7 / 15
本編
第七話
しおりを挟む遂に、望んだようになった。
なのに、私の心は彼が来る前より荒んでいた。
乾いた心と逆に、目は込み上げてくるもので潤んでいた。
「うっ……ひっく……」
今日は、泣いてばかりだ。
「ふ、う、ひっく」
しゃくりあげて、何度も体を震わせて。
それでも足に力を入れて立ち上がる。
帰らなくては。早く。彼が来てから、随分と時間が経ってしまった。
もう会うことはないだろう。会ったとしてもきっと、あの顔に笑みは浮かばない。
「これでいいから……これが、いいから……。だから立ちなさい、私……」
最終的に幸せになればいいのだ。彼も、妹も。
「これで二人は幸せになるでしょ……愛する人が幸せになるんだから、泣くな、ソフィア」
声に出して自分を叱咤しないと、今にもくずおれてしまいそうなくらい、泣いてしまっている。
泣いてばかりの弱い自分に嫌悪しながら、小屋のドアノブに手をかけた。
ここに来ることもきっとないと、思いながら。
俯きながら外の空気を浴びたその時だ。
急に私の体はたくましい腕に引き寄せられ、温もりに包まれた。
その人の正体はすぐに分かった。だって数時間前も同じように、抱き締められたもの。
だからこそ何をしても抜け出そうと思ったのに。
「っ……!? んんんっ!」
突然塞がれた唇に、何より驚愕が一番に襲ってきた。
開けたままの視界に入ってくるのは、甘く細められた瞳と、柔らかに崩れた微笑み。
一年前まで見知っていたその顔と表情を持つ彼は、今までキスなんてしてこなかった。
大事に大事に、優しく抱き締めるまでだった。理由は、私が断っていたから。
だというのに、今回のこれは何だ。断る暇もなく、こんなの。
彼は更に深く口づけてきて、私の思考もそれに比例して溶けきっていく。
どれだけ暴れても、容易く抑え込まれてしまう。
また酷いことを言うことも、肝心の口がふさがれているので不可能だ。
なら、これが終わるまで待っているしかないではないか……。
やっと唇を解放されたときには、全身の力が抜けてしまっていた。おまけに、息だって切れてしまっている。
「ソフィア、嘘は良くないよ。自分の気持ちはちゃんと話そうか」
肩を上下させている私を抱き締めた彼が、耳元で吐息混じりに囁く。
「俺が君を傷つけたのは、確かだ。君はそれに傷ついた。それは本当だろう。でも君は俺を憎んでいない。そうだろう?」
「……」
黙っていると、顎を指ですいと掬い上げられ、
「ちゃんと目を見て。目を見て、そして応えてくれ」
「……わたし、は」
返答に困り俯こうとするが、彼の指がそれを邪魔する。
「言っておくけど、リリア嬢との婚約は、ご両親に直接断ってきたよ」
「……うそ」
「本当。俺は君以外の人と婚約したまま、君に愛を伝えはしない」
私の瞳をまっすぐを見つめて、乞うように囁かれたそれに、嘘はないように思えた。
しかし気がかりのような、もやもやしたものは胸の内から消えてくれない。例えば、そう、私と一緒になるよりも――
「……あの子の方が、幸せになれるわ」
「俺の幸せは俺が決める」
「……忘れた、くせに」
分かっている。私が言っていることは子どもが我が儘を言っているのと同じだと。
そんな私の我が儘に、誠実な言葉を返してくれる彼。
「挽回のチャンスを、くれはしないだろうか?」
挽回……。
私と、もう一度婚約する、挽回?
妹との婚約を、破棄して?
「君が隣にいてくれないと、俺は幸せになれないと思うんだが?」
「……待って」
頭が混乱している。
そもそも、彼は私を嫌ったのではなかったか? ……あれ?
さっき聞いたことは、つまり、嘘?
「分からない、わ」
こうなった状況が。
眉を寄せて悩んでいると、彼が咳払いをし、
「まず、俺が事故に遭って記憶に異常が出ただろう?」
「……えぇ」
「俺に君の両親が、リリア嬢を婚約者だと思い込ませた」
「そう、ね」
「一年間、俺とリリア嬢は交際したわけだ」
「えぇ」
「そしたら君は、俺が君を忘れたので拗ねてしまった」
「……」
拗ねた。確か、不平や不満があって素直な態度になれないという?
