言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

文字の大きさ
141 / 357
春休みと禊

しおりを挟む


「わぁ……本当に川がある」


白い着物に着替えた私は、禄輪さんから言われた通りに鎮守の森を少し歩くと小さな小川の前に出た。

さらさらと耳に心地よい水の音が聞こえ、自然と背筋が伸びる程度にほんのりと肌寒い。空気が澄み渡っている証拠だ。

そっと川を覗き込んだ。川底に積み重なった丸い石が水流で流されているのがよく見えた。その石の隙間から緑の草がゆらゆらと揺れて、小魚が優雅に間を通り抜ける。

鎮守の森の木々の隙間から差し込む光りが川面に集まり花緑青色に輝いていた。上流に近いからかとても水が透き通っている。

ちょんと指先を浸すとあまりの冷たさに全身がぶるりと震えた。


「冷た……!」


ひぃ、と苦笑いを浮べる。

この中に入るのか、とため息がつきたくなったけれどどれもこれも自分のため。よしと気合いを入れ直して川辺に雪駄を並べると左足からそっと中へ入った。

川はそんなに深くはなく、両足を浸けても膝下までしか水位がなかった。バシャバシャと水飛沫を上げながら真ん中まで進み、意を決してえいやっと座り込む。

正座をするとへそ下までしっかりと浸かって、やはり耐えきれずにぶるりと震える。


「は、早く済ませて帰る……!」


そう言ってガチガチ音を立てる歯を食いしばると背筋を伸ばして深く息を吐いた。

えっと、確かまずは左肩から。

右手の手のひらで川の水をすくいあげ勢いよく左肩にかける。あまりの冷たさに一瞬怯んだけれど、勢いのまま同じ要領で右肩に水をかけた。

少し前に禄輪さんから「裏の川でみそぎをしてくるように」と言われた。川や海の水で体を洗い清めることで、神職は大きな神事がある前は必ず行っている儀式だ。

やり方は社によって色んなあるらしい。頭から思い切り水をかぶったり潜ったり、滝に打たれるのも禊の一種なんだとか。

水の威力が強ければ強いほど大きな清め祓いの効果を得ることができるらしいけれど、今回は川に浸かった状態で肩に水をかけるやり方でいいと言われたので遠慮なくそうさせてもらう。

滝に打たれてこいなんて言われていたらと思うと、それこそ身体中がぶるりと震えた。両肩に十回ずつ水をかけると、逃げるように川から上がった。

駆け足で社に戻れば社務所の前で禄輪さんが火を焚いていた。駆け寄るなりバスタオルを広げて肩にかけてくれる。

必死に包まりながら火に手をかざせば、禄輪さんは楽しそうに笑う。


「ハハハ、そんなに寒かったか」

「さ、寒いなんて次元じゃないです……!」


ガチガチ合わさる顎で何とかそう抗議すれば、禄輪さんはもっと愉快そうに笑う。


「これに懲りたら同じ過ちは犯さないこと、だな」

「二度としません……!」

「これまでで一番重みのあるな。これからはお前たちが何かやらかす度に滝行をさせようか」


冗談に聞こえない声色に頬を引き攣らせる。

また何かをやらかす予定はないけれど、やらかすなら出来ればそれは夏であって欲しいなんて心の中で思った。

私の体が温まった頃にはかなり日が傾き、鎮守の森の影が濃くなっていた。

持ってきた白衣はくえと白袴に着替えた私は禄輪さんの指示の元、本殿の祭壇を整えていく。

今から一体何が始まるんだろう。

祭壇の前に座るように促されて腰を下ろす。


「今から行うのは、巫寿の中の呪を言祝ぎに転じさせる幸魂さきたま修行だ」

「呪を言祝ぎに……? そんな事ができるんですか?」


禄輪さんはひとつ頷く。


「場合によってはできない者もいるが、生まれながらに言祝ぎを持ち合わせていればな。非常に簡単だ、誰でもできる。誰にでもできるが誰もやらない」


簡単に出来るのに誰もやらない?

