ただならぬ気配

尼子猩庵

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ただならぬ気配

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 登場人物

中谷祐介(7)……中谷家の長男
赤ちゃん(0)……祐介のきょうだい
中谷真夕美(34)……祐介の母親
中谷遼輔(35)……祐介の父親

男(28)……不審者(?)
害虫たち……ネズミ、蛇、白蟻、蜘蛛、etc.

凛香(34)……真夕美のママ友
『疲労』……睡眠中の人に座っている怪物




○住宅街(深夜)

   森閑とした深夜の住宅街。道行く人の姿とてない。
   あたりの家々は、どの窓も明かりが消えている。

○中谷家の前

   一軒の家。表札に『中谷』。
   そこへ音もなく、ぬるぬると黒いワゴン車が滑って来て、停まる。

○車の中

   運転席に一人の男。寝静まった中谷家を、窓越しに窺っている。

男「……」

   やがて、あたりをきょろきょろと警戒しつつ、そっとドアを開け、車を降りる。

○中谷家の前

   真夜中の住宅街。
   相変わらずしんとしていて人っ子一人いない。
   男、中谷家の門を、ゆっくりと、静かに開ける。
   門を開けたままにしておいて、いったん車に戻る。
   車内から、ポリタンクを提げて出て来る。
   『灯油』のテロップ。

○中谷家の塀の内側

   男、ポリタンクをそっと置く。
   それからまた車内に戻り、新たなポリタンクを提げて出て来る。
   そのまま、塀の内側に、灯油の入ったポリタンクを並べて行く。

男「……」

   ゆっくりと、慎重に、一つずつ置いて行く。
   男のジャケット、胸元のアップ。
   内ポケットに入っているマッチが透けて見える。

○中谷家・内部

   寝室で、家族四人、グッスリと眠りこけている。
   端から、中谷遼輔、祐介、赤ちゃん、真夕美。
   家の外で起こっていることには気づかないまま、眠り続ける。

○中谷家・内部2

   天井裏で、眠りこけるネズミの一家。
   かなり横長な川の字。
   寝返りで、大人ネズミの腹の上に乗っかった子どもネズミ、大人ネズミの腹式呼吸に上下しながらスピー、スピー。

   軒下で、とぐろを巻いて眠る蛇。
   ふと鼻ちょうちんが割れると、眠そうに半眼を開く。
   のそりと鎌首をもたげて、がろっと何かの骨を吐く。
   そしてふたたび、二又の舌をちろちろさせつつ、眠る。

   柱の中で、ンゴゴゴゴと極小のイビキをかく、大量の白蟻たち。

   天井の隅に巣を張って、中央でおだやかに眠る蜘蛛。
   巣の端々には、糸でぐるぐる巻きにされ、食い散らされた蠅の残骸たちが無言。

   そちこちの家具の隙間で、手枕をして眠るゴキブリ、ムカデ、ゲジゲジ、etc.――

○中谷家の塀の内側

   男、忍び足で以て、相変わらずワゴン車と行き来し、灯油の入ったポリタンクを、静かに並べてゆく。

○中谷家・内部2

   ぱちりと目を覚ます、さまざまの害虫たち。

声「(――曲者……)」

   それぞれ、あるいは聞き耳を立てて、あるいは隙間から覗き見て、あるいは触角を震わせて、事の成り行きを窺う。

○塀の内側

   男、黙々と、灯油の入ったポリタンクを並べ続ける。

○中谷家・寝室

   相変わらず、安閑と眠り続ける一家四人。
   遼輔、祐介、赤ちゃん、真夕美。

○中谷家・天井裏

   ネズミ一家、大人たちが子どもたちを起こす。
   せっせと荷物をまとめる。
   準備万端整うと、列をなして、壁の中の空洞を伝い降りる。
   秘密の穴から家の外へ出て、黒いワゴン車の傍を通り過ぎ、みぞの中へと消えて行く。

○中谷家・軒下

   目を細めて暗闇を睨んでいた蛇、やれやれとかぶりを振ると、とぐろを解いて動き出す。
   軒下からずるずると這い出て、隣家の生垣の向こうへ消える。

○中谷家・柱の中

   ごちゃごちゃと荷造りをする白蟻たち。
   〈あ‐56〉の名札をつけた白蟻が〈わ‐09〉の荷物を持っている。
   〈C‐71〉の名札をつけた白蟻が〈J‐98〉の荷物を持っている。
   大揉め。
   幹部らしき白蟻、バリトン・早口・巻き舌の外国語(?)で、

幹部「ええい、中身は一緒だ、くだらないことで揉めるな!」

   白蟻たち、整然と列をなし、ぞろぞろと出て行く。

○中谷家・天井の隅

   蜘蛛、巣に引っかかっている諸々から、取捨選択して風呂敷に包み、糸を垂らしてつうっと床へ降りると、カサカサと歩き去る。

○中谷家・そちこちの家具の隙間

   家具の隙間と言う隙間から、ゴキブリが逃げ出し、ムカデが逃げ出し、ゲジゲジが逃げ出す。

○塀の内側

   仕事を続ける男。
   (イメージ)ポリタンクを並べ続ける男から、うねうねとした、禍々しいオーラが漂い出ている。

○寝室

   うねうねとした禍々しいオーラ、壁をすり抜けて入って来る。
   禍々しいオーラ、眠っている遼輔に忍び寄る。
   ところが、遼輔に腰かけている怪物が、睨みをきかせる。
   怪物、額に『疲労』という文字。

○イメージ・遼輔の頭から浮かび上がる雲の中の映像

   貨物列車にすし詰め状態の、ネクタイを締めた家畜たち。
   ハムスターの滑車の中を走り続けるサラリーマン。
   断崖へ滑り落ちんとするマイホームを綱引きで独り引っ張るサラリーマン。
   妻子をバーベルに吊り下げて持ち上げるウェイトリフター。

○寝室

   『疲労』、その雲をむしゃむしゃと食べる。
   元気になり、禍々しいオーラを弾き飛ばす。
   弾き飛ばされた禍々しいオーラ、次いで真夕美に忍び寄る。
   ところが、眠っている真夕美に腰かけている怪物、睨みをきかせる。
   額にはやはり『疲労』という文字。

○イメージ・真夕美の頭から浮かび上がる雲の中の映像

   ぼろを着たシンデレラ(真夕美)、天まで積み重なる食器を洗う。
   お尻から埃を吐き出す掃除機をかける。
   雨の中に布団を干す。
   のおむつを替える。
   ベビーカーを押す大勢の悪魔(笑顔)たちの中で、うんちの乗ったベビーカーを押しつつ、作り笑顔を浮かべる。
   冷蔵庫やタンスの隙間から顔を覗かせる小さなエイリアンたち。
   天井の隅にもいるし、天井裏や軒下にはデカブツもいる。
   真夕美、スカーフで顔の下半分を覆い、殺虫剤を両手に、勇ましく戦う。

○寝室

   『疲労』、その雲をむしゃむしゃ食べる。
   元気になり、禍々しいオーラを弾き飛ばす。
   疲れ果てた夫婦、そのまま眠り続ける。
   弾き飛ばされた禍々しいオーラ、次いで赤ちゃんに忍び寄る。
   ちょっと触れられただけで、たちまち、ぱちりと目を覚ます赤ちゃん。

赤ちゃん「……」

   きょろきょろとあたりを見回す。
   ふと、隣に眠っている真夕美が目に留まる。
   赤ちゃんの視野に、真夕美の姿、だんだんと形を変え、キラキラしたホルスタインになる。
   赤ちゃんの表情、がぜん明るむ。
   しかし――

○赤ちゃんの回想

   (回想)
   リビングに敷かれたベビーマットの上で、「ほにゃ、ほにゃ、」とぐずる赤ちゃん。
   「はいはいはい」とやって来て、赤ちゃんを抱き上げ、服をまくり、片方の乳房を出す真夕美。
   その時、リビングに入って来た遼輔、真夕美の背後で立ち止まり、怪訝な顔で、鼻をすんすん言わせ、

遼輔「……何か、薬臭くないか?」

   そうして、くんくんと、ニオイの元を探る。
   やがて、真夕美に行き着く。

遼輔「――ここだ。真夕美、何だか薬品みたいな臭いがしてる」
真夕美「え?……」
遼輔「(ピンと来たふうになり)そうだ、殺虫剤とか、最近、使いまくってたろ。たぶん、体に染みついちゃってるんじゃないかな」

   真夕美、少しぼんやりしたあと、ぱっと服を下ろして、乳房を仕舞う。
   それから、絶望する赤ちゃんをベビーマットに寝かせると、キッチンに行き、下の棚から粉ミルクの一式を取り出す。
   (回想終わり)

○寝室

   キラキラしたホルスタイン、元の真夕美に戻る。
   赤ちゃん、ぷいっと顔を逸らす。
   禍々しいオーラ、なおも赤ちゃんをちょんちょんと触る。
   しかし、赤ちゃんは、自力でそれを弾き飛ばす。
   ふと、赤ちゃん、訝る顔。
   天井を見る。
   
   (回想)
   天井の上から、トトトトと何かが走り回る音。
   正体は不明。しかしそれは、何だか楽しげ。

   (現在)
   しんとしている。
   次いで、赤ちゃん、天井の隅を見る。

   (回想)
   奇跡のようなハンモックの真ん中で、小さな女神が鼻歌を歌っている。
   流麗な五線譜が流れて来る。

   (現在)
   くすんだ巣があるばかりで、女神はいない。
   糸でぐるぐる巻きの死骸の欠片があるばかりで、しんとしている。
   次いで、冷蔵庫やタンスの隙間を見る。

   (回想)
   隙間と言う隙間から、小さな天使が顔を出しては、あるいは寄り目をして見せ、あるいはぺっと舌を出し、お道化てから、どこかへ駆け去ってゆく。

   (現在)
   隙間の闇があるばかりで、しんとしている。
   赤ちゃん、片方の目の下に涙が一粒。
   やがて、歯茎ばかりな口を開け、「ほにゃ、ほにゃ、」とぐずり始める。
   赤ちゃんの「ほにゃ、ほにゃ、」が室内をぐるりと巡り、祐介に達する。

○イメージ・祐介の頭から浮かび上がる雲の中の映像

   サッカーボール、ランドセル、宿題のドリル――……

○寝室

   その雲を食べていた『疲労』は、痩せこけている。
   「ほにゃ、ほにゃ、」に容易く組み伏せられる。
   ぱちりと目を覚ます祐介。
   うーん……と伸びをし、あくび涙をぬぐう。
   あたりをきょろきょろ。
   赤ちゃんがぐずっているのが目に留まる。
   祐介、布団を足で押しのけて、赤ちゃんの傍へ転がる。
   赤ちゃんの布団を優しく剥がし、匂やかな肉塊をくんくんと嗅ぐ。
   とりわけ、股間のあたりを。

祐介「――うんこじゃないのか」

   祐介、赤ちゃんに布団を元通りかぶせる。
   おなかのあたりをぽんぽん、すりすりし、寝かしつけようとする。

祐介「(ぽんぽんで拍子を取りながら)〽わァらァべェはァみィたァりィィ……のォなァかァのォバァァ……らァ」

   けれども、赤ちゃんは全然眠りそうにない。
   相変わらず、ふがふが言っている。

祐介「……するってえと、腹減ってんのかな?」

   祐介、キッチンへ行き、電気をつける。
   換気扇を「弱」で回すと、ポットと鍋にお湯を沸かし始める。

○キッチン

   (回想)
   真夕美が悲しげな顔して粉ミルクを作っている。
   それを祐介、興味深そうに見つめている。

   (現在)
   祐介、そでをまくり上げると、きれいに手を洗う。
   お湯の煮えたぎる鍋に哺乳瓶をほうり込んで、時計を見上げる。
   やがてトングで哺乳瓶を取り出すと、粉ミルクの缶から、専用のスプーンにすりきり一杯、哺乳瓶にほうり込む。
   70℃に設定しておいたポットのお湯を、哺乳瓶の下の線まで入れて、乳首をつけ、シャカシャカと振る。
   ミルクが溶けると、いったん乳首を取り、哺乳瓶の上の線まで浄水を足して、また乳首をつけると、シャカシャカと振る。
   手首の内側に数滴垂らす。
   「熱ッ!」と手を引っ込めると、ボウルに氷水を入れて、浸ける。
   ミルクはえらく泡立っている。
   やがてふたたび、手首に垂らし、祐介、満足げにうなずく。

祐介「(ささやき声で)いっちょあがりッ」

   祐介、後光のさす哺乳瓶を手に、赤ちゃんの元へ戻る。

祐介「たいへん、お待たせいたしました。ご注文のミシュランでございます」

   それから、哺乳瓶を赤ちゃんの鼻先でゆらゆらと回し、

祐介「ほら、メシができたぞ」

   と言うと、小さな口に、哺乳瓶の乳首を含ませようとする。
   ところが、赤ちゃんは、ミルクを欲しがらない。
   ただ相変わらず「ふにゃ、ふにゃ、」とぐずる。
   今や両目の下に、大粒の涙がついている。

祐介(心の声)「ヤバい。これは、泣く……」

   祐介、眠りこける両親を交互に見やる。
   『疲労』の姿は見えないが、その目には憐みの色がたたえられている。

祐介「(赤ちゃんに、ささやき声で)何だよォ、メシじゃないのかァ? ――おーい。頼むから、泣かないでくれよ……」

   祐介、赤ちゃんのあったかい頭をなでつつ、うなだれて途方に暮れる。

   (時間経過)

   赤ちゃんの頭をなで続ける祐介。
   と、うなだれていた祐介の顔が、ぴっと持ち上がる。
   家の中をゆっくりと見回す、鋭い目つき。

祐介(心の声)「――何か、いつもと違うぞ……?」

○塀の内側

   男が、最後のポリタンクを置く。
   塀の内側には、びっしりと、灯油の入ったポリタンクが並んでいる。
   男、ジャケットの内ポケットからマッチを取り出すと、門から外へ滑り出る。

○寝室

   祐介、真夕美をそっと揺さぶる。

祐介「母さん。――母さんたら。――ちょっと起きて」

   真夕美、いかにも重そうに瞼を開ける。
   ちょっときょろきょろしたあと、祐介に気づき、ぼさっとした声で、

真夕美「……どうしたの?」
祐介「何か、おかしいんだ」
真夕美「――おかしいって、何が?」
祐介「わかんないけど、調べたほうがいいよ」

   祐介、とにかく真夕美を引っ張り起こすと、一緒に家の中をあちこち調べる。

○中谷家・廊下

真夕美「確かに、おかしいわ……」

   しんとした家の中を見回す。

真夕美「ほんとに、何もいない。あの手強かった害虫たちが。どうやっても、出て行かなかったのに……」

○公園(真夕美の回想)

   昼の公園で、ベビーカーを押しつつ、にこやかに語らう悪魔たち。
   少し離れて、真夕美と、悪魔ではないママ友、凛香。

真夕美「――ほんとに。どうしたらいいのかしら」
凛香「出来得る限り、全部やった?」
真夕美「やったわよ。調べ尽くして、やり尽くしたわ」
凛香「だけど、昨今じゃ、マジで色々あるのよ? 殺虫剤一つにしても、噴射するの、床に撒いとくの、部屋中に立ち込めてコーティングするの――あとは、出入り口の閉鎖でしょ、こまめな大掃除でしょ、徹底的な除菌、殺菌――」
真夕美「(ため息して)天敵となる別の害虫をあえて放す作戦でしょ、やっつけた死骸を片づけずに置いておいて、見せしめにする作戦でしょ、いっそ増えるに任せて、害虫同士争わせて、最後に生き残った猛者を一気に潰す作戦でしょ――」
凛香「待って待って、わかったから。そこらへんでカンニンして。ゲロ吐きそう」
真夕美「マジでどれもうまく行かなかったのよ。いったんは姿を消しても、あとで戻って来たり、しれっと新しいのが住み着いたり。怖いのは、まるで耐性が出来て、何も効かなくなったようなのが」
凛香「(ぴしゃりと)やめて。……でもそこまで行ったら、プロの業者に――」
真夕美「もちろん、プロにも頼んだわよ。一度ならず。宇宙服みたいなの着た人たちが来たわ。だけど、いつも結果は同じで、最後は皆さん首をひねりつつ、『こんなに手強いのは初めてだ……』とか何とか言って、引っ越しも視野に入れるべしみたいなことごにょごにょ言って、退散するのよ……」

   真夕美、ほとほとという感じでため息して、凛香の赤ん坊を、ぼんやり見やる。
   やがて顔を上げると、凛香はスマホで何やら検索している。
   ふと画面を見せて来て、

凛香「ここもダメだった?」

   《株式会社エコロジアン》とある。

真夕美「……何それ?」
凛香「(不敵な笑みを浮かべて)最近現れた、凄い害虫駆除業者なんだけどね――」

   真夕美、血相を変えて、

真夕美「詳しく教えて」

○寝室(現在)

   祐介、腕を組み、眉をひそめて、何やら考えている。
   と思うと、敢然と真夕美を見つめ、

祐介「きっと何か、悪いことが起こってるのに違いないよ。それを、虫たちが教えてくれたんだ」

   祐介、パジャマの上から上着を羽織り、

祐介「ちょっと、外の様子を見て来るね」

   と、出て行こうとするから、真夕美慌てて、

真夕美「祐介、ちょっと待って」

   そう言うと、スマホを開き、誰やらに電話をかける。

○黒いワゴン車・車内

   男のスマホが鳴る。
   《中谷様》と表示されている。

男「もしもし」
真夕美の声「あ、もしもし、中谷です。――おかげさまで、一匹残らずいなくなりました」
男「そうですか。それは結構でした。今後ともぜひ、御贔屓に願います」

   電話を切ると、男、あたりを警戒しつつ、そっと車を降りる。
   スモークの貼られたスライドドアには、《株式会社エコロジアン》と言う社名ステッカー。
   男、窓に薄く明かりの灯った中谷家の門を静かにくぐる。
   そうして、塀の内側にぎっしり並べられた、灯油の詰まったポリタンクを、ゆっくりと、慎重に、一つずつ片づけ始める。


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