見舞いに来ても嫌がるのか? 変なやつだな。面倒くさい性格だな」


その一言にみんな吹き出す。鬼市くんって結構ハッキリものを言うタイプらしい。

結局ジャンケンで負けたひとりがこっそり様子を見に行くことになり、そのひとりは私に決まった。

気を失っている人のお見舞いにジャンケンで負けた人が行くのはどうかと思うが、恵衣くんの尊厳を守るためにも一人で行ってこっそり様子を見て戻ってくるのが良さそうだろう。

「居間で待ってるから」と見送られ、恵衣くんの借りている部屋を目指した。

恵衣くんは慶賀くんと泰紀くんの三人で大部屋を借りているらしい。ドアをコンコン、と軽くノックしてみたけれど返事はなかった。


「お邪魔します……」


小声でそう声をかけてそっとドアを押した。和室の隅に敷かれた敷布団が膨らんでいるのが分かった。まだ目は覚めていないらしい。

足音を立てないようにそっと近寄ると、穏やかな寝息が聞こえた。恐る恐る顔をのぞき込む。覗き込んで、思わず笑いそうになった。

恵衣くんって眠ってる時も難しい顔してるんだ。

ぎゅっと眉間に寄った皺は起きている時と変わらなくてちょっと面白い。寝ている時くらいリラックスすればいいのに。

その時、小さく唸り声をあげて恵衣くんの瞼が僅かに震える。ゆっくり開いた目はしばらくぼんやりと天井を見上げ、やがてゆっくりと私に視線が向けられる。


「だ、大丈夫?」


目はあっているが反応はない。沈黙が十秒くらい続き、「恵衣くん?」と名前を呼んだその瞬間、ぼんやりしていた目がカッと見開かれた。

布団を蹴飛ばして起き上がった恵衣くんに思わず「うわっ」と仰け反る。


「────いっ……」


ぶつけた箇所に響いたらしい。顔を顰めて後頭部を抑えた恵衣くんは布団の上でうずくまった。


「あの、急に動いたらよくないよ。派手にぶつけてたしコブになってると思う」

「……お前、なんでここに。てか俺……」


こめかみを抑えて息を吐いた恵衣くん。頭をぶつけて気を失ったせいで記憶が混濁しているらしい。


「恵衣くん、頭打って気を失ってたの。打ち合わせのために会議室の準備してたのは覚えてる?」


薄目で私を見た恵衣くんは考え込むように俯く。


「その後ほら……」


また沈黙が十秒。次の瞬間、耳を真っ赤にした恵衣くんがバッと顔を上げて私を睨んだ。


「別に鬼が怖い訳じゃないからなッ! 驚いて足を踏み外しただけで、俺は……ッ」


予想外の反応に目を瞬かせた。


「えっと……さっきまでは驚いて足を踏み外したんだろうなってみんな思ってたんだけど」


恐る恐るそう言う。

また長い沈黙。次の瞬間、今度は首からおでこまで真っ赤にした恵衣くんが「うるさいッ!」と噛み付いた。堪えきれずに吹き出すと、般若の顔をした恵衣くんが私をきつく睨む。


