ベルガー子爵領結婚騒動記

文月黒

文字の大きさ
4 / 23

第四話

しおりを挟む
 ベルガー子爵邸の中庭には、マリアが見て判るだけでも数種類のハーブが植えられていた。
 多分マリアが知らないだけで実際にはもっとたくさんの種類が植えられているのだろう。
 ハーブティーは近年王都でも流行っていたが、マリアの生家では既にハーブティーとして整えられた茶葉を買うだけだったため、こうして実際に生えているものを見るのは初めてだった。

「可愛いお庭……」

 思わず呟いたマリアに、ベルンハルトが気に入ったようで良かったと安堵する。
 王都で流行っている庭の造りなど知らないので、時代遅れだとか流行違いだとか思われたらどうしようかと心配していたのだ。
 しばらく二人でじっと庭を眺めていたが、ヴォルフがごほんとわざとらしい咳払いをしてそろそろ本題に入れとベルンハルトに促す。
 そこで初めて本来の目的を思い出し、ベルンハルトはちらとマリアへと視線を向けた。
 ぬる目に淹れたハーブティーを美味しそうに口にするマリアは、次にビスケットに手を伸ばして一口齧りパッと顔を輝かせた。
 可愛い。物凄く可愛い。ビスケットを齧るだけでこんなにも可愛いという事は、最早呼吸をしているだけでも可愛いのでは?とベルンハルトの意識が脱線しそうになると、それを察した再びヴォルフが咳払いをする。
 乳兄弟からの「腑抜けてんなよテメェ」という視線に「黙れ」と視線で返してベルンハルトは口を開いた。

「ラカン男爵令嬢」
「は、はいっ」
「……遠路はるばるお越し頂き感謝する。長旅で疲れてはいないだろうか」
「そんな、私は大丈夫です。私こそ皆様の歓迎に心より感謝申し上げます。あっ、私ったらきちんとご挨拶もしていないわ。大変失礼致しました。改めてご挨拶申し上げても?」
「あ、あぁ」
「それでは……」

 慎重にティーカップを置いたマリアは、上等なソファから立ち上がると、手でスカートの皺を払ってから、ベルンハルトに向けて軽く膝を折って礼をした。

「ラカン男爵家四女、マリア・アーシェ・ラカンでございます。この度、ベルガー子爵様に嫁ぐため罷り越しました。どうぞ末永くよろしくお願い申し上げます」

 きっと何度も練習したのだろう。
 わずかな緊張を滲ませた声で口上を述べると、マリアは申し訳無さそうに目を伏せてぽしょぽしょと弱々しい口調で言った。

「あの、ドレスはちゃんと落ち着いたものを仕立て直しますから、どうかそれまでお目溢し頂けると……」
「ドレス? 持ってきた分では足りなかったのか?」
「いえ、でも、デザインが子供っぽいので……」
「そうか? 俺にはご婦人のドレスはよくわからんが、よく似合っているし、可愛らしくて良いと思うが……気に入らないのなら君の好きにすると良い」

 何気なく答えたベルンハルトだったが、みるみる内にマリアの顔が真っ赤になっていくのを見て、何か失言でもしたかと思わず控えていたヴォルフを見た。
 視線の先のヴォルフはいい笑顔でサムズアップしているので、失言ではなかったらしい。
 なおヴォルフの隣に控えていたローザはお嬢様が可愛いのは当然だが?という顔をしている。
 何が何だかわからないまま、ベルンハルトはマリアへと視線を戻した。
 マリアは両手を赤く染まった頬に当てて可愛いって言われちゃったと一人きゃあきゃあしている。
 そこまでの流れを脳内で何度も反芻し、ベルンハルトはついに一つの結論に辿り着いた。

(そうか、彼女に対して可愛いという当たり前の言葉を口に出しても許されるのか……)

 そしてベルンハルトはすぐにそれを実行した。

「今着ているドレスも大変可愛らしいと思う。髪型も素敵だ」
「えっ、あ、ありがとうございます。私、子爵様はもっと落ち着いたデザインの方がお好きかと思って……。先ほどはびっくりして泣いてしまってごめんなさい」
「いや、構わない。泣かれるのには慣れている」

 それきり二人はしばらく無言でいじいじもじもじしていたが、今度はマリアが意を決したような顔で言った。

「わ、私も、ベルガー子爵様の鎧姿、とってもかっこいいと思います! 凛々しくて、逞しくて、頼もしく思えます!」
「そうか……!」

 鎧の良さが解る令嬢・マリアは、ベルンハルトの籠手に施された細工が西方の職人のものである事まで見抜いて、褒めに褒めちぎった。
 ベルンハルトは何故令嬢がこんなに武具に詳しいのかと不思議に思ったが、よくよく思い返せば彼女の生家・ラカン男爵家は、そもそも武器や防具を中心に商う家であったと思い至った。
 彼女にとって武器防具というものは、他の貴族令嬢に比べるとずっと身近なものだったのかもしれない。
 マリアについて一つ知るたび十の驚きと百の喜びがある。
 誇張ではなく心の底からベルンハルトはそう思った。
 そして彼女と出会えた奇跡と、あの日の夜会の主催者に心から感謝した。

「俺からも改めて。ベルンハルト・フォン・ベルガー。君の夫となる男だ。見ての通り貴族らしい繊細さとは無縁の無骨なばかりの男だが、どうかよろしく頼む」

 そう言ってベルンハルトはマリアの前に跪き、彼女のドレスの裾を手繰って口付けを落とした。
 ひゃあとマリアの口から声が漏れたが、そんな姿ですら可愛く見えて、ベルンハルトは久しぶりに、本当に久しぶりに心から笑ったのだった。




