身長三センチの妻

ゆいレギナ

文字の大きさ
3 / 10

二日目

しおりを挟む



 
 衣。廃。食。

 人間――といっても、規格外のミニマムサイズだが――生きていくために必要なもので、残るのは『住』。

 だけど、この問題は簡単だ。秋の昼間ならまだ暖房もいらない季節。妻自身が余計なことさえしなければ、危険も起こりようがないだろう。新生活を始める時に、ペットを飼うかどうかで酷く揉めたが、こればかりは俺の想像通り、却下して良かったと心底思う。猫でもいようものなら、それこそ本気で彼女の命が危ぶまれるところだった。

 以上の理由で、そんな危機的状況が起こりえないのだから――

「ねぇー、お風呂はぁー? アナタはばっちぃ妻を抱くつもりなのー⁉」
「抱くとかそれ以前の問題だろーが」

 これだけ整えれば、俺が仕事行っている間くらいは凌げるだろう――と思っていたのだが、妻から出る要求は数知れず。

 仕方なく俺は腕時計の針を気にしながら、ペットボトルの蓋にケトルで沸かしたお湯を注いだ。適温は自分で確認してもらうとして、身体を拭くタオルの代わりは、もちろんティッシュペーパー。手を洗ったり、飲用水の代わりとして、別の蓋にはミネラルウォーターを注いである。埃防止として、ラップもかけるオマケつき。

 そんなわけで、テーブルの上には食べ物と水の入ったペットボトルの蓋と予備のティッシュ、どう使うかは知らないがリクエストされた短い爪楊枝を並べ終え、俺はネクタイをようやく締め終えた。

 そんな俺を見上げて、妻は不満げに顔をしかめる。

「お仕事行っちゃうの?」
「妻が三センチになったので休みます……なんて、言えるわけねぇーだろ」

 口を尖らせながらも、妻がせがむように両手を前に出して、

「チュー‼」

 と叫ぶので、俺は仕方なく人差し指を差し出した。

「ふふ。行ってらっしゃい。頑張ってね!」

 そう嬉しそうに、俺の指先に頬ずりする三センチの妻を可愛いと思ったのは――きっと、寝不足のせいだろう。




「係長ー。この書類のことなんすけどー」

 呑気な後輩が、大事な書類を振り回しながら俺のデスクにやってくる。
 そして、

「あれ、先輩。寝不足っすか?」
「あー……わかる?」

 俺が欠伸を噛みしめつつ応えると、後輩がニヤリと笑った。

「やっぱあれっすかー? 奥さんのせいで寝れなかったとか?」
「んなわけねぇーだろ」

 正直間違いではないのだが、そう言ってツッコまれたところで、本当のことなんか言えるわけがない。
 もしも、朝まで普通の人間だった女性が、半日で身長三センチの妖精以下のサイズになりました――なんて世間に知られれば、マスコミどころの騒ぎではない。

 国家機密の機関に捕まり、実験につぐ実験。
 あるいは、闇の組織に高値で売られて見世物として全世界を……みたいな後味の悪い漫画みたいなことになったら、さすがに泣くに泣けない。

「参ったよなぁ……」

 思わずボヤくと、後輩がハッと申し訳なさそうに顔をしかめる。

「あ、すいません……冗談がすぎましたね……」

 ボソボソと、急にしおらしくなる後輩。それに若干の違和感を覚えるものの、追求するのはやめておいた。下手に深入りされて、痛い目をみるのは俺の方だろう。

「それで、書類がどうしたって?」
「あ、そうそう。これなんすけど――――」




 ある意味、妻がミニマムサイズになって安心することがある。

 まず、帰ってきた途端に突撃する勢いで、ハグされることはないだろう。
 そして、週に二回の頻度である創意工夫しすぎた料理を食べさせられることもないだろうし、ぐちゃぐちゃに散らかされた部屋を片付ける必要もないのだ。

 会話のできるペットが出来たと思えば、悪くないのかも……。
 気軽にそう考えて玄関を開けると、耳に飛び込んでくるのは妻の悲鳴。

「どうしたっ⁉」

 靴を脱ぐことも忘れてそのまま部屋に駆け入ると、妻が三分の一に切った楊枝を振り回して、季節外れの蚊と戦っていた。楊枝は、妻の要望で何かあったら困るからと置いていったものだ。帰宅後にツンツン突かれて遊ばれることは想像していたが、本当に武器として振り回しているとは予想外だ。

 俺は何も言わず、パチンと蚊を叩き潰した。

「アナタ……」

 久しく聞いた、ときめくような声音に俺が見下ろすと、妻がキラキラと目を輝かせていた。

「……何してんの?」
「黒い邪悪な魔物と戦っていたの! ドラゴンに立ち向かう勇者みたいだったでしょ?」
「…………」

 なんて応えたらいいのかわからず、とりあえず俺は台所で手を洗う。
 掛けられたタオルが少し湿っていた。そういや、昨日はそれどころじゃなくて変えてなかったか。

 このサイズの妻に家事も期待できないし……と思いながら振り返ると、妻はテーブルに座り込んで、肩を上下に動かしている。

「どうした? どこか痛い?」

 床に座って顔を近づけると、わぁっと泣き出した妻が、俺の鼻に抱き着いた。

「怖かったあ! 怖かったよお‼」

 よくよく考えたら、身長三センチからしてみれば、蚊だって大型犬くらいのサイズなのではないだろうか。角の生えたシェパードが自分のまわりをブンブン飛び回ってたら、かなり怖そうである。

 俺の鼻息のせいか、妻の長い髪がふわっふわっとなびいている。

 俺はなるべく息を止めながら、妻が泣き止むのを待った。



しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...