私の世界

江馬 百合子

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清爽の世界

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 なんだか体が温かい気がする。
 それに、この、綺麗な音は何だろう。
 まるで、幾つもの鈴が一斉に転がされているかのような音だった。
 その正体を確かめようと、ゆっくり瞳を開いてみる。
 暫く、世界は真っ白だ。
 目が慣れるまでは詮方無きことなので、大人しくそのまま待つ。
 出来れば、その音の正体をこの目におさめたいと願いながら。
 そのうち、視界がぼんやりと開けてきた。

 やっと確かめることができる。
 そう思ったのも束の間だった。
 目の前には、長い布のようなもので顔中が覆われた男、もとい鈴風の顔が。
 その布の僅かに空いた隙間から覗いてみると、彼の目は未だ閉じられていた。
 どうやらまだ眠っているようだ。

 しかし、この近さには驚いた。
 私の鼻先と彼の鼻先が、触れるか触れないかといった距離であったからだ。
 それだけではない。
 いつの間にか、私は鈴風のかいているあぐらの上に腰掛けていたのだ。

 いくら危険な旅だと言っても、これはやりすぎではないのだろうか?
 ここまで密着して眠る必要があったのだろうか?
 …まぁ、鈴風が必要だと判断したのなら、私には拒む権利も、またその必要もないのだけれど。

 取り敢えず、私が至急考えねばならぬことは、この状況下で、私は今からどのような行動を起こせばいいのか、ということだ。

 彼を、起こすか。
 そっと、彼から離れるか。
 様子を、見ているか。
 …このまま、あの音の正体を探すか。

 迷うことは、なかった。
 私は彼の膝に腰掛けながら、辺りに視線を巡らせた。
 そして、その風景に、思わず息を飲んだ。

 深い深い紅色が、川面に、それは美しく照り映え、どちらが現世でどちらが水の世界なのか、判別がつかないほどに、その色は鮮明である。
 その川面が、朝日に照らされ、きらきらと輝き、その光景は、この世のものとも思われない。
 空は、清々しい程の、快晴。
 遠くにたなびく薄雲は、まるで、扇を幾枚も重ね合わせたかのような繊細な形をしていた。
 これが、外の世界。
 信じられなかった。
 皆、生まれたときからこんなに美しい世界の中で生きているのか。
 私のいた世界は、一体、何だったのだろう。

 そんなことを考えていると、目の前に、何やら不思議なものが飛んできた。
 本当に、空から降りてきたのだ。
 全体が拳程度の大きさで、茶色がかっており、真っ黒できらきらした瞳を持った、生き物である。
 …動いているので、恐らく、生き物だ。
 ピチチチ…と、時折、何とも愛らしい鳴き声を発している。
 その生き物が、突然、また飛び立った。

 何故だか、とても残念だった。
 鈴風が起きていれば…と、いつの間にかそのようなことを考えてしまっていたのだ。
 そんな自分に、とても驚く。
 起きていたからといって、何だというのだろう。
 近頃の自分は、本当に不思議なことばかり考えるようになってしまった。
 そのときの月夜見は、知らなかったのだ。『共有』という概念を。
 他者と同じ心を持つことが出来る、人にだけ許された、特別な喜び。
 それ故、その生き物が鈴風の頭上にとまり、それによって彼が目を覚ましたときに、ふいに感じた感情もまた、彼女には分からなかった。

 鈴風が目を覚ますと、例の生き物はすぐにまた、飛び立ってしまった。
 その様子を、ぼーっと見つめる鈴風は、なんだかまだ眠たそうだ。
 日頃、何処と無く隙のない彼であるだけに、その雰囲気は非常に新鮮であった。

 この気持ちは、一体何なのだろう。
 胸の辺りが、ふわっとして、とても温かい。
 いつまでも、こうしていたい。
 じっと彼の虚ろな瞳を見つめながらそんなことを考えてしまう程、心地の良い雰囲気であった。
 暫くそうしていると、私の視線に気がついたのか、彼は、はっとしたように、こちらを向いた。

「なんだ、月夜見、起きてたのか」

 彼の雰囲気が、普段より心持ち柔らかいような気がした。
 それにしても、私が「心持ち」だなんて、自分から言っておいてなんだが、その表現は皮肉以外の何物でもない。まぁ、言葉の綾というものだ。

「月夜見、お前、あんまり難しい顔ばかりしてると、眉間に皺がついちまうぞ」

 なんだと。
 私の取り止めのない思考をいつものことながら遮ってくださった鈴風は、そう言いながら、両腕を空に向かって、ぐーーっと伸ばし、大きなあくびを一つしてから、

「あー…それにしてもしまったな……まぁ、調子狂う時くらい誰にでもあるか…」

と、呟いた。

 何がしまったのか、私にはよくわからなかったが、どうやら彼にもまた、何か悩みがあるようだ。
 単純そうな顔をして、以外と繊細なのか?

「…お前、またろくでもないこと考えてるだろ」

 …どうやら、読まれているようだ。
 まぁ、彼に考えを読まれようと、彼の悩みがどのようなものであろうと、そのようなことは私の知ったことではない。
 そんなことよりも、私は、彼に尋ねておきたいことがあった。
 すなわち、あの不思議な生き物のことである。
 しかし、ここで問題が一つ浮上してくる。
 どうやって、彼にその問いを伝えるか、ということだ。
 これまでのやり取りからして、彼は、少なからず読心術を心得ているようだ。
 しかし、その術がいかほどのものなのか、また、どういったものなのかは、私にもわからない。
 故に、何とかして自分から彼に、この問いを伝えねばならぬのだが。

 さて、どうしたものか。
 あの生き物は既に何処かへ飛び立って行ってしまっているので、指を指して問う、という当初の計画は実行できそうにない。
 となると、もう手詰まりだ。
 彼が例の如く私の考えを読んでくれるのを待つしかない。
 …よもや、他人に考えを読まれることを待つことになろうとは。

 そのとき、

 ピ、チチチチチ………

 またあの生き物の鳴き声が聞こえてきた。
 とっさに、周囲を見回したが、その姿を捉えることは出来ない。
 どうやら、もう、随分遠くへと行ってしまっているようだ。
 せっかく、絶好の機会を得たと思ったのに、全く、何たることだ。

「なんだ?んなきょろきょろして。もしかして、この声が気になってんのか?」

 願っても無い問いであった。
 つい勢い込んで、何度も頷いてしまったが、それは無理もないことだろう。
 鈴風は「珍しいこともあるもんだなぁ…」などと余計なことを呟きながらも、非常に丁寧に説明してくれた。

「あれは、雀だ。鳥の一種で、まぁ、そこら辺でよく見かける珍しくもなんともない生き物だ。お前なら、そのくらいは分かるだろうと思っていたんだが、実物を見たことがねぇんだったら、その反応は、妥当なんだろうな」

 幾分、私の神経を逆なでするような説明ではあったが、あの生き物の正体はよくわかった。
 成る程、あれが雀であったか。

 それにしても、この男、段々私に対する遠慮が薄れてきていないか?
 はじめのうちは「貴女」であった私への二人称が、いつの間にやら「お前」になっていることには、薄々勘付いてはいたのだが。
 まぁ、特にこだわりもなければ、人のことを言えた義理でもないので、別に構わないのだけれど。

「さて、んじゃ、疑問が解決したとこで、そろそろ出発するか!朝餉は俺の持ってる乾物を道中食う。異存は?」

 勿論、私に異論などありはしない。
 反対するための代替案だって思いつかない。
 というか、そのような瑣末なことなど、どうでもいい、と思ってしまう。
 私は、首を横に振った。

 
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