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昔の話(上)
弐
しおりを挟む噂とはどこまでもついてまわるもので、三年生を過ごした小学校で広まったその噂はどこまでも僕を追いかけてきた。
初日は興味本位で話しかけてくるクラスメイトも一週間経てば誰も話しかけなくなって、二週間経てば存在しない人間のように無視された。三週間経った頃には自分を嘲笑う声が教室中から聞こえてきて、一ヶ月経てばものを隠され足を引っ掛けられノートを破られる。
そうしていじめられっ子松山来光が完成する。
僕が四年生になったタイミングで母は私立高校の非常勤講師の職に就いた。本当はまた担当クラスを持ちたいのに、と父の前で大きな声でぼやいていた。父は相変わらず銀行に務めている。この頃から二人の仲は少しずつ悪くなって行った。
小学校へあがる前はお受験対策にと休日は家族揃って美術館や展示会に行っていたけど、最近はめっきりない。どの道習い事があるので出かけることは出来ないのだけれど、父は休みの度自室に籠って本を読んでいるし、二人は顔を合わせてもろくに話をしなかった。
父も母も、ボロボロのランドセルやすぐに無くなる上履きには気付いていたけれど、ただ深くため息をついて数日以内に新しい学用品をテーブルの上に用意するだけだった。
日記に、"今日お母さんが八足目の上履きを用意してくれた"と書いた。その瞬間何故か胸がスっと冷える感じがした。
次の日から僕も、何故か二人と口を聞くのをやめた。そうするとこれまた何故か、あれだけ痛かった身体中の傷に何も感じなくなった。
期待すればその分裏切られたと思ってしまう。望みを抱けば幸せを夢見てしまう。
齢十にして、僕は他人に期待することも望みを抱くこともやめた。
四年生から五年生の二年間をまた別の学校で過ごし、六年生の春に更にまた別の学校へ転校した。今度は京都の学校だった。
「カーチャンから聞いたんやけどさ……」
「隣の姉ちゃんが……」
「前の学校で問題起こしたって……」
初めまして松山来光ですよろしくお願いします、と言い慣れた挨拶をしながら聞こえてきたのは、耳馴染みのない京都弁のそんなヒソヒソ話だった。
翌日からはいつもの"興味本位で話しかけてくる"一週間が過ぎて、案の定、月曜日には誰も話しかけて来なくなった。
ここでも一緒か、と少し笑う。もうそんな生活にはすっかり慣れた。
「ほな皆、一時間目の理科は理科室で実験やからチャイムなるまでに移動しといてや」
朝のホームルームで最後に担任がそう言うなり、クラスメイト達は教材を抱えて立ち上がる。
理科室の場所はまだ知らない。遅れを取らないように慌てて立ち上がると、その弾みで机に体が当たって筆箱の中身が床に散らばった。
クスクスと笑って横を通り過ぎていくクラスメイト達に、ぎゅっと拳を握りしめて床にしゃがみこみ転がった消しゴムに手を伸ばす。
誰も手を貸してくれないことにも、誰も待っていてくれないことにももう慣れた。この学校だって前いた所ときっと同じだ。
何も期待してないし、新たに傷つく必要も無い。場所が変わっただけだ。ただ、それだけ。
唇をかみ締めて定規に手を伸ばしたその時。
「大丈夫?」
自分の手よりも先に、別の手がその定規を拾い上げた。目を丸くしてその定規を辿りながら顔を上げる。
「拾うの手伝うたる」
少しぽっちゃりした男の子だった。しゃがみこんでいるけれど背はおそらく自分よりも少し高い。目が細く頬がふっくらしていて、釣り気味の凛々しい眉をしている。
遠慮気味に顔をのぞきこんできた彼は少し恥ずかしそうに鼻を鳴らした。そして転がった鉛筆を次々と拾い集め筆箱に仕舞い、最後にチャックをシャッと閉めると「ほら」と筆箱を突き出した。
戸惑いながらそれを受け取る。
「理科室分からんのやろ? 一緒に行こ」
「え……」
「おれ、三好正信。あそこの席座ってるけど、覚えてる?」
彼は振り向いて窓際の席を指さした。
「あと理科室行く時は、生活科ボードと資料集いるから。来光のロッカーどれ?」
