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第3章 秋

第10章 葵姫の危機

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 紅之介は里に戻る道で馬に乗った地侍たちに会った。彼らがこの大雨の中を馬で駆けて行くことに紅之介は里に何か異変があったことを感じた。

「一体、何があったのですか?」

紅之介は馬を止め、駆けて行く地侍たちに大声で話しかけた。すると地侍たちは止まってくれた。その中には重蔵もいた。

「おお、紅之介か! 大変なことになったのだ。」
「私の方も大変なところを見て参りました。山嶽の先には東堂家の旗印を持った兵の亡骸が転がっております。御屋形様の軍勢が破られたのかもしれません。」

紅之介は先に行った。重蔵たちはそのことをつかんだのかもしれぬと。

「確かにそうだ。聞いたところによると御屋形様の軍勢が破られ、御屋形様がこちらに落ちてくる途中、敵に襲われ行方が分からなくなった。」
「それは本当ですか?」
「ああ、近習の者が里にやっとのことでたどり着いて教えてくれた。だがそればかりではないのだ。姫様が・・・」

「姫様」と聞いて紅之介は目を見開いた。紅之介は嫌な予感を覚えた。

「姫様がどうされたのです?」
「御屋形様を探しに行くといってこの雨の中、馬に乗って出て行ってしまわれたのだ! 我らは姫様を連れ戻そうとこうして出て来ておるのだ。」
「何ですと!」

紅之介は思わず大きな声を上げた。そうであるなら行く先で万代の兵に捕らえられるか、またはもっと悪いことに・・・。

「私も探しに行きます。」

紅之介は馬の首を返して来た道を走り出した。

(ご無事でいてください。姫様。)

紅之介は祈るような気持ちだった。雨はますますひどくなってくる。ひどくなるとこの山道は崩れて立ち往生することになる。その前に姫様を見つけて連れ戻さねば・・・紅之介は雨に打たれながら焦りを感じていた。



 葵姫は馬を走らせていた。どんなに風が強く吹き、雨が体に強く叩きつけようとも、そのまま突き進んでいた。やがて山嶽を抜けて平坦なところに出た。

(父上を必ず探して里にお迎えするのだ。)

葵姫は強く思っていた。そのうちに雨が少しずつ収まってきた。葵姫が馬を止め、周囲を見渡すと足元には兵の亡骸が多く転がっていた。旗印から東堂家の者のようだった。

(もしや父上も・・・)

姫は悪い予感がしていた。その時、前から十数騎の侍と多くの兵が姫に近寄ってきた。葵姫を見つけて近づいてきた。葵姫が大声で問うた。

「何者だ!」
「山岡実光だ。お前はどこの者だ?」

実光は馬に乗る女をじっと見た。袴姿ではあったが美しく気品のある顔であり、その言葉遣いから村の娘ではない。どこかの身分ある者の娘ではないかと思った。一方、葵姫は実光に覚えがあった。確か、麻山城に味方として駆けつけてくれた国衆の一人のはずだった。

「確か、麻山城におられたな。父上を探しに来てくれたのか?」

葵姫の言葉に実光はこの娘のことを思い出した。たしか幸信の一人娘で籠城の際にどこかに逃がしたという・・・こんなところで出会うとはなんという幸運かと実光は舌なめずりした。

「葵姫でござったか。それならそれ!」

実光が合図すると兵たちが葵姫を取り囲んだ。ここから逃がさぬというふうに見えた。

「何をする!」
「ふふふ。我らはもはや東堂家に従っておらぬ。」
「なに!」
「こんなところでお会いできるとは・・・。万代宗長様への手土産は多い方がよい。」

葵姫は悔しさで唇をかんだ。父を探すどころか、こんなところで敵に捕まってしまうとは・・・。

「捕まえたければ捕まえるがよい。だが父上がきっとお前たちを討ち果たしてしてくれるぞ!」

その葵姫の言葉に実光は呆れた顔をして、

「お前の父が我らを討つと? はっはっは!」

と大笑いした。

「何がおかしい!」
「幸信はここじゃ。これを見い!」

実光は馬につるしていた白い包みを持ち上げた。それはまごうことなき人の首だった。

「ち、父上を!」
「そうだ。ここで討ち取った! これで一番手柄よ!」

実光はニヤリと笑った。葵姫は悔しさで震えた。そしてその後で実光に対する怒りが大きくなった。

「この裏切り者め! 私が成敗してやる!」

葵姫は馬を走らせ、懐の短刀を抜いて実光に斬りかかろうとした。だがそれは周りの兵に阻止された。持っていた短刀は叩き落とされ、馬から引きずり降ろされた。

「放せ! 放せ!」

葵姫は必死に暴れて抵抗するものの、周囲から押さえられては身動きができなかった。

「威勢の良いお姫様よ。だがこの上なく美しい。このまま宗長様に献上するのは惜しい。」

実光はニヤニヤ笑いながら馬を降りて葵姫の方に近づいた。

「何をする!寄るな!」
「お前を慰みものにしてやろう。ふっふっふ。」
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