「俺はパーティでの君の様子に既視感を覚えて記憶を取り戻した。だから君に近づいた」
「………………そうなの」
どういった部分に既視感を覚えたのか分からないが、彼が言うなら、そうなのだろう。
「でも君は拗ねてしまっていたので、俺から逃げた。君の両親が君よりリリア嬢を可愛がっていたせいで自分に劣等感を覚えていた君は、リリア嬢の方が俺を幸せにできるというのを理由にして、拗ねた心をこじらせた」
なんだかとても、簡潔に説明されている気がする。
「…………………私は、拗ねていたの?」
「そう。そして生憎、君は頑固すぎた。悪いとは思ったけど、ギリギリまで言葉で追い込んでみたんだ」
「やっぱり、さっきのは嘘だったの?」
私が本当は、愛していない、とか。勘違いをしたようなことを吐いたのは、嘘だったと言うのか。
不安げな目で見上げると、慈しむような微笑みを落とされる。あぁ――この優しい笑みが、愛おしい。
「そうだよ。君の想いを俺は疑っていない。君が真実を話してくれなかったのは、ほぼ君の両親に責任があると思ったからそんなに気にしていない」
彼の言う両親についてはまだ理解できないけど……結局、この人は――ノエルは、私以外の人と婚姻を結ぶつもりはないと。
「あとね、考えてごらん、ソフィア。俺がこうして君を愛しているのにリリア嬢と婚姻を結んだとして、誰も幸せにならないよ。君は、自分以外の誰かを愛している男と結婚して、嬉しいかい?」
「……いいえ」
そんなの、嬉しくない。
ということは、私は今まで自分勝手に人の幸せを決めつけて、逃げ回っていただけ?
全部、無駄だったというの?
「でも、あの子の方が、リリアの方が、可愛くて、優しい……」
「君だって可愛くて優しいじゃないか」
「それは貴方の贔屓目で見ているからでしょう?」
不思議で首を傾げると、ノエルは苦笑してやれやれと頭を振った。
「それは違う。リリア嬢は確かに可愛らしく明るい、太陽のような令嬢だが――」
「へぇ……?」
「嫉妬されることは嬉しくて堪らないけど、ちょっと待ってくれないか?」
「……どうぞ」
じとっとした目でノエルを見上げながら、次を待った。
「こほん。――対する君は月のように、穏やかで幻想的な魅力を持つ、他にいないような美人さんなのですよ。そう、記憶がまだ混乱している時の俺だって、君を見て切な気な顔をする男共に気づいたくらいにはね」
「………………………………嘘?」
「本当」
美しい男性に真顔で見つめられ、居心地悪く身動ぎする。
ここで嘘を吐くような彼ではない。長年の付き合いから、それは分かった。けれど到底信じることのできない真実を、いきなりそうかと納得することはできない。
そんな私の思考なんてお見通しなのか、ノエルは仕方がないとでも言いたげに肩をすくめた。
「君の両親が妹を可愛がりすぎたことで、君は他の人もそうなのだと思い込んでしまったんだよ。実際は、魅力的すぎて近寄りがたい君に話しかけることのできる人間がいなかっただけ」
「……信じられないわ」
「だろうね。俺も、他の男が君に懸想してるなんて知ってほしくなくて、言わなかったし」
「……本当、私はずっと勘違いして生きてきたのね」
ほとほと自分に嫌気がさす。
私に魅力が云々というのは全く信じられないけど、少なくとも誰も私を見ていないのではなかったらしい。
勝手に勘違いして、自暴自棄になって。そうやって――
「私は、貴方をたくさん傷つけたわ」
酷いことを言って、心に傷を負わせた筈だ。何がどうであったとしても、その事実は変わらないのではないか。
赤い筋の残っているノエルの首を見て、罪悪感に顔をしかめた。
しかしノエルは朗らかに笑うと、いっそ変態かと思わせるような囁きを落としてみせた。
「君から言われるなら、どんな暴言でも嬉しいかな」
「……変態」
「心外な。一番つらいのは、君の気に留まらないことだ。好きの反対は無関心と、よく言うだろう?」
聞いたことはあるけど、本当にそうなのかは知らない。
知らない、が……こう言うことで、この人は私に負い目を感じさせないようにしているのかもしれない。なら、私はノエルを――愛する人を、信じよう。
「ねぇ、ノエル」
「うん?」
「私が素直に行動すれば、貴方は幸せになれるの?」
「そうだねぇ。それはきっと、俺が進める未来の中で一番幸せな道なんだろうな」
「そう……」
無言で背中に手を回すと、そっと抱き締め返された。
ぬくぬくとしたこの気持ちが喜びなら、ずっとここにいよう。罪悪感はまだ消えないけど、私がいることで愛する人が幸せになるなら、ずっと。
「愛してるわ、ノエル」
上からくすりと笑い声が零れ、髪の毛をすいと撫でられた。
「俺もだよ、ソフィア」
初めて本人に直接言った愛の言葉に自分で赤面しながら、私はノエルの胸の中でゆっくりと目を閉じた。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ
さら
恋愛
会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。
ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。
けれど、測定された“能力値”は最低。
「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。
そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。
優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。
彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。
人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。
やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。
不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる