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女帝リュシオン

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 重々しく開いた扉の先の玉座に、女性が足を組み座っている。
機嫌の悪そうなその顔は、並の男なら目を奪われてしまうほどに整っている。ラシウルよりも気が強そうに見えるが、それでもその美貌と凛とした瞳は妹と瓜二つであった。長い髪を一つに高く纏め、服装は女帝というよりも歴戦の女戦士のようだが、彼女はまだ若いながらもそれを見事に着こなしていた。
それが、レイシアル帝国の女帝、リュシオン。
リュシオンは皇帝の間に入ってきた一行を見据え、品定めをするように目を細めた。
「…お呼びに従い、ただ今参りました、陛下」
ラシウルが恭しく頭を下げると、リュシオンは面倒くさそうに手を振った。
「挨拶はいい、頭を上げろ。悪いが少しでも早く本題に入りたい」
リュシオンがぶっきらぼうにそう言うと、ラシウルはようやく頭を上げた。その顔は少しムスッとしている。
「大事な挨拶です」
「お前その生真面目どうにかなんないのか?私がいいって言ってんだ」
「もう、陛下は適当なんですから」
ラシウルの小言を聞き流しているリュシオンは、クラリスの想像よりもうんと親しみやすそうであった。リュシオンは後ろで同じように頭を下げていたクラリスに向き直る。
「…お前がクラリス・カスタか」
リュシオンの低い声が皇帝の間に響く。その声は無闇に周りを威圧している訳では無いが、不思議な緊張感を持っていた。
リュシオンは相変わらずクラリスを試すような目をしている。
「はい。…こちらが従者のアミラと、友人のレインです」
クラリスが名乗ると、アミラとレインももう一度頭を下げた。
「…お前が祖国に追放された事も、その事情もある程度は知っている。こっちの事は大体ラシウルから聞いただろ」
「はい、先程。…私はアルディアの陰謀を止める手札である、と」
「そうだ。乱暴な話で悪いとは思ってる。だがお前のこれまでを労う機会はまた別で設けるから勘弁しろ。…これからのお前のことについて話す、もう少し楽にしていいぞ」
「いいえ、むしろこうして直接話す場を設けていただけて嬉しいです。それで私は今後…どう動けば」
「まず最優先は研究記録の捜索、そして『魔法施錠』の解除。捜索自体は人手なんかは手を貸せるが、『魔法施錠』については手の出しようがない……お前に頼りきりになる。後は…単純な修行だ」
「修行?」
「お前の今の実力がどれほどなのかはよく知らないが、どちらにせよ、今後おそらくザネル大公は死力を尽くしてお前やお前の協力者を潰しに来る。力は出来るだけあった方がいい」
ザネルはアルディアでの最高権力を持っている。彼の命令一つで、総力を上げてクラリスを追うことも考えられる。
リュシオンはクラリスとアミラ、レインを順番に見回す。
「…お前らの得意とする戦い方は?」
「魔法です。中でも炎が得意です」
「…私も魔法でございます。剣術も少し学んでおりましたが」
「俺は弓…です」
答えを聞くなり、リュシオンは暫く考え込む素振りを見せてから、ラシウルを指さした。
「…ラシウル、お前がアミラに魔法と剣術を教えろ。…アイセル!」
「…はっ、こちらに」
リュシオンが大声で名前を呼ぶと、レインより少し年上くらいの青年が玉座のそばに跪く。リュシオンはレインに向き直った。
「レインはこいつに弓の技術を学べ。…エルフの弓術は信頼が置けるが、狩りで用いる弓術と戦闘で用いる弓術は僅かに違う。こいつは後者において帝国一の弓の名手だ。おそらくこいつから学ぶものは大きいぞ」
「…はい…」
レインが呆気に取られつつアイセルを見る。アイセルは赤髪を綺麗にオールバックに纏めている。体格は屈強であるが、纏う雰囲気はどこか優しげでもあった。
そして、とリュシオンは最後にクラリスを見た。
「お前は私が修行をつける。…見たところ魔法の実力はありそうだが、護身や万が一に備えて何かしら武器も扱えた方が良い。何か武器を扱った経験はあるか?」
「いいえ、特には…」
「ならお前の得意とする武器は私が見出してやる。…今後はレイシアルを拠点としながら情報を集めて研究記録の捜索。ガネル大公の根城であるアルディアの中心部にわざわざカスタ伯爵が記録を隠したとは思えん。…アルディア周辺や、今後はバレシティナなんかにも行ってもらうことになる」
そこまで言い終えると、リュシオンは確認するようにクラリスを見た。クラリスも力強く頷く。
「承知しました。…あの、拠点というのは」
「城の客間を二部屋ほどしばらくお前たちに提供し、いつ来ても自由に使えるようにしておく」
「…ありがとうございます!」
クラリスは頭を下げながら、リュシオンの凄さを噛み締めていた。
これまでのテキパキとした指示。威厳と親しみやすさを併せ持った風格。
──これが、レイシアル帝国の女帝。
とんでもない人が味方についたのだと、クラリスはこの短時間で確信していた。それはアミラやレインも同じなようで、力強い瞳でリュシオンを見据えていた。
不意にリュシオンがよし、と呟く。
「私ばかり話しすぎたな。あまり時間はないが、何か聞きたいことや気になることはあるか?」
「…あの、リュシオン帝」
クラリスは少し悩んでから声を上げた。
「その…どうして、私にここまで良くして下さるのですか」
「どうしてって?」
「私がアルディアの陰謀を止める手札である事は分かりましたが…追放されている私は、たとえそこにどんな事情があろうと厄介者なのは事実。…その私を、城に招き入れ、拠点を与え、修行までつけて下さる理由はなんなのか、気になって」
「はっはっ、そんな事か!」
リュシオンはどんな重い質問が来るかと身構えていたのか、クラリスの素朴な疑問に笑顔を見せた。ラシウルも優しく微笑んでいる。
「私はな、自分が納得いかないことが一番嫌いなんだ」
「納得…」
アミラが呟くと、リュシオンはふっと笑う。
「正直言って、私も最初は追放された伯爵令嬢なんてものに興味は持っていなかった。…だが、使いの者の話を聞く度に、アルディアへの疑念が膨らむ度に同時に思ったんだ。…追放されたその令嬢は、国や一部の人間の陰謀に巻き込まれ、理不尽に晒されているのかもしれない、と」
リュシオンはさっきまでの笑顔とは一転して、真剣な顔を見せた。
「運命は自分で選ぶ物だ。誰かに操作されていいものじゃない。…それが、抗う力も僅かな幼い子供の運命を捻じ曲げた奴がいるって話だ。…納得いかないんだよ、どうしてもな」
「陛下はぶっきらぼうではありますが、情に厚い方ですから」
「おいラシウル、余計なこと言うな」
「…リュシオン帝…」
クラリスは俯いた。幼い頃からのアミラとの逃亡生活は、もちろん辛い時もあった。むしろ、辛いことばかりだった。
それが今では、レイン達エルフの一族や、ニール、リュシオンやラシウルと、クラリスを理解しようとし、力を貸してくれる人々がいる。
──一人じゃないんだ、私は。
そう思えた時、クラリスは何故か強い意志が湧いた。これまでに抱いた事の無い、抗うための強い意志。
もう、クラリスは運命に流されるままになる必要は無いのだ。
「…過酷な道だと思います。どう足掻いても、アルディアにとって私は裏切り者。その疑いを晴らすまでの道のりは、きっと遠く苦しい」
それでも、とクラリスは続ける。アミラとレインを順番に見た。二人とも、クラリスの視線に気づき優しく笑う。
「私はもう逃げてばかりじゃない。一人じゃない。…だから必ず止めてみせます、アルディアの陰謀を」
クラリスの強い意志のこもった声音に、リュシオンは嬉しそうに笑った。
「その意気だ、クラリス。…お前を踏みにじる奴に負けるなよ」
その言葉に、クラリスは頷く。その様子を見てから、ラシウルが立ち上がりリュシオンに頭を下げた。
「それでは陛下、クラリス様方には、客間を案内した後、食事を。今日のところは、明日からの活動に備えゆっくりお休みいただきましょう」
「そうだな。明日からは忙しい日々になる。私もお前らも、気を引き締めていくぞ」
一際大きく返事をしてから、クラリス達はラシウルに連れられ皇帝の間を後にした。
クラリス達が去った後、アイセルが静かに口を開いた。
「まだ戸惑いや弱さも見えますが、いい目をしていますね、三人共」
「ああ。特にクラリスが腑抜けじゃなくて良かったな。想定以上に芯の強そうな奴だ。…まぁ、これからどうなるかは分からんが」
リュシオンは細めた瞳で、遠い未来を思案する。
「…頼むから折れないでくれよ、クラリス」
その声音に、アイセルは言葉をなくす。リュシオンがどれほど遠くの未来を案じているのか、付き合いの長いアイセルですら、それを
知る由は無かった。
──そして、リュシオンがクラリスに手を貸すも、誰も知る由はないのである。



