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襲来
壱
しおりを挟む「巫寿は社に戻って神職たちに伝えてくれ!」
胃からせり上がってくる不快感を飲み込みながら片手で制した。
「社務所には人形を送ったから、私も一緒に行く……! もし本当に火事なら、人手が必要だよねッ」
火事じゃなくても何かトラブルが起きているなら人手は多いに越したことはない。
とはいえ形代操術は未だに慣れず、人型の形代を走らせると感覚が共鳴してやはり気分が悪くなる。
スマホがあれば一発なのに、あいにく社務所に置いてきてしまった。
目が回る感覚を吹き飛ばそうと軽く首を振った。何か言いたげな鬼市くんと目が合った。
「……無茶だけはしないでくれ」
うん、と大きく頷き足を早めた。
近付くにつれ煙の匂いが濃くなった。木が燃えて灰になる匂いだ。黒く濁った煙が徐々に視界を曇らせていく。私たちは体勢を低くして手ぬぐいで顔を覆った。
「誰にもすれ違わなかったね」
「恐らくみんな新嘗祭に参加してるからだろう」
「不幸中の幸い、だね」
そんな話をしながら先を急いでいると、木が燃える匂いが一気に濃くなり、肌に伝わってくる熱の勢いが増した。煙の隙間から赤い火の粉が見えて目を見開いた。
里の隅にある棚田を管理しているので、山に近く集落からは離れたこの場所に住んでいるのだと前に教えてもらった。何度か療養所を訪れている際に知り合って、一度家に招いてもらったこともあった。
彼らの家が、燃えている。
「巫寿! 井戸!」
すぐに言葉の意図がわかって駆け出した。共有の井戸の傍には桶が転がっていてすぐに滑車につないで中に放り落とす。
でもどうして火事なんか。火の始末を忘れてしまったのだろうか。
勢いよくロープを引っ張ったその時、「巫寿……!」突然名前が呼ばれ両肩を勢いよく掴まれた。そのまま力強く下に押されて井戸の影にストンと腰を下ろす。
驚いて振り返った。
「ど、どうしたの鬼────」
「静かに」
シ、と唇に人差し指を当てた鬼市くんが強ばった顔で井戸の影から少しだけ顔を出す。一体何事かと思いながらもひとつ頷いて同じように顔を出した。
燃える家屋をじっと見つめる。すると燃え盛る家屋の入口から黒い影が出てくるのが見えた。
「おい、そっちはどうだ」
「もぬけの殻だ。誰もいない」
会話する声が風に乗って聞こえてくる。男だ。男たちが会話している。
見た目は30代くらいだろうか、黒い着流しに黒い狐面を身につけている。乱れた黒髪の間から、黒い獣耳がピンと立っていた。
は、と息を飲んだ。
「黒狐族……!」
思わずそう呟き目を瞠った鬼市くんが私の口を塞いだ。井戸の影に背中を押し付けて覆い被さる。
「今人の声がしなかったか?」
「そうか? 俺には聞こえなかったが」
心臓が激しく音を立てる。
「おいお前たち、雑談してる暇はないぞ! 早く燃やして次に行け!」
また別の声がして男たちがバタバタとその場を離れていく。険しい顔でそれを睨みつけていた鬼市くんがやっと手を離した。
「き、鬼市くん! 今の黒狐族だよね? どうして八瀬童子の里に……」
黒狐族といえば最近赤狐族の里を襲った妖狐の妖一族だ。過去には千歳狐と呼ばれる特別な存在の妖狐である瓏くんをさらったこともある。
そんな黒狐族がどうしてここに。
「わからない。でもあの火は妖狐特有の怪し火、やつらの仕業だ。黒狐族は八瀬童子の里を襲おうとしている」
ぎ、と鬼市くんが奥歯をかみ締めた。鋭い眼光で燃え盛る家屋を睨む。瞳の奥に激しい怒りが揺らめいているのが見えた。
「俺は今から里に戻って知らせてくる」
「だったら私が形代を」
「いや、こっちの方が早い」
次の瞬間、鬼市くんの黒い瞳孔がぎゅっと縮んで背丈が拳一個分くらい高くなった。袴から伸びるふくらはぎや袖から見えた腕がが棍棒のように太い。
そうか妖力……!
鬼市くんたち鬼の一族は妖力を使うことで常人離れした力を使えるようになる。
「妖力を使えば俺の足の方が早い。悪いが巫寿はここで待機してくれ」
「分かった。だったら私はバレないように影から鎮火祝詞を試してみる」
目を見開いた鬼市くん。私の顔を凝視したあと、何かをこらえるようにきつく目を瞑った。
あいつらの家を頼む。
そう言い切るのとほぼ同時に、鬼市くんは駆け出した。
10
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