ベルガー子爵領結婚騒動記

文月黒

文字の大きさ
10 / 23

第十話

しおりを挟む

「まぁ、これは……熊さん?」

 屋台を一回りし、ベルンハルトの案内で職人通りを歩いていたマリアは、工房の窓際に設置された作業台に並べられた木彫りの動物に気付いて足を止めた。
 しっかりと大地を踏み締め片手で鮭を獲る熊の姿は、荒々しい自然界に生きる獣の特性をよく表現している。ちなみにこの熊はベルガー領の特産品である。
 じっと木彫りの熊を見つめているマリアを見て、ベルンハルトは工房の職人たちに中を案内してもらえないかと声を掛けた。
 驚いたのは工房の職人たちだ。

「領主様! どうなすったんですか、こんな工房まで……」
「婚約者がこの工房の品が気になっているようなのだ。よく見せてやってほしい」
「そりゃあ構いませんがね。お嬢さんが見て楽しいようなものなんざ、一個もありゃしませんよ」

 困惑しながら職人の一人が工房の扉を開けて中に招き入れる。
 広い工房ではないのでヴォルフとローザは工房の前で待機することにして、ベルンハルトのエスコートでマリアはおずおずと工房の中へと入った。
 工房の床はそこかしこに木屑が散らばり、ぷんと強く木の香りが漂っている。
 壁の棚には作業工程ごとに動物の彫刻が並べられていて、奥では職人が手のひらにちょこんと乗るような小さな彫刻に色をつけているところだった。

「まぁ! まぁまぁまぁ! こんなにたくさんの動物が! ベルンハルト様、見てくださいな。うさぎさんがいますわ! なんて可愛らしい……」
「そうだな。(君が)可愛いな」

 うさぎさん!お馬さん!とマリアは動物の彫刻を見てきゃっきゃとはしゃいでいる。
 可愛らしいドレスを纏ったどう見てもご令嬢であるその娘が噂の領主様の婚約者かと、職人達はちらちらとマリアを見て、そして工房の主人が皆を代表してベルンハルトに問い掛けた。

「領主様、そちらが、その……」

 主人の言葉にベルンハルトは機嫌よく頷き、マリアを呼び寄せると改めて彼らに紹介した。

「こちらはマリア・アーシェ・ラカン男爵令嬢。俺の妻になる女性だ」
「ご挨拶が遅れてごめんなさいね。どうぞよろしくお願いします」

 妻になる女性と紹介され、マリアはポッと顔を赤くしながらもニコニコと職人たちに挨拶する。
 ベルガー子爵に嫁ぐご令嬢と聞いていたから、心臓に毛が生えたような屈強な娘が来るのだと思っていた職人達は、目の前の仔兎のような愛らしい娘に揃ってぽかんと口を開けた。
 他領の娘が領主のことを恐れるあまり、影を見ただけで卒倒するというのは有名な話であり概ね事実である。
 それなのにこの娘の愛らしさときたらどうだ。
 ベルンハルトの隣に笑顔で立っているどころか、これ見てくださいなとベルンハルトの手を引いたりなんぞしている。
 その表情は幸せそのもので恐怖などかけらも見えない。

「……坊ちゃん、幸せになってくだせぇ……!」

 ついに工房の主人はウッと声を上げ、目元を押さえて俯いた。それに続いて工房のあちこちから啜り泣く男達の声が聞こえる。
 そうだ。うちの領主は自分たちの自慢の領主なのだ。
 多少デカくて強面かもしれないが、腕っぷしも立ち、領民を気にかけ、戦場でも先陣を切って敵をちぎっては投げする男前だ。熊だって仕留めるし。
 今までずっとベルガー領主として孤高を貫いていたが、領民としては本当は誰よりも幸せになってほしい方なのだ。
 ベルガー領民は皆ベルンハルトを敬愛している。
 これまでの思い出が走馬灯のように思い出され、職人達は男泣きしながら幸せになれよと心からの祝いの言葉を贈った。
 その言葉にベルンハルトは照れくさそうに肩を竦めた。

