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第3章 秋

第14話 三郎の逆襲

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 三郎の兵たちは里の近くまで来ていた。このまま一気に里に攻めかかろうとした時、里の地侍たちの集団が接近してくるのが見えた。

(案外早かったな! しかしあれだけの兵の数ではこちらの数には圧倒されよう。)

三郎は兵たちを停止させ、攻めかかる態勢を取った。このまま一気に敵を叩き潰す気でいた。兵たちの殺気が辺りに充満した。そして頃合いを見て、

「かかれ!」

と三郎が声を上げた。その声に反応して、兵たちは一気に地侍たちの集団に走り出した。その勢いで周囲の木々が大きく揺れた。そしてそのざわめきは山々にこだました。
 一方、重蔵が率いる里の地侍たちの集団も敵に気付いていた。

「攻めかかって来るぞ! 備えを厚くしろ!」

重蔵の合図に地侍たちは迎撃の態勢を取った。密集して道を固めるのだ。それはここから先は一歩もいれぬという意志が見て取れた。彼らはじっと敵が向かってくるのを待っていた。
 やがて三郎の兵たちが攻め寄せてきた。鬨の声を上げながらまっしぐらに突っ込んでくる。

「ここを一兵をも通すな!」
「おう!」

重蔵たちも刀を抜いて敵に挑んでいった。
 それは激しい戦いだった。血が飛び、人が倒れ、その上を踏み越えて行った。弱い者から先に倒れ、強いものだけが生き残り、そしてまた戦う・・・。重蔵たちは5倍以上の敵を相手に奮闘していたが、やはり数の力に少しずつ押されていた。

「戦え! 姫様のために! 里のために!」

重蔵は地侍たちを鼓舞しようと叫んでいた。


 その光景は梟砦に入ろうとする百雲斎たちにも見えた。圧倒的な数の兵を前に味方の地侍たちが必死に戦っている・・・それは葵姫にも紅之介にもはっきりわかった。

(自分の役目は姫様の警護だ。だが・・・)

命を賭けて戦う味方の地侍たちをそのままにして安全な梟砦に入ることが紅之介にはためらわれた。

(自分が行けば形勢を逆転できるかもしれぬ・・・。)

紅之介はそっと葵姫の顔を見た。すると彼女は目で合図した。

(私なら大丈夫。助けに行って・・・)

と。紅之介は百雲斎に声をかけた。

「頭領様。私も行かせてください。敵と戦ってまいります。」
「なに! では姫様の警護はどうするのだ?」

百雲斎はそれを咎めるように言った。だが横から葵姫が言った。

「もうすぐ梟砦でしょう。私なら心配いりません。紅之介を行かせなさい。」

その言葉に百雲斎は小さくうなずいた。里の地侍たちの苦戦を見て、彼も内心、紅之介を助けにやりたかったのだ。葵姫の手前、それを言い出せなかっただけだった。

「うーむ。仕方ない。紅之介行ってくるがいい。ここは我らだけで十分だ。」
「はっ!」

紅之介はそう返事をしてすぐに走って戦いの場に向かって行った。葵姫は紅之介の無事を祈りながらその後ろ姿をじっと見送っていた。

 
 戦いの場は壮絶を極めていた。敵味方の屍が転がり、多くの血が流れていた。さすがに三郎の兵の数が物を言った。地侍たちは奮闘したものの疲れが見え始め、次々に斬られていた。形勢は三郎の兵の方に傾いていた。
 三郎は後方でその状況を満足そうに見ていた。

