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英雄のアルプス
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朝焼けに見る駒ヶ岳は、名峰だった。冷たく燃えさかる空に、ツンとその鋭い頂角を現わし、右半分が赤くなっている。他に山はない。思わず足を止め、祈る者があった。ぴたりと両手を合わせ、雲海に向かって、ひたすら念仏を唱えている。『山』と『死』、この二つを重ねて考えて来た日本人の着想が、今ここに明かされる思いだった。
僕と 友人のKは、肩越えの荷物を背負い、厚底の長靴を履いて、雪の伊那谷を渡っていた。足もとが暗い時分から登り始め、寒い、小雨まじりの霧の中、僕の眼鏡はしきりに曇りたがった。炭焼き小屋の明かりだろう、夜明け前のふもとの村に 赤くて小さな光が一つ、ぼうっと闇の底に浮かんでいた。それが何合登っても同じ所に光っていて、この火はまさか僕らをつけ狙ってはいまいか、そんな不気味な想像をかき立てた。そのうちに、例の朝焼けがやって来て、ふもとの村は雲海に沈んだ。未明から登りっぱなしで、集中力の切れたKが 突然、銃で撃たれたように残雪に倒れた。
「いやー冷めたくて最高! 君もやってみろ」
強風で飛ばされた木の枝、黒ずんで汚くなった葉っぱ、イノシシか何かの糞、それらによって 決してきれいとは言えない雪の上で、Kは爽快にジャケットを脱いだ。僕は比較的さっぱりした岩の上に腰を下ろした。
「損だな君みたいなのは。あれだろう、好きな子が近くにいても、(君は)最後まで話しかけないタイプだろう」
「うるさい」
それでもじっさい汗を流した服の上ではKの顔の気持ち良さそうなのには違いなかった。Kはなおも弾んだ声を出して、
「ここで露営したら、愉快だとは思わないか? ほら見ろ、氷のベッドだ」
僕は振り向きもせず、
「冗談はよせ。一応この下には水が流れている。崩落すれば死……。早く青山ヒュッテへ登ろう」
Kは興ざめした様子で、
「なぜそう急く。何かに取り憑かれたみたいに」
「………………」
「まあいい。気がまぎれた。続きを登ろう」
いま言った青山ヒュッテとは、駒ヶ岳の六合目の草本帯に位置し、水芭蕉の浅い池塘に囲まれた、一棟の丸太小屋だ。ちんぐるまの紅葉と同色の、どぎつい赤屋根は、深い霧が立ち込めても、激しい雨が降っていても、そこだけ色を塗ったように、周囲から際立って見えた。
「おーい! いま、谷の上に赤屋根が見えただろう? ほら、こっちへ回れ、そこからでは岩の根しか見えないよ」
じゃらじゃらと鎖場を鳴らして、巻き道を登る僕に向かって叫ぶK。
「馬鹿にして」
はるか上空では、不気味なほど強風が鳴っていた。
目的地である 青山ヒュッテに到着した頃、僕らはざあっとひと雨やられた。ゴロゴロした涸沢の石に、大きな雨あとが現れては、次つぎに乾いて消えて行った。青山ヒュッテの玄関は、細かい花崗岩が積み重ねてあって、他より石高に造ってあった。
ガタガタとガラス戸を鳴らして、鍵の掛かっているのを確認してから、K、前髪をつぶして中をのぞき込む。
「誰かいるのか」
「犬が一匹」
「犬? 人はいないのか」
するとそこへ、僕らの様子を不思議がった老人が コトコトと木道を踏んで、急ぎ足でやって来た。さらにその顔のどこにも、三十年間 記憶の内に親しんだ 青山ヒュッテの主人の面影が見あたらなかった。むしろ二人は大いに別人だった。したがって僕らは、この老人に、冷たい一瞥を返した。
「どうかしましたか」
老人は、桃色の鈴を垂らした『いわはぜ』という花を小鉢に入れ、それを秘宝か何かのように大事に抱えていた。
「中へ入って休むには」
「あーはい、いま開けます」
日に焼けた、眼の大きい、あご髭をたくわえた老人は、七、八十の年寄りとは思えないくらい、前後の事がはっきりしていた。
「今からですか? はあ、個室もありますが、相部屋でも同じ事です」
三十年という歳月を経て、ようやく僕らは 青山ヒュッテに荷物を運び入れる事が叶った。外から見ると屋根の低い、けれども中から見ると天井が高い、これら山小屋の特徴が、僕らの記憶と一致した。白い息が出るくらい寒い館内、すぐに薪ストーブに火が入れられて、その火を無言で眺める僕ら。老人の後を嬉しそうに犬がついて回る。このとき徐々に駒ヶ岳の雲のはぎ取られる光景が暗い部屋の窓に映っていた。僕らはやはり、ここへひと夏滞在した少年の頃の記憶を確かめ合った。
「そうですか、ここへ来られた経験がありますか」
熱い珈琲を運んで来た老人は、中央の切株の上にそれを置いた。
「子供の頃に、一度」
あまりに懐かしくて、僕は小あがりの畳をなでたりした。
「そうですか、三十年ですか。きっと、何も変わっていない事に驚いたでしょう。テレビだって、洗濯機だって、ないんですからね」
自らもストーブに当たりながら、老人は黒々と日に焼けた笑顔を見せる。館内は静まり返って、いかにも我われの他に客は無さそうだった。Kは奥の方をのぞき込んで、
「貸し切りですか」
「はい、貸し切りです」
思い出話に花を咲かせている内に、この老人が、青山ヒュッテの主人であると分かって、K、失礼なくらい変な顔をした。主人は笑いながら、
「今季までなんですね。世間様を裏切る形で、私はずっと山の上で暮らしてきました。病気になった時や、災害が起こった時には、自然のまま、天命に順って、この山で死んでしまおうと、そう思って私は今日までやって来ました。けれども山での生活をふり返って見ると、私は一度だって、病気らしい病気をした事がありません」
主人は、骨と皮のようでありながら、手足の筋肉は発達していた。
「ところが数年前から、林野庁から通達が来て、地代がどうの、報告がどうのって、私には分からない事ばかりで。弁護士さんともお話しましたが、こちらの希望は聞き入れてもらえず、それだったらって、腹をくくっていた所なんです。近年、山岳部部員のみなさんのお陰で、新ルートというものが開設されて、道標が設置されて、この山の登山も、初心者向けに紹介されるようになってからというもの、ここの役目もだんだん無くなって来ました」
Kはチラと僕を見た。何か言い出すタイミングを見計らっている。いよいよ、『あれ』を聞く気だ。
「あの、一つお聞きしても良いですか?」
脈絡のない、唐突な質問。
「……はい、何でしょう」
とぼけた表情を見せる主人、実はこの人、とある噂というものがあって、最近インターネットの世界で話題となっていた。その噂が、電子掲示板に書き込まれるやいなや、それを読んだ人たちから、『悲しすぎる』とか『すごい人生だ』などといったコメントが、殺到。さらには、その主人の生き方に感銘を受けた人たちから、山小屋支援プロジェクト、クラウドファンディングというものを通じて、この山小屋に寄付をする、というような前衛的な動きまで見られ始めた。この事を知った僕ら、少年時代にここで大変世話になった僕らは、この山小屋に寄付をしない理由はない、と思い、遅ればせながら支援金を用意した。ただ、二人で百万越えの金額を考えれば、インターネットの噂の真偽くらいは、確かめておく必要があると感じ、ここまで山を登って来たのだった。
「すいません、もう少し大きな声で」
三十年。主人の重く老いしぼんだ姿は、少なからず僕らの期待を裏切った。あの、山のようなパワーでもって、遭難しかけた僕らを抱きあげた、英雄の面影は、この老人の中から見いだす事ができなかった。
「はあ、それは一体、誰から聞いたのですか?」
「みんな知っています」
「おいK」
主人は老眼鏡を取って、ふるえる手で丁番を折って、それをテーブルの上に置いた。
「そんな昔の話、今ではもう、誰も知らないと思うのですが。そうですか、最近になって、若いあなたたちの間で、その話が話題になっているのですか。それは でも、なんだか不思議な話ですね。だって、当事者である私たちでさえ、今ではもう思い出さなくなって来ているのですから」
小さな管理人室から、ゼンマイ式の時計の音が聞こえている。
「それでは、噂は本当だったんですね」
いつになく真剣な眼差しを見せるK。
「はい。本当です。その噂の女性とは、葉子さんの事です。萩島葉子さん、確かに彼女は当時この山へ登りに来ていました。
あの日は一日、濃い霧が出ていました。激しい雨が降っていました。雷も鳴って、急速な天気の悪化で、あちこちで遭難が相次ぎました。そのうちの一組、私たち四人の登山客は、最悪な沢くだりの最中でした。頼みの綱であった沢の水も、途中で大きな滝へと変わって、四人は崖の上に顔をのぞかせました。そこで私たちは、自分たちが遭難者であるという事をはっきりと自覚しました。もう自力ではどうにもならない所まで来ていました。何とか雨風はしのごうと、大きな岩の陰に身を寄せて、そこで一夜を明かす事にしました」
火にかけたヤカンから、カンカンという音が鳴り出した。
「翌朝、私が目を覚ますと、辺りはウソみたいに晴れていました。救助隊の声が聞こえました。私は生き返ったように走って行って、みんなを起こしました。衰弱した顔に、微かな笑みを浮かべ、友人は助かったと言いました。おーいと救助隊に返事をして、両手を振って、歓喜の声を上げている中、葉子さんは、起きて来ませんでした。救助隊が駆け付け、みんなの必死の呼び掛けに対しても、彼女は目を開けてくれません。そのとき葉子さんの親友が、ショックのあまり、まるで別人のようになって、ずっと何かを叫んでいたのを、今でも私は覚えています」
鼻を鳴らして、老人を見上げる犬。
「救助された後、私たちを待ち受けていたのは、厳しい批判の嵐でした。ずさんな登山計画、山をなめた装備。低体温症への知識の欠如。彼女が死んだのは、お前らのせいだと、頭ごなしにやられました。私たちの中には、反論もありました。私たちだって、死にかけたのです。悪天候に遭って、遭難して、生きるか死ぬかの状態で、間違いのない判断などできません。でも、亡くなられた葉子さんの事を思うと、一つも言葉になりませんでした。私たちは、静かに頭を下げました。死んで償えという言葉まで飛び出しました。私の友人がとっさに殺気立ちました。なんと悲しい事でしょう。彼女の死を無念に思う気持ちは誰の胸にも変わらないのです。私たちに物を投げる人も、それを止める人も、みんな泣いていました。何十年経った今でも、私は、世間様に返す言葉がありません」
主人はある一点を見つめて、その時の様子、修羅場と化したであろうその時の様子を思い出しているようだった。
「そしてその萩島葉子さんというのは、いまKさんの言われた通り、私の恋人でありました。噂は本当です。間違いありません。葉子さんは、とても元気な方で、人前で話すのが得意な方でした。バスの添乗員になりたいのだと、事あるごとに口にしていました。東京へ出て、彼女はバスの添乗員をしたかったのです。そしていつか、父と母を東京に呼んで、親孝行をしたかったのです。それを聞いて私は、彼女の夢を全力で応援しました。明るい葉子さんなら、きっと、立派な添乗員さんになれると、私は信じていました。
そんな葉子さんは、最期までこの手をにぎって、私の名を呼んでいました。大丈夫だよとその手をにぎり返してやると、心なしか、安心した様子で、眠りにつきました。それが、最期でした」
青山ヒュッテの標高は、二○○○メートルに近い高度を保ち、夏でもつららが出来そうなくらい、冷たい風が吹きつけた。その風が、黒い湿原に輪を広げ、一斉に雪峰を目指して行くその光景は、誰の胸をも荒涼と打った。
「貴重なお話、ありがとうございました」
Kは姿勢を正し、柄にも無く、しっかりと頭を下げた。
僕らは子供の頃から考えればわずか三日ばかりを山小屋で過ごして下界へと立ち去った。
一週間が過ぎて、ちょうど僕の家に兄の家族が遊びに来ていた夜のこと。上の子が大きくなったと言い、いい大学に決まったと言って、兄は祝い金をせびりに来ていた。刺身をつついて、遅くまで盛り上がって、そこで電話が鳴った。妻はその場を後にし、廊下へ行って出たその電話口が、急に静かになった。
