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なぞの転校生

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 リボルチオーネ高等学校の正門に、赤い丸眼鏡を掛けた女子学生が入って来る。
「おはようございます」
 明るくハッキリとした朝の挨拶に、ガラガラと守衛所の窓が開いた。中から警備服を着た男が顔を出す。
「はい、おはよう。いい挨拶だね、そんな爽やかな挨拶、久しぶりに聞いたよ。うん? 学生証は?」
 ほかの学生は、学生証を使って、次つぎに正門を抜けて行く。
「えーと、今日からこの学校へ転校して来た、八木です」
「八木さん? 八木さん 八木さん」と年季の入ったノートをめくって、
「あー、あった、あった、ここに書いてあった。ほら、ここだ。八木里子さんだね、今日が初登校だ」
「はい。登校初日という事で 私、とても緊張しています」
 八木は初々しい笑顔を見せる。
「緊張なんてしなくていいよ。この学校はね、やりたい事を、やるだけの学校なんだ。失敗したっていい。思い切って『自分』の世界から飛び出して、まだ見ぬ外の世界を体験する。そして同じような夢を持った仲間と、未知なるものを創り上げる。そうやってみんな、才能を開花させて行くんだ。あれ? 何の話だったっけ? まあいいや、とにかく八木さんは、いい学校を転校先に選んだね。もっと自分に自信をもって」
 言いながら、教務員室へ電話を入れて、ノートに何かメモを取る。
「ほら、連絡が取れたよ。この入校許可証を使って、そこのゲートを抜けて、教務員室へ行きなさい。そこにあなたの担任の先生、片桐先生がいるから。片桐先生は、四十後半の、白髪の男の人で。まあ、入口の席だから、顔を出せばすぐに気が付いてくれるだろう。教務員室までの道は、えーと」
「正面玄関を入って、右の階段を上がったすぐですね」
「え?」
 思わず守衛の目が上がった。
「あっ、えーと、学校のパンフレットに書いてありましたから。教務員室の場所」
「あ、あー、そうだったね。それじゃ もう、大丈夫だね」
「はい、ありがとうございます」
 深く頭を下げて、そのままゲートを抜けて正門の中に入って行く八木。
「ふー、あぶない、あぶない」
 と、胸の赤いリボンに手を当てて、
「私はこの学校に来るのは初めて。今日が初登校だったわね、里子ちゃん」
 くるりと後ろをふり向いて、もう一度守衛所を見る。
「それにしても、生熊さん 変わったなー。以前は鬼のように厳しい俳優コースの先生だったんだけどなー。定年間近だって言っていたから、今はのんびりと守衛をやっているのかな」
 サクラ並木を真っ直ぐ歩いて、いよいよリボルチオーネ高校の建物が見えて来る頃、前方からたくさんの水の音が聞こえて来た。見ると、ペテルゴフ宮殿にありそうな噴水から、勢いよく水がほとばしっている。そのしぶきの向こう、バロック建築の、ヴィー・ル・ヴィコント城館を模して建てられた、品格のある校舎の面構えが、ドーンとこちらへ迫って見えた。さすが名門校らしい風格だと、誇らしげに八木が楕円のドームを眺めていると、目の前で誰かが泉に落ちた。
「?」
 ざばんと水面から顔を出して、濡れた髪を左右に振る。
「おい、いい画が撮れたか?」
「使える 使える、ばっちりだ」
 カメラを肩に抱える学生の姿。
「映像作家の子たちね、相変わらず体 張ってるー」
 キュィィーンとエレキギターの音が聞こえて、その音をふり返ると、仮設のステージでロックフェスをやっている学生たち。その手前を、風のように通り過ぎて、エア・トリックを決めるスケートボーダーなど、ここではありとあらゆるエンターテイメントがあふれていた。
 それらをニコニコとしながら眺めて歩く八木、いよいよ正面玄関の階段まで来た所で、ピカッと光る物に顔を照らされた。まぶしくて、両手で顔を覆って、それでも指の間から前を見ると、そこには学校長の金の銅像が黄金に輝いていた。
「わー、これが天海さんの金の像かー、へえー、噂には聞いていたけど、派手派手ー」
 ビシッと天を指差し、とびきりの笑顔が光り輝いている。
「すごいなー、本当に全身、金ピカなんだ。こんなの、大女優の天海さんしか似合わない」
 色々な方向から銅像を眺めていると、突然 一人の男子学生が現れて、いきなり八木は壁ドンされる。
「今夜、俺んち、来いよ」
 キザに髪をかき上げて、「な?」と八木の事を見下ろす男子。
「えっ? えーっ⁉」
 びっくりして、八木が小さく縮こまっていると、ゾンビの格好をした男子学生が走って来て、
「バカっ、何やってんだよ! 誰にでも壁ドンするなって言ってんだろ! 
 すいませーん、こいつ、いま演劇の練習中でして」
「あれ? この子、俳優コースの子じゃないの?」
「違うだろ、先輩だよ先輩」
 立ち去る学生らを見て、胸に手を当てる八木。
「あー、びっくりした。俳優コースの子って、相変わらず大胆ね。それにしても壁ドンされたのって、私 初めて」
 それからも、階段の踊り場で銅像に成り切っている、スタチュー・パフォーマンスをやっている学生や、正面玄関の前で、モーツァルトを奏でる弦楽四重奏の学生らなど、それらを横目に、
「あの頃と全然変わってないなー。ホント、毎日が学園祭みたいだったな」
 玄関へと向かう八木、その入口で、パントマイムを披露している女子学生の姿。透明な壁にさわって、その壁によって玄関の中に入れない、といった卓越したパフォーマンスに、他の学生らもなかなか校舎へ入れない様子。そんな中、平気な顔をしてその子の脇を通り過ぎる八木。
「ちょっと、ごめんなさいね」
 大きな目をして、八木の背中を目で追うパントマイム女子。
 八木が靴を履き替え、玄関から廊下へ出て来た所で、
「おい、そこの女子! 危ない!」
 背後から突然大声が上がって、「え?」と八木がふり返えると、猛スピードでサッカーボールが飛んで来る。
「きゃっ!」
 注意を呼びかけた男子が 思わず天を仰ぎ、頭を抱えた。
「あー、やっちまった! おい、酒井、こんな所で本気でシュートするなよ!」
「金田の方こそ、しっかり取れよ」
「取れっかあんなの!」
 金田と呼ばれた男子、金田一也は、廊下に倒れている八木の元へと駆け寄る。
「大丈夫? 怪我はない? って、あんなボール当たったら、普通 大丈夫じゃないか。参ったな、保健室って、何時に開くんだっけ」
 そう言って金田が八木を抱き起こそうとすると、彼女は何事もなかったかのように眼鏡を掛け直して、
「うーん、なかなかいいボールね」
「え」
 人差し指でボールを回しながら、立ち上がって八木は笑顔を見せる。
「ちょっと手が痺れちゃった。危ないから、廊下でサッカーをやっちゃダメね。はい、ボール」
 あっけにとられ、何も言えずにボールを受け取る金田。
「あ……あの、怪我は?」
 もう背中を見せて、右手を振って見せる八木。
 シュートをした酒井が金田の背後に立つ。
「あれー? あの子にボールが当たったんじゃないの?」
 金田は片手でボールを持って見せながら、
「おい酒井。お前のシュートって、女子が片手で取れるレベルか?」
「なにー! 俺を誰だと思っているんだ。これでも全中(全国中学校サッカー大会)のスタメンだったんだぜ。女子だったら両手でもきついぜ」
「だよなー、何なんだ? あの子は」


 金田たちのクラス、三年C組は、連休明けともあって、チャイムが鳴ってもガヤガヤとにぎやかだった。みんな思い思いに席を離れて、机の上に座ったり、イスの上に立ち上がったり、自由な時間を過ごしていた。
「謎の女子?」
 ショートカットがよく似合う、いかにも活発そうな女子、雛形絵美は、聞き耳を立ててふり返った。
「そう。酒井の強烈なシュートを、ふり向きざまに片手で取って、平気な顔をしていた」
 金田はぐらぐらとイスを後ろに倒しながら。
「ホントに見た事が無い顔だった?」
「見た事ない。俺らと同じ三年の学年章を付けていた」
「転校生」
 雛形は人差し指を立てた。
「バカ言うなよ、どこのどいつが高校三年にもなって転校してくるんだよ」
 イスが倒れそうになって、あわてて金田は机をつかむ。
「じゃあ、海外からの留学生とか」
 雛形は人差し指をあごに当てる。
「海外? 思いっきり日本人の顔だったぞ?
 おい久遠、最近 学生会の役員会で、この学校に誰かが来るような話、してなかったか?」
 斜め前の席で本を読んでいた久遠聡一が、ちょっと顔を上げて、
「聞いてないね。会長は一切そんなこと言ってなかった」
 雛形がスカートの足を組んで、絆創膏のひざを見せる。
「それって、ヤバくない? 超極秘の学生ってこと?」
 再び本の中に視線を落として、久遠、
「まあ 金田の事だから、見間違いって事もあるけど」
「見間違いじゃねーよ。俺はちゃんとこの目で見たの。この距離だよ、この距離。赤い丸眼鏡を掛けて、くりくりとした目をしていて、髪の毛をこう後ろでしばって」
 その時クラスの担任 片桐先生が教室に入って来た。
「はい みんなー、席についてー、着席 着席」
 わらわらとみんな自分の席へ戻って行く。
「なんだー、また今年も片桐先生かー」
「原田先生が良かったなー」
 クラスのみんなから落胆の声が上がる。
 片桐は飄々とした感じで、まあ、まあ、と両手を下へ下へと動かす。
「ごめんねー みんな。今年もこのクラスの担任は僕だよ。君たちは ほら、アレがまだ終わってないからさ、仕方がないんだよ。さ、ホームルームの挨拶」
「起立、 礼、 着席」
 片桐は白髪の髪を手で整えながら、
「みんな、おはよう。春休みは満喫できたかな? 今日から新学期だけど、あと一年、今年もよろしくね。というわけで、早速 転校生が来ているから、紹介する」
 くるりと雛形が後ろを向いて、
「当たった」
 頭の後ろで手を組んで、口をとがらせる金田。
「どうぞ 八木さん、入って」
 ガラガラと入口の戸が開いて、笑顔で教室に入って来る転校生。赤い丸眼鏡を掛けて、前髪を揃えた、いかにも優等生といった雰囲気。
「なんか、引っかかるんですけどー」
 金田は机に頬杖をついて、一番後ろから転校生の笑顔を眺めていた。
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