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第十話
しおりを挟む「まぁ、これは……熊さん?」
屋台を一回りし、ベルンハルトの案内で職人通りを歩いていたマリアは、工房の窓際に設置された作業台に並べられた木彫りの動物に気付いて足を止めた。
しっかりと大地を踏み締め片手で鮭を獲る熊の姿は、荒々しい自然界に生きる獣の特性をよく表現している。ちなみにこの熊はベルガー領の特産品である。
じっと木彫りの熊を見つめているマリアを見て、ベルンハルトは工房の職人たちに中を案内してもらえないかと声を掛けた。
驚いたのは工房の職人たちだ。
「領主様! どうなすったんですか、こんな工房まで……」
「婚約者がこの工房の品が気になっているようなのだ。よく見せてやってほしい」
「そりゃあ構いませんがね。お嬢さんが見て楽しいようなものなんざ、一個もありゃしませんよ」
困惑しながら職人の一人が工房の扉を開けて中に招き入れる。
広い工房ではないのでヴォルフとローザは工房の前で待機することにして、ベルンハルトのエスコートでマリアはおずおずと工房の中へと入った。
工房の床はそこかしこに木屑が散らばり、ぷんと強く木の香りが漂っている。
壁の棚には作業工程ごとに動物の彫刻が並べられていて、奥では職人が手のひらにちょこんと乗るような小さな彫刻に色をつけているところだった。
「まぁ! まぁまぁまぁ! こんなにたくさんの動物が! ベルンハルト様、見てくださいな。うさぎさんがいますわ! なんて可愛らしい……」
「そうだな。(君が)可愛いな」
うさぎさん!お馬さん!とマリアは動物の彫刻を見てきゃっきゃとはしゃいでいる。
可愛らしいドレスを纏ったどう見てもご令嬢であるその娘が噂の領主様の婚約者かと、職人達はちらちらとマリアを見て、そして工房の主人が皆を代表してベルンハルトに問い掛けた。
「領主様、そちらが、その……」
主人の言葉にベルンハルトは機嫌よく頷き、マリアを呼び寄せると改めて彼らに紹介した。
「こちらはマリア・アーシェ・ラカン男爵令嬢。俺の妻になる女性だ」
「ご挨拶が遅れてごめんなさいね。どうぞよろしくお願いします」
妻になる女性と紹介され、マリアはポッと顔を赤くしながらもニコニコと職人たちに挨拶する。
ベルガー子爵に嫁ぐご令嬢と聞いていたから、心臓に毛が生えたような屈強な娘が来るのだと思っていた職人達は、目の前の仔兎のような愛らしい娘に揃ってぽかんと口を開けた。
他領の娘が領主のことを恐れるあまり、影を見ただけで卒倒するというのは有名な話であり概ね事実である。
それなのにこの娘の愛らしさときたらどうだ。
ベルンハルトの隣に笑顔で立っているどころか、これ見てくださいなとベルンハルトの手を引いたりなんぞしている。
その表情は幸せそのもので恐怖などかけらも見えない。
「……坊ちゃん、幸せになってくだせぇ……!」
ついに工房の主人はウッと声を上げ、目元を押さえて俯いた。それに続いて工房のあちこちから啜り泣く男達の声が聞こえる。
そうだ。うちの領主は自分たちの自慢の領主なのだ。
多少デカくて強面かもしれないが、腕っぷしも立ち、領民を気にかけ、戦場でも先陣を切って敵をちぎっては投げする男前だ。熊だって仕留めるし。
今までずっとベルガー領主として孤高を貫いていたが、領民としては本当は誰よりも幸せになってほしい方なのだ。
ベルガー領民は皆ベルンハルトを敬愛している。
これまでの思い出が走馬灯のように思い出され、職人達は男泣きしながら幸せになれよと心からの祝いの言葉を贈った。
その言葉にベルンハルトは照れくさそうに肩を竦めた。
「おい、坊ちゃんはやめろと言っているだろう。いつまで子供扱いするつもりだ」
「この前までそこらで拾った良い感じの枝を片手に、ヴォル坊と山やら林やらを駆け回っていた坊ちゃんが……。なんてめでてぇこった……」
そして工房の主人は結婚祝いだと言ってマリアに好きな彫刻を持っていくように言った。
「どうぞ何でもお好きなものをお持ちくだせぇ」
「まぁ。そんな……どれでもよろしいの?」
「マリア。どれにする。先ほど見ていた兎か? リスもあるぞ」
「では、こちらを頂けますかしら」
マリアは迷うことなく一つの彫刻を選んだ。
それを見てベルンハルトはぱちと目を瞬かせる。
「それで良いのか」
「これが良いんです」
マリアが選んだのは最初に見ていた、やたら躍動感のある木彫りの熊だった。
まだ加工が終わっていないものであったので、仕上げが済んだら屋敷に送ってもらうよう頼み、マリアはくふくふと嬉しそうに笑って言った。
「だってこの熊さん、ベルンハルト様に似ているんですもの。雄々しくて逞しくて、それに可愛い」
「確かに俺の名前は『勇敢な熊』を意味するが……。可愛い……?」
「はい! うふふ。可愛い熊さん、お屋敷に来たら私のお部屋に飾りましょうね」
マリアは選んだ熊の頭を撫でて工房の主人によろしくねと微笑み、いまだキョトン顔をしているベルンハルトの手を引いた。
「ベルンハルト様? どうなさったの?」
「い、いや。なんでもない。……主人、俺はこれを貰ってもいいだろうか」
「えぇ、えぇ。おや、兎ですかい。なんなら紐を付けて剣帯に結えるようにしましょうか」
「いいのか! 是非頼みたい」
小さな野兎の彫刻を選んだベルンハルトの真意を見抜き、主人は無精髭を撫でながら構いませんよと頷いた。伊達に子供の頃からベルンハルトを見ていない。
工房の職人達は仲睦まじい様子の二人を見送り、明日からは通常の仕事は一旦休みにして二人の結婚式の祝いのための彫刻に全振りしようと満場一致で決めた。
ベルンハルトにエスコートされつつ最後にぐるりと工房を見回したマリアは、しみじみと言った。
「それにしても、どれも本当に見事な細工ですね。これは一流の技術がなければ出来ないことだわ。こんな風に毛の一本まで丁寧に彫って艶やかな毛並みを再現するのは、きっと王都の職人でも難しいと思うの。あぁ、ベルガー領には昔から伝わる武器の製法があると聞きましたから、彫刻の道具もそうなのかしら?」
マリアは武器や武具だけでなく職人が使う道具にも精通している令嬢であった。
その言葉はお世辞だとか社交辞令ではなく、マリアが心の底からそう感じたから出たものであり、それを聞いた職人たちは自分たちのような裏方仕事を認めてもらえたことについて感動でまた泣き始めた。
そして二人は行く先々で職人や領民を感動で泣かせては祝いの品と言ってりんごやら花やら飴やら上質の鉄鉱石やらを持たされ、ヴォルフとローザに急遽荷物を入れるための袋を探しに行ってもらうのだった。
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