「おい息子よ。あの写真を見ろ。お前の叔父さんはな、登山をやるそうだ。お前も確か山は好きだっただろう? この夏、一緒に連れて行ってもらえ」
とっさに僕は首を振った。
「いやいや、もう登らないよ。一週間経っても、まだ疲労がとれない。もう歳だな」
それを聞いた甥っ子、青山ヒュッテの写真を前に、少し得意気な顔を見せていた。
「ねえ電話」
廊下から妻に呼ばれ、ふらついた足で出たその電話は、Kからだった。
Kは静かに、青山ヒュッテの主人が亡くなられた事を告げた。
『あれからすぐの事だ。新聞には、心不全と書いてある。妙だ』
ゴロゴロと雷が鳴り出した。僕はただ、そうかと言って、受話器を置いた。その時、茶の間からどっと笑い声が聞こえて来た。
この六十年、青山ヒュッテの主人は、ひと棟の山小屋にその人生を捧げた。毎日山の具合を確かめて、少しでも天候が悪くなる兆候があれば、直ちに山道を閉じた。その判断は当時どの山よりも厳しかったと言う。当然、登山客からは不満の声も上がった。力ずく、のような強行する登山者まで現れた。しかし主人は、「山は私より厳しい」と、力ずくで彼らの前に立ちはだかった。そんな山小屋の厳しさもあってか、青山ヒュッテのエリアでは、登山客に一人の死者も出なかった。六十年間、それこそ萩島葉子さんの死の以後は、ただの一人も死んでいないのである。これは近代登山の歴史において、極めて稀な事だと言われている。この功績が全国に広がりを見せ、今まさに、山の安全が見直されつつある。登山における遭難死者数は、ゼロにできると、山岳遭難防止の啓発活動がより一層活発になった。
そんな偉業を成し遂げ、あの世へと旅立った主人、そこで彼は きっと、葉子さんとの再会を果たしたのだと思う。いやはや、六十年ぶりに再会する二人、これは感動の再会だったに違いない。だいぶ歳の違いはあるようだけど、待ちわびた恋人との再会、そこでは一体、どんな会話が交わされたのだろうか。それを思い、少し落ち着きを取り戻した僕は、指先でもって涙をしりぞけ、ちょっと笑う練習などしてから、明るい酒の席へと戻って行った。
僕と 友人のKは、肩越えの荷物を背負い、厚底の長靴を履いて、雪の伊那谷を渡っていた。足もとが暗い時分から登り始め、寒い、小雨まじりの霧の中、僕の眼鏡はしきりに曇りたがった。炭焼き小屋の明かりだろう、夜明け前のふもとの村に 赤くて小さな光が一つ、ぼうっと闇の底に浮かんでいた。それが何合登っても同じ所に光っていて、この火はまさか僕らをつけ狙ってはいまいか、そんな不気味な想像をかき立てた。そのうちに、例の朝焼けがやって来て、ふもとの村は雲海に沈んだ。未明から登りっぱなしで、集中力の切れたKが 突然、銃で撃たれたように残雪に倒れた。
「いやー冷めたくて最高! 君もやってみろ」
強風で飛ばされた木の枝、黒ずんで汚くなった葉っぱ、イノシシか何かの糞、それらによって 決してきれいとは言えない雪の上で、Kは爽快にジャケットを脱いだ。僕は比較的さっぱりした岩の上に腰を下ろした。
「損だな君みたいなのは。あれだろう、好きな子が近くにいても、(君は)最後まで話しかけないタイプだろう」
「うるさい」
それでもじっさい汗を流した服の上ではKの顔の気持ち良さそうなのには違いなかった。Kはなおも弾んだ声を出して、
「ここで露営したら、愉快だとは思わないか? ほら見ろ、氷のベッドだ」
僕は振り向きもせず、
「冗談はよせ。一応この下には水が流れている。崩落すれば死……。早く青山ヒュッテへ登ろう」
Kは興ざめした様子で、
「なぜそう急く。何かに取り憑かれたみたいに」
「………………」
「まあいい。気がまぎれた。続きを登ろう」
いま言った青山ヒュッテとは、駒ヶ岳の六合目の草本帯に位置し、水芭蕉の浅い池塘に囲まれた、一棟の丸太小屋だ。ちんぐるまの紅葉と同色の、どぎつい赤屋根は、深い霧が立ち込めても、激しい雨が降っていても、そこだけ色を塗ったように、周囲から際立って見えた。