「鬼、苦手なんだ」

「うるさい! 違うって言ってんだろ!」


今反論すればするほど墓穴を掘ることになるのに気付いていないらしい。

笑っちゃダメだとは分かっているんだけれど、あまりにも恵衣くんの反応が意外で堪えられなかった。

だってあの恵衣くんに、冷静沈着でなんでもソツなくこなして完璧な優等生の恵衣くんに、そんな可愛らしい苦手なものがあったなんて。

くすくすと笑い続ける私にもう反論する気力をなくしたのか、いつも通りの不本意そうな顔でそっぽを向く。


「人間なんだし苦手なものも一つや二つあるよね」

「やめろ励ますな」

「私もまだ妖には慣れないし」

「……頼むから勘弁してくれ」


いつもの高圧的な口調が解けた。弱りきった声でそう言うと両手で顔を覆って項垂れる。


「……小さかった頃、夜の社で調子に乗った餓鬼がきの集団に追いかけ回されたんだよ。それ以降鬼は種類問わず好きじゃない」


蚊の鳴くような声でそう言った。

餓鬼と言えば、鬼の一種だ。小学生くらいの背丈をした妖で、手足は皮と骨だけなのにお腹だけやけにぽっこり膨らみ、窪んだ目をした姿をしている。

確かにあの集団に追いかけ回されたらトラウマになるかもしれない。

笑ってしまったことに少し申し訳なさを感じた。


「えっと……体調は大丈夫? 千江さんが気分悪いようなら病院行こうって。一応禰宜が軽く診てくれてたけど」

「それはいい。問題ない」

「そっか、よかった。今日はもう私達もお勤め終わりだからゆっくり休んで」


また沈黙が流れる。気まずさもあって「それじゃあ私行くね」と腰を浮かせたその時、恵衣くんが咄嗟に私の手首を掴んだ。くいと引っ張られて目を瞬かせながら振り向く。

頬を染めた恵衣くんが何かをこらえるように顔をしかめて私の手首を掴んでいる。


「恵衣くん?」

「誰にも話すなよ」

「え?」

「だから! 俺がその……」


言いにくそうに口籠る。ああ、とひとつ頷いた。


「鬼が苦手ってこと?」

「わざやざ口に出すな!」


あはは、と今度は声に出して笑ってしまった。

奥歯をかみ締めて私を睨む顔でさえ、今は照れ隠しにしか見えなかった。言わないよ、と笑いを堪えながら答える。

その返事にもまだ不服なのか顎に皺が寄っている。


「絶対に誰にも、特に三馬鹿には言うな────言わないで、ください」


ごめんなさいとありがとうが下手くそな人だと知っていたけれど、お願いも下手くそなんだなと少し笑う。

つくづく不器用な人だ。


「人の弱みを言いふらしたりしないよ」

「断じて弱みではない」


これ以上笑うと本当に怒られそうなのでグッと堪えて「そうだね」と頷く。


「じゃあ本当にそろそろ行くね。えっと……お大事に」

「……ああ」


立ち上がると同時に恵衣くんはするりと手を離した。歩き出すと背後で布団に潜り込む音が聞こえる。

静かドアを閉めてみんなの待つ居間へ向かった。


「お、おかえり巫寿ちゃん」

「どうだった?」


居間に戻るとみんなはテレビを囲んで白熱したカーバトルを繰り広げているところだった。後ろで見守っていた来光くんと嘉正くんが手招きする。二人の隣に腰を下ろした。


「大丈夫そうだったよ。私が行った時に丁度目が覚めて、病院も必要ないみたい」

「そう、なら安心だね」

「頭打った拍子にあの口の悪さも治ればよかったのに」


来光くんがふんと鼻を鳴らす。ちょっとそれは厳しいかも、と肩をすくめた。


「おい鬼市バカ! お前赤い甲羅投げんなよ! ああっ抜かされた!」

「うおおっ、ここにバナナ置いたの鬼市か!?」

「下手くそ」


白熱するカーバトルを三人の背中越しに眺める。どうやら鬼市くんが優勢らしい。そしてそつなく一位でゴールした鬼市くんに二人はジタバタと悔しがる。


「何だよめっちゃ上手いじゃん!」

「最近鞍馬の神修でマリカ流行ってんだ。じゃ、アイスはドベの慶賀の奢りで」

「クソォ!」


どうやら賭けマリカだったらしい。

ほら買いに行くぞ、と鬼市くんが立ち上がったその時、「おい鬼市!」と彼の名前を呼ぶ声がして窓の外が急に騒がしくなった。

みんなしてベランダから顔を出すと、朱色の袴を身につけた若い女性に耳を引っ張られるほんのり顔が赤くなった鬼三郎さんの姿がった。


「あ、巫女頭」


女性を見て鬼市くんがそう呟く。


「お前んとこの社の?」

「そ。キレるとやばい」

「じゃあ今結構やばい感じ?」

「かなり。あと3秒くらいしたらツノ生える」


3、2、1と鬼市くんがカウントして0になった途端、肌色の肌が真っ赤に染まり綺麗な黒髪の間から4本の茶色い角が生えた。細い腕は瞬く間に逞しい腕に変わる。顔はよく見る般若のお面のような吊り上がった目と牙を剥き出した形相だ。

ヒェ、と誰かが零した。恵衣くんが見たらまた卒倒しそうだ。


「おい鬼市! 帰るで! 巫女頭にバレてしもた!」

「バレたとは何ですかバレたとは! 神撰の御神酒を盗むなんて、それでも宮司ですか!?」

「ああ宮司や! 宮司権限で持ち出したんや! 何が悪い!?」


喧嘩を始めた二人に「ああもう」と鬼市くんが息を吐く。


「帰るわ。今度絶対アイス奢れよ、慶賀」

「おう。また会えたらな」

「俺も節分祭には来るから。それにその後も、割とすぐに会うことになると思うけど」


割とすぐ?

聞き返す前に鬼市くんはバタバタと階段を降りていった。すぐに玄関から飛び出してきて、喧嘩を始めた二人の間に割って入る。

取っ組みあいになった二人を簡単に引き剥がした鬼市くんは、振り返って私たちに軽く手を挙げると二人を仲裁しながら帰っていった。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

あやかし警察おとり捜査課

紫音みけ🐾書籍発売中
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。  しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。  反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。  

神戸・栄町 困り顔店主の謎解き紅茶専門店

hana*
キャラ文芸
レトロな建物が立ち並ぶ、神戸・栄町。 カフェ激戦区とも呼ばれるこの町の、とあるビルの2階でひっそりと営業している紅茶専門店には、長身でイケメンでいつもにこやかで誰にでも親切、なのになぜかいつもトラブルを招き寄せるという困った体質の店主がいる。 店に訪れるのは、婚約破棄された会社員、紅茶嫌いのカップル、不穏な女子大生のグループ……。 困り顔店主が、お客さんのお悩みを紅茶の香りとともにほわっと解決!?

