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第八章 「ディセンディング・トライアングル」
Intermission 16 「聖女」
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~憲章暦997年4月8日(水の日)~
モスタール要塞で戦端開かれる五日前、ティラナ島の港に軍用輸送艦が静かに接岸した。
埠頭に降り立つレオリア王国陸軍少将、エリーナ・ルミナスの長い髪が潮風に揺れる。
「エリーナ様。予定より一日早いご到着とは……恐れ入ります」
渋い声で出迎えたのは、副官のガルドだった。
「現地の状況を確認したいと思っている。報告では、北部の防衛線がやや不安だと聞いているが......」
「はい。北防衛線は丘陵地が多く、補給路の確保に難があります」
エリーナは軽く頷き、視線を島の内陸へと向けた。
ティラナ島――縦断するには大人の足でも二日かかるほどの大きな島で、アルカ海航路の要衝。レオリアと北アルカ大陸諸国家を結ぶ交易船が必ず立ち寄る中継地であり、レオリアにとっては絶対に失えぬ拠点だ。
「この島を失えば、沿岸諸国連合との交易が止まる。中央が焦るわけだ」
「そのために、エリーナ様をお呼びしたのでしょう」
ガルドの声には皮肉が混じっていた。エリーナは表情を変えず、軍用の外套を翻す。
「全防衛線を視察する。準備をたのむ」
「了解しました」
エリーナの足取りは迷いがなかった。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
二日後。島内の防衛線をひと通り巡ったエリーナは、司令部へ戻る馬車の中で小さく息をついた。
どの駐屯地も緊張に包まれていたことを思い出す。誰もが、戦いが避けられぬことを知っているようだった。
「……風が重い」
「はい、匂いが変わりかけております。戦の前は、いつもこうです」
ガルドが低く答えたその瞬間、基地の門前に、白衣の一団が見えた。純白のローブに金糸の縁取り。胸元にはシドニア教の聖印。
「……聖職者? なぜここに」
「おそらく、負傷兵の治療班でしょう。教会から派遣されたとか」
エリーナの眉がわずかに動いた。
教会が動くということは、中央が大量の死傷者を想定しているということだ。
そして、白衣の中にひときわ目を引く存在があった。
プラチナブロンズの髪。紅の瞳。
エリーナの心が凍りつく。
「……姉さん」
メグメル・ルミナス。シドニア教の『聖女』と呼ばれる存在。ルミナス家の長女であり、エリーナとアイラの実姉。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
司令部の一室。
窓から差し込む光の中で、メグメルはゆったりと椅子へ腰かけていた。笑顔を絶やさず、しかしどこか底の見えない穏やかさ。
「姉さん……どうしてここに。教会が前線に出るなど、聞いていません」
「あらあら、そんな怖い顔しないの」
メグメルはそう言って、指先でティーカップを回した。香るのは薬草茶。淡い香りが室内に広がる。
「中央は……ずいぶんと先を読んでいるようですね」
「そうかもしれないわ。でもね、誰かが傷つく場所には、必ず祈りが必要になる。だから私はここにいるのよ」
穏やかな声。その言葉の裏に、どこか冷めた覚悟が見え隠れした。エリーナは無意識に背筋を伸ばす。
「……やはり、中央は被害を織り込み済みということですね」
メグメルは答えず、ただ微笑んだ。
しばしの沈黙ののち、メグメルがふと口を開く。
「そういえば……アイラちゃんに会ったの?」
一瞬、エリーナの肩がぴくりと動いた。
「会いました。リアディスで。取引魔法士という――くだらない仕事をしていました」
吐き捨てるような声。
けれどその裏に、ほんのわずかな逡巡があった。メグメルはそれを見逃さなかった。柔らかく微笑みながら、問いかける。
「それは、本心なのかしら?」
「……どういう意味ですか?」
「あなた、どこかで安心してるんじゃない? あの子が、戦場から遠いところで、生きていることに」
エリーナの唇が固く結ばれる。
言い返そうとして、言葉が出ない。姉の目は、微笑んでいながらもどこか鋭さがあるように感じる。
まるで心の奥底まで見透かしているように。
「……相変わらずですね、姉さん」
「あら、何が?」
「人の心をえぐるのが上手いところです」
メグメルはくすりと笑い、カップを置いた。
「違うわ、エリーナ。あなたの心は、とても優しいの。でもそれを隠して戦場に立つのは、あなたの強さでもある。――だから、私は誇りに思っているのよ」
その言葉に、エリーナは視線を逸らした。
姉には、かなわない――そう思いながら窓の外に視線を投げるのだった。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
夕刻。司令部前の丘から見える港は、夕陽に照らされていた。
赤く染まる海面に、輸送艦の影がのびる。
メグメルは白い外套を羽織り、静かに祈りを捧げていた。
その背後で、エリーナとガルドが並び立つ。
「……やはり、帝国は本気と見てよさそうですね」
ガルドが低くつぶやく。
「ええ。姉さんが来ている時点で、中央はもう覚悟を決めている」
エリーナの声は淡々としていた。
メグメルの祈りは、風に溶け、夕空へと昇っていく。
