43 / 61
真実
4
しおりを挟む車が遠ざかっていく音が消え、置いて行かれた美奈子さんは俯いたまま身じろぎもせず、まるで時が止まってしまったかのように呆然と立ち尽くしていた。
「……大丈夫かしら……彼女」
「母さん、ただの痴話喧嘩だよ。関わらない方がいいって」
禅が助手席から顔を出して言った。
「ほっとけって」
「でも……」
見ず知らずの人間が余計なお節介だと思われるかもしれない。
けれど、あの悲しそうな彼女をどうしても1人にできなかった。
肩を落とし、何か重いものを一人で抱え込んでいるような、その姿が。
「やっぱり……声をかけましょう。」
「……母さん。」
禅の声が背中に届いたけれど、もう足は動き出していた。
アスファルトを踏む自分の足音が、やけに大きく聞こえる。
ベンチに近づくと、美奈子さんはようやく顔を上げた。
涙の跡が頬に筋を作り、目は赤く腫れていた。
「あの……大丈夫ですか?」
私はハンドバッグの中を探り、ハンカチを取り出した。千紘が母の日にくれたものだ。
「よかったら……これ使って。」
そっと差し出した。
美奈子さんは、しばらくハンカチを見つめていた。
そして――
「ありがとうございます……」
振り返ると、膳が心配そうな表情で車から降りてくるところだった。
『もう嫌……本当にもう嫌っ……!』
彼女の泣き声には、魂が引き裂かれるような苦痛が滲んでいた。
『どうしてこんな事になるの?何もかもうまくいかない!』
彼女の背中を擦り、なだめようとした。けれど、彼女は……
『ほっといてよ!!』
ハンカチが宙を舞い、風に煽られて地面に落ちる。白い布地が砂埃と枯葉の上で無惨に横たわった。
『ちょっと、お姉さん。』
禅の表情に怒りの色が滲む。
『違うのよ膳。彼女、わざとじゃないの。ね?そうよね?』
彼女に詰め寄る膳を止める間もなく、膳は彼女の肩を強く押した
よろけた彼女の手がガードレールを咄嗟に掴む。錆びた金属が、彼女の白い手のひらに赤茶色の痕をつけた。
崖下には、深い森林が広がっていた。
木々の梢が風に揺れ、ざわざわと不吉な音を立てている。高さは優に200メートルはありそうだった。落ちれば、助かるはずがない。
『危ない!』
私は美奈子さんの腕を掴んだ。
華奢で、綺麗な腕だった。
『離して……!』美奈子さんが身をよじる。
『だめです! 危ないから!ね?!』『離してってば!』
膳も反対側から美奈子さんを押さえた。
三人の影が、傾いた日差しの中で複雑に絡み合う。
『もう、何なのよ!離して! 離して離して離して!』
美奈子さんが激しく抵抗する。
そして―― 美奈子さんの目が、ふと私の手元で止まった。
私が握っていたスマートフォン。
景色を撮影している途中だったから、画面はまだカメラアプリが起動したままになっていた。
美奈子さんは目を見開いた。
『……まさか』
彼女は一瞬にして怒りに満ちた声色に変わった。
『写真……撮ったの?』
『え?』
15
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
愛する夫にもう一つの家庭があったことを知ったのは、結婚して10年目のことでした
ましゅぺちーの
恋愛
王国の伯爵令嬢だったエミリアは長年の想い人である公爵令息オリバーと結婚した。
しかし、夫となったオリバーとの仲は冷え切っていた。
オリバーはエミリアを愛していない。
それでもエミリアは一途に夫を想い続けた。
子供も出来ないまま十年の年月が過ぎ、エミリアはオリバーにもう一つの家庭が存在していることを知ってしまう。
それをきっかけとして、エミリアはついにオリバーとの離婚を決意する。
オリバーと離婚したエミリアは第二の人生を歩み始める。
一方、最愛の愛人とその子供を公爵家に迎え入れたオリバーは後悔に苛まれていた……。
愛してしまって、ごめんなさい
oro
恋愛
「貴様とは白い結婚を貫く。必要が無い限り、私の前に姿を現すな。」
初夜に言われたその言葉を、私は忠実に守っていました。
けれど私は赦されない人間です。
最期に貴方の視界に写ってしまうなんて。
※全9話。
毎朝7時に更新致します。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
私たちの離婚幸福論
桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。
しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。
彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。
信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。
だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。
それは救済か、あるいは——
真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。
わたしのことがお嫌いなら、離縁してください~冷遇された妻は、過小評価されている~
絹乃
恋愛
伯爵夫人のフロレンシアは、夫からもメイドからも使用人以下の扱いを受けていた。どんなに離婚してほしいと夫に訴えても、認めてもらえない。夫は自分の愛人を屋敷に迎え、生まれてくる子供の世話すらもフロレンシアに押しつけようと画策する。地味で目立たないフロレンシアに、どんな価値があるか夫もメイドも知らずに。彼女を正しく理解しているのは騎士団の副団長エミリオと、王女のモニカだけだった。※番外編が別にあります。
あなたの言うことが、すべて正しかったです
Mag_Mel
恋愛
「私に愛されるなどと勘違いしないでもらいたい。なにせ君は……そうだな。在庫処分間近の見切り品、というやつなのだから」
名ばかりの政略結婚の初夜、リディアは夫ナーシェン・トラヴィスにそう言い放たれた。しかも彼が愛しているのは、まだ十一歳の少女。彼女が成人する五年後には離縁するつもりだと、当然のように言い放たれる。
絶望と屈辱の中、病に倒れたことをきっかけにリディアは目を覚ます。放漫経営で傾いたトラヴィス商会の惨状を知り、持ち前の商才で立て直しに挑んだのだ。執事長ベネディクトの力を借りた彼女はやがて商会を支える柱となる。
そして、運命の五年後。
リディアに離縁を突きつけられたナーシェンは――かつて自らが吐いた「見切り品」という言葉に相応しい、哀れな姿となっていた。
*小説家になろうでも投稿中です
陛下を捨てた理由
甘糖むい
恋愛
美しく才能あふれる侯爵令嬢ジェニエルは、幼い頃から王子セオドールの婚約者として約束され、完璧な王妃教育を受けてきた。20歳で結婚した二人だったが、3年経っても子供に恵まれず、彼女には「問題がある」という噂が広がりはじめる始末。
そんな中、セオドールが「オリヴィア」という女性を王宮に連れてきたことで、夫婦の関係は一変し始める。
※改定、追加や修正を予告なくする場合がございます。ご了承ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる