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第4章 冬

第7話 内通

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 櫓では軍議が開かれていた。多くの兵を失い、これからどうしていくかということだった。守備する場所を狭くして守りやすくするか。今の場所で敵を押さえていくか、それぞれが意見を戦わせていた。しかしそこには葵姫の姿はなかった。

「姫様はどこに行かれたのじゃ。」

西藤三太夫が不満げに言った。この大事に総大将がおらぬとはどういうことかと言いたげだった。

「姫様はお加減が悪く臥せておられる。連日のことでお疲れが出たのであろう。」

百雲斎は嘘を言った。彼は葵姫の居場所を知っていたが、そこから連れ戻すことができなかったのだ。葵姫がいなくても我らだけで…と思っていたが、居並ぶ諸将はそれを許さなかった。やはり葵姫はもはやお飾りではなく、東堂家のかじ取りをせねばならぬのだ。

「姫様がおられないでは何も決められぬわ!」

三太夫は吐き捨てるように言った。彼は百雲斎の嘘を見破っていた。彼の耳にも葵姫の居場所が聞こえてきていた。だからなおのこそ、これまで命を賭けて支えてきた葵姫に裏切られた気持ちになっていた。
 結局、軍議は結論の出ないまま終わった。諸将はため息をついて帰っていった。特に三太夫はかなりの不満を抱えていた。



 西藤三太夫は一番門の守備隊に戻っていた。彼は一人、指揮所に入り、床几に座って考え事をしていた。いくら戦ってもどこからも助けは来ず、このまま敵に押しつぶされてしまうのは確かだった。しかも軍議を開いても結論は出ず、肝心の葵姫は臥せたままだった。

(このままでは・・・)

武士として戦いに中で死ぬのは本望だが、このような状況では死んでも死に切れぬと三太夫は思っていた。するとそばに人の気配がした。

(忍びか!)と三太夫は刀を引き寄せた。敵の将を暗殺に来たのかもしれないと・・・。

「決して危害をくわえに来たのではござらぬ。」

一人の男が少し離れたところに跪いていた。
「何者じゃ?」
「武藤三郎と申す。お話ししたき儀があって参りました。」

男は潜めた声で言った。その様子からして敵の忍びの者に違いないが、一体、自分に何の用があるのか・・・三太夫は刀を離さなかった。

「ご不審なことはもっとも。だが西藤様によい話を持って参りました。」
「よい話とは?」

三太夫は訊いた。普段ならこのように怪しい者はすぐに斬り捨てるのだが、今宵はなぜかそんな気になれなかった。三郎は話し出した。

「このままではこの砦は落ちましょう。あなたのような立派な武将が死ぬのは惜しいと万代宗長様はかねてからおっしゃっておられました。もし手引きして頂けるなら、高禄で召し抱えるとのことです。」

三太夫は三郎の顔を見た。忍びだから人をだますのは得意であろう。儂をこのままはめるつもりか・・・三太夫は疑った。三郎はさらに続けた。

「もしご不審な点があればここに人を呼んで儂を捕らえ、首をはねられたらよい。だがそうしても何も変わりませぬぞ。あなたが忠義を尽くした御屋形様はもう亡くなられたのです。その娘とはいえ、あなたが命を賭けて守るほどの者かどうか・・・よくお考えを。」

そう言われてみればそうだ・・・三太夫は心が傾いてきていた。彼の目からすると葵姫は主君としてお仕えするのは物足りない、いやお仕えするほどの方でもない。ただのわがままな小娘にすぎぬ・・・と思われてきた。その様な心境の変化を三郎は巧みに読み取っていた。

「宗長様は立派なお方です。あなたのような方がお仕えするにふさわしい。あの方の下で働いて手柄を挙げれば、恩賞は思うがまま、高い地位に昇られるでしょう。」

その言葉で三太夫の気持ちは固まった。

「よかろう。明日の夜まで待て。一番門を開けて待つ。我が配下の者とともに寝返ろう。」

三太夫はついに決断した。
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