その光景を見つめながら、エリーナはただ一つの確信を抱いた。
――姉の祈りは、まだ見ぬ死者たちのためのものだ。
モスタール要塞で戦端開かれる五日前、ティラナ島の港に軍用輸送艦が静かに接岸した。
埠頭に降り立つレオリア王国陸軍少将、エリーナ・ルミナスの長い髪が潮風に揺れる。
「エリーナ様。予定より一日早いご到着とは……恐れ入ります」
渋い声で出迎えたのは、副官のガルドだった。
「現地の状況を確認したいと思っている。報告では、北部の防衛線がやや不安だと聞いているが......」
「はい。北防衛線は丘陵地が多く、補給路の確保に難があります」
エリーナは軽く頷き、視線を島の内陸へと向けた。
ティラナ島――縦断するには大人の足でも二日かかるほどの大きな島で、アルカ海航路の要衝。レオリアと北アルカ大陸諸国家を結ぶ交易船が必ず立ち寄る中継地であり、レオリアにとっては絶対に失えぬ拠点だ。
「この島を失えば、沿岸諸国連合との交易が止まる。中央が焦るわけだ」
「そのために、エリーナ様をお呼びしたのでしょう」
ガルドの声には皮肉が混じっていた。エリーナは表情を変えず、軍用の外套を翻す。
「全防衛線を視察する。準備をたのむ」
「了解しました」
エリーナの足取りは迷いがなかった。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
二日後。島内の防衛線をひと通り巡ったエリーナは、司令部へ戻る馬車の中で小さく息をついた。
どの駐屯地も緊張に包まれていたことを思い出す。誰もが、戦いが避けられぬことを知っているようだった。
「……風が重い」
「はい、匂いが変わりかけております。戦の前は、いつもこうです」
ガルドが低く答えたその瞬間、基地の門前に、白衣の一団が見えた。純白のローブに金糸の縁取り。胸元にはシドニア教の聖印。
「……聖職者? なぜここに」
「おそらく、負傷兵の治療班でしょう。教会から派遣されたとか」
エリーナの眉がわずかに動いた。
教会が動くということは、中央が大量の死傷者を想定しているということだ。
そして、白衣の中にひときわ目を引く存在があった。
プラチナブロンズの髪。紅の瞳。
エリーナの心が凍りつく。
「……姉さん」
メグメル・ルミナス。シドニア教の『聖女』と呼ばれる存在。ルミナス家の長女であり、エリーナとアイラの実姉。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
司令部の一室。
窓から差し込む光の中で、メグメルはゆったりと椅子へ腰かけていた。笑顔を絶やさず、しかしどこか底の見えない穏やかさ。
「姉さん……どうしてここに。教会が前線に出るなど、聞いていません」
「あらあら、そんな怖い顔しないの」
メグメルはそう言って、指先でティーカップを回した。香るのは薬草茶。淡い香りが室内に広がる。
「中央は……ずいぶんと先を読んでいるようですね」
「そうかもしれないわ。でもね、誰かが傷つく場所には、必ず祈りが必要になる。だから私はここにいるのよ」
穏やかな声。その言葉の裏に、どこか冷めた覚悟が見え隠れした。エリーナは無意識に背筋を伸ばす。
「……やはり、中央は被害を織り込み済みということですね」
メグメルは答えず、ただ微笑んだ。
しばしの沈黙ののち、メグメルがふと口を開く。
「そういえば……アイラちゃんに会ったの?」
一瞬、エリーナの肩がぴくりと動いた。
「会いました。リアディスで。取引魔法士という――くだらない仕事をしていました」
吐き捨てるような声。
けれどその裏に、ほんのわずかな逡巡があった。メグメルはそれを見逃さなかった。柔らかく微笑みながら、問いかける。
「それは、本心なのかしら?」
「……どういう意味ですか?」
「あなた、どこかで安心してるんじゃない? あの子が、戦場から遠いところで、生きていることに」
エリーナの唇が固く結ばれる。
言い返そうとして、言葉が出ない。姉の目は、微笑んでいながらもどこか鋭さがあるように感じる。
まるで心の奥底まで見透かしているように。
「……相変わらずですね、姉さん」
「あら、何が?」
「人の心をえぐるのが上手いところです」
メグメルはくすりと笑い、カップを置いた。
「違うわ、エリーナ。あなたの心は、とても優しいの。でもそれを隠して戦場に立つのは、あなたの強さでもある。――だから、私は誇りに思っているのよ」
その言葉に、エリーナは視線を逸らした。
姉には、かなわない――そう思いながら窓の外に視線を投げるのだった。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
夕刻。司令部前の丘から見える港は、夕陽に照らされていた。
赤く染まる海面に、輸送艦の影がのびる。
メグメルは白い外套を羽織り、静かに祈りを捧げていた。
その背後で、エリーナとガルドが並び立つ。
「……やはり、帝国は本気と見てよさそうですね」
ガルドが低くつぶやく。
「ええ。姉さんが来ている時点で、中央はもう覚悟を決めている」
エリーナの声は淡々としていた。
メグメルの祈りは、風に溶け、夕空へと昇っていく。
その光景を見つめながら、エリーナはただ一つの確信を抱いた。
――姉の祈りは、まだ見ぬ死者たちのためのものだ。
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