なぞかけみたいな言い方に首を捻る。


「例えば粘土で猫を作ったとする。その後同じ粘土で蛇を作る場合、巫寿ならどうする」


妙な例え話にいっそう首を傾げるも、「いいから考えてみろ」と促され顎に手を当てた。

猫から犬なら耳としっぽの形を変えれば何とかなりそうだけれど猫から蛇となるとこう……一度ぐしゃっと潰してくるくる丸めてから作り直す方が早そうだ。


「この修行は今巫寿が頭の中で考えたことと同じ事が、体の中で起きるということだ」


数秒の沈黙の後、自分の顔から血の気が引いたのが分かった。

比喩表現ではあるのだろうけれど、私の体の中でぐしゃっと潰してくるくる丸める事が起きるの……?

想像しただけで全身が粟立つ。

私の青ざめた顔に禄輪さんは息を吐いた。


「呪を言祝ぎに転じるのはそう容易くない。だから神職たちは日々、言祝ぎを口にし身の回りを整え日に当たり、己の言祝ぎが減らないように心掛けるんだ」

「今からそれに気を付けて生活したら、何とかなりませんか……?」

「もちろんある程度は回復するが、巫寿は生まれ持った言祝ぎが多い分すっかり元通りになるには10年かかると思うぞ」


10年、途方もない時間に目眩がする。

禄輪さんは眉を寄せた。


「ここまで無理やり連れてきたのは私だが、やるかどうかを決めるのは巫寿だ。どうする?」


怖い、出来るならやりたくない。

でもこれが自分にとっては必要なことだと言うのは分かる。そうじゃなきゃ、禄輪さんが慌てて私をかむくらの社へ連れてきたりしないはずだ。

何よりも呪が言祝ぎよりも勝っている状態がどれほど危険なのかを知っている。口に出した何気ない言葉が周りの人に危害を加えることだってある。

そんなのは絶対に嫌だ。

顔を上げた。私を試すように見ている禄輪さんの目を真っ直ぐに見つめ返す。ふ、と微笑んだ禄輪さんはそれ以上何も言わず、ひとつ頷くと私の隣に座り直した。


「やり方を教えるから私に続いてやってみなさい。あとはひたすら反復だ。時が来るまで絶対に手をと 止めず続けること。いいな?」

「はい……!」


姿勢を正した禄輪さんは祭壇を仰いで二礼、次いで四拍手しまた一礼する。遅れを取らないように直ぐに同じように柏手を打ち、頭を下げた。

やることは簡単だと言っていたし、同じことを反復するだけだと言っていた。そう難しいことではないのだろうけど、これから体の中でどんな事が起きるのかが分からずすごく怖い。

