彼岸の王と首斬り姫

KaoLi

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第二章

第二十話 絶つべき者

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 先日の『裏業』に、その場に合わない罪人がいたのでよく覚えていた。

「この者の、罪状は?」
「はっ。殺人とのことですが」
「……殺人?」

 芦屋太一郎。大麓村出身の二十七歳。職は農家だという。顔はとても大人しい雰囲気だし、とても人を殺すような悪党には見えない。焦燥、しきっていたのが少し痛々しい。

「分かりました。……では、始めていきましょう」

 裏業はぱたりと先ほどまで読んでいた記録書を閉じ、芦屋のいる処刑場へと向かった。本当に、人を殺す度胸のある人間なのだろうか。そう思えるほど目の前の男は普通な男だった。

「何か最期に言い残すことはありますか?」

 情けのつもりだった。これから死ぬのだからひとつくらい言い残してもバチは当たらない。この男なら、それが許されると裏業は私情を挟んだ。ぴくりと芦屋の肩が動く。ゆっくりと俯いていた顔を上げ、生気のない目で裏業だんざいしゃを見つめた。
 いつも、この処刑場へと連れてこられる罪人たちは獣の様な目をして「生きたい」「死にたくない」「殺してやる」といった表情で裏業を見るが、彼はどこ「死なせてくれ」という自責の念のようなものを持った表情で見ていた。

「…………言うことは、ありません」
「そうですか。では、自身の罪状を教えてください」

 知っているが、自分の口から聞くことが規則なため、裏業は問い詰める。芦屋はゆっくりとその重たい口を開いた。

「窃盗と、殺人です」
「それは何故おこなったのですか?」
「妻と……生まれてくる子供のために、物を盗みました」

 それだけでは、この場所に連行されることはまずない。

「その後、その店の主人と口論になり、もみ合いになり、倒れたところに石があって……打ち所が悪くて、そのまま……」

 事故にも似た事件。しかし、理由がどうであれ人をひとり死なせてしまっているという事実に変わりはない。これは、何より、の命令なのだ。
 仕方が、ないのだ。
 この男は裁くべき対象なのだ。

「分かりました。……では、始めます。安心してください。すぐに楽になります」

 裏業は芦屋の首元に裏業用の太刀をそっと置く。そのまま下へと引き、素早く上へと切り上げる。刹那、芦屋から声が漏れた。

「糸音、すまなかった」

 たった一言。それだけしか聞き取ることができなかった。
 思い留まるな。振り切れ。いつだってそうしてきたじゃないか。
 けれどあの時、芦屋の一言で裏業の心に迷いが生じ、一瞬でも躊躇ってしまった。

「裏業殿!?」

 首は無事に落とされたが、切り込みが甘かったのか切り口が悪かったのか、いつもであれば少ない出血が今回は派手に噴き出る。顔や着物にべっとりと付いた血のりは彼の最期の言葉と共に、裏業の中でとして浸透していった。

 ❀

 最期の一言の中にあった『糸音』という人物はきっとこの芦屋糸音のことだ。そして生まれてくる子供、というのも、今彼女に抱えられてすやすやと眠っている赤ん坊のことなのだろう。糸音は無論、唖然としていた。赤ん坊の太助はゆっくりと目を開き、起きた。何も分かっていないからか「きゃっきゃっ」と糸音に対して笑いかけていた。

「……太一郎さんが、人を殺した?」
「はい。……立ち寄った店の物を盗み、店主ともめた際にそのまま殺してしまったと」
「あの人はそんなことをする人じゃありませんでした!」

 私だって、初め彼を見たときはそう思った。だけど――。

「ですが事実です。たとえ事故であっても、人を死なせたことに変わりなく。罪は罪です。私が斬首人としてこの手で断罪しました」
「……」
「糸音、奥で話そう。ここでは少し……」
「そうねぇ。ささ、奥にお入んなさい。玄関は寒いでしょう」

 お鈴が言葉を失ってその場に固まってしまった糸音からゆっくりと太助を掬い上げると、奥の居間へと水埜辺たちを招いた。
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