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パーティの後で
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視線を上げると、エントランスから駆け寄ってくる一之瀬社長の姿があった。
ジャケットは手に掛けられ、シャツの襟元がわずかに乱れている。
理知的な雰囲気はそのままに、けれど何か切迫した気配が滲んでいた。
まっすぐに私たちのテーブルまで来ると、まず隣に座っていた八坂さんに向き直った。
「初めまして。一之瀬と申します。突然お邪魔して申し訳ありません」
その所作は丁寧で、言葉遣いも柔らかい。
けれど、どこか一線を引くような、目的だけに集中した声だった。
八坂さんは、にこりと笑みを浮かべた。
「これはこれは。一之瀬社長。先程もご挨拶させて頂いたグローヴリンクの八坂です。小鳥遊さんにはいつも助けてもろてまして」
一歩も引かない微笑み。
それは、まるで舞台の上で決められたセリフを交わしているような、
愛想と敬意を完璧に装った挨拶だった。
「本日は急ぎの用件で伺いました。社内で進行中のプロジェクトに関して、小鳥遊の確認と判断が必要な場面が発生したので連れて帰ります。」
一之瀬社長がそう告げると、八坂さんはわずかに頷き、グラスを置いた。
「……社長自ら……ね?そら大変や。小鳥遊さんはよう働いてはるから、きっと頼りにされてるんでしょうね。」
言葉のひとつひとつはやわらかい。
けれどその裏に、何かが張り詰めているように感じた。
私はその空気の意味が分からず、ただ小さく息を呑んだ。
「すみません、八坂さん。……社に戻ります」
私がそう告げると、彼はふっと目を細め、にこやかに笑った。
「ええよ。気にせんといてください。
ただ——埋め合わせ、期待してます。」
「申し訳ありません。八坂さん。」
頭を下げた私に八坂さんは小声で耳打ちした。
「次回までにわたあめ以外のメニューも勉強しときますから。」
その言葉に緊張が解けてホッとした私はクスクスと笑い、一礼して八坂さんの視線を背中に受けながらレストランを出た。
外は冷たい風が吹いていて、さっきまでの温かな時間がすでに遠く感じた。
一之瀬社長は先を歩き、私はそのあとを追う。
ふたりの間には言葉がなかった。
そしてその沈黙が、さらに何かを遠ざけていくようだった。
ビルのロビーに入り、無言のままエレベーターに乗る。
閉まりゆく扉の向こう側に、さっきまでの時間が確かにあった。
けれど、そのすべてが、今はもう閉ざされるような気がしてならなかった。
エレベーターの中で、社長は私に目もくれず、静かにそっぽを向いた。
腕を組み、壁に視線を向けたまま、ひと言も発しない。
(どうして……?)
その態度の意味も、気持ちも、わからなかった。
沈黙だけがふたりのあいだに落ちていた
ジャケットは手に掛けられ、シャツの襟元がわずかに乱れている。
理知的な雰囲気はそのままに、けれど何か切迫した気配が滲んでいた。
まっすぐに私たちのテーブルまで来ると、まず隣に座っていた八坂さんに向き直った。
「初めまして。一之瀬と申します。突然お邪魔して申し訳ありません」
その所作は丁寧で、言葉遣いも柔らかい。
けれど、どこか一線を引くような、目的だけに集中した声だった。
八坂さんは、にこりと笑みを浮かべた。
「これはこれは。一之瀬社長。先程もご挨拶させて頂いたグローヴリンクの八坂です。小鳥遊さんにはいつも助けてもろてまして」
一歩も引かない微笑み。
それは、まるで舞台の上で決められたセリフを交わしているような、
愛想と敬意を完璧に装った挨拶だった。
「本日は急ぎの用件で伺いました。社内で進行中のプロジェクトに関して、小鳥遊の確認と判断が必要な場面が発生したので連れて帰ります。」
一之瀬社長がそう告げると、八坂さんはわずかに頷き、グラスを置いた。
「……社長自ら……ね?そら大変や。小鳥遊さんはよう働いてはるから、きっと頼りにされてるんでしょうね。」
言葉のひとつひとつはやわらかい。
けれどその裏に、何かが張り詰めているように感じた。
私はその空気の意味が分からず、ただ小さく息を呑んだ。
「すみません、八坂さん。……社に戻ります」
私がそう告げると、彼はふっと目を細め、にこやかに笑った。
「ええよ。気にせんといてください。
ただ——埋め合わせ、期待してます。」
「申し訳ありません。八坂さん。」
頭を下げた私に八坂さんは小声で耳打ちした。
「次回までにわたあめ以外のメニューも勉強しときますから。」
その言葉に緊張が解けてホッとした私はクスクスと笑い、一礼して八坂さんの視線を背中に受けながらレストランを出た。
外は冷たい風が吹いていて、さっきまでの温かな時間がすでに遠く感じた。
一之瀬社長は先を歩き、私はそのあとを追う。
ふたりの間には言葉がなかった。
そしてその沈黙が、さらに何かを遠ざけていくようだった。
ビルのロビーに入り、無言のままエレベーターに乗る。
閉まりゆく扉の向こう側に、さっきまでの時間が確かにあった。
けれど、そのすべてが、今はもう閉ざされるような気がしてならなかった。
エレベーターの中で、社長は私に目もくれず、静かにそっぽを向いた。
腕を組み、壁に視線を向けたまま、ひと言も発しない。
(どうして……?)
その態度の意味も、気持ちも、わからなかった。
沈黙だけがふたりのあいだに落ちていた
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