「おーい! いま、谷の上に赤屋根が見えただろう? ほら、こっちへ回れ、そこからでは岩の根しか見えないよ」
じゃらじゃらと鎖場を鳴らして、巻き道を登る僕に向かって叫ぶK。
「馬鹿にして」
はるか上空では、不気味なほど強風が鳴っていた。
目的地である 青山ヒュッテに到着した頃、僕らはざあっとひと雨やられた。ゴロゴロした涸沢の石に、大きな雨あとが現れては、次つぎに乾いて消えて行った。青山ヒュッテの玄関は、細かい花崗岩が積み重ねてあって、他より石高に造ってあった。
ガタガタとガラス戸を鳴らして、鍵の掛かっているのを確認してから、K、前髪をつぶして中をのぞき込む。
「誰かいるのか」
「犬が一匹」
「犬? 人はいないのか」
するとそこへ、僕らの様子を不思議がった老人が コトコトと木道を踏んで、急ぎ足でやって来た。さらにその顔のどこにも、三十年間 記憶の内に親しんだ 青山ヒュッテの主人の面影が見あたらなかった。むしろ二人は大いに別人だった。したがって僕らは、この老人に、冷たい一瞥を返した。
「どうかしましたか」
老人は、桃色の鈴を垂らした『いわはぜ』という花を小鉢に入れ、それを秘宝か何かのように大事に抱えていた。
「中へ入って休むには」
「あーはい、いま開けます」
日に焼けた、眼の大きい、あご髭をたくわえた老人は、七、八十の年寄りとは思えないくらい、前後の事がはっきりしていた。
「今からですか? はあ、個室もありますが、相部屋でも同じ事です」
三十年という歳月を経て、ようやく僕らは 青山ヒュッテに荷物を運び入れる事が叶った。外から見ると屋根の低い、けれども中から見ると天井が高い、これら山小屋の特徴が、僕らの記憶と一致した。白い息が出るくらい寒い館内、すぐに薪ストーブに火が入れられて、その火を無言で眺める僕ら。老人の後を嬉しそうに犬がついて回る。このとき徐々に駒ヶ岳の雲のはぎ取られる光景が暗い部屋の窓に映っていた。僕らはやはり、ここへひと夏滞在した少年の頃の記憶を確かめ合った。
「そうですか、ここへ来られた経験がありますか」
熱い珈琲を運んで来た老人は、中央の切株の上にそれを置いた。
「子供の頃に、一度」
あまりに懐かしくて、僕は小あがりの畳をなでたりした。
「そうですか、三十年ですか。きっと、何も変わっていない事に驚いたでしょう。テレビだって、洗濯機だって、ないんですからね」
自らもストーブに当たりながら、老人は黒々と日に焼けた笑顔を見せる。館内は静まり返って、いかにも我われの他に客は無さそうだった。Kは奥の方をのぞき込んで、
「貸し切りですか」
「はい、貸し切りです」
思い出話に花を咲かせている内に、この老人が、青山ヒュッテの主人であると分かって、K、失礼なくらい変な顔をした。主人は笑いながら、
「今季までなんですね。世間様を裏切る形で、私はずっと山の上で暮らしてきました。病気になった時や、災害が起こった時には、自然のまま、天命に順って、この山で死んでしまおうと、そう思って私は今日までやって来ました。けれども山での生活をふり返って見ると、私は一度だって、病気らしい病気をした事がありません」
主人は、骨と皮のようでありながら、手足の筋肉は発達していた。
「ところが数年前から、林野庁から通達が来て、地代がどうの、報告がどうのって、私には分からない事ばかりで。弁護士さんともお話しましたが、こちらの希望は聞き入れてもらえず、それだったらって、腹をくくっていた所なんです。近年、山岳部部員のみなさんのお陰で、新ルートというものが開設されて、道標が設置されて、この山の登山も、初心者向けに紹介されるようになってからというもの、ここの役目もだんだん無くなって来ました」
Kはチラと僕を見た。何か言い出すタイミングを見計らっている。いよいよ、『あれ』を聞く気だ。
「あの、一つお聞きしても良いですか?」
脈絡のない、唐突な質問。