転職したら陰陽師になりました。〜チートな私は最強の式神を手に入れる!〜

万実
キャラ文芸
う、嘘でしょ。 こんな生き物が、こんな街の真ん中に居ていいの?! 私の目の前に現れたのは二本の角を持つ鬼だった。 バイトを首になった私、雪村深月は新たに見つけた職場『赤星探偵事務所』で面接の約束を取り付ける。 その帰り道に、とんでもない事件に巻き込まれた。 鬼が現れ戦う羽目に。 事務所の職員の拓斗に助けられ、鬼を倒したものの、この人なんであんな怖いのと普通に戦ってんの? この事務所、表向きは『赤星探偵事務所』で、その実態は『赤星陰陽師事務所』だったことが判明し、私は慄いた。 鬼と戦うなんて絶対にイヤ!怖くて死んじゃいます! 一度は辞めようと思ったその仕事だけど、超絶イケメンの所長が現れ、ミーハーな私は彼につられて働くことに。 はじめは石を投げることしかできなかった私だけど、式神を手に入れ、徐々に陰陽師としての才能が開花していく。

あやかし家族 〜五人の兄と愛され末妹〜

南 鈴紀
キャラ文芸
 妖狩りにより両親を奪われ、囚われの身となった半妖の少女・鈴音は浄化の狐火を利用するだけの道具のように扱われていた。呪いにより成長は止まり、容姿も思考も幼いまま、感情が消え失せてもなおただ生かされるままに生きていた。  しかし妖保護部隊本部第一部隊との出会いにより、鈴音の止まっていた時間が動き出す。  掴みどころはないが頼れる氏神・雅仁、兄には厳しいが弟妹には優しい狼の妖・千里、人間嫌いだが人当たりの良い振りが得意な人間・遥杜、可愛いもの好きで元気いっぱいの猫又・鴇羽、大人しいが思いやりに溢れる猫又・瑠璃。  五人の兄と過ごす時間の中で、無いものだらけだった鈴音にもやがて大切なものが増えていく。  妖×家族の心温まる和風ファンタジー。

郷守の巫女、夜明けの嫁入り

春ノ抹茶
キャラ文芸
「私の妻となり、暁の里に来ていただけませんか?」 「​はい。───はい?」 東の果ての“占い娘”の噂を聞きつけ、彗月と名乗る美しい男が、村娘・紬の元にやってきた。 「古来より現世に住まう、人ならざるものの存在を、“あやかし”と言います。」 「暁の里は、あやかしと人間とが共存している、唯一の里なのです。」 近年、暁の里の結界が弱まっている。 結界を修復し、里を守ることが出来るのは、“郷守の巫女”ただ一人だけ。 郷守の巫女たる魂を持って生まれた紬は、その運命を受け入れて、彗月の手を取ることを決めた。 暁の里に降り立てば、そこには異様な日常がある。 あやかしと人間が当たり前のように言葉を交わし、共に笑い合っている。 里の案内人は扇子を広げ、紬を歓迎するのであった。 「さあ、足を踏み入れたが始まり!」 「此処は、人と人ならざるものが共に暮らす、現世に類を見ぬ唯一の地でございます」 「人の子あやかし。異なる種が手を取り合うは、夜明けの訪れと言えましょう」 「夢か現か、神楽に隠れたまほろばか」 「​──ようこそ、暁の里へ!」

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

本日、訳あり軍人の彼と結婚します~ド貧乏な軍人伯爵さまと結婚したら、何故か甘く愛されています~

扇 レンナ
キャラ文芸
政略結婚でド貧乏な伯爵家、桐ケ谷《きりがや》家の当主である律哉《りつや》の元に嫁ぐことになった真白《ましろ》は大きな事業を展開している商家の四女。片方はお金を得るため。もう片方は華族という地位を得るため。ありきたりな政略結婚。だから、真白は律哉の邪魔にならない程度に存在していようと思った。どうせ愛されないのだから――と思っていたのに。どうしてか、律哉が真白を見る目には、徐々に甘さがこもっていく。 (雇う余裕はないので)使用人はゼロ。(時間がないので)邸宅は埃まみれ。 そんな場所で始まる新婚生活。苦労人の伯爵さま(軍人)と不遇な娘の政略結婚から始まるとろける和風ラブ。 ▼掲載先→エブリスタ、アルファポリス ※エブリスタさんにて先行公開しております。ある程度ストックはあります。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

処理中です...