「もうすぐここを抜ける。椎谷の里を攻め、その勢いで梟砦を落とす。まだ備えなどできていない砦など我が忍びの手練れだけでも十分だ。」

三郎はほくそ笑んでいた。しかし戦いの場に一つの人影が近づいてくるのが見えた。それはとてつもない殺気を放っているように見えた。

「あれは!」

三郎は遠くからでもはっきりわかった。あのすさまじい剣を使う地侍だ。三郎の目は大きく見開き、その地侍を目で追っていた。


 紅之介は戦場に駆け付けるやいなや、刀を抜いて地侍に群がる敵の兵を斬り倒した。そして離れたところで戦い続ける重蔵に声をかけた。

「重蔵殿。助けに参った!」
「おお、紅之介か! これは助かる!」

紅之介は刀を振るい、三郎の兵を次々に斬り倒していく。それはかき集められた浪人でも手練れの忍びたちも同じだった。紅之介の周りは血で紅く染められた。

「神一刀流、二神紅之介ふたかみこうのすけ。見参! この紅剣くれないけんをさらに紅く染めたければかかって来い!」

紅之介は声を上げた。その姿は血にまみれた鬼のようだった。その姿に敵の兵は恐れおののいた。そしてさらに紅之介が刀を構えて向かって行こうとした。すると、

「う、うわー!」「ひえー!」

兵たちは浮足立って後ろを向いて一斉に逃げ出した。大勢は決した。三郎の目論見は崩れたのだ。

 三郎は逃げ惑う兵たちの中で一人、そこを動かなかった。ただ腕を組んで紅之介を睨んで立っていた。

(この戦いはこちらの負けだ。あの者にまともにぶつかっても勝てる者などいないだろう。だがこのまま帰るわけにいかぬ。あの者は自分が相手をするしかない。今度は奴を必ず仕留める。あの時の借りを返してやる・・・)

三郎はそう思って拳を強く握りしめた。そしてやがて兵たちはすべて逃げ、周りに誰もいなくなった。そこに追いかけてきた紅之介が現れた。

(あ、あいつは!)

紅之介は三郎を前にして立ち止まり、じっと刀を構えた。死んだと思っていた三郎が目の前にいることに驚きの色を隠せなかった。

「生きていたのか!」
「そうよ! 儂は武藤三郎。忍びの頭だ。二神紅之介と言ったな。貴様の紅剣くれないけん、とくと見せてもらった。前回は不覚を取ったが、今回は負けぬ!」

三郎は腕組みを解くと刀に手を伸ばしてすっと抜いた。深手を負って片眼は見えぬが、その分、神経は研ぎ澄まされているようだ。紅之介は油断ならぬ相手にゆっくりと刀を構えた。その隙のない動きと言い知れない不気味な空気、そして放たれる殺気・・・紅之介に危機を感じさせてじりじりと後ろに下がらせた。

「いくぞ!」

三郎が間合いに踏み込んできた。その剣の鋭さは以前の比ではない。紅之介は何とか刀で受け止めた。

「貴様に復讐するため、また技を磨いてきた。貴様の剣はもはや儂には通じぬ!」
「なにを!」

紅之介はすっと離れて間合いを取った。そこに三郎が突っ込んでくる。紅之介は腰を落として奥義「紅光斬」の構えを取った。そして向かってくる三郎に刀が振り払われた。

(同じ手が通じるか!)

三郎はそのまま空中に飛び上がった。紅之介の刀は空を切った。三郎はその真上に飛び上がっている。その刀は紅之介に振り下ろされようとしていた。

(しまった!)

紅之介はその瞬間、死を悟った。三郎の刀は確実に紅之介の頭を真っ二つにするだろうと・・・。だが、

「カーン!」

飛んできた1本の棒手裏剣が三郎の刀を弾き飛ばした。それは重蔵が投げたものだった。紅之介の危機を重蔵が救ったのだ。三郎は紅之介を斬ることもなく地面に着地した。紅之介はすぐに刀を返した。だが三郎はさっと後ろに飛び下がっていた。

「とんだ邪魔が入った。勝負は預けた。次こそ貴様に命はない!」

三郎は悔しげにそう言うと森の中に飛び込んで行って姿を消した。紅之介は後を追いかけはしなかった。

「大丈夫か?」

重蔵がそばに寄って来た。

「危ないところでした。おかげで助かりました。」

紅之介は「はぁっ」と息を吐いて答えた。あの勝負は自分の負けだった。重蔵が手裏剣を投げていなければ斬られていただろう・・・そう思うと冷や汗が出た。

「恐ろしい奴だ。紅之介の奥義を破るとは。」

重蔵の言葉に紅之介はうなずいた。

 とにかく敵の兵を追い払った。これでしばらく攻めて来ないだろう。その間に防御を固めねば・・・紅之介はそう思っていた。しばらくすれば万代宗長は大規模な軍勢を派遣してここを攻め取ろうとするだろう。葵姫を亡き者とするためにも。これからが本当の戦いだと気を引き締めるのだった。
 遠くに見える山々はすっかり紅葉していた。そのうちその紅い葉は落ちて、山はさびしい光景になる。そうなれば長く厳しい冬を迎えるのだ。
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