恋が下手な私が新社長に恋をした

yuzu

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社長室で

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 時刻は9:00を周り、いつもの朝が動き出す。
 
 電話のコール音、キーボードの打鍵音、紙の擦れる音。それらが一斉に耳に流れ込んでくる。

 目の前のモニターにはスケジュール表が映っていて、そこに並ぶ予定の文字は、まるで意味を持たない記号のように感じられた。

 『私も……気づいてほしかったのかもしれない』

 美和の声が、胸の奥で何度も繰り返される。
 
 その言葉の重みが、時間が経つほどに心に染み込んでくる。

 「小鳥遊さん? 大丈夫?」

 隣の席の同僚が、そっと私に声をかけた。

 私は一瞬戸惑い、それから慌てて微笑んでみせた。

 「……はい、大丈夫です。ちょっと、寝不足で……。」

 なるべく平静を装って言ったつもりだった。
 でも、口元の笑みがちゃんと形になっていたか、自信はなかった。

 同僚はそれ以上は何も言わず、気遣うように軽く頷くと、すぐ自分の業務に戻った。

 私はまたモニターに目を向ける。指は自然にキーボードに添えられているけれど、心はどこにも触れていなかった。

 (こんなんじゃ、ダメ。集中しなきゃ……)

その時だった。

「小鳥遊。今日の予定、どうなってる?」

背後から春馬の優しい声がして、体の熱が上がる。

「小鳥遊?」

「あ、はい。只今。」

片言の返事をした私に、春馬は社長室に来る様に促した。

 社長室に入った私は、静かに扉を閉めた。

 まるでこの部屋だけ、外とは別の空気が流れているようだった。
 朝の光がカーテン越しに淡く射し込み、重厚なデスクの上に静かに落ちている。

 春馬は窓辺に立ち、背を向けていた。
 その背中を見ただけで、今朝のことが鮮明に蘇る。

 ──目を覚ましたとき、隣に彼がいた。
 触れ合っていた指先……背中に感じるぬくもり。

 つい、思い出して全身の体温が上昇する。

「昨日はあんなに幸せそうだったのに……何かあった?」

 春馬が静かに言った。

 私は俯くだけで、返事をしなかった。

 視線を床に落とし、言葉を飲み込んでいた。

「昨日……お伝えした気持ちに嘘はありません。だけど……」

 ようやく絞り出すように言うと、彼はゆっくり振り返った。

 その瞳に浮かんだ迷いに、私は胸の奥が痛んだ。

「……昨日の事、間違いだったとは思ってない」

 彼の声は低くて、でも確かだった。

「……でも、優香さんと、結婚するんですよね。」

 静かに問い返す私に、
 春馬の表情が、一瞬止まる。

「聞いたんです。“春馬と来月挙式をあげるから”って。」

 そのときの優香さんの笑顔が、今も頭から離れない。

「私は秘書で……只の社員です。つりあわないって……望んではいけないって、分かってる。婚約者がいることも分かってます。でも……」

 けれど、春馬は首を振った。

「それでも……俺は君を選んだ」

 真っ直ぐな視線が、私の胸を撃つ。

「昨日も伝えたけど、俺が好きなのは真那だよ。」

 心が、ぐらりと揺れた。
 嬉しいはずなのに、素直に喜べなかった。

 そのとき、デスクの電話が鳴った。
 私は反射的に受話器へ手を伸ばす――けれど、その手を春馬がそっと止めた。

「……午後、少し時間をくれないか?」

 その目は、どこか覚悟を決めたような色をしていた。

「君に、合わせたい人がいる」

 胸の奥に波紋が広がっていく。

「……わかりました。」

 それだけ言うのが、精一杯だった。




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