無法の世界で、俺の新しい人生が始まる

Ryo Nova

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第1話 立ったまま死んだ少年

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     朝のベルが屋上に響き渡る。
風が廊下を駆け抜け、笑い声、噂話、靴音のリズムを運んでいく。

     俺は一人で歩いていた ― シャツの襟は開き、ネクタイは緩く、バッグは片肩に掛けて。
     
     髪は陽光に照らされて暗紅に輝き、瞳も同じ色 ― 鮮やかではなく、*砕けた*ように、ガラスの下で割れた紅玉のようだった。

         表情は変わらない。穏やかで、無関心。

このうるさい世界には静かすぎるほどに。

      「平和って呼ぶけど、みんな何かと戦う時を待ってるだけだ」と俺は思う。


「整列!」
リョウの声が道場に響く。


天井のライトの下で汗が光り、畳が軋み、足が構えに滑り込む。


       リョウ ― 主将、年上で自信に満ちている ― が一度手を叩き、静かに立つ少年にニヤリと笑う。


「まだ無口か、アカエ? 黙ってるだけで強くなれると思ってんのか?」

俺は顔を上げ、半分だけ目を開けた。
        「……うるさいよりはマシだと思う。」


周りがくすくすと笑う。リョウは首を鳴らし、俺に合図を送った。


         「じゃあ見せてもらおうか。」



ベルが鳴る。

リョウが突っ込む ― 正確で速い。

俺は足をわずかに半インチずらす。打撃は空を切る。

次の攻撃 ― 防ぐ。
蹴り ― かわす。
掌打 ― 受け流す。

  
        打ち合うたびに空気が*鳴り*、床を衝撃が走る。
汗が宙に舞い、時間が緩やかに流れるように、全ての動きが正確に交錯し、空気が唸る。


俺の動きは*滑らかで、計算された*もの。すべての回避が痛みのわずか手前。


       そして ― 一瞬の隙に、俺はリョウの間合いに踏み込み、体をひねって主将を床に転がした。

リョウは転がり、体勢を立て直し、着地する。
二人とも静止 ― 荒い息。

沈黙。


リョウが笑う。


          「お前のリズム、まるで死神だな。」


俺は首を傾げた。


         「ただのバランスだ。」

ベルが鳴る。引き分け。
       
        だが誰もが、勝者が誰かを分かっていた。


部員たちは驚きの声を潜める。

        俺は軽く頭を下げ、道場を出た。陽光が瞳を照らす ― 静かで、危うく、読めない光。


授業後、体育館裏で一人座っていた。

バスケットボールが足元に転がってきた ― 隣の部がパスを誤ったらしい。


         俺はそれを拾い、指先で軽く回す。

片手で放る ― ハーフラインから完璧なシュート。スウィッシュ。

        反応はない。心の中も静かなまま。


「見てる人がいなきゃ、努力なんて意味ない。」


伸びをしながら、何となくシャドーボクシングを始める ― 打撃は正確で、リズムは完璧。
その動きには執念が宿り、傲慢さはない。


風が吹き抜ける。
目を閉じ、呟いた。


       「この退屈な空の下で終わるには、俺は出来すぎてる気がする。」



昼休み。
        ガラス越しの光が絵画のように差し込む。


アリサ ― 完璧で、気品があり、金のリボンを髪に結んだ少女。


        取り巻きに囲まれて座り、鋭いガラスのような青い瞳が、窓際で一人食事をする俺に向けられる。


彼女は小さく鼻で笑う。


      「ずっとミステリアスぶってるの、楽しい?」


俺は顔を上げ、無表情で答えた。

          「……俺、何か気に障った?」

「なっ……!?」彼女の頬が赤くなる。「い、言ってない

        し! あんたは――!」

彼女は弁当を強く突く。


クラスメイトたちは面白がって見ている。俺は一度だけ瞬きした。


         「そっか。」

食事に戻る。
アリサの目がピクッと動く。


        「バカ……」頬をさらに赤くして呟く。


三人の男子 ― 背が高く、脂ぎっていて、うるさい ― がアリサの方へ歩み寄る。

        「よう、お姫様。」リーダーがニヤリと笑う。「そのケーキ、ちょっと分けてくれよ。」


彼女は立ち上がり、氷のような視線を向ける。


         「触ったら指を折るわよ。」


不良は笑い、彼女のトレーを叩き落とす。食べ物が飛び散る。
        空気が凍る。


俺の椅子が静かに擦れる音。立ち上がる。
