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26. 二度と愛を語るな side シグルド
しおりを挟むイリスが出ていった扉を、呆然と眺める。
涙が頬をつたって、ボトボトと膝の上に落ちた。
(終わった……完全に終わった)
どうしてこんなことになった。
視察から帰ったら、イリスを甘やかして幸せな時間を過ごそうと思っていたのに、あっという間にイリスは俺から去っていった。
イリスがギフト持ちってなんだ。
俺とローラの不貞を見続けていたってなんだ。
そんなこと、初めて聞いた。
知っていればイリス以外の女なんか抱かなかったのに。
「アンタ、馬鹿じゃないの? そんな死にそうな顔で泣くくらいなら、なんで浮気なんかしたの。あの子が父親や元婚約者たちの浮気で苦しんでたのを知ってたくせに! よりによって何でアンタが裏切るのよ!」
マルシェが容赦ない言葉で俺の胸を刺す。
「──マルシェには、わからない。わかってもらおうとも思わない。それでも一つだけ確かなのは、俺はイリスを、誰よりも愛していたよ。嫌われるのが怖くて、いつのまにか歪んだ愛情になってしまったけどな……」
本当は綺麗なイリスを閉じ込めて、誰にも見せたくなかった。俺の世界はイリスだけなのに、俺がずっと守ってきたのに、イリスには俺以外にも大事なものがたくさんあることが許せなかった。
俺だけを見て、俺だけを欲しがって欲しい。
俺だけのイリスでいてほしい。
イリスに触れていいのは、俺だけがいい。
だがそんな我儘が通るわけがない。
その鬱憤をローラで晴らした。
そして今、最愛を失った。
イリスを傷つけ、失望させ、泣かせてしまった。
守ると誓って彼女を妻にしたのに、あんな悲痛な顔をさせてしまった。自分の歪んだ欲を満たすために、イリスの信頼を裏切った。
「シグルド」
王妃の低い声に、ビクリと肩が揺れる。
いつも穏やかな彼女の冷ややかな視線が突き刺さる。
「あの子の母親もね、イリスと同じギフトの持ち主だったの。そして同じように夫の浮気で苦しんでいたわ。ねえ、わかる? 貴方、イリスが忌み嫌う父親と同じことしたのよ? いいえ、貴方の場合、前公爵より酷いかもね」
「義父上より……酷い……?」
心臓がバクバクと鳴り、耳の近くで鼓動を打っているような錯覚を起こす。
「前公爵はね、病弱な妻に夜伽をさせるわけにはいかないから、娼婦代わりの女を囲っていたの。そこに愛はなく、愛する妻の名を呼んで行為に及んでいたらしいわよ。私から見たら気持ち悪くて寒気がするけれど、私の妹は結局、夫の愛を切り捨てることが出来ず、死ぬまであの男の妻でいた」
こめかみから汗が流れた。
指先からどんどん体温が奪われていく。
「でも貴方は前公爵とは違う。だってイリスは病弱じゃないもの。しっかり妻の役目を果たしていたでしょう? でも貴方は他の女に手を出した。それなのにイリスだけを愛してる? ──あの子を馬鹿にするのもいい加減にしなさい」
「ば、馬鹿になど──」
「いいえ、しているわ。悲嘆に暮れて自分に酔うのはやめなさい。貴方が最も愛しているのはイリスじゃないわ。貴方自身よ。そうでなければ、あの子の古傷を抉るような真似は出来るはずがないわ」
「……っ」
王妃の迫力に飲まれる。
その圧倒的な覇気にひれ伏してしまいそうになった。
俺は今、恐怖を抱いている。
暴かれたくない、自分でも気づいていなかった何かを晒されるような感覚に陥り、今すぐここから逃げだしたい衝動に駆られる。
(やめてくれ……)
ここから先は聞きたくない。
「貴方は結局、男性不信だったイリスに選ばれた自分が好きだっただけ。ただのナルシスト。自分が一番大事だから、イリスより自分の欲を優先できる。性欲処理がイリスのためだったなんて口が裂けても言うんじゃないわよ。そのせいであの子は、絶望して死を望んだこともあるのだから」
「…………え?」
死を望んだ……?
イリスが……?
マルシェを見ると頷いて肯定する。
「だから私が説得して王宮で保護したの。貴方はそれだけのことをしたのよ」
(俺の歪んだ欲のせいで、イリスが──)
もしマルシェが保護しなければ、視察中にイリスが命を絶っていたかもしれない事実に、頭が真っ白になった。
俺のしたことは、嫌われるレベルのことではなかった。
イリスの人生そのものを終わらせるほどの仕打ちだった。
(俺は、なんてことを──)
「二度とイリスへの愛を語るな。お前にその資格はない」
去り際に王太子に吐き捨てられた言葉と威圧に、俺の心は完全に折れた。
◇◇◇
「おかえり、シグルド君。私室の荷物は既に伯爵家に送ってあるから、執務机の中身と貴重品は自分でまとめてくれるか?」
「──義父上」
「もう君の義父ではないよ。今日から私が公爵に復位したんだ。早速君のお相手であるローラは解雇して執務室に待たせてあるから、彼女も持ち帰ってくれ」
「え? 貴方が公爵に!? じゃあイリスは……」
「イリスは王女の侍女として、彼女の輿入れについていくことになっている」
マルシェの輿入れに……?
それはつまり、イリスはこの国を出るということか? それほどに、イリスは絶望していたのか──
改めて自分の行動が、イリスにどれほどの傷を負わせたのかを自覚し、手が震える。
「私にこれを言う資格がないことは重々承知しているんだがね、君にだけは、私と同じ過ちを犯してほしくはなかったよ」
「…………」
「これ以上、あの子を傷つけないでくれ」
憐憫の裏に隠された怒りが、公爵の声から感じ取れた。
イリスはどうであれ、公爵が娘を愛しているのは事実なのだろう。
俺は何も言えずに頭をさげ、執務室へと向かう。
「シグルド様!」
扉を開けると、ローラが抱きついてきた。
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