蜜色キャンバス〜御曹司とオメガの禁断主従〜

霜月@如月さん改稿中&バース準備中

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55話 『沈黙の茶会』



「最近、綾明さん……屋敷に居ないなぁ……」


 仕事が立て込んでいるのか、綾明さんは屋敷を空ける日が続いていた。綾明さんのいない昼下がりは、ひどく静かで。陽射しさえ重たく感じる。


 気がつけば、少しだけ胸が沈んでいた。


 食欲も湧かず、体調も芳しくない。ベッドで横になっていると、コンコンと扉がノックされ、静かに白峰が部屋へ入ってきた。


「水都様、お茶をお持ちいたしました。ご体調が優れないと伺って……」
「……あ、ありがとう」


 白い陶器のティーカップが、サイドテーブルにそっと置かれる。ふんわり立ち昇る甘い香りの奥に、かすかに薬草のような匂いが混じっていた。


 ーーあの養生茶のことが、脳裏をよぎる。


 あの時と同じく、このお茶にもどこか警戒心を抱いてしまう。


「最近、綾明様……お顔を見せませんね」
「……うん。仕事が忙しいみたいで」
「まあ……お忙しい方ですから。お気になさらずとも。でも、あまり『求めすぎない方が』よろしいかと」
「……え?」


 微笑みを絶やさぬまま、白峰はティーカップに手を添え、いつの間にか俺のベッドへ腰を下ろしていた。


「ご自分の体と、お腹のお子様のことだけをお考えになる時期です。……綾明様のお心までも求めようとなさるのは、少々、酷というものでは?」


 その口調はどこまでも穏やかで優しい。けれど、言葉の芯には、氷のような冷たさがあった。


 ーーああ、そうか。


 俺が、求めすぎているのかもしれない。使用人で、オメガで、ただ孕んでいるだけの存在が、あの人の『愛』を欲しがるなんて……傲慢だったのかもしれない。


 そう思った瞬間、ほんのわずかに指が震えた。


「何より、綾明様にとっての『未来』は、ーーこのお子様の方にあるのですから」


 その言葉には、何も言い返せなかった。だって、俺自身がそうかもしれない、と思ってしまったから。ただ黙って、手の中のティーカップを見つめる。


 ーーこれ以上、何かを望んだら、今まで築いてきたものすら、壊れてしまうのかもしれない……。


 白峰は自分のカップの中身を静かに飲み干し、クスリ、と笑って部屋を後にした。


 ーーーーーーーーーーーー
 ーーーーーーーー
 ーーーー

 ーー数日後


 屋敷の中で、わずかな『異変』に気づき始めた。


 すれ違う使用人たちの目が、冷たい。言葉をかけようとすれば、気まずそうに目を逸らされた。背中に、針のような視線が突き刺さる。


「『妊娠してるから』って、何様のつもり?」
「藤浪に仕えてるくせに、あの態度。ほんとに名家出身なのかしら?」
「……子供が跡継ぎに選ばれなかったら、どうなるのかしらね」


 耳を塞ぎたくなるような声が、隠すそぶりもなく飛び交う。何もしていない。けれど、まるで罪人を見るような視線が、俺を刺す。


 そんな中、白峰が、いつものように微笑みを浮かべて近づいてきた。


「どうかされましたか? 水都様。お顔色が優れないようで……」
「……白峰さん。…最近、なんか……みんな、冷たくて……」
「……ああ。もしかして……使用人たちのこと、でしょうか?」


 白峰がわざとらしく口元に手を添えて、目を細める。まるで『それ』を待っていたかのように、ゆっくりと息を吐いた。


「……お気づきでしたか。どうしますか? お知りになりたいですか?」


 低く抑えられた声には、どこか含みがある。怖い。でも、知らずにいる方が、もっと怖い。一瞬だけ躊躇い、そして小さく頷く。


 白峰は、重ねるように静かに口を開いた。


「使用人たちは、水都様がーー『ご自分が上の立場』だと、勘違いされているのではと……不安に感じているようで」


 その言葉は、刃のように胸を抉った。そんなつもりはない。でも、それを言葉にしても、きっと届かない。


「……そんなつもりない、俺……」
「ええ、もちろん。私には分かります。ただ……皆には、そう『映ってしまっている』ようで」


 白峰は視線を伏せ、ほんの少しだけ首を傾けた。その沈黙が、何より雄弁だった。


「お腹のお子様のことも、『綾明様が本当に望まれているのか』と……不安の声が広がっているのです」
「…………っ」


 息が詰まり、手が震える。言わなくても分かる。白峰は、それを『言いたかった』のだ。


「不安というのは、妬みや誤解と混ざりやすいものです。……放っておけば、増幅してしまう」


 どこか愉しげな声音に、思わず顔を上げる。白峰は優雅な手つきで袖を整えながら、最後の言葉を落とした。


「どうか……無理をなさらず。いっそ、少しのあいだ『お控えになる』ことも、ご検討を」


 その言葉の意味はーー「藤浪から引け」と、同義だった。

 
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