城下の酒場で、ニールはジョッキ一杯の酒を飲んでいた。
その瞳は何を見ているのか、僅かな痛みと寂しさを帯びていた。
「…クラリス嬢は今頃リュシオン帝に会ったところか」
酒場の窓際は人の通りがよく見える。よく笑い、賑やかな人々が行き交う様子は、アルディアとは大違いだ。
ニールは人が好きだった。人は優しさも冷たさも持っている。そこには様々な感情や想いがある。それに触れるのが好きだった。
「人は面白くて、暖かい…ってのは、お前の受け売りなんだけどなァ」
いつからだったろうか、ニールの胸を寂しさだけが埋め尽くすようになったのは。
『次にお前と会う時は、もう仲間じゃない』
この世でたった一人の親友から投げかけられた言葉が、ずっと脳裏から離れない。
初めて出会った時の、親友のひたむきで真っ直ぐな瞳が、クラリスの瞳と重なる。
クラリスに声をかけたのは、知り合いであるアルイの頼みと、クラリスの姿に今は道を違えてしまった親友の面影を重ねたからだった。
ジョッキの酒を飲み干して、ニールは小さく呟いた。
「なァ、クラリス嬢。…あんたもかい」
ニールの内を渦巻く不安は、少しづつ、ニールを侵食していた。
ここでもまた、一人の青年が、未来を案じて目を伏せていた。


    
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みんなの感想(2件)

スパークノークス

お気に入りに登録しました~

とうま
2021.08.16 とうま

気に入っていただけて嬉しいです、ありがとうございます!

解除
花雨
2021.08.13 花雨

作品登録しときますね(^^)

とうま
2021.08.13 とうま

気に入っていただけて嬉しいです。
ありがとうございます!

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