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5章
街角の話 ②
しおりを挟むゴンッ
と凄い音がして、人間が壁に打ち付けられているのが見えた。
丁度、酒を両手いっぱいに運んでいたジーナは、直接ユーゴがその人間を張り飛ばした瞬間をみた訳ではなかった。
状況的にそうだ、と判断しただけだ。
この世界では「人間」は割と重宝される。
手先は器用で従順。容姿も慎ましやかでアッチの具合も良いと評判だ。
孕む能力にも長けていて、子孫を残したいけれど孕む能力の低い獣人にとってみれば「人間」は大切にする対象でもある。
そして、「人間」は酷く弱く脆い。
少しの力で怪我をして元には戻らない。
それを知っているから、獣人たちは「人間」に対して暴力行為を行う事は稀だった。
快楽漬けにする事は多々あったが、痛みに弱い「人間」はすぐに壊れてしまう事はこの世界の常識だ。
だから、ユーゴがあの人間に対して暴力をふるった事に驚いた。
「人間」に対してあんな仕打ちをする獣人なんて碌なヤツじゃない。
「でも、あの時止めに入ったのは、確か国のお偉いさんなんでしょ?昔は騎士団にも居たって聞いたぐらいだから正義感の強い御仁だったんじゃないの?後ろ姿は背が高くて肩幅も筋肉の強さも申し分ない感じだったけど。あんなに怒ってなかったらちょっとお誘いしたい位だったわ。」
「ジーナったら、好みに合ってたら誰でもいいのねぇ。でも止めて正解だったわよ。あの人、聞いた話だとこの地方の有力者と縁続きの人物だって話よ。最近こっちに戻ってきたから知り合いは少ないらしいけど。何でも都で王族にも気に入られていたって話。ちょっかい出したら結構厄介な事になりそうよ。本人はいたって温厚って話だったけど、あの時のお怒り具合から見るとそんな温厚そうにも見えなかったわよね。」
「誰でも良いって訳じゃないのよ。私は力の強い男が好きってだけ。でもあの男はダメね。ユーゴに対する圧だけで周りの奴らも殆ど当てられてたじゃない。力が強すぎて相手なんて出来ない。血の気が多いっていうの?連行されたユーゴだってあの後ちゃんと家に帰れたのか誰も知らないじゃない。」
そうなのだ。
あの後からユーゴの姿を見た者がいない。
一度店に飾る花を買いに行ったけれど、そこにユーゴの姿はなかった。
普段通り忙しそうに立ち回る従業員がいるだけで、特に違和感もなかった。
花屋の主人はまるでユーゴという人物などいなかったかのように過ごしていたし、それはあの一緒にいた人間に対しても同じだ。従業員だったはずなのに痕跡一つ残っていない。
まるで煙のように2人の人物は消えていなくなった。
「あの子、きっとあの人の『太陽』なのよ。だから止めに入ったし、煙みたいに連れ去ったのよ。」
「『太陽』だなんて馬鹿々々しい。おとぎ話でしょ。」
ジーナはそう言って鼻で笑ったけれど、心の中ではもしかしたら、という気持ちにもなっていた。
獣人にとって惹かれてやまない存在の「人間」は『太陽』と呼ばれていた。獣人同士、同種族同士ならば『番』と呼ばれるその存在は、本能が求めてやまない命よりも大切な存在だ。
獣人がそんな『太陽』に巡り合う事は殆どなく、それは伝説の中、おとぎ話の中の話だと言われている。
決して手の届かない存在として語られる『太陽』は、古い古い時代の言い伝えにしか姿を見せない。
どんな存在が『太陽』として存在していたのか、今では誰も知らないのだ。
「ま、ユーゴがいなくなって清々したけど。本当に嫌なヤツだったから。」
「そんなに下手だったの。今度はもっと上客つかみなよ。」
「ふん。大きなお世話よ。」
そう言って話を打ち切ったジーナだったが、壊れ物に触れるように倒れた人間を抱き起していた男の姿が脳裏に浮かんだ。
あれほど慈しみに溢れた仕草を見た事がなかった。
それほど男の手は人間に対して触れる事さえ恐れるように。でも触れずにいられないとでも言うように。
戸惑いと切望に溢れているように見えた。
「…………『太陽』だったらいいのにねぇ。」
場末の酒場の給仕に思われる事でもないだろうが、何となくあの人間と男が共にいてくれる姿を願う自分がいて、そんな自分の考えが可笑しく思えた。
「え?なんだって?」
「何でもないわよっ。さ、早く準備しましょう。」
そう言ってエナに声を掛けて、やがてジーナの頭からその2人の姿はすっかり消えていった。
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