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第六十二話 祝福の日
しおりを挟む「つまり、颯馬様は無月様のことを愛してらっしゃるということですの?」
からかうでもない、純粋な目に見つめられ、颯馬の顔は赤く染まった。
「愛……してるんだと、思い、ます」
かろうじてそう絞り出せば、蜜華は一言、「そうですの」と納得し、目の前の紙コップに入った紅茶に手を伸ばす。
「……颯馬様のご気性を鑑みれば、無月様を無二の装飾品だと思われているわけでもないのでしょう」
独り言だったのだろう。
しかし、賑やかなファストフード店に、その静かな声は際立って聞こえた。
颯馬は答えるべきか逡巡したが、結局迷いながらも口を開いた。
「……見た目のことをこんな風に言うのは憚られるのですが、初めは、無月さんの姿が苦手だったんです」
姉で慣れているはずの自分でさえ、彼女の美貌が常軌を逸していることくらい一目で分かった。
そしてそのとき湧き上がった感情は、憐憫にも似た切なさに他ならなかった。
直視していたくない、痛々しい、そんな感情だったのだ。
それは、姉のこれまでの人生を、間近で眺めてきたからなのだろう。
美しすぎる姉の周囲で生きてきた痛みを、忘れられないからなのだろう。
大多数から浮くこと。
周囲の注目を集めること。
それが生きていく上でどれほどのハンデになるか、颯馬には分かっていた。
そして確かに、彼女は深く傷ついていた。
「自分は一人ぼっちなのだ」と本気で信じ込むほどに、心を閉ざしてしまっていた。
それを見たとき、「無理もない」そう納得した自分が、確かにいた。
しかし同時に、沸々と湧き上がる何かがあった。「何故そんなことを言うのか」と怒鳴り散らしたい衝動。どうしようもない悲しみ、やるせなさ。
それは、彼女を姉に重ねていたが故の激情だった。
笑ってほしい。幸せになってほしい。
理不尽なひどい世界だけれど、どうか負けずに、前を向いて生きてほしい。
そんな姉への密かな願いを踏みにじられたかのようだった。
今ならば分かる。
複雑な生い立ち、狭い世界の中で、彼女は雁字搦めにされていたのだと。
しかし、あのときは、感情に任せて声を上げることしかできなかった。
彼女の気も知らず、ただ自分の言いたいことを喚き散らしただけだった。
それなのに、彼女は言ったのだ。
――ありがとう、と。
孤独に苛まれながら、それでも彼女は考えることをやめてはいなかった。
希望を捨ててはいなかった。
「僕はあのとき、無月さんは不幸だと決めてかかっていました。でも、そうじゃなかった」
誰より強く未来を願う彼女。
誰より周囲を愛する彼女。
その眩さが、いつしか痛みを塗り替えていった。
「彼女に恥じない自分でありたいと、思います。彼女の笑う未来に生きたい」
蜜華は透明な瞳でひたと見つめた。
吸い込まれそうなその色は、一体何を見据えているのだろう。何を思っているのだろう。
どれだけの沈黙の末にか、蜜華はようやく口を開いた。
「……無月様とともに生きることがどういうことか、聡い颯馬様には分かっているはずですわね」
その雰囲気には他者を萎縮させる何かがあった。
それでも、颯馬は視線を逸らさなかった。
迷わず頷いた。
その先にはこれまで以上の困難が待ち構えていることだろう。
これまでになかった選択を迫られるかもしれない。
それでも。
「あの日、無月さんに出会えたことが、僕の人生の幸いだったんです。例えどんな困難に見舞われても、不幸になんてなれません」
それに、と背筋をピンと伸ばした蜜華を見据える。
その表情は年頃の娘にしては凛々しく、勇ましささえ感じられる。
しかしどこか、泣いているようにも見えた。
「彼女の羽ばたく空を奪わせはしません。この先もずっと」
僕は、その空の青さに救われたのだから。
蜜華は小さくため息をついた。
知っている。
その言葉に嘘がないことも、その覚悟を違えることはないことも。
そして何より、無月が同じ心を彼に抱いていることも。
無月の空が彼の救いであったように、彼の見据える空もまた、彼女の希望だったのだから。
