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三日目
しおりを挟む「一人にしないでええええええええええ!」
凄まじい勢いで、三センチの妻が泣き叫んでいた。
暴れすぎて、ティッシュペーパーのドレスが破れかぶれになってしまっている。三センチかつここに俺しかいないからいいものの、まるでAVに出てきそうな装いだ。
だけど、どんなにゴネられても、ダメなことだってある。
「しょーがねーだろ。俺、仕事なんだから」
「そりゃあ、お仕事も大事だけど……でも、わたし昨日……」
どうやら、蚊との大乱闘の恐怖が拭えないらしい。夏の残りの蚊取り線香を焚いていこうか打診したが、「信用できない!」とすでに拒否されてしまっている。
どんなにジタバタ訴えられても、出社時間は待ってくれない。
働かなければ生きていけない――それは、妻という存在を養う以上、避けては通れないことだ。まぁ、今後ずっと三センチだったら、扶養にさほど金が掛かるとも思えんが。
そんな俺の心境を全く考えていないだろう妻が、涙ながらに訴えてくる。
「ゴ……ゴッキーとか出てきたらどーするのよ⁉」
「ゴキブリをそんな愛称で呼べるなら友達になれるさ。頑張れ!」
「ばかあああああああああああああああああああ!」
俺のサムズアップを無視して、妻は走り出した。テーブルからピョンっと飛び降りて、玄関の方へと駆けていく――て、ちょっと待てよ。おまえそんな高い所から飛び降りて大丈夫なのかよ⁉ 三センチからしたら、こんなテーブルでも清水の舞台より高いんじゃないか――などと、俺が驚いている間に、妻の「えーんっ!」と泣き叫ぶ声が遠ざかっていく。
我に返った俺は、慌てて玄関へと向かった。
だけど、どんなに目を凝らしても、三センチの妻の姿はない。
「まじかよ……」
それでも、耳を凝らすと玄関の向こうから、妻の鳴き声がかすかに聴こえる。
もちろん、玄関のドアは閉じている。三センチの体格でどうやっても重くて開かないだろうし、そもそもドアが開閉した音すらしていない。
「おかしいのなんて、いまさらだろ」
不可思議なことを言いだしたら、妻が三センチに縮んだことからして異常なのだ。
だから俺は自分の耳を信じて、ドアを開けた。すると、アパートの廊下でしょぼくれた顔をしている三センチの妻が、ジッと俺を見上げていた。
「おい……」
俺が声を掛けようとすると、くるっと踵を返して再び「えーんっ!」と走っていく妻。
「ちょ、おまえ――」
「家出してやるうううううううううう!」
もう完全に俺にはわかっていた。
もてあそばれている。いつもそうだ。自分の思い通りにならないと、すぐに不貞腐れた挙げ句、最終的に俺が一番困る方法でからかってくるのだ。
それが、今回は『家出』らしい。
「てか、一人で家にいれないやつが外に出るんじゃねええええええ!」
根本的な指摘を叫びながら、俺は妻の後を追う。
速い。三センチのくせに、なぜだか異様に速い。
そういやあいつ、身体弱いくせに、いつもリレーの選手やってたって言ってたか……そんなことを思い出しながらも、俺は後を追うしかない。
途中でチラホラ振り返っては、ちゃんと俺が付いてきていることを確認している妻。
別にほっといても、そのうちシレっと帰ってくるような気もするが……曲がりなりにも三センチ。途中で排水口に落ちたりされたら、笑い事じゃすまない。
付かず、離れず。
三センチはあまりに小さい。せめて親指くらい……いや、五センチでいいから……などと願っても、妻が風に飛ばされそうなほど小さいことには変わりない。
俺がただ三センチの妻だけを見つめて懸命に走っていると――ふと、妻が足を止めた。
そこは、家からひと駅分くらい離れた総合病院だった。あまり大病したことがなかった俺にとっては、無縁の場所。患者や従業員が出入りしている門の前で、妻がジッと病院を見上げている。
「おい、踏まれる――」
腰の悪そうなお婆さんに踏まれる直前で、俺はなんとか妻を拾い上げた。軽くお婆さんにぶつかってしまうも、会釈で何とか誤魔化しつつ、俺はそそくさと端に移動する。
俺が手の中の妻に、説教しようとした時だった。ズボンのポケットが震えだす。「やばい」と気が付き時計を見ると、とうに出社時間をすぎてしまっていた。
俺は恐る恐る、携帯に出る。相手は部長だった。
『お、電話には出れたか! 大丈夫か? 体調不良か⁉』
俺の職務態度が良好というのもあるだろうが、一番に体調の心配をしてくる部長。その偽りのない声音に申し訳無さが当然浮かんでくるものの、
「すみません……今、起きました……」
無論、俺はきちんと目覚まし通りに起きている。しかし、まさか身長三センチの妻が「家出する!」と外に飛び出したので、後を追っていました――なんて、報告できるわけがない。
『そうか……』
電話の向こうから落ちた声がする。俺の評価が……と、そんなことを心配していると、部長は言った。
『おまえ、今日は休め』
「し、しかし有給の残りも――」
『適当に直行直帰ってことにしておくから、心配するな。ゆっくり休め、いいな? 本当に限界来たら、誰にでもいいから相談するんだぞ?』
部長のあまりの優しさに「部長、しかし俺――」と口を挟もうとするものの、
『命令だ。わかったな?』
きっぱりとそう言われては、俺も「はい。ありがとうございます」と電話を切ることしか出来なかった。
そっと携帯を下ろす俺に対して、
「やったあ! 今日はお休みだね!」
手の中の妻が、両手をあげて喜んでいる。そんな無邪気な妻に、俺はよけいに項垂れるしかなかった。
「帰ろ帰ろ! 帰ったらいっぱいチューしよう!」
「……しねーよ」
妻をまわりから見えないように両手で包むように隠しつつ、俺はトボトボと踵を返す。
すると、妻が俺の指の隙間から、ジッと病院の方を見つめていた。
「どうしたんだ?」
「ううん、別に。それよりも、あのね――」
小さいのにキンキンとうるさい三センチの妻は、あれだけ走ったにも関わらず、今日もとても元気だ。
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