21 / 79
9章
温室 ②
*
「これに…乗るんですか?」
大きな玄関扉の向こうに用意されていたのは大層立派な四頭立ての馬車だった。
アンセルは初めて馬という生き物を見た。
馬の獣人は街で見た事があったが、純粋な馬という生き物は初めてだ。
脚は太くて力強く地を駆けるだろう。
長い尾は風と共にたなびいて、軽やかに舞うだろう。
ピクピクと動く耳は、こちらの様子をしきりに観察しているかのようだ。
ドキドキしながらイスカンダーに頼んで馬に近づいてもらった。
気性の荒い馬がいても、イスカンダーが傍にいれば暴れる事など無いと誰もが知っていた。
近づいた馬は鼻の穴をヒクヒクさせ、アンセルの匂いを嗅いでいるようだった。
瞳はつぶらで温かく。優しい色をしていた。
「うわぁ、馬って可愛いんですね。」
嬉しそうにそう言うアンセルの方が余程可愛い、と言ってやりたくなったがイスカンダーは笑みを漏らすに留めた。
「撫でてみますか?」
御者がそう言うと、アンセルの瞳は更に輝いた。
「お願いします。イスカンダー様、いいですか?」
お伺いは主人に、イスカンダーを見上げて許可を取る。
上目遣いのアンセルの可愛さにイスカンダーはまた額にキスをした。
「わっ、イ、イスカンダー様。きょ、今日の分のお祈りは終わってますよっ。」
そう言って焦るアンセルは、首を傾げた御者の表情には気付かなかった。
「こういうのは何度やってもいいんだ。アンセルだって私に何度やってくれても構わないんだよ。」
ふふ、と笑うイスカンダーの表情に曇りは無く。アンセルもまた幸運を祈る行為は一日に何度やってもやり過ぎる事はないだろうと納得した。
「さ、アンセル?」
イスカンダーに促されるが、アンセルは一向にイスカンダーに口付けようとはしない。
イスカンダーの顔が次第に強張っていく様子を近くにいた御者はハラハラとした表情で見ていた。
「あ、あの……。」
「ん、何だい?」
クイクイとイスカンダーの服を引っ張りイスカンダーの顔がアンセルに近づく。
やっと口付けをしてくれるのか、と思ったがアンセルの意図は別にあったようだ。
アンセルはイスカンダーの耳元に唇を寄せた。
「こ、ここだと他の方に見られます。お祈りだと分かって入るんですけど、やっぱり、恥ずかしくて……。」
そう言って顔を赤くする。
イスカンダーは直ぐにアンセルを抱きかかえたまま馬車に乗り込んだ。
「では行ってくる。」
「お気をつけて。」
エドマンドがそう言って馬車の扉を閉めた。
外で「えいやっ」と声が聞こえて、馬車が走り出す。
「さぁ、これで2人きりだ。アンセル?」
イスカンダーの期待の篭った瞳がアンセルを見つめていた。
朝のお祈りとは何となく違う雰囲気を感じながらおずおずとアンセルはイスカンダーの顔に唇を寄せる。
イスカンダーと同じように額にキスしようとしてイスカンダーがアンセルを止める。
「アンセル、君からのお祈りはここにしてもらいたい。その方が想いが強そうでね。」
トントンと自身の唇を指さすイスカンダーに顔を赤らめながらアンセルは今度こそキスをした。
直ぐに唇を離そうとしたが、イスカンダーの腕はアンセルの背を離そうとせず唇が深く合わさる。
アンセルの唇は開く事はなかったが、イスカンダーの唇は優しくその全てを覆った。
食むようにやわやわと弄られ、アンセルの頭はぼうっとなる。
こんな口付けは初めてだ。
「んっ、イ、イスカンダーさ、ま。」
繰り返しちゅ、ちゅ、と口付けをされてようやくこれはおかしい、とアンセルも思い出す。
「ちょ、ちょっと、待ってくださ、い。」
徐々に体勢を崩していくアンセルの身体はもうすぐ倒れてしまいそうだ。
もっともガッチリとイスカンダーの手がアンセルの身体を抱えこんでいたので硬い座席に身体を打ち付ける事などなかったが。
「イスカンダー様……。も、もう止めてっ。もう充分です。」
少し泣きそうな声でそう訴えるアンセルを見て、イスカンダーも流石にやり過ぎたかと直ぐに身体を離した。
「すまない。アンセルがお祈りをしてくれる事が嬉しくてつい、な。」
「もうっ。今日の分はお終いです。たくさんお祈りしたから絶対大丈夫ですっ。」
上気した顔でそう言うアンセルを見てイスカンダーは最後の仕上げとばかりに額に口付ける。
これはクセになってしまいそうだ、と心の中で思う。
「そうだな、今日はきっと良い日になるだろう。もうそろそろ目当ての場所にも着く。」
そうイスカンダーが言ったと同時に馬車が止まった。
屋敷を出てからまだ10分ほどしか経ってない。
ただ馬車に初めて乗ったアンセルには、どれほどの速さで馬車が移動するのか想像出来ず、イスカンダーとのお祈りが頭を占めていた事もあり果てしなく遠くにやってきたように感じていた。
