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告白
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週末の朝、駅前のカフェは静かで落ち着いた雰囲気の空気が流れていた。
平日なら出勤の人で混み合う店内も、この時間はゆったりとしていて、隣の席からはフレンチトーストを切るナイフの音が、軽く響いてくる程度だった。
窓際の席。私はサンドイッチの皿を前にして、まだ一口も手をつけられずにいた。
ラテの湯気だけが、テーブルの上で静かに揺れている。
向かいに座る美和は、パンケーキをうっとりと見つめていた。
「これさ、見て。バターの溶け具合、完璧じゃない?しかもこの厚み。ふわっふわ。」
彼女はナイフでパンケーキをきれいに切り取り、口に運ぶ。
「……ん~、これ。毎日食べたら悟り開けるかも」
私は少しだけ笑って、目の前のサンドイッチに目を落とした。でも、やっぱり食べる気にはなれなかった。
「美和……昨日ね」
そのひとことだけで、美和はフォークを止め、顔を上げた。
「“ル・シエル・クラレット”に、社長が来たの。ディナーの途中で」
「は?」
「“仕事が入った”って言われて、会社に戻ったんだけど……仕事なんて無くて」
「……社長が迎えに? 嘘でしょ?」
私は頷いた。
「それで……誰にも渡したくないって……抱きしめられそうになって……」
ラテの湯気の向こうで、美和の表情が少しずつ変わっていった。驚き、呆れ、そして、どこかで察していたような顔。
「……一之瀬社長って何考えてるかわからないなぁ」
「……でもあのとき、本気で私のこと、見てくれてるって……感じたの」
「でもさ、婚約者、いるんだよ?愛人になる気?」
私は目を伏せた。
「……大政優香さん。きれいな人だったね」
「でしょ? 真那がどれだけ惹かれても、その事実は変わらない」
美和はまたパンケーキをひと口食べた。だけど、さっきまでの無邪気な笑顔ではなかった。
「……八坂さん、めっちゃ良くない?」
「え?」
「いや、真那さ、気づいてないかもだけど。八坂さん、あんたのこと、ちゃんと見てるよ。たぶん、ずっと前から」
私は言葉を失ったまま、サンドイッチに視線を落とした。
「優しくて、気遣いができて、空気読めるし。」
「……うん」
「それだけじゃなくてさ。ふざけるときはしっかりふざけるし、気を抜いてもらいたいときは、ちゃんと相手の空気を見て笑わせてくるでしょ? そういう人、なかなかいないよ」
思い返すと、確かに八坂さんは、いつも絶妙な距離感で接してくれた。
仕事で余裕がないとき、黙ってコーヒーを差し入れてくれたことがあった。
会議の直前、「大丈夫、ちゃんと準備してたでしょ」って、さりげなく背中を押してくれた。
それが全部、押しつけがましくなく、ほんの一言、ほんの一動作で済んでしまうのだ。
私は、ラテを一口だけ飲むと、両手を温めるようにカップを包み込んだ。
「……うん。いい人だよね、八坂さん」
「でしょ?」
美和はパンケーキをもうひと切れすくって口に運ぶ。
「でも……私、社長の目が忘れられないの。あのときの温度とか、声とか……」
「うん。忘れられないのはしょうがない。でもさ、それって——」
美和は少し間をおいて、パンケーキを見つめながら言った。
「……一口目はめちゃくちゃ美味しいんだけど、食べ終わったあとに妙に喉が渇いて、胃が重くなるラーメンみたいなもんじゃない?」
「……ラーメン?」
「そう。深夜に食べたら最高!ってなるけど、朝になると“なんであんな時間に食べたんだろう……”ってなるやつ。あの瞬間は夢みたいに美味しいのに、あとでじわじわ後悔が来る」
「ラーメン……」
「そう。刺激は強い。でも、毎日食べられるもんじゃない。あれは、ふとした瞬間だけのものであって、人生の主食にはならないよ」
「じゃあ、八坂さんは?」
「パンケーキ。朝から食べても幸せになれるし、罪悪感もない。しかも、美味しい」
「……都合よくたとえたね」
「でも合ってるでしょ? ふわふわしてて優しいけど、ちゃんと芯があって、安心できる甘さ。ほっとする存在」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「……もしかして、美和。八坂さんと私をくっつけようとしてるの?」
「全力で。だってさ、真那のこと“頑張ったね”“ご褒美だよ”って言って、憧れの店に連れて行ってくれたんでしょ? それって愛じゃない?」
「うん……まぁ」
「恋愛って、背伸びしすぎると疲れちゃう。だからこそ、ちゃんと笑わせてくれる人と一緒にいる方が幸せになれるんじゃないかな」
私の手元のラテはもう冷めかけていたけれど、気持ちのどこかに少しだけ温度が戻ってきていた。
「……美和」
「なに?」
「ありがとう。今日、話せてよかった。ちょっと……自分を見失いかけてたかも……」
「それならよかった」
美和はパンケーキの最後の一切れをゆっくりと口に運んだ。