「おい、坊ちゃんはやめろと言っているだろう。いつまで子供扱いするつもりだ」
「この前までそこらで拾った良い感じの枝を片手に、ヴォル坊と山やら林やらを駆け回っていた坊ちゃんが……。なんてめでてぇこった……」

 そして工房の主人は結婚祝いだと言ってマリアに好きな彫刻を持っていくように言った。

「どうぞ何でもお好きなものをお持ちくだせぇ」
「まぁ。そんな……どれでもよろしいの?」
「マリア。どれにする。先ほど見ていた兎か? リスもあるぞ」
「では、こちらを頂けますかしら」

 マリアは迷うことなく一つの彫刻を選んだ。
 それを見てベルンハルトはぱちと目を瞬かせる。

「それで良いのか」
「これが良いんです」

 マリアが選んだのは最初に見ていた、やたら躍動感のある木彫りの熊だった。
 まだ加工が終わっていないものであったので、仕上げが済んだら屋敷に送ってもらうよう頼み、マリアはくふくふと嬉しそうに笑って言った。

「だってこの熊さん、ベルンハルト様に似ているんですもの。雄々しくて逞しくて、それに可愛い」
「確かに俺の名前は『勇敢な熊』を意味するが……。可愛い……?」
「はい! うふふ。可愛い熊さん、お屋敷に来たら私のお部屋に飾りましょうね」

 マリアは選んだ熊の頭を撫でて工房の主人によろしくねと微笑み、いまだキョトン顔をしているベルンハルトの手を引いた。

「ベルンハルト様? どうなさったの?」
「い、いや。なんでもない。……主人、俺はこれを貰ってもいいだろうか」
「えぇ、えぇ。おや、兎ですかい。なんなら紐を付けて剣帯に結えるようにしましょうか」
「いいのか! 是非頼みたい」

 小さな野兎の彫刻を選んだベルンハルトの真意を見抜き、主人は無精髭を撫でながら構いませんよと頷いた。伊達に子供の頃からベルンハルトを見ていない。
 工房の職人達は仲睦まじい様子の二人を見送り、明日からは通常の仕事は一旦休みにして二人の結婚式の祝いのための彫刻に全振りしようと満場一致で決めた。
 ベルンハルトにエスコートされつつ最後にぐるりと工房を見回したマリアは、しみじみと言った。

「それにしても、どれも本当に見事な細工ですね。これは一流の技術がなければ出来ないことだわ。こんな風に毛の一本まで丁寧に彫って艶やかな毛並みを再現するのは、きっと王都の職人でも難しいと思うの。あぁ、ベルガー領には昔から伝わる武器の製法があると聞きましたから、彫刻の道具もそうなのかしら?」

 マリアは武器や武具だけでなく職人が使う道具にも精通している令嬢であった。
 その言葉はお世辞だとか社交辞令ではなく、マリアが心の底からそう感じたから出たものであり、それを聞いた職人たちは自分たちのような裏方仕事を認めてもらえたことについて感動でまた泣き始めた。

 そして二人は行く先々で職人や領民を感動で泣かせては祝いの品と言ってりんごやら花やら飴やら上質の鉄鉱石やらを持たされ、ヴォルフとローザに急遽荷物を入れるための袋を探しに行ってもらうのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

ローザリンデの第二の人生

梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。 彼には今はもういない想い人がいた。 私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。 けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。 あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。 吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。 ※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。) 1/10 HOTランキング2位、ありがとうございます。

侯爵令嬢ソフィアの結婚

今野綾
恋愛
ソフィアは希少なグリーンアイを持つヴィンセントと結婚したが、これは金が欲しいソフィアの父の思惑と高い爵位が欲しいヴィンセントの思惑が一致したからに過ぎない そもそもヴィンセントには美しい恋人がいる 美男美女と名高いヴィンセントとその恋人は身分に大きな差があるために結婚することは叶わないのだ その事をソフィアも耳にしており、この結婚が形ばかりのものであることを知っていた 結婚して早々、ソフィアは実家から連れてきた侍女夫婦とあばら家に住むように言われて… 表紙はかなさんです✨ ありがとうございます😊 2024.07.05

結婚十年目の夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。彼は「送り間違えた」というけれど、それはそれで問題なのでは?