「あ……ここ……」
ロッカーから緑のバインダーと理科の資料集を取り出した彼はまた「ほら」と差し出した。胸に突き出されて反射的に両手で受け取る。
「チャイム鳴る前に座ってなかったら怒られるから、早く」
「なん、で」
ありがとうよりも先に出た言葉は疑問の言葉だった。
自分の噂を聞いているはずだ。クラス皆が僕のことを無視すると決めている。僕に声をかけたところで、何かメリットがあるなんて思えないのに。
少し困ったように視線を逸らした後、彼は頬をかいた。
「友達になりたいから」
意味が理解できなくて目を瞬かせる。
「もー、何度も言わせんなや。恥ずかしいやろ!」
頬を赤くした三好くんは唇を尖らせてわざとらしく不機嫌そうな顔を作った。
「で、でも……なんで」
「そんなん友達なるのに理由なんかないし」
「でも、でも……僕の噂知ってるでしょ。気持ち悪い、でしょ」
自分でそう言いながら、確実に胸に刺さったのを感じた。
「ほんまなん? あの噂」
「ち、違う……ッ!」
「じゃあそれでええやん。ほら行くで」
手首を掴んだ彼は、ずんずんと歩き出した。転びそうになって慌てて足を動かす。
自分を引っ張るその小さな手に、戸惑いと少しの恐れとでもそれ以上に泣きたくなるくらい嬉しかったのを今でもはっきり覚えている。
その日の夜、初めて日記に友達の名前を書いた。
────前から二列目に座る三好正信くん。落とした筆箱を拾ってくれた。昼休みに学校を案内してくれた。帰り道、途中まで一緒に帰った。こんな僕に友達になろうと言ってくれた。すごく、すごく嬉しかった。
三好くんとは家が同じ方面で、一緒に帰るようになった。
「なぁ、来光! お前の塾の時間まで、公園で遊戯王やらん!?」
「でも僕カード持ってないし、やり方わかんないし……」
「そんなん俺が貸したるし教えたる!」
"三好くん"という他人行儀な呼び方から"ノブくん"にシフトチェンジするのにそう時間はかからなかった。
「ねぇノブくんっ、今度の土曜日習い事が休みになったんだ! 隣町のゲームセンター行こうよ!」
「まじ!? やりぃ! 行く行く!」
「ワニのやつ次は僕が勝つから!」
「何言うてんねん、一回も俺に勝ったことないくせに!」
その頃になって、僕へのいじめが始まった。上履きを隠されて教科書を破られノートを池に捨てられた。掃除の時間は箒で足を引っ掛けられ、体育のドッジボールは皆が顔を狙って投げた。
ノブくんはいつも教室の隅で顔を顰め目を逸らし身を小さくしていた。止めに入ってくれることもないし、話しかけてくれるのは教室に誰もいない時か放課後だけだった。でもそれで良かった。だってもし止めに入れば、今度はノブくんが標的になるかもしれない。
僕は無視されることも慣れてるし、虐められることも慣れている。それにもう前とは違う。だって────。
床に投げ捨てられたノートを拾ってランドセルにしまっていると、遠くに飛ばされていたらしい下敷きが目の前に差し出された。
顔を上げるとキュッと眉間に皺を寄せて目を逸らし泣きそうな顔をしたノブくんがいた。黙って受け取る。沈黙が流れる。
下敷きをランドセルにしまって、最後にランドセルの埃を払うとにやりと笑って肩を竦めた。
「ねぇノブくん、昨日のイナズマイレブン見た?」
強ばった表情だったのが、ぱっと明るくなる。
「見た! 帰りに公園でサッカーやろや!」
「ランドセル置いたら集合ね!」
ひひひ、と笑いあって教室を飛び出す。二人で廊下を駆け下りて靴箱で運動靴を引っ掛けた。
前とは違う。だって今の僕には友達がいる。落とされた教科書を拾ってくれて、隠された上履きを一緒に探してくれる友達がいる。
だから全然平気なんだ。
ボロボロになった上履きを探すのだって宝探しみたいだ。
「来光見つけたー! 木の上にあるわ!」
「そんなとこにあったのか!」
「あっ、カラスが巣にしようとしてるで!」
「あははっ何それ!」
教科書に落書きされても、二人でそれを眺めてどれがいちばん下手くそな絵か笑って話せる。
「これなんや? 猫か?」
「え、ブタじゃない?」
「下手くそすぎやろッ!」