「……はい、何でしょう」
とぼけた表情を見せる主人、実はこの人、とある噂というものがあって、最近インターネットの世界で話題となっていた。その噂が、電子掲示板に書き込まれるやいなや、それを読んだ人たちから、『悲しすぎる』とか『すごい人生だ』などといったコメントが、殺到。さらには、その主人の生き方に感銘を受けた人たちから、山小屋支援プロジェクト、クラウドファンディングというものを通じて、この山小屋に寄付をする、というような前衛的な動きまで見られ始めた。この事を知った僕ら、少年時代にここで大変世話になった僕らは、この山小屋に寄付をしない理由はない、と思い、遅ればせながら支援金を用意した。ただ、二人で百万越えの金額を考えれば、インターネットの噂の真偽くらいは、確かめておく必要があると感じ、ここまで山を登って来たのだった。
「すいません、もう少し大きな声で」
三十年。主人の重く老いしぼんだ姿は、少なからず僕らの期待を裏切った。あの、山のようなパワーでもって、遭難しかけた僕らを抱きあげた、英雄の面影は、この老人の中から見いだす事ができなかった。
「はあ、それは一体、誰から聞いたのですか?」
「みんな知っています」
「おいK」
主人は老眼鏡を取って、ふるえる手で丁番を折って、それをテーブルの上に置いた。
「そんな昔の話、今ではもう、誰も知らないと思うのですが。そうですか、最近になって、若いあなたたちの間で、その話が話題になっているのですか。それは でも、なんだか不思議な話ですね。だって、当事者である私たちでさえ、今ではもう思い出さなくなって来ているのですから」
小さな管理人室から、ゼンマイ式の時計の音が聞こえている。
「それでは、噂は本当だったんですね」
いつになく真剣な眼差しを見せるK。
「はい。本当です。その噂の女性とは、葉子さんの事です。萩島葉子さん、確かに彼女は当時この山へ登りに来ていました。
あの日は一日、濃い霧が出ていました。激しい雨が降っていました。雷も鳴って、急速な天気の悪化で、あちこちで遭難が相次ぎました。そのうちの一組、私たち四人の登山客は、最悪な沢くだりの最中でした。頼みの綱であった沢の水も、途中で大きな滝へと変わって、四人は崖の上に顔をのぞかせました。そこで私たちは、自分たちが遭難者であるという事をはっきりと自覚しました。もう自力ではどうにもならない所まで来ていました。何とか雨風はしのごうと、大きな岩の陰に身を寄せて、そこで一夜を明かす事にしました」
火にかけたヤカンから、カンカンという音が鳴り出した。
「翌朝、私が目を覚ますと、辺りはウソみたいに晴れていました。救助隊の声が聞こえました。私は生き返ったように走って行って、みんなを起こしました。衰弱した顔に、微かな笑みを浮かべ、友人は助かったと言いました。おーいと救助隊に返事をして、両手を振って、歓喜の声を上げている中、葉子さんは、起きて来ませんでした。救助隊が駆け付け、みんなの必死の呼び掛けに対しても、彼女は目を開けてくれません。そのとき葉子さんの親友が、ショックのあまり、まるで別人のようになって、ずっと何かを叫んでいたのを、今でも私は覚えています」
鼻を鳴らして、老人を見上げる犬。
「救助された後、私たちを待ち受けていたのは、厳しい批判の嵐でした。ずさんな登山計画、山をなめた装備。低体温症への知識の欠如。彼女が死んだのは、お前らのせいだと、頭ごなしにやられました。私たちの中には、反論もありました。私たちだって、死にかけたのです。悪天候に遭って、遭難して、生きるか死ぬかの状態で、間違いのない判断などできません。でも、亡くなられた葉子さんの事を思うと、一つも言葉になりませんでした。私たちは、静かに頭を下げました。死んで償えという言葉まで飛び出しました。私の友人がとっさに殺気立ちました。なんと悲しい事でしょう。彼女の死を無念に思う気持ちは誰の胸にも変わらないのです。私たちに物を投げる人も、それを止める人も、みんな泣いていました。何十年経った今でも、私は、世間様に返す言葉がありません」
