麻衣の怪談

ゆさひろみ

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幽霊が出ると噂の旅館に泊まってみた

 かつては、洛陽とまで呼ばれた古都、京都。そんな千年の都において、身の毛もよだつ恐怖体験をした人がいた。
 その人の名前は、仮に、T君とする。顔はどんなだか分からない。私が東京に在住していた頃、音楽仲間として同じステージに立った事のある、Mちゃん、その地元の友達と聞いている。とまあ、いわゆる友達の友達というやつで。
 そのT君、京都の老舗旅館、M旅館に、学生の頃に一泊して、それからと言うもの、大正ロマン漂う館内のおもむきが、痛く気に入って、春夏秋冬に一泊ずつ、頻繁に予約を入れて、周囲には定宿として自慢していた。したがって、そこの女将さんともたいへん懇意になって、彼が社会人になってからも、会社の新年会、友人の結婚式の二次会、高校の同窓会など、T君が幹事役に任命されれば、決まって、このM旅館の宴会場をにぎわした。なんといっても、丹後の地魚が味わえる、飲み放題とは思えない名酒が出る、などと吹聴して、飲み会に参加した人たちは、久美浜湾を望む露天風呂もあってか、まずまずの定評を得ていた。
 ところがこの旅館、一〇〇年近くの歴史を有する、由緒ある老舗旅館として有名だのに、近年、どうしてか客足が伸びない。歴史にちなんだ海軍料理のイベントや、人数に応じて割引になる忘年会プランなど、あらゆる奇策を打ち出して、一時的な集客には成功していたものの、やはり客足が伸びない。女将は、何度も電卓をたたいては、深いため息を落としていた。
 近年客足が伸びない、というのも、実はそれもそのはず、このM旅館、インターネットの世界では幽霊が出る旅館として某心霊サイトに紹介されていたのだ。これに気がついた中居さんの一人、パソコンの前まで女将を連れて来て、サイトの記事を拡大させた。
「まあ驚いた。いったい誰がこないなえげつない事を書き込んでるん?」
 それは、おすすめ心霊スポットの紹介サイトで、実際の体験談や、製作者側の宿泊レポートまで掲載されていた。
「これ、実はうちの旅館ちゃうんちゃう?」
 女将みずから、マウスを動かして、色々に読んで行く。
 明確な旅館名、住所、連絡先は掲載されていないものの、大まかな立地や、旅館のモザイク写真から、知っている人が見れば一目瞭然だった。
「これじゃ、あかんわ。どないかしいひんと」
 その話を聞きつけた、T君、さっそく女将に電話を入れて、
「女将はん、ええこと思いついた。あっちの、お株を奪いまひょ」
 それは、T君とその仲間が、インターネットの情報を基に、実際に幽霊が出るという部屋で一泊して、検証してみよう、という心霊企画を思いついたもので、その結果、M旅館ではなんも起こらなかった、この投稿記事は、ガセネタだ、こう心霊サイトに動画をアップしよう、というもの。
「そら妙案やわ。それやったら、宿泊代、お酒代はただちゅう事で」
 T君は、この件に関して、自信があった。実際に撮影した動画を使って、囁かれているウワサを色々に検証して、結論、心霊現象は起きなかった。朝までぐっすり、これはインパクトがあると思った。そこには、ちょいちょい旅館の宣伝を入れて、丹後の地魚、久美浜湾の絶景を眺めての朝風呂、このような動画に仕上げて、M旅館の風評被害を払拭したかった。それに、T君は今まで、このM旅館で一度も幽霊なんて見た事がなかった。中居さんたちもみんな首を横に振って、お客さんからそういった苦情も受け付けていない、こう胸を張っていた。根も葉もない悪いウワサ、でっち上げのデタラメな話。きっと、好みの問題で、不満を持って帰った宿泊客が、腹いせに、幽霊が出たとかなんとか、悪意ある風評を広めたのに違いない。
 電話を入れた翌週には、T君、すでに撮影機材をレンタルしていて、レンタカーの荷台から、M旅館の客室へと、撮影機器を運び入れていた。インターネットで話題となっている、幽霊が出るという部屋、そこから窓の外を眺めると、久美浜湾の一部が見え、一艇のカヌーが穏やかな水面に波をつけていた。てきぱきと撮影機材のセッティングを進めていると、
「すっげー、本格的にやるんやな」
 ただ酒が飲めると聞いて、友人のK介が襖から顔を出した。部屋に並んだ撮影機材を眺めながら、畳の上に荷物を置く。
「F子は? 一緒に来るって聞いとったけど」
 T君は、ただで老舗旅館に泊まれると、ダマしたように呼んでおいた、大阪の女友達、F子について訊ねた。
「知らへん。途中から連絡取れへんくなった」
「いけるかな、場所わかるかいな」
 T君は今夜、K介とF子、この二人を含めた三人で、うわさ通り幽霊が出るかの検証動画の撮影を予定していた。
 部屋の隅に三脚を立てて、小型の暗視カメラをセットする。その映像をレコーダーに入力して、ナイトビジョンの映像を確認。他にも二台くらい、室内を撮影するカメラをセットして、満足気に室内を見渡した。
「こんなんかな」
 K介は珍しがって、室内の映像をのぞき込む。
「これで、幽霊を撮影するんやな」
「アホ、幽霊なんてへんで。全部ガセネタなんや。そやさかい、朝まで幽霊は撮影できひん」
 襖を開けて女将が顔を出した。
「魂消た。七五三の撮影スタジオみたい。今日は貸し切り状態やさかい、まあ、ゆっくりしていっとぉくれやす」
 ここの旅館の女将、T君から動画の撮影と聞いて、そんな妙な所、ほかの客に見せるわけにいかないと、そこは思い切って、臨時の休館を決めた。
 T君とK介、とりあえず内湯に入って、さっぱり汗を流してから、旅館の浴衣に着替え、誰もいない、静まり返った館内を歩いて、自室に戻った。
 そこには大阪の女友達、F子が到着していて、テレビのチャンネルを回していた。
「この旅館、誰もおらへんやん。もしかして貸し切りになってるん?」
 F子は肌の露出が多い服を着て(お水系の仕事をしているのだから当然だが)、テレビを消して、茶菓子をかじる。
「ほんまに、もったいあらへん話やな。温泉、入ってきたらええで、ほんまに貸し切りやさかい」
 T君は窓を閉めて、エアコンのスイッチを入れた。内湯へ行く準備をしながら、F子は部屋をふり返って、
「AVの撮影でもするみたいやな、この部屋」
 冗談を言って、三台ある撮影機器を鼻で笑った。
 板前を休ませたから、と言って、女将自ら手料理を運んで来た。昔は料理場に立っていたとあって、確かにその腕前は絶品、丹後の味覚会席が運び込まれて、日本海で獲れる魚介類がメインの、桶いっぱいの地カニには、湯上りのF子も歓声を上げた。
「精一杯、腕によりをかけたさかい、旅館の潔白を晴らす動画、よろしゅう頼んますえ」
 そこから酒が入って、上機嫌のK介、酔っぱらいの独壇場となって、こんな贅沢は他にない、などと、馬鹿みたいに酒をあおり、F子にちょっかいを出す。
「あんた、酒の飲み方を知らへんね」
 F子は、弟をあしらう姉みたいに、K介の額を小突いた。窓の外に広がる湾の夜景に、対岸の町の明かりがキラキラと輝く。動画の撮影も順調。
「やっぱし、幽霊なんて出そうにあらへんなぁ」
 T君は、室内を撮影したモニターを見て、煙草に火を点ける。
「これだけええ思いをしたら、幽霊の一つや二つ、出たって関係あらへん。なあF子」
「馴れ馴れしゅう呼ばんといてや。お金にならへんさかい、あんたなんか相手にせえへん」
 窓辺にある、広縁という所の椅子に座って、F子はひとり、さっきから携帯電話を操作している。複数いるというお兄ちゃん、そのどれかと連絡を取っているらしい。
「商売熱心やな」
 K介は手酌をしながら、T君の隣りにあぐらをかく。
「ここに出る幽霊って、どないなのがあるん?」
 T君はノートPCを操作しながら、
「子供の幽霊。寝てると、布団の周りを走り回ったりするちゅう話やで」
「へえ、子供は何人おるん?」
 T君は天井を見上げて、
「さあ。何人おるんやろ」
 F子が携帯電話を仕舞って、窓辺から歩いて来た。
「なあ。どうせなら、部屋の電気やら消さへん? その方が、幽霊かて、出やすいんちゃう?」
「賛成!」
 二人のよっぱらいに、T君はあきれて、
「あのなあ、ここには幽霊なんて、出えへんて。その証明のために、今晩わしらここに泊まってるんやさかい」
 F子は尚も、
「ええやん。肝試しちゅう事で。それで、怖い話でもしようや。うち、お客さんから聞いた、えげつなく怖い話もってるんやで」
「賛成!」
 K介は、ふらついた足取りで、部屋の入口まで歩いて行って、そこにある電気のスイッチを切った。途端に部屋は真っ暗。気がつけば夜の十時を回っていた。入口のドアのすき間から廊下の明かりが漏れる。窓の外に見える建物の輪郭がはっきりする。撮影機材のパイロットランプが緑色に点灯している。
「こッわ~、全然雰囲気がちゃう。ほんまに幽霊が出そうやわ」
 F子はソワソワして、キョロキョロして、T君の隣りに移動する。
 K介も飛んで来て、
「なんか映ったか? 撮った映像、見直してみぃや」
「見直すのんは時間掛かるさかい、あした」
 そう言って、T君が座卓にモニターを置くと、
〝こつん〟
 部屋のどこかから、壁を小突いたような物音。
「なんか今、聞こえへんかった?」
 F子が素早く顔を動かす。その動きに合わせて、暗闇にシャンプーの香りが漂う。
「ああ、わしは知っとるで。こりゃラップ音ちゅうやつや」
 K介は手酌で、大きく酒をあおぐ。
〝こつん〟
「どこやろう。壁から聞こえへんか?」
 T君は立って行って、部屋の明かりを点けた。元の通り、のどかな旅館の客室が現れる。F子はしばらく耳を澄まして、
「止まった。なんやったんやろう、今の。あー分かった。K介がてんごしとったんやろう」
「してへん。あっちから音聞こえとったやんか」
 T君、何かを思いついて、持参した荷物の中から或る機材を取り出した。それをセッティング。
「なんしてんねん? そらなに?」
 畳にひざを擦って、F子、T君の肩に顔を置く。
「音を可視化できるセンサーやで。レンタル店の店長に、仲間内で心霊特集やる言うたら、こんなんも追加してくれた」
「音の出所分かるんか? ほんまの心霊番組ちゃうか」
 K介はお猪口を見つめて、しゃっくりをする。
「これでよし、と。うもう行くかいな」
 T君は、マイクやカメラを搭載した、黒いプレートを両手で構え、内側のモニターを見守る。
「そないなジンギスカン鍋みたいなやつで、ほんまに音の出所分かるん?」
「おお、凄い、いまK介がしゃべったら、K介の顔赤なった」
「ほんまや、これ、おもろい」
「どれどれ、わしにも見せなはれ」
 三人は一通り、音源可視化センサーで遊んで、それからまた、部屋の電気を消した。
「なんか、ゾクゾクするなぁ」
 F子はT君に体を寄せて、一緒になってモニターを見つめる。
〝こつん〟
「来た、どこや!」
 K介がT君の顔に顔を押し付ける。
「もう、動けへんって」
 T君は二人から離れて、暗い室内を歩き始めた。
〝こつん〟
「どこや」
 小声を使うK介。T君は、慎重に、慎重に動いて、モニターの光で顔を明らめる。
