25年目の真実

yuzu

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美奈子の居場所

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 町に入ると、時刻はすでに昼を過ぎていた。道沿いの古い建物や川沿いの景色が、霧雨で滲んで見える。

 駅舎に着くと、錆びついたベンチに小鳥が一羽、じっと佇んでいる。
 
 蒼介は車をゆっくり走らせながら、視線を走らせた。
 たぶん、美奈子はあの店にいる――それだけを信じて。

 そして、川沿いの細い道を曲がると、見慣れた小料理屋の暖簾が見えた。
 
 店の前に車を止め、深呼吸してドアを開ける。
 かすかに木の香りと、煮物の匂いが漂ってきた。
 誰もいない店内に、昨日までの記憶がゆっくり染みこんでいく。

 厨房から小さな物音がした。
 奥で仕込み作業をする女性の姿に一瞬、胸が跳ねた。

 ――間違いない。あれは美奈子だ。

 彼女が逃げ出した理由も、今ここに来た理由もまだわからない。けれど、戸惑う間もなく声をかけてしまった。

 「美奈子!」

 彼女が振り向く。
 眼差しは驚きと迷いで揺れ、すぐに柔らかい笑みに変わった。

 その瞬間、蒼介は全てを悟った。
 事故のあと、誰か別の人間と生きていたとしても――
 今、目の前にいるのは、確かに自分が愛した美奈子だった。

 言葉は必要ない。互いに目を合わせるだけで、過ぎた日々と、失われた時間の全てを理解し合える気がした。
 
 蒼介はアルバムをバッグから取り出し、そっとテーブルに置く。
 
 写真のページを開かなくても、記憶は鮮やかに蘇る。
 笑い、泣き、怒り、喜んだ日々――全てがここに、彼らの心の中にある。

 「……戻ってきてくれないか」

 小さく呟くと、美奈子はただ微笑み、手元の料理を差し出した。

 揚げ出し豆腐だ。

 「……寒かったでしょ?これ、食べて。」

 蒼介は食べている場合じゃないと思いつつ、この場は美奈子に従ったほうがいい気がして反論しなかった。

 恐る恐る箸を手に取り、揚げ出し豆腐を口に運んだ。
 熱く、とろりとした豆腐の舌触り。口の中でふわりと広がる、やさしいだしの風味。外はカリッと揚がっているのに、噛むと中はほろりと崩れる絶妙な食感。

 小料理屋「はるの」で、何度も食べた味。

 目の前でせっせと仕込みをする美奈子――いや、千紘の手つきを見て、蒼介の頭にある疑念がゆっくりと形を帯びていく。

 ――おそらく、ここは千紘の実家ではないか。

 揚げ出し豆腐を口に入れるたびに、その考えは確信に変わっていく。香ばしさ、だしの取り方、火加減、豆腐の揚げ具合……全て、ただの偶然では説明できない。

 蒼介は箸を置き、深く息をついた。目の前の美奈子は、ただ微笑んでいるだけだが、その微笑みに隠された意味を、蒼介の心は敏感に感じ取っていた。

 ――あの事故のあと、別の誰かと生きていたとしても。
 ――今、ここで揚げ出し豆腐を作っているその手は、間違いなく、千紘の手だ。

 揚げ出し豆腐を前に、蒼介の胸の奥で何かが静かに腑に落ちる。
 失踪の理由も、逃げた先も、ようやく見え始めた気がした。

 彼は、そっと箸を取り、もう一度その豆腐を口に運ぶ。

 そして、静かに、目の前の美奈子――千紘を見据えた。

 「千紘……って、呼んだほうがいいかな」

 蒼介は、少し震える声で問いかけた。
 揚げ出し豆腐の湯気が、二人の間にふんわりと漂う。
 しかし、美奈子はただ微笑むだけで、答えようとはしなかった。

 その笑顔は柔らかくも、どこか遠くにあるようで、蒼介の心をさらにざわつかせた。

 もう一度、口を開こうとした瞬間、奥から足音が聞こえた。
 古い障子の向こうから現れたのは、90代ぐらいの婦人だった。

 「千紘、ありがとうね」

 その声は、優しくあたたかくて、どこか千紘に似た雰囲気の気がした。

 蒼介は思わず息をのむ。
 婦人の口調、物腰、そしてその眼差しは――千紘を見守る母のものだと感じさせた。

 美奈子は、少しだけ俯き、箸を置いた。
 目の奥に、何か決意めいたものが光る。
 蒼介は胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じながらも、焦らずにその場に立っていた。

 静かな時間が流れる。

 雨の音が軒先を打ち、揚げ出し豆腐の香りがゆっくりと広がる。
 ――ここが、千紘の居場所なのか。
 その思いを確かめるように、蒼介は再び静かに目の前の彼女を見つめた。

 
 
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