主人はある一点を見つめて、その時の様子、修羅場と化したであろうその時の様子を思い出しているようだった。
「そしてその萩島葉子さんというのは、いまKさんの言われた通り、私の恋人でありました。噂は本当です。間違いありません。葉子さんは、とても元気な方で、人前で話すのが得意な方でした。バスの添乗員になりたいのだと、事あるごとに口にしていました。東京へ出て、彼女はバスの添乗員をしたかったのです。そしていつか、父と母を東京に呼んで、親孝行をしたかったのです。それを聞いて私は、彼女の夢を全力で応援しました。明るい葉子さんなら、きっと、立派な添乗員さんになれると、私は信じていました。
そんな葉子さんは、最期までこの手をにぎって、私の名を呼んでいました。大丈夫だよとその手をにぎり返してやると、心なしか、安心した様子で、眠りにつきました。それが、最期でした」
青山ヒュッテの標高は、二○○○メートルに近い高度を保ち、夏でもつららが出来そうなくらい、冷たい風が吹きつけた。その風が、黒い湿原に輪を広げ、一斉に雪峰を目指して行くその光景は、誰の胸をも荒涼と打った。
「貴重なお話、ありがとうございました」
Kは姿勢を正し、柄にも無く、しっかりと頭を下げた。
僕らは子供の頃から考えればわずか三日ばかりを山小屋で過ごして下界へと立ち去った。
一週間が過ぎて、ちょうど僕の家に兄の家族が遊びに来ていた夜のこと。上の子が大きくなったと言い、いい大学に決まったと言って、兄は祝い金をせびりに来ていた。刺身をつついて、遅くまで盛り上がって、そこで電話が鳴った。妻はその場を後にし、廊下へ行って出たその電話口が、急に静かになった。
「おい息子よ。あの写真を見ろ。お前の叔父さんはな、登山をやるそうだ。お前も確か山は好きだっただろう? この夏、一緒に連れて行ってもらえ」
とっさに僕は首を振った。
「いやいや、もう登らないよ。一週間経っても、まだ疲労がとれない。もう歳だな」
それを聞いた甥っ子、青山ヒュッテの写真を前に、少し得意気な顔を見せていた。
「ねえ電話」
廊下から妻に呼ばれ、ふらついた足で出たその電話は、Kからだった。
Kは静かに、青山ヒュッテの主人が亡くなられた事を告げた。
『あれからすぐの事だ。新聞には、心不全と書いてある。妙だ』
ゴロゴロと雷が鳴り出した。僕はただ、そうかと言って、受話器を置いた。その時、茶の間からどっと笑い声が聞こえて来た。
この六十年、青山ヒュッテの主人は、ひと棟の山小屋にその人生を捧げた。毎日山の具合を確かめて、少しでも天候が悪くなる兆候があれば、直ちに山道を閉じた。その判断は当時どの山よりも厳しかったと言う。当然、登山客からは不満の声も上がった。力ずく、のような強行する登山者まで現れた。しかし主人は、「山は私より厳しい」と、力ずくで彼らの前に立ちはだかった。そんな山小屋の厳しさもあってか、青山ヒュッテのエリアでは、登山客に一人の死者も出なかった。六十年間、それこそ萩島葉子さんの死の以後は、ただの一人も死んでいないのである。これは近代登山の歴史において、極めて稀な事だと言われている。この功績が全国に広がりを見せ、今まさに、山の安全が見直されつつある。登山における遭難死者数は、ゼロにできると、山岳遭難防止の啓発活動がより一層活発になった。
そんな偉業を成し遂げ、あの世へと旅立った主人、そこで彼は きっと、葉子さんとの再会を果たしたのだと思う。いやはや、六十年ぶりに再会する二人、これは感動の再会だったに違いない。だいぶ歳の違いはあるようだけど、待ちわびた恋人との再会、そこでは一体、どんな会話が交わされたのだろうか。それを思い、少し落ち着きを取り戻した僕は、指先でもって涙をしりぞけ、ちょっと笑う練習などしてから、明るい酒の席へと戻って行った。
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