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56話 『儀礼の檻——終幕の前奏曲』
今日の俺は、少しだけ体調が良くて、久々に屋敷の中庭へ出た。秋風が静かに肌を撫でていく。澄んだ空気が心地よくて、けれど、どこか遠く感じられた。
「気分転換になりましたか?」
その声に、ふと足が止まる。また……白峰だ。まるで隙を狙ったかのように、俺のもとへと歩み寄ってくる。
「……うん、ちょっとだけ」
「それは何よりです。……ですが、水都様。少し、気になることがありまして」
柔らかな笑みを浮かべたまま、白峰が一歩、距離を詰める。その微笑みには気品があった。けれど、同時に、底知れぬ『怖さ』を感じた。
「胎教には、感情の安定がとても大切なんですよ」
「……それは、知ってる」
「少し申し上げても……よろしいでしょうか?」
胸の奥がざわりと波立つ。嫌な予感が、背中を這い上がるようだった。戸惑いながら頷くと、白峰の声がわずかに冷えた。
「綾明様は……最近、お忙しいようですね。お見舞いにも、あまりいらっしゃらない」
「……それは、仕事が……」
「ええ、もちろん。大切なお仕事ですとも。……ですが、『お腹の子』が、本当に『跡継ぎとして認められるのか』」
その言葉に、空気が凍りつく。喉の奥がつかえて、言葉が出ない。
「世間というのは、冷たいものです。生まれてくる子が『正式な筋』かどうか。それは、『家柄』や『格』までもが問われる問題です」
白峰の瞳は笑っていた。けれど、その奥にあるのは……冷ややかな侮蔑だった。
「もし……『その価値がない』と判断されたら、どうなるか。ーー水都様は、子を産んだ『その瞬間』に、役目を終えるのです」
心臓が跳ねた。いや、止まりかけた。
「……冗談、だよね?」
「とんでもない。ただ、現実をお伝えしているだけです」
甘い声が、ゆっくりと、確実に喉元を締めつけてくる。
「ご不安であれば……今のうちに『身の振り方』をお考えになるのもひとつかと」
「…………っ」
白峰は、一歩退いて気配を薄くした。けれど、彼の残した言葉の重みは、ずしりと俺の中に残る。
「もちろん、私は……水都様のお味方ですからね」
ーーその言葉は、もはや毒だった。
白峰の甘い声が、ゆっくりと俺の未来を、絶望で塗り潰していく。
*
書斎の静寂の中、白峰に関する調査報告書を見つめていた。紙の端を持つ指は、無意識のうちに力がこもる。
母の紹介で屋敷に入ったーーそれ自体は事実だった。だが、その裏に隠された『意図』は、あまりにあからさまだ。
「鷹居の本家と、古くから因縁のある旧家……か」
低く唸るように呟きながら、報告書に記された家系図を目で追う。
「それだけじゃありません」
傍に控えていた菊也が、声を落として続ける。
「白峰の家は……嫡女を綾明様と婚姻させ、文化資産としての地位を手に入れようとしています」
「なるほど……確かに、家元の歴史は長いし、技術継承も途切れていない」
目を伏せたまま、書類を指先でとんとんと叩いた。忌々しい。まるで、屋敷そのものに寄生する病のようだった。
「白峰は……家が抱える『優秀な暗躍係』というわけか」
柔らかすぎる物腰、完璧に作られた仕草。すべては、『仕組まれていた』。水都に飲ませた漢方、使用人たちに流した噂。そのすべてに、裏付けが取れた。
あとは、白峰を呼び出し、終わらせるだけだ。
ーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーー
ーーーー
ーー夜
僕は全ての証拠を手に、白峰を静かに書斎へ呼び出した。白峰は、いつも通りの穏やかな微笑みを浮かべて現れた。
「なぜ呼ばれたか、分かる?」
「……いえ、まったく」
「漢方の件、水都への発言……僕が気づかないとでも? 調べさせてもらったよ。どうしてこんな真似をした?」
「……もう隠しきれませんね。私に聞くまでもないでしょうに」
白峰は、初めて真正面から対等の目で僕を見た。そして、ふっと息を吐いた。
「私は、『家』の命を背負ってここへ来ました。藤浪と縁を結び、我が家の未来を繋ぐ。そのために『仕える』という体裁を取って、あなた様の傍にいたのです」
僕の視線が僅かに鋭くなる。白峰の言葉の端々を探るように、じっとその表情を見つめた。
「『家のため』なら、人を傷つけても構わないのか? 鷹居が君に何かしたわけでもない。勝手な敵意を向けて、干渉を繰り返し……君たちのやってることは、ただの逆恨みじゃないか」
「違います!」
一瞬の動揺と苛立ちが入り混じった白峰の声が、部屋に響いた。
「あなた様が、あのような『ただのオメガ』に情を移し、『子』を持とうとするなど……狂気の沙汰です! あれが文化資産? 保護? あんな没落した鷹居の末裔に……!」
「…………」
「白峰の嫡女と婚約される方が、藤浪の『価値』になる。私はそう信じています!」
白峰の表情が歪んだ。冷たい笑みが滲み、目の奥には確信にも似た傲慢さが宿っていた。
「水都様? 番? そんなのくだらない『幻想』ですよ。子を産んでも、跡継ぎと世に認められなければ……なんの役にも立たない、不要な存在です。いずれ、あなた様も気づくでしょう。ーー『愛』など、何の意味もないと」
その瞬間、僕の中で、確かに『何か』が切れた。
血の気が引くのではなく、芯の奥から熱が突き上げてくる。腹の底から怒りが沸き上がり、喉の奥が締め付けられる。これ以上、白峰をここに置いておく理由はない。
「……今すぐ出ていけ」
「はい? 私はまだ、婚姻の話を結んで……」
白峰はなおも言葉を続けようとする。もう、彼の全てが腹立たしい。微塵も見たいと思えず、声を荒げた。
「今すぐ出て行けと言っているんだ!!」
鋭く響いた声に、部屋の空気が張り詰める。
「君は僕が白峰の家の嫡女と婚姻すると思っているのか? 馬鹿馬鹿しい。自分たちの『利益』のことしか考えていないくせに。何が婚姻だ!!」
無意識に拳を握りしめる。爪が手のひらに食い込み、痛みが走るが、それすらも、どうでも良い。
「水都を傷つけた時点で……今後もう二度と関わるつもりはない!!」
僕の言葉に白峰の唇がわずかに持ち上がった。だがそれは、微笑みとは言えないものだった。
「ふ……ふふ……ああ、そうですか。では、『愚かな番ごっこ』を、存分に楽しんでください。その代償がどれほど重いものか……いずれ、分かるでしょう」
毒を滲ませた言葉が空気をじわじわと蝕む。だけど、そんなものに、飲み込まれるつもりはなかった。
「水都が傍にいる限り、僕は絶対に後悔しない。何度だって言う。水都は、僕の、たったひとりの『番』だ」
その言葉に、白峰が目を見開いた。怒りでも、悔しさでもない。その瞳に滲んでいたのは、『敗北』の色だった。
白峰は、何も言わずゆっくりと僕に背を向けた。その足取りは静かだったが、追い詰められた者の歩調に見えた。
ーー終わった。
握りしめた拳を緩め、僕は水都の待つ部屋へと、真っ直ぐ向かった。
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