       急がず、ただ……歩く。

コツン。
牛乳が跳ねた。


        リーダーが固まる。白い染みを見下ろし、顔を歪める。

      「おい、俺に牛乳ぶっかけたな、坊や。」


       「悪い。」


俺は歩き出す。

襟を掴まれる。

             「テメェ、ふざけ――」


拳が飛ぶ。
俺は首を傾ける。拳はかすめる。


次の拳 ― かわす。
蹴り ― 身を傾ける。
トレーの一撃 ― しゃがむ。

        俺は一度も手を上げない。煙のように動くだけ。

観客が息を呑む。時間が止まる。

        一人が蹴りを外し、机に足をぶつけて悲鳴を上げる。
       もう一人は仲間の顔にトレーを叩きつけてしまう。


数秒で、三人は呻く塊となった。


        俺は制服を直し、ため息をついて歩き去る ― まだトレーを持ったまま。


勝ち誇るでもなく、笑うでもなく。静寂だけが残る。


        スマホが構えられ、女子たちが囁く。

アリサは唇を噛み、頬を染める。

        「だ、誰も助けてなんて――」

「……一度も殴ってないのに。」

        そして小さく、赤い顔で呟く。

「見せびらかし野郎。」


夕暮れが街を染める。
俺は一人、点滅する街灯の下を歩き、イヤホンから小さくハミングを漏らす。

          冷たい空気に息が白く広がる。


自販機で足を止め、牛乳を買う。ゆっくりと一口。
静けさが心地いい。


猫の鳴き声。
しゃがみ込み、パンを少し差し出す。


        「お前は余計なこと言わないだけマシだな。」

猫が喉を鳴らす。俺は珍しく、かすかに笑った。
――その時、ヘッドライト。

ブオオオオッ。

        バイクが通りを疾走する。乗っているのはあの不良。手には鉄パイプ。

ガンッ。
金属が頭蓋を打ち抜いた。


よろめき、牛乳が制服にこぼれる。
視界が滲む。


         倒れる前に、赤と白の光が見えた。


クラクション。
衝突。


クラッシュ。

        体が宙を舞う。ガラスと血が紅い雪のようにきらめく。
       アスファルトに叩きつけられる。


ドサッ。

       血が広がり、目が半開きのまま星を映す。呼吸が荒い。


雨が降り始める。
震える手を伸ばす。猫が影の中から見つめている。


         血が頭の下に滲む。
俺はゆっくりと息を吐き、かすかに呟いた。


      「結局、特別なんかじゃなかったか……でも、次の人生はもう少しマシだといいな。」


車のドアが開く。
運転手は凍りついたまま、誰もいない通りを見回し、パニックになって走り去る。

           雨は激しくなる。
体は動かず、最後の息が雷に溶けて消えた。


赤い霧が渦巻く。深い心音が鳴り響く。黒い虚空が裂け、紅の光に包まれた新たな世界が現れる。


        叫び。混沌。
カメラが血に染まった街を横切る。

人々は刃物を持ち歩き、男が男を刺す。誰も止めない。
子供たちは燃える建物を見て笑い、女は盗賊に引きずられていく。

           サイレンも、警察も、法もない。

闇。沈黙。


心音。
        そして ― *泣き声。


光が満ちる。

豪奢な屋敷。白い壁、ベルベットのカーテン、大理石。
絹のベッドの上で、疲れ果てた女が涙の中で微笑む。
その隣には優雅な男 ― 牙を持ち、紅玉のような瞳。

         「完璧ね。」彼女は囁く。

二人が見下ろす ― 小さな赤ん坊。かすかに泣いている。

尖った耳。
小さな牙。
ゆっくりと目を開く。

紅。

同じ瞳。


助産師が震えながら囁く。
        「お名前は……いかがなさいますか、奥様?」


母は微笑み、静かに答える。
     「……カフカ。」


父は赤ん坊の頬に触れる ― 光る耳、驚きの表情。


        赤ん坊は静かになり、目を動かす。記憶がよぎる ― ヘッドライト、アスファルト、痛み。


理解はない。ただ、感覚だけが残る。

母は優しく子守唄を口ずさむ。その腕の中に、再び生まれた魂があることを知らずに。
          
        「もう大丈夫よ、カフカ。」

屋敷の外では――

混沌。
刃、悲鳴、煙。
法のない世界。


         赤子の泣き声が雷鳴に重なる。


シャンデリアがちらつく。


      カメラがカフカの瞳に寄る ― かすかに輝き、影が自ら動くように揺れる。

世界は黒に溶けた。

          「法が死んだ世界で、新たな命が始まる。」
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