全然痛くない。少しも怖くない。ちっとも辛くない。ノブくんがいてくれるから、本当にへっちゃらなんだ。
日記にはノブくんの名前ばっかり並んだ。今思い返せばちょっと引くくらいノブくんの名前ばかり書いていた。
それくらい、大事な友達だった。
「────あの、お母さん」
「何? 塾の宿題終わったの?」
「うん……終わった」
夏休みが直前に迫ったある日の夕食後。リビングにいても会話が弾むことはないのでいつもならすぐに自室へ引きこもるところを、お母さんに話しかけた。
食器を洗っていたお母さんはちらりとこちらを一瞥した。
「これ……学校で配られたやつなんだけど」
そう言ってプリントを差し出すと、お母さんはため息をついて手を洗うとそれを受け取る。
「サマーキャンプ?」
「あの……夏休みにキャンプするんだって。自分でご飯作ったりテント立てたり、グループで化学の研究発表するんだ。誰でも参加していいんだって。これ、行ってもいい……?」
「三泊四日って書いてるじゃない。そんな暇ないでしょう? 塾はどうするのよ。中学受験まであと半年もないのよ」
これで話は終わり、とでも言いたげな顔でプリントを突き返してきたお母さん。いつもはそこで引き下がってしまうけれど、ぐっと拳を握って顔を上げた。
「このキャンプは塾が夏休みの期間だよ! それにキャンプの間は自習の時間もあるし、自由時間だってちゃんと勉強する!」
「そんなふざけた場所で集中出来るわけないでしょう」
「出来るよ! それにキャンプを手伝いに来るボランティアのお兄さん達は慶大の学生なんだって! 勉強だって教えて貰える!」
必死にそう説得すれば、お母さんはまた深く息を吐いた。いつもならもうそこで心が折れてしまうのだけれど、今日ばかりは食い下がる。
「お願い……! ちゃんと勉強するから!」
お母さんは僕の手からプリントを取った。しばらくの沈黙、唾を飲み込んで顔色を伺う。
そして────。
「もしこれに参加して夏休み明けの模試で成績が下がるようなことになれば、受験が終わるまで外出禁止よ」
エプロンのポケットからボールペンを取り出して、参加に丸を付け保護者欄にサインを書いてくれたお母さんはプリントを僕に差し出した。
「あ、ありがとう……!」
「早く勉強なさい」
「はい……っ!」
いつもならウンザリするその台詞も、今日ばかりは素直に頷いた。部屋に戻る途中、ダイニングの隅に置いてある電話の子機を小脇に隠して部屋へかけ戻った。
ベッドに飛び乗るとすぐに子機の番号を押した。コール音が五回ほど鳴って、「はい三好です」と高い声の人が出る。
「あ……えっと、こっ、こんばんは! ノブくんのお母さんですか? 僕、松山来光です。ノブくんに代わって貰えますか?」
沈黙が流れる。
あれ? もしかして電話かけ間違えた?と少し焦り始めたところで電話口から「ヒヒヒッ」と悪戯に笑う声が聞こえた。
「ノブくんのお母さんですか?やって! 俺やし!」
「え、ノブくんだったの? ひどいよ!」
「ヒヒヒッ騙されてやんの~」
もー、と唇を尖らせながらくすくすと笑う。「で、何?」と尋ねられて本題を思い出した。
「サマーキャンプ僕も参加していいって!」
「マジで!? やったやん、一緒に行ける!」
「うん! まぁ向こうでも勉強する約束なんだけどね。それに成績下がったら受験終わるまで外出禁止だし」
「でも来光なら大丈夫やろ!」
「まぁね」
「こいつ!」
いひひ、と笑えば電話越しにケラケラ笑う声が聞こえてきた。
これまでの夏休みは誰にも虐められないからという理由で心待ちにしていたけれど、今回の夏休みは少し違う。ちゃんと心の底から楽しみだと思えた。
「うわーっ、ノブくんクワガタ! クワガタいるんだけど!」
「仕掛け作って一晩置いたらもっと集まるで!」
「ほんとに!? やりたい!」
夏休みに入ってしばらく経ち、待ちに待ったサマーキャンプが始まった。
キャンプ場は奈良県の山の中腹にある場所で、寝泊まりは基本自分が組み立てたテントの中で、グループ学習やグループ活動は近くにあるコテージで行われるらしい。
