彼岸の王と首斬り姫

KaoLi

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第六章

第五十四話 日記 頼守の夢

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 嫌な予感はしていたが、まさかこうなるとは俺も予想していなかった。ただ、目の前の光景に多少驚きはしたものの、薄々分かっていたので覚悟は決めていた。俺は頼守を支え俺を見る頼舟にゆっくりと近付いた。

「……お前は……」

 頼舟の手元には朝凪があった。つまり、頼守の願いは無事に叶ったということだ。

「頼舟。頼守の夢は、ちゃんと受け取ったな?」
「何故、私と弟の名前を」
「ずっと見守ってきたからな。お前たちのことは幼い頃から知っているさ」

 気を失い、今にも死にそうな頼守の頬をひと撫でする。温かかった頃の笑顔が冷たくなってもなお、彼から感じることに少しだけ俺は安心した。まだ、終わっちゃいない。

「頼舟、頼守のことは俺に任せてくれないか」
「何を言っている。頼守は死ぬ。私の所為で、死ぬんだ……!」
「助かるかもしれない。ただ、助かったとしても、お前は頼守と二度と会うことはできない」
「……。頼守が生きられる場所があるのなら、頼む。助けてくれ……!」
「もとよりそのつもりだ。……さあ、お行きなさい。じきに村の者たちがこちらへやってくる」
「……お前、名は何と?」
「通りすがりの……ただの、妖怪だよ」

 頼舟は一瞬目を見開いたが、俺を見て信用に値する人物だと確信すると、頼守を俺に渡した。そして一礼し、朝凪と血に濡れた夜凪を持ちその場を去って行った。これで頼守の夢は果たされた。俺は横たわる頼守をゆっくりと抱き上げる。乱れた前髪を掻き上げ頼守の表情を見る。

「……お前、俺よりも、うんと、長く生きるはずだっただろう」

 何で死を選んだんだ、と俺は口の端を噛み切るくらいの力で噛む。血の味がした。

「待っていろ。すぐに助けてやるからな」
「兄上」

 背後から呼ばれ、俺は後ろを振り向いた。水紀里と水伊佐が天狗の面をして立っていた。

「水紀里、水伊佐、すまないが頼守を彼岸の鴉天狗の屋敷へ運んでくれないか」
「人間を彼岸へ?」
「危険では?」
「死に近い状態にいる今なら、恐らく大丈夫だろう。俺にはまだ此岸でやらねばならぬことがある。先に帰って待っていてくれ」
「分かりました」

 水紀里たちは頼守を抱え、静かにその場を後にした。

「ぐっ……」

 突然胸が痛み、その場に片膝をつく。俺の、その時も近いということを察する。自覚した時、不思議と笑みが零れてきた。情けない。大妖怪ともあろう俺が、満身創痍とは。

「――なーんだ、手負いか」
「! ……桔梗院、有宗……!」
「あれ? 私の名を知っている? どうして……、ああ、そうか。思い出したよ。この百絵巻『鴉天狗』の一族だったね」
「ああ……。散々俺たちの山を踏みにじりやがって。人間は好きだが、陰陽師は大嫌いだ」
「そうかそうか。大嫌い大嫌い結構。君のこともこの絵巻の中に封じ込めたいのは山々なんだけど……生憎と君の席は間に合っているのでね」
「貴様」
「手負いに興味はない。痣者もどこかへ行ってしまったし……。頼舟の大事なものを全て壊してやろうと思ったんだがなあ……。ま、勝手に死んでくれたことだし、ここですることはもうないな」

 すっと目を細めた有宗は指を一度鳴らす。先ほど倒したはずの村の者たちが不穏な黒い靄を纏い辺りから出てきた。ざっと見積もって三十人といったところか。

「妖怪憑……」
「殺さなければ黒い靄は取れないぞー。キャハハハッ!」

 有宗は高笑いをしながら、次の瞬間にはもうどこぞへと消えてしまった。

「あいつ、俺が人間を殺せないことを逆手に取ったか。だが、残念だったな」

 俺はもう一度納めていた太刀を抜刀し、足に力を入れ地面を踏み込み村民に攻撃する。抜刀された刃先は、続々と村民の腹や肩などを斬りつけていく。刀を納刀した瞬間、村民たちは揃って地面に倒れ込んだ。

「安心しろ、全員みね打ちだ」

 黒い靄はそのうち解けるだろう。それだけを信じて俺は彼岸の屋敷へと急いだ。

 ❀

 彼岸へ戻ると、水紀里と水伊佐が頼守の手当てを行っており、奥には母上が座っていた。俺は母上の側に寄り、腰に携えていた小太刀を畳上に置き、両手をつきこうべを垂れる。

「母上……。勝手な真似をして、申し訳ありませんでした」

「……もう何も思っていません」と、母上は俺のことを見ることはなかったが、頼守を彼岸の屋敷へ連れ帰ったことについては言及されずに済みそうでほっとした。

「はい。水紀里、水伊佐。何も聞かずに俺の言うことを聞いてくれて、ありがとうな」
「いや……」
「……兄様のことです。何かお考えがあってのことでしょう?」
「ああ。……母上、俺はこれより頼守を救うため、半妖になろうと思います。手を、お貸し願いたい」

 瞬間、場の空気が凍り付いた。
 完全な妖怪が、人間と体を分け合う半妖になるということがどれだけ危険なことかをその空気が物語っていた。そして、それが分からない俺でもない。

「どうしても死なせたくないんだ。母上なら、知っているんじゃないか? 半妖のなり方を」
「…………本当に、よいのですね?」
「ああ。覚悟はできている」
「半妖になれば貴方の心が無くなってしまう可能性も否定はできません。それでもいいと」
「頼む。俺がこいつにしてやれることなんて、これくらいしかないんだ」

 再び俺は母上に首を垂れ、願い出る。畳を見ていたから今彼女がどんな表情をしているのかは分からないが、きっと呆れた表情をしていることだろう。

「……分かりました。……水紀里、水伊佐。あなたたちは少し席を外しなさい。そしてわたくしが良いと言うまで決してこの部屋へ入室することを許しません。いいですね」
「はい」
「分かりました」

 水紀里たちは歯向かう素振りを一切せず、部屋から退室した。

「では、始めましょうか」

 俺は決心して一度深呼吸をする。そして虫の息である頼守の頬に触れ、覚悟を決めた。

「……絶対、助けてみせる。待っていろ頼守」

 少しだけ頼守の表情が、和らいだ気がした。

 ❀

『その後のことはあまり憶えていない。次に目が覚めた時には、目の前に倒れていたはずの頼守はいなかった。しかし、その月から朔日になると意識が飛ぶようになり、一日すればまた俺の意識は世界に戻った。その一日間の記憶の無い日について水紀里たちに話を聞いたところ、どうやら半妖というものは朔日になると妖怪としての力を完全に失うらしい。妖怪おれの力が薄れることにより、人間である頼守の意識が浮上するのだと推測できた。
 何はともあれ、俺は半妖になったことを後悔していないし、姉弟たちとも頼守が仲良くしているようで俺としては安心できる環境になって、良いことばかりだ。
 いつか、俺が死んだ時、頼守と語らう日が来るのなら。酒でも飲みながら今までのことを話し合いたいと思う。
 お前と、共に笑える日が来ることを、俺は願っているよ』
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