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第六章 「アキュムレーション」
第43話 「チョークポイント」
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ティラナ島の領有権をアズーリア帝国が主張した――。
その号外がリアディスの街角にばらまかれたのは昨日の夕刻のことだ。街のざわつきと紙を振りかざす商人たちの声を耳にして、俺は嫌な予感を覚えた。
だが、翌日の市場は意外なほど落ち着いていた。
魔導スクリーンに映し出される値動きを眺めていると一瞬大きく揺れた銘柄も、やがて落ち着きを取り戻す。まるでまたかと言わんばかりだ。
確かに、ティラナ島をめぐる領有権争いは昔からの常套句だ。
アズーリアが機会あるごとに突きつけてきた外交カード。取引所の連中にとっては狼少年の話と同じで、何度も繰り返されるうちに驚かなくなっていた。
だが、その中でも違和感が覚える値動きもあった。
――やはり小麦だ。
<アルさん、小麦……買い注文が急に増えてます>
念話越しに、アイラの不安げな声色が揺れていた。
<やっぱりな>
俺は舌を噛んだ。まだ確証はない。ただ、この揺れは何かが仕掛けられている気配だ。
ティラナ島――アルカ海の中央に浮かぶ島。
アルカ海は北と南の大陸に囲まれた巨大な内海だ。その両岸には沿岸諸国連合やサヴェナリアといった国家群が並び、そこからの交易路が一本に収斂するのがリアディス。そしてその中継点にあるのがティラナ島だ。
レオリアから沿岸諸国へ向かう多くの商船は、途中で補給を要する。ティラナ島はその補給地点、交易のチョークポイント――喉元を押さえる場所だ。
この島を抑えた国は、北アルカ海の交易に大きく干渉できる。レオリアが長年保持してきた島を、アズーリアが虎視眈々と狙う理由はそこにある。
俺が思考に沈んでいると、魔導スクリーンに速報が映し出される。
『アズーリア艦隊、ザイオラ軍港に集結との報! 航路を東に迂回する商船続出!』
周囲がざわついた。噂の域を出ないが、人々はこういう話に敏感だ。
リックが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「アル、見たか? ザイオラ軍港だぞ。あそこはアズーリア海軍の要衝だ。ほんとに艦隊が集結していたら帝国は本気かもしれないぞ」
「まだ推測だろう」
俺はわざと冷たく返した。リックは肩をすくめ、声を落とす。
「だけど、商船の一部はすでに航路を変えてる。交易量が減れば、リアディスに入る物資も滞るぞ」
……やはり、ただの口先だけではない。状況をもっと確かめる必要がありそうだ。
俺は取引所を出て、商会に戻る。
商会の扉を開けた瞬間、甲高い声が迎えた。
「アルヴィオ! 今の速報、見たかしら?!」
フィリアだった。いつもは気品を崩さないはずの公爵令嬢が、机の上に書類を広げ散らかしたまま、目を見開いて俺を見据えている。金の髪が揺れ、頬はわずかに紅潮していた。
「落ち着け、フィリア。まだ噂の段階だ」
「噂? 艦隊が軍港に集まっているというのに? もし本当なら――」
フィリアの肩が震えていた。普段の堂々とした態度からは想像できないほど取り乱している。公爵家として、帝国との衝突が何を意味するかを骨身に染みて理解しているのだろう。
「アル兄……これ、本当に戦争になっちゃうの?」
リーリアが不安げに俺を見上げてくる。
「大丈夫だ。すぐに戦になることはない」
俺はそう言い切った。だが自分でも、その言葉がどれほどの根拠を持っているのか怪しかった。
「……でも、商船が航路を変えてるって……。リアディスに入る物資が減ったら……」
アイラが小さく呟いた。市場で感じた不安をまだ引きずっているようだった。
「小麦が……また…値上がり…するんです?」
ヒカリがぽつりと問う。異世界から来たヒカリにとって、相場の感覚はまだ馴染みが薄い。けれども、食料の値段が上がれば庶民が困窮するという理屈だけは理解している。
「可能性は高いな」
俺は短く答え、椅子に腰を下ろした。
「これはどう見ても異常ですわ」
フィリアが机を叩いた。
「昨日の号外だけなら、市場はここまで反応しないはず。艦隊が集まったという情報が流れた途端に動きが加速した。誰かが意図的に煽っているのではなくて?」
「俺もそう思っている」
俺は指で机を軽く叩きながら答えた。
「狼少年の話を聞き飽きた投資家たちが動じないのを見越して、裏で仕掛けてきた連中がいる。狙いは小麦――食料だ」
沈黙が落ちた。
やがて、リーリアが小さな声で言った。
「でも、街の人たち……すごく怖がってたよ」
その言葉に、ヒカリが頷く。
俺は口をつぐんだ。
その時だった。事務所に戻ってきた商会の使用人が、青ざめた顔で声を震わせた。
「アズーリアの間諜が……このリアディスに潜んでいて……テロを起こすかもしれないって……!」
室内の空気が一気に冷たくなった。
「な、何ですって……!?」
フィリアが椅子から立ち上がる。
「出どころは?」
俺は問いかけた。
「……わ、わかりません。酒場で誰かが叫んでいて……あっという間に広まって……」
「噂の出どころすら不明……か」
俺は頭を押さえた。これ以上に厄介な情報はない。真偽が定かでないからこそ、人は想像を膨らませ、恐怖を増幅させる。
「まさか……」
フィリアが唇を噛む。
「誰かがこの恐怖を利用している。噂も、相場も……全部だ」
俺は深く息を吐いた。
ティラナ島、艦隊の噂、間諜の影。これらすべてが、偶然の一致であるはずがない。嵐の前触れが、いよいよ形を取り始めていた。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
【資産合計】1,412,423ディム
【負債合計】0ディム
【純資産】1,412,423ディム
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
その号外がリアディスの街角にばらまかれたのは昨日の夕刻のことだ。街のざわつきと紙を振りかざす商人たちの声を耳にして、俺は嫌な予感を覚えた。
だが、翌日の市場は意外なほど落ち着いていた。
魔導スクリーンに映し出される値動きを眺めていると一瞬大きく揺れた銘柄も、やがて落ち着きを取り戻す。まるでまたかと言わんばかりだ。
確かに、ティラナ島をめぐる領有権争いは昔からの常套句だ。
アズーリアが機会あるごとに突きつけてきた外交カード。取引所の連中にとっては狼少年の話と同じで、何度も繰り返されるうちに驚かなくなっていた。
だが、その中でも違和感が覚える値動きもあった。
――やはり小麦だ。
<アルさん、小麦……買い注文が急に増えてます>
念話越しに、アイラの不安げな声色が揺れていた。
<やっぱりな>
俺は舌を噛んだ。まだ確証はない。ただ、この揺れは何かが仕掛けられている気配だ。
ティラナ島――アルカ海の中央に浮かぶ島。
アルカ海は北と南の大陸に囲まれた巨大な内海だ。その両岸には沿岸諸国連合やサヴェナリアといった国家群が並び、そこからの交易路が一本に収斂するのがリアディス。そしてその中継点にあるのがティラナ島だ。
レオリアから沿岸諸国へ向かう多くの商船は、途中で補給を要する。ティラナ島はその補給地点、交易のチョークポイント――喉元を押さえる場所だ。
この島を抑えた国は、北アルカ海の交易に大きく干渉できる。レオリアが長年保持してきた島を、アズーリアが虎視眈々と狙う理由はそこにある。
俺が思考に沈んでいると、魔導スクリーンに速報が映し出される。
『アズーリア艦隊、ザイオラ軍港に集結との報! 航路を東に迂回する商船続出!』
周囲がざわついた。噂の域を出ないが、人々はこういう話に敏感だ。
リックが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「アル、見たか? ザイオラ軍港だぞ。あそこはアズーリア海軍の要衝だ。ほんとに艦隊が集結していたら帝国は本気かもしれないぞ」
「まだ推測だろう」
俺はわざと冷たく返した。リックは肩をすくめ、声を落とす。
「だけど、商船の一部はすでに航路を変えてる。交易量が減れば、リアディスに入る物資も滞るぞ」
……やはり、ただの口先だけではない。状況をもっと確かめる必要がありそうだ。
俺は取引所を出て、商会に戻る。
商会の扉を開けた瞬間、甲高い声が迎えた。
「アルヴィオ! 今の速報、見たかしら?!」
フィリアだった。いつもは気品を崩さないはずの公爵令嬢が、机の上に書類を広げ散らかしたまま、目を見開いて俺を見据えている。金の髪が揺れ、頬はわずかに紅潮していた。
「落ち着け、フィリア。まだ噂の段階だ」
「噂? 艦隊が軍港に集まっているというのに? もし本当なら――」
フィリアの肩が震えていた。普段の堂々とした態度からは想像できないほど取り乱している。公爵家として、帝国との衝突が何を意味するかを骨身に染みて理解しているのだろう。
「アル兄……これ、本当に戦争になっちゃうの?」
リーリアが不安げに俺を見上げてくる。
「大丈夫だ。すぐに戦になることはない」
俺はそう言い切った。だが自分でも、その言葉がどれほどの根拠を持っているのか怪しかった。
「……でも、商船が航路を変えてるって……。リアディスに入る物資が減ったら……」
アイラが小さく呟いた。市場で感じた不安をまだ引きずっているようだった。
「小麦が……また…値上がり…するんです?」
ヒカリがぽつりと問う。異世界から来たヒカリにとって、相場の感覚はまだ馴染みが薄い。けれども、食料の値段が上がれば庶民が困窮するという理屈だけは理解している。
「可能性は高いな」
俺は短く答え、椅子に腰を下ろした。
「これはどう見ても異常ですわ」
フィリアが机を叩いた。
「昨日の号外だけなら、市場はここまで反応しないはず。艦隊が集まったという情報が流れた途端に動きが加速した。誰かが意図的に煽っているのではなくて?」
「俺もそう思っている」
俺は指で机を軽く叩きながら答えた。
「狼少年の話を聞き飽きた投資家たちが動じないのを見越して、裏で仕掛けてきた連中がいる。狙いは小麦――食料だ」
沈黙が落ちた。
やがて、リーリアが小さな声で言った。
「でも、街の人たち……すごく怖がってたよ」
その言葉に、ヒカリが頷く。
俺は口をつぐんだ。
その時だった。事務所に戻ってきた商会の使用人が、青ざめた顔で声を震わせた。
「アズーリアの間諜が……このリアディスに潜んでいて……テロを起こすかもしれないって……!」
室内の空気が一気に冷たくなった。
「な、何ですって……!?」
フィリアが椅子から立ち上がる。
「出どころは?」
俺は問いかけた。
「……わ、わかりません。酒場で誰かが叫んでいて……あっという間に広まって……」
「噂の出どころすら不明……か」
俺は頭を押さえた。これ以上に厄介な情報はない。真偽が定かでないからこそ、人は想像を膨らませ、恐怖を増幅させる。
「まさか……」
フィリアが唇を噛む。
「誰かがこの恐怖を利用している。噂も、相場も……全部だ」
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ティラナ島、艦隊の噂、間諜の影。これらすべてが、偶然の一致であるはずがない。嵐の前触れが、いよいよ形を取り始めていた。
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【資産合計】1,412,423ディム
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【純資産】1,412,423ディム
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