「……私、無月様をお慕い申し上げておりましたの」
低く、しっかりとした声が出た。
本当は、こんなことを言うつもりはなかった。
今更、こんな場所で、本人にさえ告げなかった心を、伝えるつもりなどなかったのだ。
さぞ未練がましく聞こえることだろう。
さぞ驚くことだろう。
そんな恐れに負けそうになる。
しかし颯馬は、ただ静かに次なる言葉に耳を澄ませていた。
そこには驚きも軽蔑も、困惑さえなかった。
そうか、と納得する。
きっとこんな彼だから、無月の心に届く言葉を発せたのだろう。
もう、恐れることなどなかった。
「あの愛は本物でしたわ。ですから同時に分かっていました。私では、無月様を幸せにして差し上げられないと。性別など関係なく、私では駄目なのだと」
だからこそ、日向に協力していた。
日向と共にいる無月は、少しだけ自由に笑う気がしたから。
結局、あれほど近くにいながら、無月の表情一つ正しく読み取れてはいなかったのだ。
「颯馬様」
眼前に座る青年は、どこにでもいるおよそ平凡な高校生だ。
だが彼は、彼の心は、彼だけのものなのだ。
「永遠なんていうものが無いことくらい、私にも分かっています。それでも、どうか、そのお気持ちだけは、変わらないことを祈っておりますわ」
「……確かに、永遠なんてありません。変わり続ける一瞬の連続です」
でも、と颯馬は考える。
「僕が彼女の幸せを願うことに、変わりはないことだけは分かります」
永遠などないと言ったその口で、それでも願いを信じる、愚かしいほどの眩しさ。
蜜華は心の底から愉快になり、初めて涙が浮くほど笑った。
彼の言葉を信じるわけではない。
人の心は移ろうものだし、人生というものは、何が起こるか分かったものではない。
それでも、見てみたくなったのだ。
彼の言う「彼女の幸せ」を。
「……だそうですわよ、無月様。そろそろ出て来てくださいな」
はっとする。
今、ここに彼女がいるのか。
蜜華の視線の先を辿る。
そこには、確かに言葉通り、茫然とした無月が立っていた。
「……今のは、今の、言葉は」
唇がわなわなと震えている。
信じられないという疑心と、疑いたくはないという不安。
膜を張った瞳に、くしゃくしゃに歪められた眉。
「……颯馬さん、本当、なの?」
颯馬の視界から、何もかもが消えた。
見えるのは目の前にいるのは、ひどく傷つけた彼女の心だけ。
どう立ち上がったのかも分からない。
気づけばその冷たくなった両手を、きつく握りしめていた。
「無月さん」
名前を呼べば、彼女の瞳から雫が落ちた。
息を呑み、時が止まったかのような彼女に、もう一度呼びかける。
「……好きです、無月さん」
いくら言葉を尽くそうと思っても、これ以上の言葉は出てこなかった。
ただ彼の目が、その声が、何より彼女を想うと訴える。
もはや疑うことなどできなかった。
「……私も、颯馬さんが好き」
もう二度と口に出すまいと決意した言葉。
それがこんなにも幸せな響きを持っていたなんて。
無月が颯馬の腕におさまると、周囲で唖然と見守っていた人々から、遠慮がちに拍手が起こった。
それは徐々に広がり、音を響かせ、いつしか大きな喝采となり、店中から割れんばかりの祝福が湧き上がった。
そのときになって初めて、颯馬はここがファストフード店であることを思い出したほどだ。
恥ずかしさでどうにかなりそうだったが、彼女はといえば、それはそれは嬉しそうにはにかんでいた。
なるほど、彼女が笑うのなら、こういうのも悪くはないのかもしれない。
情緒も何もなかったが、こんなにたくさんの人たちに祝福される出発なんて、いかにも自分たちらしいではないか。
人だかりの中には、日向や槙、それから、一葉、夏希、佐月の姿まで見えた。
いつか見た成宮透や藤子、光親子までが、目に涙を浮かべている。
この分だと、無月を知る人物は、全員ここに集っているのだろう。
まったく、と内心涙まじりで息をつく。
揃いも揃ってお節介でお人好しで、心優しい人たちばかりだ。
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