ぽんた
恋愛
レミ・マカリスター侯爵夫人は、夫と政略結婚をして十周年。侯爵夫人として、義父母の介護や領地経営その他もろもろを完ぺきにこなしている。そんなある日、王都に住む夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。義弟を通じ、夫を追求するも夫は「送り間違えた。ほんとうは金を送れというメモを送りたかった」という。レミは、心から思った。「それはそれで問題なのでは?」、と。そして、彼女の夫にたいするざまぁがはじまる。 ※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

お飾り結婚だからと自由にしていたら、旦那様からの愛が止まらない

よどら文鳥
恋愛
 父親が管理している領地運営の手伝いをして、領民が喜ぶ姿を見ることが大好きなレイチェル=ヴィニア。  少しでも領地のためにと、自らがヴィニア伯爵家の家事や料理を率先して行って、それもまた楽しんでいるレイチェル。  しかしレイチェルは、悪い噂が目立つ相手から求婚され続け困っていた。  そんなとき、隣国との紛争を止めて国の救世主となって絶大な人気を誇るハイド=ラフィーネ公爵第二令息から突然の求婚。  互いに恋愛感情がないからという理由でお飾り結婚と堂々宣言。  しかし男性に全く興味をもたないレイチェルとしては、自由を約束された結婚は大変ありがたい提案だったため、婚約成立して結婚。  ラフィーネ公爵家で生活が始まると同時にハイドは隣国へ遠乗り。  本当に興味がないことに安心してレイチェルは公爵家でマイペースに過ごしていく。  ところが、肝心の公爵家内部事情は暗かった。レイチェルが使用人たちと仲良くなることをキッカケに公爵家の雰囲気も変わっていく。  ハイドが帰還したときにはすっかりと雰囲気の変わった公爵家。  レイチェルが来たからだと確信したハイドは徐々にレイチェルのことが気になってきて……?  いっぽう、レイチェルに無理強いで求婚ばかりしていたガルム=バケットは、公爵家に嫁いだことを知ってもまだ諦めきれていなかったようで……?  これは互いに興味のなかった二人が、いつのまにか大事な存在へと変わっていくお話。 ※全25話、恋愛要素は物語中盤からとなります。

ジルの身の丈

ひづき
恋愛
ジルは貴族の屋敷で働く下女だ。 身の程、相応、身の丈といった言葉を常に考えている真面目なジル。 ある日同僚が旦那様と不倫して、奥様が突然死。 同僚が後妻に収まった途端、突然解雇され、ジルは途方に暮れた。 そこに現れたのは亡くなった奥様の弟君で─── ※悩んだ末取り敢えず恋愛カテゴリに入れましたが、恋愛色は薄めです。

公爵令嬢は婚約破棄に微笑む〜かつて私を見下した人たちよ、後悔する準備はできてる?〜

hotate
恋愛
婚約者に裏切られ、社交界で笑い者にされた公爵令嬢リリアナ。 しかし彼女には、誰も知らない“逆転の手札”があった。 婚約破棄を機に家を離れ、彼女は隣国の次期宰相に招かれる。 そこで出会った冷徹な青年公爵・アルヴェンが、彼女を本気で求めるようになり——? 誰もが後悔し、彼女だけが幸福を掴む“ざまぁ”と“溺愛”が交錯する、痛快な王道ラブロマンス!

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

処理中です...