「愛人なんて演歌みたいな恋愛やめときなって。真那らしくないよ。」
私はその言葉をかみしめるように、静かに頷いた。
平日なら出勤の人で混み合う店内も、この時間はゆったりとしていて、隣の席からはフレンチトーストを切るナイフの音が、軽く響いてくる程度だった。
窓際の席。私はサンドイッチの皿を前にして、まだ一口も手をつけられずにいた。
ラテの湯気だけが、テーブルの上で静かに揺れている。
向かいに座る美和は、パンケーキをうっとりと見つめていた。
「これさ、見て。バターの溶け具合、完璧じゃない?しかもこの厚み。ふわっふわ。」
彼女はナイフでパンケーキをきれいに切り取り、口に運ぶ。
「……ん~、これ。毎日食べたら悟り開けるかも」
私は少しだけ笑って、目の前のサンドイッチに目を落とした。でも、やっぱり食べる気にはなれなかった。
「美和……昨日ね」
そのひとことだけで、美和はフォークを止め、顔を上げた。
「“ル・シエル・クラレット”に、社長が来たの。ディナーの途中で」
「は?」
「“仕事が入った”って言われて、会社に戻ったんだけど……仕事なんて無くて」
「……社長が迎えに? 嘘でしょ?」
私は頷いた。
「それで……誰にも渡したくないって……抱きしめられそうになって……」
ラテの湯気の向こうで、美和の表情が少しずつ変わっていった。驚き、呆れ、そして、どこかで察していたような顔。
「……一之瀬社長って何考えてるかわからないなぁ」
「……でもあのとき、本気で私のこと、見てくれてるって……感じたの」
「でもさ、婚約者、いるんだよ?愛人になる気?」
私は目を伏せた。
「……大政優香さん。きれいな人だったね」
「でしょ? 真那がどれだけ惹かれても、その事実は変わらない」
美和はまたパンケーキをひと口食べた。だけど、さっきまでの無邪気な笑顔ではなかった。
「……八坂さん、めっちゃ良くない?」
「え?」
「いや、真那さ、気づいてないかもだけど。八坂さん、あんたのこと、ちゃんと見てるよ。たぶん、ずっと前から」
私は言葉を失ったまま、サンドイッチに視線を落とした。
「優しくて、気遣いができて、空気読めるし。」
「……うん」
「それだけじゃなくてさ。ふざけるときはしっかりふざけるし、気を抜いてもらいたいときは、ちゃんと相手の空気を見て笑わせてくるでしょ? そういう人、なかなかいないよ」
思い返すと、確かに八坂さんは、いつも絶妙な距離感で接してくれた。
仕事で余裕がないとき、黙ってコーヒーを差し入れてくれたことがあった。
会議の直前、「大丈夫、ちゃんと準備してたでしょ」って、さりげなく背中を押してくれた。
それが全部、押しつけがましくなく、ほんの一言、ほんの一動作で済んでしまうのだ。
私は、ラテを一口だけ飲むと、両手を温めるようにカップを包み込んだ。
「……うん。いい人だよね、八坂さん」
「でしょ?」
美和はパンケーキをもうひと切れすくって口に運ぶ。
「でも……私、社長の目が忘れられないの。あのときの温度とか、声とか……」
「うん。忘れられないのはしょうがない。でもさ、それって——」
美和は少し間をおいて、パンケーキを見つめながら言った。
「……一口目はめちゃくちゃ美味しいんだけど、食べ終わったあとに妙に喉が渇いて、胃が重くなるラーメンみたいなもんじゃない?」
「……ラーメン?」
「そう。深夜に食べたら最高!ってなるけど、朝になると“なんであんな時間に食べたんだろう……”ってなるやつ。あの瞬間は夢みたいに美味しいのに、あとでじわじわ後悔が来る」
「ラーメン……」
「そう。刺激は強い。でも、毎日食べられるもんじゃない。あれは、ふとした瞬間だけのものであって、人生の主食にはならないよ」
「じゃあ、八坂さんは?」
「パンケーキ。朝から食べても幸せになれるし、罪悪感もない。しかも、美味しい」
「……都合よくたとえたね」
「でも合ってるでしょ? ふわふわしてて優しいけど、ちゃんと芯があって、安心できる甘さ。ほっとする存在」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「……もしかして、美和。八坂さんと私をくっつけようとしてるの?」
「全力で。だってさ、真那のこと“頑張ったね”“ご褒美だよ”って言って、憧れの店に連れて行ってくれたんでしょ? それって愛じゃない?」
「うん……まぁ」
「恋愛って、背伸びしすぎると疲れちゃう。だからこそ、ちゃんと笑わせてくれる人と一緒にいる方が幸せになれるんじゃないかな」
私の手元のラテはもう冷めかけていたけれど、気持ちのどこかに少しだけ温度が戻ってきていた。
「……美和」
「なに?」
「ありがとう。今日、話せてよかった。ちょっと……自分を見失いかけてたかも……」
「それならよかった」
美和はパンケーキの最後の一切れをゆっくりと口に運んだ。
「愛人なんて演歌みたいな恋愛やめときなって。真那らしくないよ。」
私はその言葉をかみしめるように、静かに頷いた。
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