43 / 64
真実
4
しおりを挟む車が遠ざかっていく音が消え、置いて行かれた美奈子さんは俯いたまま身じろぎもせず、まるで時が止まってしまったかのように呆然と立ち尽くしていた。
「……大丈夫かしら……彼女」
「母さん、ただの痴話喧嘩だよ。関わらない方がいいって」
禅が助手席から顔を出して言った。
「ほっとけって」
「でも……」
見ず知らずの人間が余計なお節介だと思われるかもしれない。
けれど、あの悲しそうな彼女をどうしても1人にできなかった。
肩を落とし、何か重いものを一人で抱え込んでいるような、その姿が。
「やっぱり……声をかけましょう。」
「……母さん。」
禅の声が背中に届いたけれど、もう足は動き出していた。
アスファルトを踏む自分の足音が、やけに大きく聞こえる。
ベンチに近づくと、美奈子さんはようやく顔を上げた。
涙の跡が頬に筋を作り、目は赤く腫れていた。
「あの……大丈夫ですか?」
私はハンドバッグの中を探り、ハンカチを取り出した。千紘が母の日にくれたものだ。
「よかったら……これ使って。」
そっと差し出した。
美奈子さんは、しばらくハンカチを見つめていた。
そして――
「ありがとうございます……」
振り返ると、膳が心配そうな表情で車から降りてくるところだった。
『もう嫌……本当にもう嫌っ……!』
彼女の泣き声には、魂が引き裂かれるような苦痛が滲んでいた。
『どうしてこんな事になるの?何もかもうまくいかない!』
彼女の背中を擦り、なだめようとした。けれど、彼女は……
『ほっといてよ!!』
ハンカチが宙を舞い、風に煽られて地面に落ちる。白い布地が砂埃と枯葉の上で無惨に横たわった。
『ちょっと、お姉さん。』
禅の表情に怒りの色が滲む。
『違うのよ膳。彼女、わざとじゃないの。ね?そうよね?』
彼女に詰め寄る膳を止める間もなく、膳は彼女の肩を強く押した
よろけた彼女の手がガードレールを咄嗟に掴む。錆びた金属が、彼女の白い手のひらに赤茶色の痕をつけた。
崖下には、深い森林が広がっていた。
木々の梢が風に揺れ、ざわざわと不吉な音を立てている。高さは優に200メートルはありそうだった。落ちれば、助かるはずがない。
『危ない!』
私は美奈子さんの腕を掴んだ。
華奢で、綺麗な腕だった。
『離して……!』美奈子さんが身をよじる。
『だめです! 危ないから!ね?!』『離してってば!』
膳も反対側から美奈子さんを押さえた。
三人の影が、傾いた日差しの中で複雑に絡み合う。
『もう、何なのよ!離して! 離して離して離して!』
美奈子さんが激しく抵抗する。
そして―― 美奈子さんの目が、ふと私の手元で止まった。
私が握っていたスマートフォン。
景色を撮影している途中だったから、画面はまだカメラアプリが起動したままになっていた。
美奈子さんは目を見開いた。
『……まさか』
彼女は一瞬にして怒りに満ちた声色に変わった。
『写真……撮ったの?』
『え?』
15
あなたにおすすめの小説
私たちの離婚幸福論
桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。
しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。
彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。
信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。
だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。
それは救済か、あるいは——
真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
三年目の離婚から始まる二度目の人生
あい
恋愛
三年子ができなければ、無条件で離婚できる――王国の制度。
三年目の夜、オーレリアは自らその条文を使い、公爵ルートヴィッヒに離婚を告げた。
理由はただ一つ。
“飾り”として生きるのをやめ、自分の手で商いをしたいから。
女性が公の場で立てる服を作るため、彼女は屋敷を去り、仕立て屋〈オーレリア・テイラーズ〉を開く。
店は順調に軌道に乗り、ついに王女の式典衣装を任されることに。
だが、その夜――激しい雨の中、彼女は馬車事故に遭い命を落とす。
(あと少し早く始めていたら、もっと夢を叶えられたのに……)
そう思った瞬間、目を覚ますと――三年前、ルートヴィッヒと結婚する前の世界に戻っていた。
これは、“三年目の離婚”から始まる、二度目の人生。
今度こそ、自分の人生を選び取るために。
ーーー
不定期更新になります。
全45話前後で完結予定です、よろしくお願いします🙇
結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました
ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。
ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。
王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。
そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。
「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
【3月中――完結!】
積み上がった伏線の回収目前!!
夫にも子どもにも、私は選ばれなかった。
長年の裏切りを抱え、離縁状を置いて家を出た――。
待っていたのは、凍てつく絶望。
けれど同時に、それは残酷な運命の扉が開く瞬間でもあった。
「夫は愛人と生きればいい。
今さら縋られても、裏切ったあなたを許す力など残っていない」
それでも私は誓う――
「子どもたちの心だけは、必ず取り戻す」
歪で、完全な幸福――それとも、破滅。
“石”に翻弄された者たちの、狂おしい物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる