嫌われ用務員令息と愛され男装令嬢が、恋に落ちたなら

橘都

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 お読みいただきありがとうございました。

 *****



 礼拝堂の裏側の片隅で、彼は硝子に色をつける作業をしていた。
 専門の業者に頼めることだが、学園は生徒を守るために人の出入りに制限を設けている。それに、硝子の欠けぐらいは彼にも直せることを用務の責任者も知っているから命じたのだ。欠けたのは硝子絵の重要な部分ではないが、放っておくのも気が咎める、そういう単純な理由だからこそ業者には頼まなかったのだろう。
 奨学金を受ける身として、表向きはこういった用務員の仕事をすることになっている。奨学金を受けながら自由に過ごされては、一般の生徒たちから見れば不平等であるとの理由だ。奨学金学生は特別扱いだと誤解されないようにと。

 彼の実家では、領主家であろうとやれることがあればなんでもする。炊事も洗濯もできるし、なんなら裁縫もやれる。自分の服も自分で縫おうと思えばできるが、さすがに手間がかかるので面倒だという理由で衣服を買っているだけだ。

 幼馴染が無頓着だと呆れる理由は自分でもわかっている。
 多くの人に嫌われているという現状は、自分自身に呆れはすれど、だからといってみんなに愛されたいとは思わない。多くの人に愛されているあの人は、あれで苦労もあるんじゃないかと勝手に同情する。

 自分は、どこか心が欠けた人間なんだろうかと、欠けた硝子を見て思う。
 そういえば、最近怒ったことがない。力の無駄遣いな気がして、最近は感情の変動がない。枯れてんのかよと自分で自分に突っ込んだ。それなのに自嘲も起きない。不思議だ。

 ジャリっと石を踏む、誰かが近づいてきた足音がして、その方向を見ると、数人の男子生徒がこちらに向けて歩いてきていた。面倒な予感しかない。

「お前、いい加減に学園をやめろよ。人の迷惑にしかならない奴が、なんで図々しく過ごしていられるんだ!」

 確かに、幼馴染には変な迷惑をかけている気がする。

「セイラさんも彼女も、お前のせいで悪く思われてしまうじゃないか! お前が努力しないことで、なんで彼女たちが悪者になるんだよ!」

 噂話のことだろうか。
 嫌われていることに慣れてしまって、なんだか、もう返事をするのも面倒になってしまった。
 溜め息をついて作業に戻ると、染料の入った缶などを男子生徒の一人に蹴飛ばされた。

「聞けよ! そういうところが嫌われてんのがわかんないのかよ!」

 ガツッと髪を掴まれて引き摺られそうになるのを、相手の腕を素早く捕え直して逆にこちらに引く。動かない自分の腕に驚いたような声を出し、髪を掴む手を放してきたのでこちらも放す。

「なんでそんな反応が速いんだよ、嫌われのくせにっ」

 別に隠しているわけでもなんでもない。多少武道の心得があるからだ。
 髪が乱れたし、さっき触っていた染料も髪についてしまったので、無造作に前から後ろに掻き上げた。
 途端に、男子生徒たちの顔色が変わった。

「おまっ、なんでっ、なんだよその顔!」
「うわあ……」

 憤っている子と、それをちょっと後ろから傍観していた子たちの声音が変わった。ちょっとした感嘆の声となんだか呆れ声だ。
 彼は自分の容姿はわかっていた。自惚れてはいないが、人並み以上ではあると思う。

「そんな顔しといて、なんで隠してんだよ! もったいな」

 バクッと手で口を塞いだ少年は、その先は意地でも言わないと固く結んでしまって、なにも言わなくなった。

「悔しいよねえ、そりゃねえ」

 揶揄うような背後の仲間たちの声に、憤る少年はさらに憤った。

「うるせえ、もういい! いくぞ!」
「はいはい」

 憤る少年も、悪い子ではないのだろう。蹴り払った染料缶の謝罪は一言もないが。
 さっき調合した色は、しばらく入手できない。今度こそはっきりとした溜め息をつき、色づけしようとしていたまだ透明な硝子を見る。
 他の色はまだいい。いまある原色でなんとかなるからだ。だけど、黒だけは、色が足りない。

 しゃがんで地に両膝を付き、近くにあった硝子の一片を手に取る。
 黒色を塗ろうとしていた硝子を引き寄せ、その上で硝子の端で親指の表側を深めに切った。掌側を切れば作業に支障が出るからだ。
 落ちていく自分の血液を見つめ、染めようとしている硝子の端に指先を置いた。硝子の表面にあった何滴かの血液は、ゆっくりと混ざるように動き、硝子の内部に浸透し始める。その間はガラスが鈍く発光し、その光が収まると、硝子は光が散りばめられたような黒色に染まっていた。

「綺麗だね」

 背後からの声に彼は驚かなかった。気配は感じていたからだ。女性の口調ではないが女性の声だ。

「失敗した。真っ黒じゃない」

 別に会話をするつもりはなかったが、独り言の延長のようなものだ。

「いまじゃ廃れてしまった魔術が使えるんだね。すごいね」
「魔法でも魔術でもない、ただの錬金術だ」

 錬金術は、物質を術者の血によって変化させるだけだ。材料さえあれば、普通の人間ができることを、ただ短時間にできるだけ。貴重でもなんでもない。
 それでも、きらきらとした視線で見られては居心地が悪い。

