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3.本家
しおりを挟むカーテンの向こうに朝の陽が透けて見えた。
鳥のさえずりが耳に届く。もうそろそろいい時間のはずだ。
それでも蛍はもう一度夢の世界に戻りたくなって、布団の中で寝返りをうった。普段の寝覚めはいい方だし、すでに目は冴えていた。
(どんな顔をしていればいいんだろう)
諦めて窓を開けると、地面はまだ湿り気を帯びて前庭の草木には朝露が光っていた。朝の爽やかな空気にも気分は晴れず、憂鬱な気持ちで蛍は鏡の中の自分を見た。
「本当ひどい顔してる」
台所に顔を出すと、まだ朝食の支度中だった。手伝いを申し出たが断られてしまい、蛍は仕方なく庭に出た。地面はまだところどころぬかるんでいた。
「今日はずいぶん早いな」
後ろから声を掛けられて、蛍はうろんな目で振り返る。
夜遅くまで仕事をしていたに違いない、寝不足の顔つきをした永峯が縁側にいた。昨夜は色々あって、永峯とはほとんど会話出来ていない。近くに宗司がいないのは幸いだ。
蛍の気持ちを察してか、永峯が口を開く。
「怒っているか?」
「そうやって先に聞くのはずるい。怒っていないとでも?」
「まあそうだな……。そう睨むなよ」
相手に怒りをぶつけられるより先に謝ってしまうことで、矛先をずらすのだ。永峯の常套手段だ。蛍は知っているから頬をふくらませた。
「あんなに大事なことを黙っていて、怒らない訳ないじゃない」
足下に視線を落とす。真正面から今の永峯を見ることが出来なかった。
昨日のことを思い返して、蛍は苦い気持ちになった。
***
あの後、神無翁は蛍に一瞥をくれて会釈すると、本家の奥へと行ってしまった。
そして蛍たちは、こちらへ、と応接室に通された。
「では、当主の代わりにオレから報告します」
宗司の口から今日の一件について永峯に報告があった。犯人は取り調べ中であり、被害者は重傷ながらも、幸い命に別条はないらしい。
最初は平気だと思っていたのに、不意に凄惨な光景がフラッシュバックした。徐々に呼吸が浅くなる。恐怖を抑えようにも膝が震えて、表情や身体が強張っていく。
(……駄目、思い出してはいけないのに)
蛍の異変に気づいたのか、正面の颯と目が合った。
安心して、ここは怖くないよ。低く囁かれると、嘘のように身体の緊張が解けた。
(そうだ、今はもうお父さんだっているんだから)
こんなに自分が怖がっていることの方が何だか不思議だった。憑き物が落ちたように蛍が瞳を見開くと、颯は満足そうに笑みを浮かべた。
宗司の報告を聞き終えた永峯が尋ねる。
「あれは、蛍が狙われたのか?」
「正直なところ、断定はできません。けれど、あの場が変異しかけていたことを考えると、狙われたと考える方が自然でしょう」
「あの駅前は、人が多くいる市街地だぞ」
「人の集まる場所は、様々なものを引き寄せる。それこそ道理です」
わかった、と永峯が渋々頷いた。
「警察のことはどうしたんだ? 蛍が事情聴取されることはないのか?」
「ご想像通りです。警察がここに来ることはありません」
「携帯とか目撃者とか、そっちもバッチリですよー」
宗司の端的な説明と後を受けた颯を見て、永峯は天井を仰いだ。
「……そうだな。ここはそういう場所だったな」
永峯が会話をしているのから察するに、二人と面識があるようだった。そのことが、自分だけが部外者なのだと蛍を心細くさせた。
(私だけが、何も知らない。何一つ知らされていない)
お父さん、と思わず永峯の腕を強く掴んだ。
「いい加減、どういうことか説明して」
有無を言わさぬように視線をぶつけた。蛍がこんなにハッキリと永峯に対して強く出ることはない。珍しく永峯がうろたえ、蛍の剣幕にたじろいでいるのがわかる。
昼間の事件の話で、どうして蛍が狙われたという心配になるのか。警察官が取り調べようとしなかったこと、あの時周りで起きた異変も何か関係があるのだろうか。
本家の人間とはいえ、どうして自分が『姫さま』と揶揄されたのか。
なぜ、戻ってきたばかりの自分に敵意が向けられるのか。
