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第5章
◇自分の気持ち
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あのあと、家に帰ってからもわたしはずっと上の空だった。家事にも、全然身が入らなくて。
「痛っ」
夕飯用の野菜を切っているとき、ボーッとしていたわたしは、誤って包丁で自分の指を切ってしまった。
左手の人差し指に、じわじわと赤い血が滲む。いつもなら、こんなミスなんてしないのに。目からは勝手に冷たいものが滑り落ち、頬を伝う。
「……っう」
痛いけど、今は指よりも胸のほうが何倍もズキズキと痛い。
慧くんのお母さんには、つい感情のままに別れないって言ってしまったけれど。
時間が経ってもう一度冷静によく考えてみると、慧くんや家のためにはやっぱりわたしは彼と別れたほうが良いのかもという思いが強くなってくる。だけど……。
わたしは、慧くんのことがまだこんなにも好きなのに。家のために別れないといけないなんて、そんなの辛すぎるよ。
キッチンの床に崩れ落ち、わたしは痛む胸を手のひらでぐっと押さえる。
もし、わたしが一堂グループと肩を並べるほどの良家の令嬢だったなら、慧くんとの恋も許されたのかな。
みんなに、おめでとうって祝福してもらえたのかな?
「辛いなぁ……」
わたしは、一体どうしたら良いのだろう。
ひとり物思いにふけっていると、キッチンのテーブルに置いていたスマホが振動する。
慧くんからの電話だった。
「……もしもし?」
『あっ、もしもし。依茉?』
「うん。どうしたの?」
『なんか、依茉の声が聞きたくなって』
慧くんの嬉しい言葉に、沈んでいた気持ちが浮上する。
『依茉、いま忙しい? もしかして、夕飯の支度中だった?』
「ううん。大丈夫だよ」
慧くんとハンズフリーで通話しながら、わたしは先ほど怪我をした指を流し台で洗い流す。
『ちなみに、今日の夕飯は何なの?』
「今日はね、オムライス」
『そういえば依茉、オムライス好きだって言ってたな』
慧くん、ちゃんと覚えててくれたんだ。
『いいなぁー。俺も、依茉の作ったオムライス食べたい。ああ、毎日依茉の手料理が食べられるなんて、怜央が羨ましい』
「今度、慧くんにも作ってあげるよ」
『えっ、まじ?! やったね』
わたしの言葉ひとつで喜んでくれる慧くんに、自然と頬がゆるむ。
『さっき、一瞬だけ怜央になりたいって思ったんだけど。やっぱ俺、怜央じゃなくて良かったわ』
「え? なんで?」
『だって、兄ちゃんだったら……依茉と結婚できないだろ?』
「……っ」
初めて慧くんの口から出た『結婚』というワードに、胸が震える。
もしかして慧くんは、わたしと将来そうなったら良いなって思ってくれているのかな。
わたしとのそんな未来を……思い描いてくれているの?
『ん? どうした依茉?』
言葉に詰まるわたしに、慧くんの声色が変わる。
『ていうか、さっきから気になっていたんだけど……依茉、なんか元気ないよな?』
「……っ!」
『何かあった?』
少しの迷いもない様子で、慧くんが尋ねる。
いつも通りに話していたつもりだけど、やっぱり慧くんには分かっちゃうんだね。
「さっき、ちょっと包丁で指を切っちゃって」
『えっ、指大丈夫!?』
「うん、平気。ちゃんと水で洗って、薬塗って。絆創膏も貼ったから」
わたしは、たった今絆創膏を貼ったばかりの人差し指を見つめる。
「指を切っちゃうなんて。わたしってば、ほんとドジだよね」
慧くんに余計な心配をかけないよう、わたしは努めて明るく話す。
『ううん、そんなことない。俺は、どんな依茉も好きだよ?』
「慧くん……」
『可愛くて、優しくて。いつも一生懸命で。そんな依茉と一緒にいられるだけで、俺は幸せだよ。だから、これからもずっと俺の隣にいてくれよな?』
まるで、今のわたしの心を見透かしたような慧くんの言葉に、胸の奥から熱くなっていく。
「うん……ありがとう!」
慧くんとの電話を終えたわたしは、スマホのロック画面を見つめる。そこには、彼と正式に付き合う前の初デートで一緒に撮ったプリクラが映っている。
慧くんのお母さんに睨まれ、別れるよう強く言われて。精神的に、ちょっと参ってしまっていたけれど。
一堂さんに宣言したとおり、やっぱりわたしは慧くんと別れたくない。
わたしは一度失恋を経験しているから、痛いほどよく分かる。好きな人と両想いになるのは、奇跡なんだってことが。
だから、ワガママかもしれないけど……慧くんに嫌われていない限り、そう簡単に彼から離れたりはしたくない。
わたしの頭の中には、慧くんとの思い出が次々と浮かんでくる。
慧くんのバイト先のカフェで食べたオムライスに、ゲーセンで彼が取ってくれたネコのキーホルダー。
遠足の登山や、保健室で慧くんがわたしの足の怪我の手当をしてくれたこと。他にもたくさん……。
そして何より慧くんはいつも真っ直ぐ、わたしに好きだと伝えてくれる。
わたしは、そんな彼のそばにいたい。慧くんとの思い出を、これからもたくさん増やしていきたい。
慧くんと電話で話して、自分の気持ちを再確認することができた。
慧くんは、わたしのことを好きでいてくれて。わたしも、そんな慧くんのことが好き。
だけど、慧くんのご両親はわたしたちの交際を反対している。
だったら……答えはひとつ。
慧くんのご両親に、わたしのことを認めてもらうしかない。
わたしは強い眼差しで前を見据えると、夕飯作りを再開させる。
高い壁を乗り越えるのに、何年かかるかは分からないし、そもそも一生ご両親に認めてもらえない可能性だってある。
だけど……相手を恐れて何もしないまま、今ここで諦めるなんてことだけはしたくない。
何よりもわたしには、慧くんという一番の味方がいるから。頑張るだけ、頑張ってみよう。
「痛っ」
夕飯用の野菜を切っているとき、ボーッとしていたわたしは、誤って包丁で自分の指を切ってしまった。
左手の人差し指に、じわじわと赤い血が滲む。いつもなら、こんなミスなんてしないのに。目からは勝手に冷たいものが滑り落ち、頬を伝う。
「……っう」
痛いけど、今は指よりも胸のほうが何倍もズキズキと痛い。
慧くんのお母さんには、つい感情のままに別れないって言ってしまったけれど。
時間が経ってもう一度冷静によく考えてみると、慧くんや家のためにはやっぱりわたしは彼と別れたほうが良いのかもという思いが強くなってくる。だけど……。
わたしは、慧くんのことがまだこんなにも好きなのに。家のために別れないといけないなんて、そんなの辛すぎるよ。
キッチンの床に崩れ落ち、わたしは痛む胸を手のひらでぐっと押さえる。
もし、わたしが一堂グループと肩を並べるほどの良家の令嬢だったなら、慧くんとの恋も許されたのかな。
みんなに、おめでとうって祝福してもらえたのかな?