〝こつん〟
「あった。この壁の下の方や」
 奇怪な物音の発信源は、テレビの横、床の間の壁だった。
〝こつん〟
「あれ、せやけど、ちょいちょい音の場所変わる」
「なあ、隣の部屋になんかあるんちゃうん? 女将さんが掃除機かけてるやら」
 F子がこう言い出したので、三人は隣室へと向かって、客室の電気を点けた。室内の様子を確認すると、誰もいない。音が鳴っていたと思われる壁には、コンセントがあるくらいなものだった。
「なんやろう、うち、だんだん気味が悪なってきた。酔うて、気ぃ紛らわそ」
 自室に戻ったF子、ぐいっとコップのビールを飲み干す。
 T君は熱心に、隣りの部屋と自室を行き来して、モニターの映像を確認する。
「やっぱし、変や。音の大きさからして、わしらの部屋の音の方が、大きい。ちゅう事は、この部屋から音鳴ってる」
「やだ、やめてや、もう」
 F子は頭から座布団をかぶった。
 K介は、暗い部屋を歩いて行って、音のする床の間に腰を掛けた。
「なあ、幽霊はん、あんた、幽霊はんなんやろう?」
〝こつん〟
「ちょい、K介、やめてや」
 座っていてもふらふらして、K介は、泥酔に近い状態だった。
「あんた、この部屋におるんか?」
〝こつん〟
「もう、K介ぇ」
 F子は近くにあった座布団を投げた。T君は真剣にモニターを見ている。音が鳴る度に、小さく、赤く、壁の一部に色が点く。
「大人の幽霊か?」
 音は鳴らなかった。
「ほな、子供の幽霊か?」
〝こつん〟
「すっげー、幽霊が返事をしてるんか?」
 T君は好奇の目をひらいて、モニターと実際の光景を見比べた。
「子供がこないな遅うまでいたらあかん。お家にかえったらええのに」
 音は鳴らなかった。
 K介は、酔った体を揺すって、相手を説教するように、
「おとん、おかんが心配して待ってるさかい、早う帰って安心させてあげたらええのに」
 音は鳴らなかった。
 しばらく、部屋は静かになった。壁を打つ音が止まった。F子は、おっかなびっくり首を伸ばして、〝オッケー? オッケー?〟と二人にジェスチャーを送った。
 K介は手酌して、ぐいっと酒をあおいで、
「なかなか素直な幽霊はんや。話通じる相手やな。ほんなら、君ら、この部屋に何人おるんや?」
 この質問の次の瞬間、
〝こつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつんこつん〟
 客室の全体から、何かで壁を小突く物音が鳴り出した。
「ひぃ~!」
 F子は悲鳴を上げて部屋を出て行った。
 T君が手にしたモニターも、あまりの音の数に、画面全体が真っ赤になっている。
「うううう! こらあかん!」
 腰を抜かしたT君とK介、競うように、何とか廊下へ這って出る。
 結局、M旅館に幽霊が存在するのか、という検証動画は、予期せぬハプニング発生によって、撮影は中止、受付にいた女将は、旅館の宿帳に判子を捺しながら、情けない三人の姿を目に、笑顔を見せながら青筋を立てた。
「そうどすか。うちの旅館に幽霊がおったちゅうのん。そないしたら、そら間違い、もういっぺん泊まって、やり直ししてもらいまひょか。うちの旅館に幽霊出えへんくなるまで」
 T君は、しんから恐怖を感じて、女将に土下座をして見せた。
「すんまへん。かんべんしとぉくれやす。嘘をえずくにも限界があるんやさかい」
 後日、T君は、あの夜に撮影した動画を確認したが、〝こつん〟という奇怪な物音は、一つも収録されておらず、ただただ慌てふためく、情けない三人の姿だけが、克明に記録されていた。
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