わからないことをあげたら、きりがない。
「もうわからないままは、嫌なの」
「……すまん。オレにも何から話せばいいのか、まだ整理がつかないんだ」
「何ならオレから説明しましょうか」
永峯が驚いて宗司を見た。
「あなたが何を隠しておきたいのか、何を話していないのかは大体わかる。それでも、遅かれ早かれ、知ることになるなら早い方がいいに違いない」
「それは、そうだが……」
気まずい沈黙が落ちた。
「葵さんとは、いつ会えるんだ?」
「当主は今日はまだ目覚めていません。早くて、明日になるかと」
(目覚めていないって、病気で寝込んでいるとかなのかな)
颯の返答に、永峯はしばらく押し黙った。タバコに火をつけて、何か考え込んでいるようだった。長い沈黙の後、わかった、と息をついた。
「明日まで待ってくれ。明日、オレが全部おまえに話そう。約束する」
「本当に?」
「オレは嘘はつかない」
「そんなこと言って嘘ばっかり」
蛍がやり返すと、うっと呻いた。ここが譲歩できるギリギリなんだろう、と思って頷いた。永峯を責める気持ちはなく、追い詰めるつもりもない。
約束だ、ともう一度繰り返して永峯はやわらかく目を細めた。
「あと、こいつがおまえの守護役だとさ」
射抜くような宗司の視線が、真っすぐに蛍を捉えた。
「三輪宗司だ。分家の人間で、守護役を当主から仰せつかっている」
キッパリとした物言いに気圧される。よろしくお願いします、と頭を下げた。
「守護役って? さっき言ってた騎士と、関係があるの……?」
「そのことは、まだおまえが知らなくていい」
つっけんどんに言い放たれる。とりつく島がないとはこのことだ。
並べば蛍より背が高く、てっきり年上かと思っていた。だが、聞けば一つ年下の中学三年生だという。態度も身長も大きい、と蛍はそんな感想を勝手に抱いた。
(……私、たぶん、この人苦手だ)
その後を引き継いで、颯が自己紹介をした。
本名は三上颯。宗司とは従兄同士になるという。こちらはやはり年上で、今度から通うことになる三峰学園の先輩だった。
穏やかな雰囲気や物腰は、凛々しくて勇ましい宗司とは正反対だ。
「宗司の補佐、兼、お目付役みたいなものだよ。これからよろしくね」
無邪気に微笑まれ、蛍も釣られて笑みを返した。
(まだ颯さんが守護役ならよかったのに)
そんな思いが顔に出ていたんだろうか、ぎろりと睨む宗司の視線を感じて慌てた。
「そうだ、蛍」
永峯は腰を浮かせると、おもむろに宗司の頭に手を置いた。
「オレの息子だから。仲良くしてやってくれ」
「……え」
実にあっさりと、蛍にとって一番の衝撃が訪れたのだった。
***
永峯とは物心着いた頃から、ずっと一緒にいた。
いつも寝物語に何度も聞きせがんだ永峯の昔の話。それとは別の永峯の過去が、蛍の知らない永峯の過ごした時間が、ここにはあるということだ。わかっていても、宗司という存在を目の前にすると、頭が理解することを拒むようだった。
年の変わらない蛍と宗司。
つまり、蛍と過ごした時間は、本当は宗司が一緒に過ごす時間だった。
宗司にとって、蛍は自分の親を奪った存在に他ならない。そこにどんな事情があったとしても、本家が絡んでいるのであれば、蛍は彼に謝らなくてはいけなかった。
けれど、宗司はそうはさせてくれなかった。
ちょうどそこへ当人がやって来て、蛍はぎくりと身を固くした。
宗司は昨日と変わらない態度で、朝食の用意が出来た、と声をかけに来ただけだった。道着姿で朝早くから敷地内の道場で鍛錬に汗を流していたらしい。
「昨日、あれから宗司に嫌なことでも言われたか」
「ううん、そんなことないよ」
今は顔を見られたくなくて、永峯に背を向けると大きく伸びをした。
(あれは、当然のことだから)
宗司は母屋の隣にある別棟に居候しているため、夜たまたま廊下で出くわしたのだ。思わず呼び止めた蛍は、中途半端になってしまった話を切り出していた。
『私、宗司くんこと、ずっと知らないままで……』
『その話はよせ』
もういい、と冷たく遮るように宗司は語気を強めた。
『オレもあの人も気にしていない。確かに血の繋がった父親ではあるけどな。おまえにとってはあの人は父親だとしても、オレにとってはそうじゃない』
