彼岸の王と首斬り姫

KaoLi

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第六章

第四十五話 鳥籠の中の花

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 翌日、裏業――乃花はされるがまま朝のうちから忙しくしていた。
 これまでは橋具の娘と言う立場を隠し裏業をこなしていたが、今はその仕事をすることが出来なくなった。これもなにかの算段かと彼女は警戒しつつも橋具の命令とあらば、従わざるを得ない。
 現在、彼女は着替えていた。女中、定の手際の良さに驚くものの、それ以上に女性らしい着物を着ることが嫌だった。自分が橋具の娘だと認めてしまえば、今まで形成してきた心の形が崩れていくと感じてしまったのだ。
 ――なんと醜い心のなのか。乃花は俯いた。

「……花様? 乃花様?」
「は、はい?」
「着物の帯はどの色になさいますか?」
「あ、はい。えと……。ではこの色で……」

 畏まりました、と定が乃花の指定した帯以外を傍らに待機させていた女中の一人に渡した。選んだのは桃色の帯だった。定はそれを優しく丁寧に乃花の腰へと巻き始める。内心、乃花は申し訳ないと思っていた。『裏業』として長く生きてきたために、いざ自分の本来の名前を呼ばれると反応が遅れてしまう。
 定はまだ浅乃助が生きていた頃からこの桔梗宮家に仕えている古参の人物であり、乃花のことを知っている数少ない人物だ。

「……はい。これで完成ですわ、乃花様。とてもよく似合っております」
「え、あ……うん。ありがとうございます、お定さん」

 定によって着付けられた乃花は少しだけ恥ずかしそうにして彼女に礼を言う。裏業を継ぐ前はよく、このように華やかな着物を着せられていたな、と感傷に浸っていた。

「……? いかがされました、お定さん」
「いえ、少しだけ感動しておりました。乃花様がお戻りになられて……。きっと浅乃助様もお喜びになっていることでしょう」

 ――浅乃助様……か……。

 乃花は表情を曇らせる。今更、昔のことを思い出すなんて。いつまでも引きずっていてはいけないとは分かっているのに、切っても切れない大切な人なのだと心が言う。亡き浅乃助も今の自分を見たら……必ず悲しい顔をするだろう。血に濡れた義妹など、見たくもないと。乃花は一度小さく深呼吸した。

「お定さん、ありがとう」
「え……?」
「あなたがそう言ってくれるだけで、私は報われます」
「……それは……」
「お、馬子にも衣裳と言うべきかな? 随分とお似合いだね裏業殿。……いや、その姿の時は殿とお呼びすればいいのかな?」
「……桔梗院、有清……殿……」

 いつの間にか着替え室の戸が開かれており、そこに有清が立っていた。何か様子が可笑しいと感じた乃花は定を下がらせた。定は何も言わず一度だけ乃花に頭を下げ、女中と共に部屋を出た。定がある程度遠くへ行ったことを確認すると、乃花は有清をゆっくりと睨み付けた。有清は憎たらしく笑っていた。

「……おぉ、恐い」
「何をしに来たのです。ここは仮にも女人の部屋ですよ」
「何って、未来の花嫁の姿を見に来たんだよ」

 その言葉に乃花は息をすることを一瞬忘れた。この男は一体何を言っているのだろうか。

「血迷ったのか?」
「血迷ってなんかないよ! 本当の話さ。……ひとつ、君の知らない面白い話をしてあげようか?」
「……なに?」

 有清はと不気味な笑みを浮かべる。その意図が読めず乃花は無意識に身震いした。

「僕はね、君の本当のご両親のことを知っているよ」
「――え」
「君の父親は名家の源家の人間だったよ。母親もそれなりの身分だった。なのに随分とみすぼらしい生活をしていたね。何故だか分かるかい? ――君に原因があったのさ」

