蜜色キャンバス〜御曹司とオメガの禁断主従〜

霜月@如月さん改稿中&バース準備中

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54話 『君が注いだ、命の色彩』



 妊娠が綾明に認められてから、屋敷での空気は静かに変わった。


 使用人の数が倍に増えたのは、きっと俺の体を気遣ってのこと。けれどその優しさが、逆に息苦しくなる瞬間が増えたのも事実だった。


 目が合えば丁寧に頭を下げられ、すれ違えば先回りして道を譲られる。


「何かお持ちしますか?」
「椅子にお座りください」


 誰もが、俺を大切に扱ってくれる。でもそれは、俺自身ではなくーー腹の中にいる子どもへ向けられているように感じた。


 俺の存在が、どこか薄れていくような。まるで、透明になっていくみたいだった。


 藤浪の屋敷に仕える使用人は、どの方も由緒ある名家に育ち、礼儀作法も完璧な人ばかりで。


 そうした中で、何の後ろ盾もない俺が、なぜこの屋敷にいるのか。今さらになって、自分の存在が不確かなものに思えてくる。


 そんなある朝だった。ノックの音もそこそこに、ドアが静かに開く。


「おはようございます、水都様。朝のお茶をお持ちしました」


 銀のトレイを抱えて白峰が部屋へ入ってきた。相変わらず、穏やかで、作り物のような笑みを浮かべている。


「これは?」
「漢方を取り入れた養生茶です。ご懐妊中のお身体に良いと、薬草院の先生から特別に取り寄せたものです」


 カップの表面には、わずかに濁りが浮いていた。香りも、どこか鼻につく独特な匂いがする。俺が躊躇っているのを察して、白峰は微笑みを深めた。


「もちろん、綾明様にもお目通しをいただいております。ご安心ください」


 ……違う。


 胸の奥で、なにかがはっきりと拒否していた。綾明さんが、こんな得体の知れないものを俺に勧めるはずがない。


 でも、確信はない。ただの勘じゃ、白峰の言葉を否定するには弱すぎる。ここで騒げば面倒なことになって、俺の立場が、また曖昧になる。


 ……もし、本当に綾明さんが確認したお茶なら、飲まないのは失礼かもしれない。


 曖昧に頷いて、カップに口をつけた。舌に乗った瞬間、苦みが走る。うぇ、まっず。後から喉の奥がぴりつくような感覚が残った。


「……ちょっと、苦いね」
「効いている証拠です。お子様のためかと」


 白峰は、あくまで穏やかに微笑む。でもその笑みの奥に、氷のような冷たさを感じた。白峰は一礼すると、静かに部屋を出て行った。


 その背を見送る俺の胸に、ざわりと波のような不安が広がった。


 *


「……このお茶、本当に安全なのかしら」


 不安げに養生茶の小袋を手に取る。前に白峰が水都さんへ出したハーブティーも、どこかおかしかった。香りが強すぎて、普通のハーブじゃなかった。


 今回のこれはーーやっぱり調べてみないと。


 こっそり、養生茶をビニール袋に少しだけ移す。気づかれないよう、慎重に。そして何事もなかったように棚へ戻した。


 ーーーーーーーーーーーー
 ーーーーーーーー
 ーーーー
 *


 ーー数日後


「水都さん! そのお茶、絶対にもう飲まないでください!」


 突然、部屋に飛び込んできた菫の声が、鋭く空気を裂いた。手にしていたカップを咄嗟に置く。


「……え?」


 菫の後ろから現れた綾明の表情が、いつになく険しい。そんなにこのお茶に問題が?


「白峰が出していた『養生茶』の成分を調べたんだ」


 綾明の声は、怒りを抑え込むように震えていた。


「微量だけど、流産を促す成分が含まれていた。……君を害そうとしていた可能性が高い」


 心臓が、音を立てて跳ねた。流産を促す成分……? それって毒ってこと……?


「でも……綾明さんが確認したって、白峰さんが……」
「僕が選んだものなら、僕が君の元へ直接持っていくよ、水都。あれは……僕じゃない」


 全身から力が抜ける。恐怖よりも、信じていた『平穏』が、幻だったことが何よりショックだった。綾明が一歩、俺の前に出て、静かな声で言った。


「白峰を……この屋敷から追い出す」


 綾明の言葉には、決意の刃を感じた。


 だけど、どうしてもーーどうしても、白峰の『優しさ』が演技だったとは、すぐに受け入れられなかった。


 体調の悪いとき、白峰は確かに俺を気遣ってくれていた。あの手の温度が、嘘だったと信じたくなかった。


 でも、もう、戻れないーー。


 ーーーーーーーーーーーー
 ーーーーーーーー
 ーーーー


 その日を境に、綾明の瞳の奥に灯る熱が変わった。


 微笑みの裏に、強く静かな怒りがある。それが、俺を守るために燃やされていると分かるだけで、涙が出そうだった。


 夜になり、気分を変えようと、ひとりでテラスに出た。冷たい風が肌を撫で、頬がひやりとする。手をお腹にそっと、あてた。ほんの少しだけ丸みを帯びた身体。自分の中にある小さな命。


「……この子は、ちゃんと、歓迎されるのかな」


 ぽつりと零れた言葉に、返事があった。


「君の子が生まれるんだよ。毎日が、宝物だ」


 振り向くと、綾明がいた。静かに歩み寄り、俺の隣へ来る。僅かに伏せられた瞳が、一瞬だけ迷いを映し、その後、真っ直ぐ俺を見つめた。


 その琥珀色の瞳の奥で揺れているのは、不器用で素直な愛情だった。


「ねぇ、水都。僕はちゃんと君に伝えたい」
「うん」
「君が妊娠して、僕は本当に嬉しかった。でも……同時に、怖かった」
「……怖かった?」
「君と子どもを守れなかったらって考えたら、息ができなくなるくらい怖かった。白峰のことだって……君を苦しませたのは、僕の責任だ。ごめん」


 綾明の手が、そっと俺の手に触れる。温かい指が、指の隙間を埋めるように絡まった。


「君は、僕の命を救ってくれた。壊れかけてた僕に、色をくれた。だから今度は、僕が君を守りたい」


 綾明は一度、目を閉じて、深く息を吸った。そして、再び俺を見つめ、口を開いた。


「君は……僕の『番』だ」


 心臓が、大きく跳ねた。


「……え、今……」
「ちゃんと聞いて。僕の番になってほしい、水都」


 感情が、胸の奥から一気に溢れてくる。


「……俺なんかでいいの?」
「君じゃなきゃ、だめだよ」


 たまらず、涙が頬を伝った。綾明がそっと額を寄せる。瞼を閉じると、唇が静かに触れ合った。


「これは誓いだ。君を、誰にも奪わせない。白峰のことが終わったら、ちゃんと番になろう」
「……うん」
「僕たちは、番になる運命だよ」
「ほんとに?」


 俺の問いに綾明が優しく笑った。夜風が髪を撫で、月が微笑むように照らす。その光の中で、俺たちの影はひとつになり、寄り添っていたーー。

 
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