キャンプ場に着いてすぐ大学生のお兄さん達に連れられて山の中に入り、「自然探検」という活動が始まった。
土と木と葉の深い匂いを胸いっぱいに吸い込んでぐるりと辺りを見回す。自然の多い場所へ遊びに来たのは生まれて初めてだ。
「来光、こっちにキノコ生えてるで!」
「本当に!?」
木の根元にしゃがみこむノブくんに駆け寄って手元をのぞき込む。
「食べれるかな!?」
「コテージにキノコ図鑑あったから持って帰って調べるで! 食えたら今日の晩飯のカレーにこっそり混ぜよや!」
二人してひゃひゃひゃ、と笑う。
群生するキノコをブチブチと引き抜いて虫かごに詰めた。
「ねぇ、ノブくん 」
「んあ?」
キノコを見聞していたノブくんが不思議そうに顔を上げた。
「声掛けてくれて、ありがとう」
目を合わせるのは少し気恥しいので、キノコを探すふりをしてそう伝える。
ずっと思っていた。
これまでずっと独りだった。どこに行ってもそうなる運命なのだと無理やり自分に言い聞かせてきた。そうしないと、涙が溢れてしまうから。
でもこの学校に来てノブくんに声をかけてもらって友達になって、毎日はガラリと変わった。
楽しくて楽しくて仕方なかった。初めて出来た親友だった。
「なんやねん急に。一人でこんな所きてもつまらんやろ!」
サマーキャンプに誘った事だと思ったらしく、ノブくんは何ともない顔でそう笑った。
本当の意味は伝わっていなかったみたいだけれど、それでいい。ふふ、と小さく笑って立ち上がった。
おい、おい来光、起きろ……!
その日の夜、一通りのアクティビティが終わって風呂にも入り、慣れない寝袋に苦労しながらもようやっと寝付けそうだと言う時に肩を揺すられ目が覚めた。
同じテントで眠っていたノブくんが寝袋から抜け出し自分の枕元にしゃがんで顔をのぞきこんでいた。ふわぁと欠伸をこぼし「どうしたの……?」と体を起こしながら目を擦る。
外はまだ真っ暗で虫の鳴き声が煩い。
「来光お前、トイレ行きたくない?」
「トイレ……? 別に今はいいかな……ねぇ寝ていい?」
「寝るな! 絶対今トイレ行っといた方がいいって!」
必死にそう言うノブくんにやがて頭がハッキリしてくる。何かを我慢するように落ち着きのない様子にピンと来た。
「もしかして、トイレついてきて欲しいの?」
「さ、誘ってるだけや! 勘違いすんな!」
暗闇の中でも分かるほど顔を赤くしたノブくんが僕の言葉に噛み付いた。思わずプッと吹き出すと、「笑うなや!」とノブくんが一層顔を赤くして目を釣りあげた。
「暗いしちょっと怖いもんね。いいよ、付き合うよ」
「べ、べつに怖いからちゃう! 俺は一人で行けるけど、お前が夜中に一人で行けんくて起こされるのが嫌なだけや!」
「はいはい、それでいいよ。ほら、さっさと行こう!」
何か言いたげに「ううっ」と言葉を詰まらせたノブくんだったけれど、それ以上反論すれば僕に付き合って貰えないと思ったのか大人しくテントを抜け出した。
夜中に外へ出る時は懐中電灯を持ち歩くようにと事前に伝えられていたので、外に出て直ぐにスイッチを入れる。それだけを頼るには心もとない光が足元を照らす。
月明かりは分厚い雲の奥に隠れている。名前の分からない虫と蛙が煩いくらいに鳴いていた。
二人してその場に固まる。
「は、早く行きなよノブくん。ちゃんと着いてくから」
「は、ハァ!? ライト持ってるの来光やんけ!」
「じゃあノブくんが持ってよ! 誘ったののぶくんなんだから!」
「いやや! じゃあ行かん!」
お互いに肩を押しあった末、この真夏の夜中に肩をピッタリくっつけあって並んで歩くことになった。懐中電灯も二人で仲良く持つ。
使っていいトイレはコテージに隣接された所にあって、公園の公衆トイレに近い。ドアはなく目隠しの衝立が入口にあって、蜘蛛の巣の貼った白熱灯がひとつだけ中を照らしている。個室は二つとも和式で、小便器は埃と砂でとても汚い。
朝到着して直ぐに確認した時、"嫌な感じ"はしなかったし紫暗の靄もなかった。問題ないのは分かっているのだけれど、こうも薄暗いと少し不気味だ。
