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105話 『ゆらめく灯と、来年の約束』
しおりを挟む夜が更け、子供たちが静かに眠りについた。ベッドサイドで絵本を片付ける水都の背中を、ソファに腰掛けたまま見つめる。
「……ありがとう、水都。今日は、最高の一日だったよ」
声をかけると、水都がくるりとこちらを振り向いた。君が浮かべる柔らかな笑みのその裏にある痛みも、不安も。君はきっと僕には言わない。でも、わかる。
だから、頬にそっと手を添えた。
「来年も……こうして一緒に祝おうね?」
願いというにはあまりに切実で、祈りというには静かすぎる言葉だった。
「……うん、祝うよ。俺、来年も綾明さんに、おめでとうって言うよ」
水都の返事は、やさしいのに、少しだけ震えていた。そばに寄り抱きしめ、唇を重ねる。祝福の約束のはずなのに、瞳からは互いに涙が零れていて。
胸の奥に、波紋のような痛みが広がった。
寄り添ったまま、ソファへ向かい、一緒に腰を下ろす。テーブルの上で、キャンドルの火がゆらゆらと揺れていた。それをぼんやりと見つめながら、そっと尋ねる。
「疲れたでしょ? 今日は張り切ってたもんね」
「うん」
水都が小さく笑って、僕の肩に頭を預けた。
「でも……楽しかった」
その言葉を最後に、水都がふっと眉をひそめた。口元を押さえ、ゆっくり立ち上がると、足元がふらつくように一歩よろけた。
「水都!!」
慌てて身を乗り出し、手を伸ばす。けれど水都は、僕を制するように手のひらを向け、苦しげに笑った。
「……平気。ほんとにちょっと、だけ」
そのまま洗面所へと駆けていく水都を、僕はただ、見送ることしかできなかった。リビングに取り残され、胸の奥に不安がじわじわと広がっていく。
数分後、水都は、何事もなかったような顔で戻ってきた。
けれど僕には、すぐにわかった。頬がこけて見えること。口元の笑みがどこか引きつっていること。そしてなによりーー顔色が、ひどく悪い。
そっと手を伸ばし、水都の手を包み込んだ。
「……水都。やっぱり具合が前より……」
僕の声に、水都は目を伏せ、しばらく黙ってから、小さく息を吐いた。手を引いて、もう一度ソファに並んで座る。
水都が、僕の肩にもたれかかった。
「……綾明さんと明織の誕生日、台無しにしたくなかったから」
「そんなこと……」
「笑っていたかった。綾明さんと、子どもたちと。今日は……そうしていたかった」
その言葉が、痛いほど胸の奥に突き刺さった。笑顔で過ごしていた君の影に、僕はちゃんと気づいていた。
この数週間、水都が前より食が細くなっていたことも、少し疲れやすくなっていたことも、全部気づいていたはずなのにーー。
何も言わず、水都を抱きしめた。腕の中の体は、想像していたよりもずっと軽くて、細くて、頼りなかった。
「今日の咳、さっきの吐き気。……僕、すごく嫌な感じがする。疲れのせいとか、風邪とか……そういうんじゃ、ない気がして……」
声に出した瞬間、胸の中で確信が音を立てて降りてくる。水都が、静かに頷いた。
「明日、一緒に病院へ行こう。……セカンドオピニオンを受けよう」
「……うん。わかった」
いつもなら「大げさだよ」と笑って済ませる水都が、今日は何も言わなかった。ただ、目の奥に静かな覚悟のようなものを浮かべていた。
そんな水都が、僕の腕の中から顔を上げ、微笑んだ。
「……大丈夫。ちゃんと診てもらうよ」
「うん。……一緒に、行こう」
その夜は、やさしくて、静かで。それでも胸の奥がひりひりと痛んだ。
幸せの中に忍び込んだ、小さな影。それが何なのかは、まだわからない。でももう、見過ごしたくなかった。
「……水都、無理しないでね」
「……うん」
「僕は君のことが、一番大切だから……」
水都の腕が、そっと僕の背中にまわる。夜の静けさに包まれて、ソファの上で僕たちの影が重なって揺れた。
不安も、痛みも、寂しさも。
言葉にしてしまえば、何かが崩れてしまいそうで。それでも、この腕だけは、離したくなかったーー。
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