 思考が追い付かない。何を言っている。何を知っている。
 続きを聞きたいが、脳が彼の言葉を拒絶しようとする。

「君が――だったからさ!!」

 痣者。私が。汗が、止まらない。

「滑稽だよねぇ! 自分の子が呪われてるなんてさぁ……!」
「……その人たちは、どうした……」
「僕の目の前で自害したよ」

 ――自害。

「君の呪いを絶つ代わりにって条件を出したらあっさりね。ぷくく、その痣を打ったのは僕だっていうのにねぇ! あはははっ!」

 ぐしゃり、と乃花の中で完全に何かが砕け散った音がした。沸々と煮えくり返るほどの怒りが湧き、首筋が熱くなる。ゆっくりと有清にバレないように手を当て確認すると、浅乃助のような不自然な痣が右肩まで浮かび上がっていた。同時にあの頃の記憶も浮かび上がってくる。
 あの日、乃花の家に何匹もの化け物たちが、住んでいた家を襲撃した。彼女は父親から家宝だという朝凪を託され、押し入れの中に隠された。その隙間から父親と母親が化け物たちに喰われる瞬間を、彼女は目の当たりにしていた。彼らは自害したのでは、なかった。
 そして、その化け物たちを使役していると思われる人物を、乃花は見ていた。

 ――ああ、思い出した。

 その人物こそ、今目の前にいる桔梗院有清なのだと、確信した。しかし、それでは筋が通らない。
 当時の計算でいけば有清の父である有政が殺しに来たのなら辻褄は合う。なら、何故この男がそのことを知っているのか。嫌な予感がした。

「――貴様が……」
「ん? ……ああ、思い出しちゃった? じゃあ隠す必要はないね。そう、自害じゃなくてあれは僕の絵巻の仕業。……そもそも『桔梗院有政』という人物は。ちなみに、『桔梗院有清』という人も存在しない」

 乃花は絶句した。目の前に立っている人間ではない『何か』をただただ見るしかなかった。恐い。この目の前にいる『桔梗院有清』という人間から今目を逸らせば死ぬと本能が察知していた。

「やっと、やっとだったんだ。やっぱりおらくの末裔だけあって、面影があるなぁ」

 彼はまるで愛しいものを愛でるかのような目で乃花を見た。樂とは一体誰なのか、乃花には分からなかったが、少なくとも今は警戒心を解くわけにはいかず気を張り続ける。

「そういえば、君はあの水埜辺とかいう獣と仲が良かったね。あの男、朔日にいなくなったみたいだけれど……乃花殿はどうしてだか理由を知ってるかい?」
「知るわけないだろう」
「そう。まあ、自分で確かめるからいいんだけどね」

 くすくすと再び不気味な笑い声を上げ、有清は戸に手を掛けた。何かを思い出したのかその場に止まり、くるりと乃花の方に体を向けた。乃花は身構えた。

「橋具様に君との婚姻のことお伝えしたら、是非と返事を頂いたよ。あとはあの水埜辺とかいう獣を次の朔日までに君が首を斬るか、もしくは奴良野山ごと火で燃やせば……僕らの天下が手に入る。楽しみにしておいで」

 有清が部屋を出て行く。瞬間、極度の緊張から解放された乃花はその場に崩れた。結果として水埜辺を巻き込んでしまった。自責の念と、両親の記憶により今は混乱するばかりだった。顔の近くに両手を持っていき、重たい溜息を長く吐いた。
 しかし落ち込んでいてはならない。次の朔日まであと少し。あの男との縁談など願い下げだが、今は水埜辺のことをどう守ろうか考えなければならない。

「もう一度、彼に会わなければ……!」

 だが、彼女は鳥籠の中に閉じ込められてしまう。
 外に出ようとした瞬間、浅乃助と同じように部屋の中から出られなくされていたのだ。自分が痣者であるから、妖怪と同じく異物とみなされ、拒絶されているのだと今なら分かる。どうすればいいのだろう。考えていると、ふと目の端に一冊の本が入った。それは彼岸の世界から勝手に拝借した水埜辺の日記だった。もしかするとこの中に何か、桔梗院家の秘密や彼と戦うための打開策などが記されているかもしれない。そう思い立った乃花はこの間読み進めた場所から再び読み始める。
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