「来光そこおる!?」
「いるよ」
「ほんまにおる!?」
「いるってば」
「信用ならんからドア叩き続けて!」
「その方が怖くない?」
いいから!と言われて仕方なくドンドンドンッ!と叩き続ける。
何となく週末の夕方にやっている大喜利番組のテーマ曲を刻めば「おっそれええな!」とノブくんが喜んだので、その調子でリズムを刻む。ノブくんが個室から合いの手を入れてきたので堪えきれずにプハッと吹き出した。
帰りはお互いに目が暗闇に慣れたのか、どちらが前かを押し付け合うことなく懐中電灯はノブくんが持って横並びで帰った。
「いや~、一人でも全然平気なんやけどな。夜の散歩も楽しいやろ思って誘ったんや」
「もー、行きと言ってること違うし」
ちっちゃいことは気にすんなー、と昔流行ったネタを披露したノブくん。両親がお笑い好きで色んな一発芸ネタを知っている。それは僕らが二歳くらいの頃に流行ったものたらしい。
テントの前についた。ふわぁと欠伸をこぼす。
「早く寝ようー……もう絶対起こさないでね」
「おー、大丈夫大丈夫。出すもん出し切ったし、これなら朝までぐっすり────」
テントの入口を持ち上げたノブくんが固まった。名前を呼ぶも返事がない。不思議に思いながら「先はいるよ」とテントをめくる。
テントは二人用だ。僕とノブくんが二人で使っている。だから二人とも外に出ている今、テントをめくっても目が合うはずはない────のに、テントの中の暗闇の奥と目が合った。
ヒュッと喉の奥が鳴った。
手が震えて懐中電灯のストラップの金具が本体に当たりかちかちと音を立てる。ガタガタと小刻みに揺れる光を、テントの中へ向けた。
ギョロりとした黄色目だった。目玉はそのひとつしかない。光に照らされてぎらりと光った。目の下には鼻があって、鼻の下には鋭い牙を持った大きな口がある。
その大きな顔から日本の毛深い腕が伸びて、顔の真下から六本爪の太い足がずんと伸びている。
ぎぎぎとぎこちなく首を動かして隣のノブくんを見た。ノブくんも同じようにこちらを見る。目が合った。次の瞬間。
「うわーーーッ!」
「ぎゃーーーッ!」
二人の悲鳴が響き渡った。
「それにしても、二人して寝惚けるなんて仲良いね。寝ぼけた拍子にテントを潰すのはやりすぎだけど」
一通りのお説教を頂戴した夜中の24時。今からテントを組み立て直すのは難しいという事でコテージの一室を借りることになった。
チューター役の大学生が僕たちの布団を用意しながらそう笑う。僕達はいっそう身を縮めた。
「はい、出来た。明日朝起きたらテントは自分たちで立て直すんだよ。もう遅いからお喋りしないで寝ること。分かった?」
はい、と項垂れるように頷くと、「じゃあおやすみ」と部屋を出ていく。その扉がパタンと閉まるなり、僕達は勢いよく顔を上げた。
「見えんの!?」「見えるの!?」
声が揃った。それが何故だか可笑しくて、二人して布団に倒れ込んでゲラゲラと笑った。
「まさか、こんなに近くに見える人がいたなんて! 僕生まれて初めて会ったんだけど!」
「俺だってそうや! 来光が見える奴やったなんて!」
「ねぇ見た!? さっきの妖怪!」
「腕毛むくじゃらやったな! ほんまにビビった!」
またケラケラと笑う。ひとしきり笑ったあと、二人おなじタイミングで息を吐いた。
「昔から、誰にも分かって貰えなくて苦しかったんだ。たまに、僕自身がおかしいんじゃないかって思う時もあった」
「俺もや。周りの人は見えてへんから、おかしい奴やと思われた。だから"見えへん振り"してた」
少し息が詰まった。僕と同じだ。天井を仰いだ。目が熱い。
「────なぁ来光。握手せん?」
何それ、変なの。
普段なら直ぐに出てくるそんな軽口は出てこなかった。だって自分も同じ気持ちだったから。
面と向かって手を握りあった。ノブくんは痛いくらいに握ってくる。自分も同じくらいの力で握り返した。
なんの涙かは分からないけれど、ちょっと泣きそうになった。
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