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二日目
しおりを挟む衣。廃。食。
人間――といっても、規格外のミニマムサイズだが――生きていくために必要なもので、残るのは『住』。
だけど、この問題は簡単だ。秋の昼間ならまだ暖房もいらない季節。妻自身が余計なことさえしなければ、危険も起こりようがないだろう。新生活を始める時に、ペットを飼うかどうかで酷く揉めたが、こればかりは俺の想像通り、却下して良かったと心底思う。猫でもいようものなら、それこそ本気で彼女の命が危ぶまれるところだった。
以上の理由で、そんな危機的状況が起こりえないのだから――
「ねぇー、お風呂はぁー? アナタはばっちぃ妻を抱くつもりなのー⁉」
「抱くとかそれ以前の問題だろーが」
これだけ整えれば、俺が仕事行っている間くらいは凌げるだろう――と思っていたのだが、妻から出る要求は数知れず。
仕方なく俺は腕時計の針を気にしながら、ペットボトルの蓋にケトルで沸かしたお湯を注いだ。適温は自分で確認してもらうとして、身体を拭くタオルの代わりは、もちろんティッシュペーパー。手を洗ったり、飲用水の代わりとして、別の蓋にはミネラルウォーターを注いである。埃防止として、ラップもかけるオマケつき。
そんなわけで、テーブルの上には食べ物と水の入ったペットボトルの蓋と予備のティッシュ、どう使うかは知らないがリクエストされた短い爪楊枝を並べ終え、俺はネクタイをようやく締め終えた。
そんな俺を見上げて、妻は不満げに顔をしかめる。
「お仕事行っちゃうの?」
「妻が三センチになったので休みます……なんて、言えるわけねぇーだろ」
口を尖らせながらも、妻がせがむように両手を前に出して、
「チュー‼」
と叫ぶので、俺は仕方なく人差し指を差し出した。
「ふふ。行ってらっしゃい。頑張ってね!」
そう嬉しそうに、俺の指先に頬ずりする三センチの妻を可愛いと思ったのは――きっと、寝不足のせいだろう。
「係長ー。この書類のことなんすけどー」
呑気な後輩が、大事な書類を振り回しながら俺のデスクにやってくる。
そして、
「あれ、先輩。寝不足っすか?」
「あー……わかる?」
俺が欠伸を噛みしめつつ応えると、後輩がニヤリと笑った。
「やっぱあれっすかー? 奥さんのせいで寝れなかったとか?」
「んなわけねぇーだろ」
正直間違いではないのだが、そう言ってツッコまれたところで、本当のことなんか言えるわけがない。
もしも、朝まで普通の人間だった女性が、半日で身長三センチの妖精以下のサイズになりました――なんて世間に知られれば、マスコミどころの騒ぎではない。
国家機密の機関に捕まり、実験につぐ実験。
あるいは、闇の組織に高値で売られて見世物として全世界を……みたいな後味の悪い漫画みたいなことになったら、さすがに泣くに泣けない。
「参ったよなぁ……」
思わずボヤくと、後輩がハッと申し訳なさそうに顔をしかめる。
「あ、すいません……冗談がすぎましたね……」
ボソボソと、急にしおらしくなる後輩。それに若干の違和感を覚えるものの、追求するのはやめておいた。下手に深入りされて、痛い目をみるのは俺の方だろう。
「それで、書類がどうしたって?」
「あ、そうそう。これなんすけど――――」
ある意味、妻がミニマムサイズになって安心することがある。
まず、帰ってきた途端に突撃する勢いで、ハグされることはないだろう。
そして、週に二回の頻度である創意工夫しすぎた料理を食べさせられることもないだろうし、ぐちゃぐちゃに散らかされた部屋を片付ける必要もないのだ。
会話のできるペットが出来たと思えば、悪くないのかも……。
気軽にそう考えて玄関を開けると、耳に飛び込んでくるのは妻の悲鳴。
「どうしたっ⁉」
靴を脱ぐことも忘れてそのまま部屋に駆け入ると、妻が三分の一に切った楊枝を振り回して、季節外れの蚊と戦っていた。楊枝は、妻の要望で何かあったら困るからと置いていったものだ。帰宅後にツンツン突かれて遊ばれることは想像していたが、本当に武器として振り回しているとは予想外だ。
俺は何も言わず、パチンと蚊を叩き潰した。
「アナタ……」
久しく聞いた、ときめくような声音に俺が見下ろすと、妻がキラキラと目を輝かせていた。
「……何してんの?」
「黒い邪悪な魔物と戦っていたの! ドラゴンに立ち向かう勇者みたいだったでしょ?」
「…………」
なんて応えたらいいのかわからず、とりあえず俺は台所で手を洗う。
掛けられたタオルが少し湿っていた。そういや、昨日はそれどころじゃなくて変えてなかったか。
このサイズの妻に家事も期待できないし……と思いながら振り返ると、妻はテーブルに座り込んで、肩を上下に動かしている。
「どうした? どこか痛い?」
床に座って顔を近づけると、わぁっと泣き出した妻が、俺の鼻に抱き着いた。
「怖かったあ! 怖かったよお‼」
よくよく考えたら、身長三センチからしてみれば、蚊だって大型犬くらいのサイズなのではないだろうか。角の生えたシェパードが自分のまわりをブンブン飛び回ってたら、かなり怖そうである。
俺の鼻息のせいか、妻の長い髪がふわっふわっとなびいている。
俺はなるべく息を止めながら、妻が泣き止むのを待った。
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