それに禄輪さんは「時が来るまで」続けるようにと言った。それはいつの話なんだろう。

何も分からない。分からないからこそ怖い。けれど今はとにかく、できることを全力でするだけだ。



禄輪さんの言う通り、幸魂修行は本当に誰でも出来るらしい。

姿勢を正し息を整え、いんと呼ばれる手指だけで形を作る。そして一行ほどの短い祝詞を唱えれば終了だ。

二回禄輪さんと繰り返し、三回目からは私一人で反復を続ける。

思いの外簡単だし、体の中で起きることを説明されてビクビクしていたけれど今のところ体に変化はない。

おそらく禄輪さんが大変だと言ったのは、この単純動作を続けて反復することが大変だと言ったのだろう。

これなら何とか私でも続けていけそうだ────なんて考えは数分後に呆気なく打ち砕かれた。


初めは急激な寒気だった。

重い風邪をひいた時のようにガタガタと全身が震えて、とにかく寒くて上手くてが合わさらない。

振り返って禄輪さんに尋ねようとしたけれど、私より先に「そのまま続けなさい」と言われまた同じ動作を繰り返す。

五回ほど反復して今度は寒気が熱に変わった。これも高熱を出した時みたいに体の内側が燃えるように熱い。


「続けなさい」


やはり私が考えるよりも先に禄輪さんがそう言った。

歯を食いしばって反復する。

目が回る。座っているのに寝転んでいるみたいで、まっすぐ前を向いているはずなのに世界が回る。寒くて暑い。震えが止まらない。

言霊の力を使った時にどっと疲れる感じとは違う。もっと内側から何かが減るような、増えるような。とにかく自分の中で激しく何かが変化しているのが分かる。

これが呪を言祝ぎに転じさせるということなんだ。

何度か深く息を吐いて心を落ち着ける。強ばっていた肩の力が抜けて、震えるだけだった手指に力の芯が通った。

禄輪さんが止めないということは想定内ということだ。大丈夫、落ち着いてやろう。

自分をそう鼓舞してぐっとお腹に力を入れる。背筋を伸ばし、強い柏手を響かせた。





「────巫寿、巫寿! もういい、よくやった!」


強く肩を引かれる感覚に我に返った。ハッと振り返ると禄輪さんが目を弓なりにして私を見ている。

あれ、私。そうだ幸魂、幸魂修行の最中だった。それで急に体が寒くなって暑くなって、訳が分からないまま必死に反復して。

ヒュウと冷たい風が吹き込んで来た。風が冷たく湿っている。朝の風だ。始めた時は日が沈みかけている頃だった。もうそんなに時間が経ったのか。

ふと首を折って自分を見下ろした。立っている。座っていたはずなのに立っている。


神遊かみあそびだ。言祝ぎが全て元に戻った証拠だ。よく頑張ったな」


肩を抱かれたその瞬間足の力が抜けた。おっと、とすかさず抱きとめてくれた禄輪さんは軽々と私を抱える。


「一旦寝なさい。目が覚めたら騰蛇を呼び戻そう。本当によく頑張ったな」


分厚い手のひらで頭を撫でられ、その温もりに誘われるように眠りに落ちた。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

あやかし警察おとり捜査課

紫音みけ🐾書籍発売中
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。  しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。  反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。  

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

神戸・栄町 困り顔店主の謎解き紅茶専門店

hana*
キャラ文芸
レトロな建物が立ち並ぶ、神戸・栄町。 カフェ激戦区とも呼ばれるこの町の、とあるビルの2階でひっそりと営業している紅茶専門店には、長身でイケメンでいつもにこやかで誰にでも親切、なのになぜかいつもトラブルを招き寄せるという困った体質の店主がいる。 店に訪れるのは、婚約破棄された会社員、紅茶嫌いのカップル、不穏な女子大生のグループ……。 困り顔店主が、お客さんのお悩みを紅茶の香りとともにほわっと解決!?

月華後宮伝

織部ソマリ
キャラ文芸
★10/30よりコミカライズが始まりました!どうぞよろしくお願いします! ◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――? ◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます! ◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~

【完結】皇帝の寵妃は謎解きよりも料理がしたい〜小料理屋を営んでいたら妃に命じられて溺愛されています〜

空岡立夏
キャラ文芸
【完結】 後宮×契約結婚×溺愛×料理×ミステリー 町の外れには、絶品のカリーを出す小料理屋がある。 小料理屋を営む月花は、世界各国を回って料理を学び、さらに絶対味覚がある。しかも、月花の味覚は無味無臭の毒すらわかるという特別なものだった。 月花はひょんなことから皇帝に出会い、それを理由に美人の位をさずけられる。 後宮にあがった月花だが、 「なに、そう構えるな。形だけの皇后だ。ソナタが毒の謎を解いた暁には、廃妃にして、そっと逃がす」 皇帝はどうやら、皇帝の生誕の宴で起きた、毒の事件を月花に解き明かして欲しいらしく―― 飾りの妃からやがて皇后へ。しかし、飾りのはずが、どうも皇帝は月花を溺愛しているようで――? これは、月花と皇帝の、食をめぐる謎解きの物語だ。

大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~

菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。 だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。 蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。 実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。

転職したら陰陽師になりました。〜チートな私は最強の式神を手に入れる!〜

万実
キャラ文芸
う、嘘でしょ。 こんな生き物が、こんな街の真ん中に居ていいの?! 私の目の前に現れたのは二本の角を持つ鬼だった。 バイトを首になった私、雪村深月は新たに見つけた職場『赤星探偵事務所』で面接の約束を取り付ける。 その帰り道に、とんでもない事件に巻き込まれた。 鬼が現れ戦う羽目に。 事務所の職員の拓斗に助けられ、鬼を倒したものの、この人なんであんな怖いのと普通に戦ってんの? この事務所、表向きは『赤星探偵事務所』で、その実態は『赤星陰陽師事務所』だったことが判明し、私は慄いた。 鬼と戦うなんて絶対にイヤ!怖くて死んじゃいます! 一度は辞めようと思ったその仕事だけど、超絶イケメンの所長が現れ、ミーハーな私は彼につられて働くことに。 はじめは石を投げることしかできなかった私だけど、式神を手に入れ、徐々に陰陽師としての才能が開花していく。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! 仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。 カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。

処理中です...