閑閑文字

海東 美鳥

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半夜逢瀬

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 空腹に目を覚まし、温かな寝床で目を開く。暗闇の中に薄ぼんやりと浮かぶのは、窓の外から微かに差し込む月の光だった。
 音は無く、静寂に身体を横たえたまま、深く呼吸する。そうして暫く天井を眺めていると、次第に視界は闇に慣れ、辺りがやけに明るく感じるようになる。この頃にはもう眠気は失せ、ただただ全身を重力に抱きとめられる心地良さを享受するばかりである。その心地良さは抗いがたく、今はただ何もする必要の無い全身を、万物を世界に繋ぎ留めるそれが温く穏やかな誘惑で抱きしめてくる。

 抱擁を振り払う居心地の悪さを味わいながら起き上がると、思いの外冷気を孕んだ空間に身震いしながら部屋を出た。温かかった爪先は、冷たい床に一歩一歩と温度を奪われながら歩みを進めた。食堂に着くころには、もうあの怠惰で甘美な抱擁が恋しくなり、堪らず己の身体を抱きしめながら、食卓の中央に置かれた籠の中にある一房の葡萄に目を向けた。
 迷わず手を伸ばし一粒むしると口に運んだ。皮が歯に裂かれ、ぷちりと弾け、中から瑞々しい果肉がまろびでる。渇望は刺激に箍が緩み、そのまま三粒ほど食べると、逡巡の後もう二粒を食べ、踵を返し部屋に戻った。

 寝床は既に冷たくなっていた。そこへ凍えた足先をそっと忍ばせ、ゆっくりと拓き、じわりと体を進める。少しずつまた温もりを取り戻すことを知っている安心感からか、先ほどまで誘惑してきていたそれを、穏やかな気持ちで今度はこちらから誘うように招き、間もなく訪れるであろうあの誘惑を待つのだ。

 光はまた隔絶され、暗闇と静寂に身を落とす。
 月は去り、だが太陽も無く、星は消え。
 浮遊する感覚に、瑞々しく甘い果肉が私の中で微笑んだ。
 薄れゆく意識を自覚しながら、思考が霧に飲まれていく。落ちていく。ゆっくりと。昇っていく。ゆっくりと。もしくはただそこに浮いて。
 瞼はあまりにも重たく、開くことは叶わない。待っていた抱擁が訪れると、安堵と幸福に、深く穏やかな呼吸を数度、そして身を委ねる。
 世界の重力に身体を抱きしめられ、月の引力に意識を連れ去られる。呼吸は次第に落ち着き、意識の外で規則正しくゆっくりと繰り返される。

 記憶はそこで閉じられた。

 月はゆっくりと呼吸をしていた。
  
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