「辛いなぁ……」
わたしは、一体どうしたら良いのだろう。
ひとり物思いにふけっていると、キッチンのテーブルに置いていたスマホが振動する。
慧くんからの電話だった。
「……もしもし?」
『あっ、もしもし。依茉?』
「うん。どうしたの?」
『なんか、依茉の声が聞きたくなって』
慧くんの嬉しい言葉に、沈んでいた気持ちが浮上する。
『依茉、いま忙しい? もしかして、夕飯の支度中だった?』
「ううん。大丈夫だよ」
慧くんとハンズフリーで通話しながら、わたしは先ほど怪我をした指を流し台で洗い流す。
『ちなみに、今日の夕飯は何なの?』
「今日はね、オムライス」
『そういえば依茉、オムライス好きだって言ってたな』
慧くん、ちゃんと覚えててくれたんだ。
『いいなぁー。俺も、依茉の作ったオムライス食べたい。ああ、毎日依茉の手料理が食べられるなんて、怜央が羨ましい』
「今度、慧くんにも作ってあげるよ」
『えっ、まじ?! やったね』
わたしの言葉ひとつで喜んでくれる慧くんに、自然と頬がゆるむ。
『さっき、一瞬だけ怜央になりたいって思ったんだけど。やっぱ俺、怜央じゃなくて良かったわ』
「え? なんで?」
『だって、兄ちゃんだったら……依茉と結婚できないだろ?』
「……っ」
初めて慧くんの口から出た『結婚』というワードに、胸が震える。
もしかして慧くんは、わたしと将来そうなったら良いなって思ってくれているのかな。
わたしとのそんな未来を……思い描いてくれているの?
『ん? どうした依茉?』
言葉に詰まるわたしに、慧くんの声色が変わる。
『ていうか、さっきから気になっていたんだけど……依茉、なんか元気ないよな?』
「……っ!」
『何かあった?』
少しの迷いもない様子で、慧くんが尋ねる。
いつも通りに話していたつもりだけど、やっぱり慧くんには分かっちゃうんだね。
「さっき、ちょっと包丁で指を切っちゃって」
『えっ、指大丈夫!?』
「うん、平気。ちゃんと水で洗って、薬塗って。絆創膏も貼ったから」
わたしは、たった今絆創膏を貼ったばかりの人差し指を見つめる。
「指を切っちゃうなんて。わたしってば、ほんとドジだよね」
慧くんに余計な心配をかけないよう、わたしは努めて明るく話す。
『ううん、そんなことない。俺は、どんな依茉も好きだよ?』
「慧くん……」
『可愛くて、優しくて。いつも一生懸命で。そんな依茉と一緒にいられるだけで、俺は幸せだよ。だから、これからもずっと俺の隣にいてくれよな?』
まるで、今のわたしの心を見透かしたような慧くんの言葉に、胸の奥から熱くなっていく。
「うん……ありがとう!」
慧くんとの電話を終えたわたしは、スマホのロック画面を見つめる。そこには、彼と正式に付き合う前の初デートで一緒に撮ったプリクラが映っている。
慧くんのお母さんに睨まれ、別れるよう強く言われて。精神的に、ちょっと参ってしまっていたけれど。
一堂さんに宣言したとおり、やっぱりわたしは慧くんと別れたくない。
わたしは一度失恋を経験しているから、痛いほどよく分かる。好きな人と両想いになるのは、奇跡なんだってことが。
だから、ワガママかもしれないけど……慧くんに嫌われていない限り、そう簡単に彼から離れたりはしたくない。
わたしの頭の中には、慧くんとの思い出が次々と浮かんでくる。
慧くんのバイト先のカフェで食べたオムライスに、ゲーセンで彼が取ってくれたネコのキーホルダー。
遠足の登山や、保健室で慧くんがわたしの足の怪我の手当をしてくれたこと。他にもたくさん……。
そして何より慧くんはいつも真っ直ぐ、わたしに好きだと伝えてくれる。
わたしは、そんな彼のそばにいたい。慧くんとの思い出を、これからもたくさん増やしていきたい。
慧くんと電話で話して、自分の気持ちを再確認することができた。
慧くんは、わたしのことを好きでいてくれて。わたしも、そんな慧くんのことが好き。
だけど、慧くんのご両親はわたしたちの交際を反対している。
だったら……答えはひとつ。
慧くんのご両親に、わたしのことを認めてもらうしかない。
わたしは強い眼差しで前を見据えると、夕飯作りを再開させる。
高い壁を乗り越えるのに、何年かかるかは分からないし、そもそも一生ご両親に認めてもらえない可能性だってある。
だけど……相手を恐れて何もしないまま、今ここで諦めるなんてことだけはしたくない。
何よりもわたしには、慧くんという一番の味方がいるから。頑張るだけ、頑張ってみよう。
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