「格好いいよ」

 にこりとこちらに向けて笑う男装の少女に言われて照れたわけではないが、非常に、そう、非常に困惑した。

「また梯子に登って修理するの?」
「そう、だが」

 なぜあんたが知っている。

「あんな高いところ、わたしなら怖くて無理だな」

 誰もあんたに梯子を登れとは言わないだろうが。
 だから、なんであんたが。

「梯子から落ちるかもと思って、声はかけなかったんだ。本当は話しかけたかったけど、いつか機会はあるだろうから諦めた」

 なにを諦めたって?
 目の前の男装令嬢に、礼拝堂にいた女性の衣服と髪を当てはめてみる。
 なぜだかしっくりとくる。むしろ、お似合いだ。
 お似合いって、なんだよ!
 きらきらとした目で見てくる視線を避けて、髪を元のように無造作に下ろす。
 これで彼女の姿は視界には映らない。

「残念」

 なにが残念だ!
 聞こえてきた声に苛立ち、思わず声が出た。

「帰れ!」
「了解」

 あっさりと去っていく気配がするが彼は動けずにいた。
 なにしにきたんだあいつは!
 黒い硝子を睨みつけたが、硝子はけっして答えない。
 そしてなぜイライラしてるんだ俺は!
 久しぶりに心が騒めいているのに、その理由は思いつかない。
 なんだか疲れて、面倒だからもうずっと嫌われ人間でいいと彼は思った。



 彼女は、たまにふらりと散歩に出る。
 いつもの格好では必ず誰かに気づかれるので、女の子の服を着て、長めの鬘を被って、女の子のようにただ歩く。早朝が多いので、寮をこっそりと出ても誰にも見つからないと思っていたが、いつしか幽霊の話が噂になっていた。
 まあ、幽霊みたいなものかと、自分のことを思う。

 彼女には兄がいた。過去形なのはもう随分前に亡くなったからだ。
 母はそのことで精神を病んだ。もういない兄の夢を見て、兄の姿を現実で探した。
 それでも社交界に再び出られるようになり誰もが安堵していたが、その出ていた夜会で、母は彼女のことを兄の名で呼んだ。周りは一気に凍りついた。
 彼女は兄に面差しがよく似ていた。女性らしく装っていた彼女を見ても、母は兄と思い込んだ。
 誰も彼女が兄ではないと、母に指摘できなかった。壊れてしまうと、わかっていた。
 父は泣いて彼女に詫びた。彼女は微笑んだ。

「お兄様は、わたくしの中にもいらっしゃいます。だから、母上を責めないで」

 そうして、彼女は、母のために兄になった。

 彼女は、母の愛を一身に受けている。娘がいることを、母はわかっている。でも娘は王都ではなく、領地に留守番していると母の中で成立している。そして、領地に一人でいる娘のことを案じ、愛してくれている。母は、彼女の分と兄の分、二倍もの愛を彼女に注いでくれている。

 それでも、たまに、ふらりと散歩に出たくなる。
 兄の格好をしている、愛され令嬢ではなく、ただ一人の女の子として。

 礼拝堂は、綺麗な硝子絵が素敵で好きな場所のひとつだ。
 ただ、正面扉から入るのは気が引けて、裏手からそっと入る。神父様はいつも苦笑して見逃してくれる。
 礼拝堂に入り、席に座り、見事な硝子絵を見上げるのがいつもの行動だった。
 だがその日は、違和感があった。
 なんだろうと思うが、きょろきょろと頭を動かす気にはなれず、まあいいかと目を閉じる。

 空へと昇ってしまった兄に願うことはない。
 母が回復するようにと思ったこともない。
 彼女は幸せだった。
 ただ、ほんの少し、自分というものがどこにいるのか、確かめたくなる。
 いつも人に囲まれていた。でもたまには一人にもなりたい。そう思って始めた散歩。

 目を開け、あと少しだけと硝子絵を見上げると、外の明かりを受けてきらめく硝子絵の端に、一人の男の人の姿があった。
 高い高い梯子の端っこで、両手を伸ばし、真剣な面持ちで硝子絵を確かめているその人の姿が、なにかに手を伸ばしたくなる自分の姿に重なった。
 それは彼に失礼なことだと、彼女は彼の姿をじっと見つめ直した。

 見上げる顔の輪郭は凛々しく、髪は顔を隠してはいるが、整った形状は遠くからでも想像できた。
 体の線はまだ成長し切っていないとわかるが、背丈は随分とある。あの無茶な姿勢を維持していることで、筋力も相当にあるのだろうと推察できた。

 美しいと、彼女は思った。
 自分が男であればと、考えることも烏滸がましいと思っていた。兄は兄で、自分は自分だと。
 それでも、硝子絵に映える彼に、憧れを抱いた。羨んだ。
 そんな感情が自分にもあったのかと、彼女は驚き、また嬉しくも思った。
 声をかけたくても、邪魔をしてしまえば彼が梯子から落ちてしまう。

 彼女はまた下を向いて、しばらく彼と同じ空間にいた。
 彼はこちらに気づいているかわからない。気づいていたとしたら、気を遣って声を掛けないのかと思うと、なぜか嬉しくて、笑いそうになる。
 このままでは本当に彼の邪魔をしてしまうと、彼女は礼拝堂を離れることにした。
 心を置いていってしまいたいと、初めて願った。
 そして、感謝の気持ちで彼を思った。
 自分を見つけた気がして、心から滲み出てくるように嬉しかった。
 また、きっと会える。

 だから、しゃがんでいる後ろ姿の彼に、思いきって声をかけた。
 やはり彼は美しかった。きらめくその黒硝子のように。
 彼に嫌われたくないと、彼女は思った。
 セイラを泣かせた一人だから怒りたい気持ちにもなり、少年たちが彼を責めるのをやめさせたいとも思った。

 彼を思うと、彼女の感情は激しく動く。
 とくんとくんと、彼を見つめると胸の音もよく聞こえる。

 あなたも、そうだといいな。



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