 それから二人は庭に出て、少しばかりの散策を楽しむ事にした。
 ベルンハルトは自分が特に気に入っている庭から見える山の稜線が夕陽で橙色に染まる瞬間を見て貰いたかったし、庭師が丹精込めた庭ももっと楽しんで貰いたかったからだ。

「子爵様、とても良い香りがしますわ」
「あぁ、それはあの花の香りだろう」

 リラックスした様子で散策を楽しむ二人を、控えていたヴォルフはどこか安堵した気持ちで、そしてローザはやはりうちのお嬢様は世界一可愛いという気持ちで眺めていた。
 更に言えば、使用人通路に控えていた使用人達は、盗み聞いたこれまでの会話やドアの隙間から覗き見た二人の様子に嗚咽を堪えるのに必死だった。
 ようやくうちの子爵も幸せになれる。
 男爵令嬢もこのベルガー子爵領で幸せになってほしい。
 二人ともどうぞ末長く幸せになってくれ。
 それこそ、屋敷の使用人ひいては領民全ての悲願であった。

 ──その夜、屋敷の半地下にある使用人ホールでは、使用人達が拳を握ってヨッシャオラ!と二人の幸せな未来を願い、皆に望まれた子爵の結婚式の前祝いに沸きに沸いた。
 今日もベルガー子爵領はこのように概ね平和に一日を終えたのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

ローザリンデの第二の人生

梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。 彼には今はもういない想い人がいた。 私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。 けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。 あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。 吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。 ※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。) 1/10 HOTランキング2位、ありがとうございます。

侯爵令嬢ソフィアの結婚

今野綾
恋愛
ソフィアは希少なグリーンアイを持つヴィンセントと結婚したが、これは金が欲しいソフィアの父の思惑と高い爵位が欲しいヴィンセントの思惑が一致したからに過ぎない そもそもヴィンセントには美しい恋人がいる 美男美女と名高いヴィンセントとその恋人は身分に大きな差があるために結婚することは叶わないのだ その事をソフィアも耳にしており、この結婚が形ばかりのものであることを知っていた 結婚して早々、ソフィアは実家から連れてきた侍女夫婦とあばら家に住むように言われて… 表紙はかなさんです✨ ありがとうございます😊 2024.07.05

結婚十年目の夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。彼は「送り間違えた」というけれど、それはそれで問題なのでは?

ぽんた
恋愛
レミ・マカリスター侯爵夫人は、夫と政略結婚をして十周年。侯爵夫人として、義父母の介護や領地経営その他もろもろを完ぺきにこなしている。そんなある日、王都に住む夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。義弟を通じ、夫を追求するも夫は「送り間違えた。ほんとうは金を送れというメモを送りたかった」という。レミは、心から思った。「それはそれで問題なのでは?」、と。そして、彼女の夫にたいするざまぁがはじまる。 ※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

お飾り結婚だからと自由にしていたら、旦那様からの愛が止まらない

よどら文鳥
恋愛
 父親が管理している領地運営の手伝いをして、領民が喜ぶ姿を見ることが大好きなレイチェル=ヴィニア。  少しでも領地のためにと、自らがヴィニア伯爵家の家事や料理を率先して行って、それもまた楽しんでいるレイチェル。  しかしレイチェルは、悪い噂が目立つ相手から求婚され続け困っていた。  そんなとき、隣国との紛争を止めて国の救世主となって絶大な人気を誇るハイド=ラフィーネ公爵第二令息から突然の求婚。  互いに恋愛感情がないからという理由でお飾り結婚と堂々宣言。  しかし男性に全く興味をもたないレイチェルとしては、自由を約束された結婚は大変ありがたい提案だったため、婚約成立して結婚。  ラフィーネ公爵家で生活が始まると同時にハイドは隣国へ遠乗り。  本当に興味がないことに安心してレイチェルは公爵家でマイペースに過ごしていく。  ところが、肝心の公爵家内部事情は暗かった。レイチェルが使用人たちと仲良くなることをキッカケに公爵家の雰囲気も変わっていく。  ハイドが帰還したときにはすっかりと雰囲気の変わった公爵家。  レイチェルが来たからだと確信したハイドは徐々にレイチェルのことが気になってきて……?  いっぽう、レイチェルに無理強いで求婚ばかりしていたガルム=バケットは、公爵家に嫁いだことを知ってもまだ諦めきれていなかったようで……?  これは互いに興味のなかった二人が、いつのまにか大事な存在へと変わっていくお話。 ※全25話、恋愛要素は物語中盤からとなります。

ジルの身の丈

ひづき
恋愛
ジルは貴族の屋敷で働く下女だ。 身の程、相応、身の丈といった言葉を常に考えている真面目なジル。 ある日同僚が旦那様と不倫して、奥様が突然死。 同僚が後妻に収まった途端、突然解雇され、ジルは途方に暮れた。 そこに現れたのは亡くなった奥様の弟君で─── ※悩んだ末取り敢えず恋愛カテゴリに入れましたが、恋愛色は薄めです。

公爵令嬢は婚約破棄に微笑む〜かつて私を見下した人たちよ、後悔する準備はできてる?〜

hotate
恋愛
婚約者に裏切られ、社交界で笑い者にされた公爵令嬢リリアナ。 しかし彼女には、誰も知らない“逆転の手札”があった。 婚約破棄を機に家を離れ、彼女は隣国の次期宰相に招かれる。 そこで出会った冷徹な青年公爵・アルヴェンが、彼女を本気で求めるようになり——? 誰もが後悔し、彼女だけが幸福を掴む“ざまぁ”と“溺愛”が交錯する、痛快な王道ラブロマンス!

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

処理中です...