5 / 56
第1章 春
第4話 葵姫の怒り
しおりを挟む
葵姫の身の回りのお世話をするため屋敷から多くの者が離れに手伝いに来ていた。その中には屋敷で小耳にはさんだ話を陰でする者があった。
「麻山城が危ないらしい。東堂の御屋形様が追い詰められているらしいぞ。」
「宿敵の万代宗長に攻められているそうだ。もうだめかもしれない。」
「城が落ちたらここにも万代家の者が攻めてくるかもしれぬぞ。」
「姫様がいるからな。ここも危ないな。」
「姫様の首を取って万代に寝返る者がいるかもしれんぞ。」
その声は葵姫にも聞こえていた。それは葵姫の心に深く突き刺さった。彼らの話から今の状況が分かってきた。万代宗長に攻められて、父の東堂幸信は苦境に立っていた。だから父は城に籠城を決め、自分だけを山深い椎谷に落ち延びさせたのだ。戦が終わるには父の幸信が万代の軍勢を打ち破るか、それとも宗長が手を引くか、もしくは・・・。そう考えると葵姫の心は不安でいっぱいになった。
まだ父の幸信が万代の軍勢を退けてくれると一抹の希望は残っていた。だが彼らの話では状況は悪い方に傾いているようだ。このままでは一番恐れていた事態に・・・。
葵姫は不安と緊張でもだえ苦しんでいた。それは次第に彼女の心の平静を失わせていき、気分が荒れることが多くなっていた。そしてそれを屋敷の者たちにぶつけた。
例えば丹精を込めた食事を持ってきても、
「これは何じゃ! 口に合わぬ。」
と膳をひっくり返すことがあった。着物についてもそうだった。城から多くの着物を持ってくることができず、里で最も良い着物を用意したが、
「何じゃ。この着物は! こんなものしかないのか! 私を誰だと思っているのだ!」
と菊という屋敷の女に当たり散らした。その剣幕に、城からついてきている侍女の千代も目を伏せて何も言えなかった。
それは廊下に控える紅之介にも聞こえていた。紅之介は、毎日のように繰り返す葵姫のわがままに憤りを覚えていた。
(皆は姫様のため心を尽くしているのだ。お寂しいとはいえ、これはあまりにもひどい・・・)
だが紅之介は姫の警護の役目であり、差し出がましい真似は控えねばならぬと我慢していた。
その日は朝から雨が降っていた。うっとうしい天気に誰もが気が滅入っていた。特に葵姫はいつもより苛立っているようだった。
少しでも葵姫の機嫌を直してもらおうと菊が茶を入れてきた。これは心の落ち着かせる特別な茶であった。
「姫様。珍しく漢方の茶が手に入り、立ててみました。気分が休まります。」
菊は優しくそう言うと、葵姫に茶碗を差し出した。葵姫は茶碗を持つと一口、口に含んだ。それは言いようのない味がしていた。
「何じゃ。これは!」
葵姫はいきなり声を上げて、持っていた茶碗を菊に投げつけた。それは菊にあたり、中の熱い茶が彼女にかかった。
「あつっ!」
菊は声を上げた。だがそれでも菊は申し訳なさそうに、
「お気に召さず申し訳ありませぬ、すぐに片付けます。」
と深々と頭を下げた。そして懐から出した布巾で辺りを拭き始めた。
「お前のような気が利かぬ奴は顔も見たくない! この場から出ていけ!」
葵姫は大声で言った。その目は怒りで吊り上がっていた。
「申し訳ございません。お許しください。」
菊は頭を床につけてさらに謝った。だが葵姫の怒りは解けなかった。
「許さぬ! 私にこんなまずいものを飲ますとは!」
葵姫は立ち上がって菊のそばに来た。今にも菊を蹴り飛ばす勢いだった。
「お許しを・・・お許しを・・・」
菊は泣いて許しを乞うていた。その部屋の廊下に座る紅之介にはすべて聞こえていた。もう我慢の限界を超えていた。
「麻山城が危ないらしい。東堂の御屋形様が追い詰められているらしいぞ。」
「宿敵の万代宗長に攻められているそうだ。もうだめかもしれない。」
「城が落ちたらここにも万代家の者が攻めてくるかもしれぬぞ。」
「姫様がいるからな。ここも危ないな。」
「姫様の首を取って万代に寝返る者がいるかもしれんぞ。」
その声は葵姫にも聞こえていた。それは葵姫の心に深く突き刺さった。彼らの話から今の状況が分かってきた。万代宗長に攻められて、父の東堂幸信は苦境に立っていた。だから父は城に籠城を決め、自分だけを山深い椎谷に落ち延びさせたのだ。戦が終わるには父の幸信が万代の軍勢を打ち破るか、それとも宗長が手を引くか、もしくは・・・。そう考えると葵姫の心は不安でいっぱいになった。
まだ父の幸信が万代の軍勢を退けてくれると一抹の希望は残っていた。だが彼らの話では状況は悪い方に傾いているようだ。このままでは一番恐れていた事態に・・・。
葵姫は不安と緊張でもだえ苦しんでいた。それは次第に彼女の心の平静を失わせていき、気分が荒れることが多くなっていた。そしてそれを屋敷の者たちにぶつけた。
例えば丹精を込めた食事を持ってきても、
「これは何じゃ! 口に合わぬ。」
と膳をひっくり返すことがあった。着物についてもそうだった。城から多くの着物を持ってくることができず、里で最も良い着物を用意したが、
「何じゃ。この着物は! こんなものしかないのか! 私を誰だと思っているのだ!」
と菊という屋敷の女に当たり散らした。その剣幕に、城からついてきている侍女の千代も目を伏せて何も言えなかった。
それは廊下に控える紅之介にも聞こえていた。紅之介は、毎日のように繰り返す葵姫のわがままに憤りを覚えていた。
(皆は姫様のため心を尽くしているのだ。お寂しいとはいえ、これはあまりにもひどい・・・)
だが紅之介は姫の警護の役目であり、差し出がましい真似は控えねばならぬと我慢していた。
その日は朝から雨が降っていた。うっとうしい天気に誰もが気が滅入っていた。特に葵姫はいつもより苛立っているようだった。
少しでも葵姫の機嫌を直してもらおうと菊が茶を入れてきた。これは心の落ち着かせる特別な茶であった。
「姫様。珍しく漢方の茶が手に入り、立ててみました。気分が休まります。」
菊は優しくそう言うと、葵姫に茶碗を差し出した。葵姫は茶碗を持つと一口、口に含んだ。それは言いようのない味がしていた。
「何じゃ。これは!」
葵姫はいきなり声を上げて、持っていた茶碗を菊に投げつけた。それは菊にあたり、中の熱い茶が彼女にかかった。
「あつっ!」
菊は声を上げた。だがそれでも菊は申し訳なさそうに、
「お気に召さず申し訳ありませぬ、すぐに片付けます。」
と深々と頭を下げた。そして懐から出した布巾で辺りを拭き始めた。
「お前のような気が利かぬ奴は顔も見たくない! この場から出ていけ!」
葵姫は大声で言った。その目は怒りで吊り上がっていた。
「申し訳ございません。お許しください。」
菊は頭を床につけてさらに謝った。だが葵姫の怒りは解けなかった。
「許さぬ! 私にこんなまずいものを飲ますとは!」
葵姫は立ち上がって菊のそばに来た。今にも菊を蹴り飛ばす勢いだった。
「お許しを・・・お許しを・・・」
菊は泣いて許しを乞うていた。その部屋の廊下に座る紅之介にはすべて聞こえていた。もう我慢の限界を超えていた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる