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第六章 「アキュムレーション」
Intermission 8 「ラテラルムーブメントⅠ」
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魔獣騒動の三日前。リアディスの冒険者ギルドは、その日も閑散としていた。
依頼掲示板にはろくな仕事が貼られていない。迷子のペット探しも農地警備も、報酬は雀の涙ばかり。剣を振るい命を懸ける冒険者の仕事が、なぜそこらの小間使いと大差ないのか。素行の悪い冒険者ほど不満を募らせ、やがて裏稼業に手を伸ばすことになる。
掲示板の前で腕を組むのは、粗野な顔立ちの男だった。年齢は三十に届くかどうか。日に焼けた肌と無精ひげに覆われた顎、どこか荒んだ笑みが似合う。彼は宵の明星と呼ばれる小規模パーティのリーダーであり、つまらぬ依頼を睨みつけながら舌打ちをした。
「くだらねぇ。こんなのやってられるか」
隣で鎧を軋ませた戦士が、短気そうな声を上げる。
「そうだな。農地の見回りなんざ新人にやらせときゃいい。俺たちが受ける仕事じゃねえ」
後方で弓を磨いていた弓使いの女は、白けた視線を掲示板に向ける。
「でも依頼がないと、報酬も入らないわよ。さすがに手持ちが心許なくなってきたわ」
「……ふん」
リーダーの男は鼻を鳴らす。
「くだらねえ依頼で、骨身削ってまで生き延びるなんざ、まっぴらごめんだ。俺たちにはもっと、稼げる手がある」
赤毛の魔法士が小さく笑った。かつて魔法士ギルドから素行不良を理由に資格を剥奪された女は、最近になってこのパーティに加わったばかりだった。
「また、あっちの筋に声をかけるつもり? リーダー」
「ああ」
リーダーの男は口角を上げる。
「ギルドの表仕事なんざ、犬の餌にしかならねえ。裏の依頼なら、たった一回で半年は食ってける」
四人は視線を交わし、無言のまま頷き合った。
ギルドを後にし、街の裏路地を進む。湿った石畳の匂いと、どこか焦げたような煤け臭さ。昼間でも薄暗い通りには、似たような連中が腰をかけ、こちらをじっと見る。
その先、古びた倉庫の影に、一人の女が立っていた。尻尾を揺らすその女は、薄布のフードで顔を隠していた。
「待っていたよ。宵の明星」
艶やかな声。女は懐から黒光りする立方体を取り出し、四人の前に掲げる。
「これを、洞窟の最奥に置いてきてほしい。それだけでいい」
「置くだけ、ねえ」
戦士が腕を組む。
「妙に楽な話じゃねえか」
「楽だとも。報酬は前金で――これだ」
女が差し出した布袋には、魔力石が詰まっていた。淡い光を放つ石片が、ざらりと鳴る。
リーダーの男は目を細めた。袋の重みを確かめ、唇を歪める。
「……ざっと一万ディムか」
「その通り。成功報酬は三万ディムだ」
女の声は甘やかだった。
弓使いの女が眉を寄せる。
「怪しいわね。なぜそんなに高いのかしら?」
「気にする必要はない。お前たちはただ、置くだけでいいのだから」
女の瞳が闇の底で光った気がした。四人は互いに視線を交わし、最終的にリーダーの男が袋を握りしめる。
「――受けようじゃねえか」
そうして宵の明星は依頼を引き受けた。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
翌日、昼下がり。
薄明の洞窟へと続く街道を、宵の明星は歩いていた。
洞窟は丘陵地にぽっかりと口を開け、簡素な石門と管理小屋があるだけの場所だ。冒険者たちが訓練に使う初心者向けダンジョンであり、脅威となる魔獣はほとんど出ない。
入口付近では、別の一行とすれ違った。黒髪の青年と、少女たち。どこか気品を漂わせる雰囲気だった。
「おや、見ない顔だな」
リーダーの男が皮肉げに声をかける。
返答は短く、互いに視線を交わした程度で終わった。だが、戦士が気づいた。
――あの魔法士、見覚えがあるぜ。
かつて自分たちが置き去りにした少女――。
戦士はにやりと笑いかけたが、相手はまともに答えず、貴族風の少女に守られるように去っていった。
短い邂逅。だが、その場の空気は凍り付いていた。
「へっ、気に食わねえ奴らだ」
リーダーの男が吐き捨てるように言い、洞窟の奥へと進む。
洞窟内部はひんやりと湿り気を帯びていた。五層しかない小規模なダンジョン。最近Dランクに昇格した宵の明星にとってはもはや造作もない。
戦士が斬り伏せ、弓使いが射抜き、赤毛の魔法士が炎を放つ。敵はあっけなく崩れ落ち、順調に進んでいった。
「ははっ、俺たちも随分腕を上げたもんだな」
リーダーが誇らしげに笑う。
やがて最下層。静まり返った空間の中央に、彼らは立ち止まった。
「ここでいいだろう」
リーダーの合図で、弓使いが布袋を取り出す。
黒光りする魔道具。表面には禍々しい文様が刻まれ、覗き込むと底のない闇が渦を巻いているように見える。
赤毛の魔法士が眉をひそめる。
「……結局これは何?」
「知る必要はねえよ。ただ置くだけだ」
リーダーが吐き捨てるように言い、地面に設置する。
次の瞬間。
――ぼう、と黒い炎のような内部に揺らめいた。
「なっ……」
周囲の空気が震え、洞窟全体が不気味な唸りをあげる。床を這うように黒い靄が広がり、肌に触れた瞬間、力が吸い取られる感覚が走った。
「おい……なんだこれ……身体が、重い……」
戦士が膝をつく。
弓使いも青ざめ、震える手で胸を押さえる。
「息が……苦しい……」
赤毛の魔法士は笑みを消し、必死に魔法を起動しようとしたが、指先から力が抜けていった。
「……魔力まで、吸われてる……!?」
リーダーの男も必死に立ち上がろうとしたが、全身から力が抜け落ちる。
「くそっ、やりやがったなあの女……!」
黒い立方体――黒淵灯は静かに光を放ち、洞窟の魔素や生気を吸い込み続けていた。
時間が経つにつれ、周囲には影が集まり始める。黒い靄が凝縮し、魔獣の形をとり始めたのだ。
「や、やべえ……」
戦士が岩陰に這い寄る。
弓使いも必死に後を追い、赤毛の魔法士が肩を支えながら身を隠した。リーダーも息を荒げ、ようやく四人は岩陰に身を寄せ合う。
その視線の先。黒い影が地面から這い出し、獣の唸り声を響かせた。
魔道具は脈動し続け、宵の明星の命をじわじわと削りながら、さらなる魔獣を呼び寄せていた。
彼らはただ震えながら、それを見守るしかなかった。
依頼掲示板にはろくな仕事が貼られていない。迷子のペット探しも農地警備も、報酬は雀の涙ばかり。剣を振るい命を懸ける冒険者の仕事が、なぜそこらの小間使いと大差ないのか。素行の悪い冒険者ほど不満を募らせ、やがて裏稼業に手を伸ばすことになる。
掲示板の前で腕を組むのは、粗野な顔立ちの男だった。年齢は三十に届くかどうか。日に焼けた肌と無精ひげに覆われた顎、どこか荒んだ笑みが似合う。彼は宵の明星と呼ばれる小規模パーティのリーダーであり、つまらぬ依頼を睨みつけながら舌打ちをした。
「くだらねぇ。こんなのやってられるか」
隣で鎧を軋ませた戦士が、短気そうな声を上げる。
「そうだな。農地の見回りなんざ新人にやらせときゃいい。俺たちが受ける仕事じゃねえ」
後方で弓を磨いていた弓使いの女は、白けた視線を掲示板に向ける。
「でも依頼がないと、報酬も入らないわよ。さすがに手持ちが心許なくなってきたわ」
「……ふん」
リーダーの男は鼻を鳴らす。
「くだらねえ依頼で、骨身削ってまで生き延びるなんざ、まっぴらごめんだ。俺たちにはもっと、稼げる手がある」
赤毛の魔法士が小さく笑った。かつて魔法士ギルドから素行不良を理由に資格を剥奪された女は、最近になってこのパーティに加わったばかりだった。
「また、あっちの筋に声をかけるつもり? リーダー」
「ああ」
リーダーの男は口角を上げる。
「ギルドの表仕事なんざ、犬の餌にしかならねえ。裏の依頼なら、たった一回で半年は食ってける」
四人は視線を交わし、無言のまま頷き合った。
ギルドを後にし、街の裏路地を進む。湿った石畳の匂いと、どこか焦げたような煤け臭さ。昼間でも薄暗い通りには、似たような連中が腰をかけ、こちらをじっと見る。
その先、古びた倉庫の影に、一人の女が立っていた。尻尾を揺らすその女は、薄布のフードで顔を隠していた。
「待っていたよ。宵の明星」
艶やかな声。女は懐から黒光りする立方体を取り出し、四人の前に掲げる。
「これを、洞窟の最奥に置いてきてほしい。それだけでいい」
「置くだけ、ねえ」
戦士が腕を組む。
「妙に楽な話じゃねえか」
「楽だとも。報酬は前金で――これだ」
女が差し出した布袋には、魔力石が詰まっていた。淡い光を放つ石片が、ざらりと鳴る。
リーダーの男は目を細めた。袋の重みを確かめ、唇を歪める。
「……ざっと一万ディムか」
「その通り。成功報酬は三万ディムだ」
女の声は甘やかだった。
弓使いの女が眉を寄せる。
「怪しいわね。なぜそんなに高いのかしら?」
「気にする必要はない。お前たちはただ、置くだけでいいのだから」
女の瞳が闇の底で光った気がした。四人は互いに視線を交わし、最終的にリーダーの男が袋を握りしめる。
「――受けようじゃねえか」
そうして宵の明星は依頼を引き受けた。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
翌日、昼下がり。
薄明の洞窟へと続く街道を、宵の明星は歩いていた。
洞窟は丘陵地にぽっかりと口を開け、簡素な石門と管理小屋があるだけの場所だ。冒険者たちが訓練に使う初心者向けダンジョンであり、脅威となる魔獣はほとんど出ない。
入口付近では、別の一行とすれ違った。黒髪の青年と、少女たち。どこか気品を漂わせる雰囲気だった。
「おや、見ない顔だな」
リーダーの男が皮肉げに声をかける。
返答は短く、互いに視線を交わした程度で終わった。だが、戦士が気づいた。
――あの魔法士、見覚えがあるぜ。
かつて自分たちが置き去りにした少女――。
戦士はにやりと笑いかけたが、相手はまともに答えず、貴族風の少女に守られるように去っていった。
短い邂逅。だが、その場の空気は凍り付いていた。
「へっ、気に食わねえ奴らだ」
リーダーの男が吐き捨てるように言い、洞窟の奥へと進む。
洞窟内部はひんやりと湿り気を帯びていた。五層しかない小規模なダンジョン。最近Dランクに昇格した宵の明星にとってはもはや造作もない。
戦士が斬り伏せ、弓使いが射抜き、赤毛の魔法士が炎を放つ。敵はあっけなく崩れ落ち、順調に進んでいった。
「ははっ、俺たちも随分腕を上げたもんだな」
リーダーが誇らしげに笑う。
やがて最下層。静まり返った空間の中央に、彼らは立ち止まった。
「ここでいいだろう」
リーダーの合図で、弓使いが布袋を取り出す。
黒光りする魔道具。表面には禍々しい文様が刻まれ、覗き込むと底のない闇が渦を巻いているように見える。
赤毛の魔法士が眉をひそめる。
「……結局これは何?」
「知る必要はねえよ。ただ置くだけだ」
リーダーが吐き捨てるように言い、地面に設置する。
次の瞬間。
――ぼう、と黒い炎のような内部に揺らめいた。
「なっ……」
周囲の空気が震え、洞窟全体が不気味な唸りをあげる。床を這うように黒い靄が広がり、肌に触れた瞬間、力が吸い取られる感覚が走った。
「おい……なんだこれ……身体が、重い……」
戦士が膝をつく。
弓使いも青ざめ、震える手で胸を押さえる。
「息が……苦しい……」
赤毛の魔法士は笑みを消し、必死に魔法を起動しようとしたが、指先から力が抜けていった。
「……魔力まで、吸われてる……!?」
リーダーの男も必死に立ち上がろうとしたが、全身から力が抜け落ちる。
「くそっ、やりやがったなあの女……!」
黒い立方体――黒淵灯は静かに光を放ち、洞窟の魔素や生気を吸い込み続けていた。
時間が経つにつれ、周囲には影が集まり始める。黒い靄が凝縮し、魔獣の形をとり始めたのだ。
「や、やべえ……」
戦士が岩陰に這い寄る。
弓使いも必死に後を追い、赤毛の魔法士が肩を支えながら身を隠した。リーダーも息を荒げ、ようやく四人は岩陰に身を寄せ合う。
その視線の先。黒い影が地面から這い出し、獣の唸り声を響かせた。
魔道具は脈動し続け、宵の明星の命をじわじわと削りながら、さらなる魔獣を呼び寄せていた。
彼らはただ震えながら、それを見守るしかなかった。
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