あなたにおすすめの小説
【完結】束縛彼氏から逃げたのに、執着が想像以上に重すぎた
鱗。
BL
束縛の強い恋人、三浦悠真から逃げた風間湊。
逃げた先で出会ったのは、優しく穏やかな占い師、榊啓司だった。
心身を癒やされ、穏やかな日常を取り戻したかに見えた——はずだった。
だが再び現れた悠真の執着は、かつてとは比べ物にならないほど歪んでいて。
そして気付く。
誰のものにもなれないはずの自分が。
『壊れていく人間』にしか愛を見出せないということに。
依存、執着、支配。
三人の関係は、やがて取り返しのつかない形へと崩れていく。
——これは、『最も壊れている人間』が愛を選び取る物語。
逃げた先にあったのは、『もっと歪んだ愛』だった。
【完結済み】
執着騎士団長と、筋肉中毒の治癒師
マンスーン
BL
現代日本から異世界へ転生した治癒師のレオには、誰にも言えない秘密がある。
それは「定期的に極上の筋肉に触れて生命力を摂取しないと、魔力欠乏で死んでしまう」という特異体質であること!
命をつなぐため、そして何より己のフェティシズムを満たすため、レオがターゲットに選んだのは「氷の騎士団長」と恐れられる英雄ガドリエル。
「あぁっ、すごい……硬いですガドリエル様ッ!(大胸筋が)」
「……っ、治療中にそんな熱っぽい声を出すなッ」
生きるために必死で揉みしだくレオを、ガドリエルは「これほど俺の身を案じてくれるとは」と都合よく勘違い
触られたいムッツリ攻め×触りたい変態受け
俺は夜、社長の猫になる
衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。
ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。
言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。
タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。
けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。
【BL】僕(18歳)、イケメン吸血鬼に飼い慣らされる。
猫足
BL
地下室に閉じ込められていた吸血鬼の封印が解け、王族は絶体絶命。このままでは国も危ないため、王は交換条件を持ちかけた。
「願いをひとつなんでも聞こう。それでこの城と国を見逃してはくれないか」
「よかろう。では王よ、お前の子供をひとり、私の嫁に寄越せ」
「……!」
姉が吸血鬼のもとにやられてしまう、と絶望したのも束の間。
指名されたのは、なんと弟の僕(18)で……?!
※諸事情により新アカウントに移行していましたが、端末の不具合のためこのアカウントに戻しました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。
ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。
異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。
二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。
しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。
再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。
【完結】父を探して異世界転生したら男なのに歌姫になってしまったっぽい
御堂あゆこ
BL
超人気芸能人として活躍していた男主人公が、痴情のもつれで、女性に刺され、死んでしまう。
生前の行いから、地獄行き確定と思われたが、閻魔様の気まぐれで、異世界転生することになる。
地獄行き回避の条件は、同じ世界に転生した父親を探し出し、罪を償うことだった。
転生した主人公は、仲間の助けを得ながら、父を探して旅をし、成長していく。
※含まれる要素
異世界転生、男主人公、ファンタジー、ブロマンス、BL的な表現、恋愛
※小説家になろうに重複投稿しています
異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話
深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?