吐き捨てるようにそう言って、一方的に話を終わらせてしまったのだ。
知らなかったんだから、私が悪い訳じゃない。
単に自分が言い訳したかっただけだという気持ちを見透かされた気がして、すぐさま自己嫌悪に陥った。結局、蛍は謝る機会すら与えられず、手酷く拒絶されたのだ。
蛍にとって永峯は親代わりで、実の親子のようだった。
自分を慈しみ、大切に育ててくれた人だ。いつだって味方だと思っていた。
それなのに、本家に呼び戻されてから永峯を遠く感じる。今までの蛍のよく知る永峯と別人のように感じることさえあった。
本当なら永峯に聞いてほしいはずなのに、永峯だからこそ話せなかった。
(どうしてこんなに寂しくなるんだろう……)
何もかもわからないことばかりだった。
永峯は約束通り、本当のことを教えてくれるんだろうか。それとも宗司のように、知らなくていいと言うんだろうか。そして本当のことを知ってしまうと、こうして一つ、また一つ何かが変わってしまう気がした。
たくさんのどうしてという思いが、浮かんでは消えていく。
その一つ一つを噛みしめながら、今の蛍にはどうすることも出来なかった。
本家の奥に向かうのは、これがはじめてだった。
外から光が一切差し込まない廊下が、いくつもの角を折れながら続いていた。
「ここに来るのは、オレもいつ以来だろうな」
隣の永峯も緊張した面持ちだった。
宗司を先頭にして、本家の迷路のように長い廊下を歩いていく。
今日は一族の者が呼び集められている。それは玄関をひっきりなしに訪れる人数の多さからわかっていた。そして、その人の波が途絶えてから随分経っていた。
(やっと、お母さんに会えるんだ)
蛍の心は喜びに弾む気持ちと、再会を恐れる気持ちで天秤が大きく揺れる。隣の永峯の袖を掴みそうになって、途中で思い至ると手を下ろした。
「蛍、大丈夫か?」
「うん、平気。ちょっと緊張しているだけ」
宗司が膝をつくと襖を音もなく開けた。
目の前に広がったのは、ゆうに二十畳はあろうかと言う奥座敷だった。上座と思われる場所に、七人の老人が並ぶ。あの神無翁もその中心に座していた。
その後ろには驚くほど多くの人間が控えていた。性別や年齢は関係ないが、ここにいるのは大人ばかりだった。例外は、巫女服に身を包んだ真耶だけだ。
皆この時を待っていたかのように蛍が現れると、ざわめきを持って迎え入れた。
ついに……の姫さまが、お戻りになったのか。
この守森の地が……神狩りに……われているという噂は、……らしい。
これでこの地は安泰だ。葵さまの……が破られることもない。
……の脅威も、……穢れもこれで……されるだろう。よかった、この地は守られる。
ひそひそと囁きかわす声が耳に否応なく入る。
自分を見る目――畏怖を含んだ、品定めするような眼差しに、蛍はその場で足が竦んだ。
ぴしゃり、と扇を閉じて、神無翁が言った。
「これ、皆、不躾に姫さまを見るのはやめなさい」
口調は柔らかいが、あの時と同じだった。人を従わせることに慣れた声に、場がパッと静けさを取り戻す。見えない圧がかかったように皆が息を殺すのがわかった。
(この場を主導しているのは、この人なんだ……)
「こちらへどうぞ、蛍殿」
思わず永峯にすがるような視線を向けるが、ただ頷き返される。
奥には一段高く、設えられた座敷があった。その姿が見えないように御簾があり、御簾越しに人影が映っていた。蛍は恐る恐るその前に座った。
隣には神妙な顔つきの真耶がいる。
「よく戻りましたね、蛍」
はじかれたように蛍はその影を凝視した。この声、と目を瞠る。
やはりこの奥にいるのは――。
「守森の民よ、永く私に尽くしてくれたこと、礼を言います。しかし、この土地の異変は皆の知るところです。この土地を守ってきた者としての責務、私が果たすべき時期は終わりを告げようとしています」
そこで言葉を切り、厳かに告げた。
「この二人のどちらかを、私の後継者として選びます」
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