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11.この光、朝日である。
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カラカラカラ――
盤上に歩が三枚、と金が二枚。
振り駒の結果、私が先手番となった。
将棋は、上位者(後手番または上手)が『王将』を使用し、下位者(先手番または下手)が『玉将』を使用する。でも、平安時代までは玉将しかなかったっていうから、将棋の最終目的である『王を詰ます』という点において実質的な違いはないわ。
私は『玉将』の駒を手に持ち、自陣に打つ。パチッと真に迫る音が盤上に響いた。
先手、紀国安奈。
初手、▲4八玉。戦法『新米長玉』。
「(……新米長玉。なるほど、安奈がどれくらい将棋を愛してきたのかが分かる一手だ。くそっ、泣きそうになるなこれは)」
これはただの戦法ではない。
将棋は概ね、序盤・中盤・終盤と流れがあり、特に序盤の駒の動かし方においては数多くの戦法が確立されている。
だが、この初手▲4八玉だけは特別。
故・米長邦雄永世棋聖。
彼が最も尊敬し、師事していた人。そう私は理解していた。
だって、彼と先生の棋風が似ているんですもの。
先生が放った初手▲4八玉は、人間相手であれば全く合理的ではない。
対コンピュータ将棋戦において、機械が高速演算するソフトの序盤データを無効化する狙い、ただそれだけの一手。
一手の重みを知る棋士が、通常打つような戦法ではないのだ。
だから、彼にはこの手の意味が伝わると思う。
「(――ありがとな、安奈)」
後手、竹中靖。
2手目、△5四歩。戦法はおそらく『ゴキゲン中飛車』。
大駒と呼ばれる稼働領域の広い駒は『飛車』と『角』の二つ。
縦と横全てに動ける『飛車』を中央に寄せて戦う戦法が『中飛車』。
「(▲7六歩、△4二銀、▲6六歩、△5五歩、▲6八銀、△5二飛……)」
えっ、まさか『原始中飛車』!?
王の守りを堅めずに左の『銀』を繰り出す攻撃的な戦法。でも、これは対策が確立しているから今はアマチュアでも指さないわ。靖さんほどの実力がある人がこの戦法を選ぶとは考えにくい……ここは玉を堅めながら様子を見るしかないわね。
「(――▲2五歩、△5三銀……△4四銀)」
やはり左銀を繰り出してきたわ。『ツノ銀中飛車』の変化から『金無双』に組んで来たわね。
激しい攻防が繰り広げられていた。一手一手が重く、ビシッという駒音が身体に沁み込んでくる。
「(おいおい、マジで強いな。厳しい手ばかり鋭く指してくる)」
彼の狙いが何か、私の狙いが何か、互いに分かっている。だからこそ一切の油断が出来ない。
――何時間か経過していた。
「(――▲7七桂、△5七馬、よしっ、ここは……▲1八玉でどう!?)」
「(――ッ! 『玉の早逃げ』か! しまった、これだとギリギリ寄らないか)」
彼の『王』はもうすぐ私の手の中に入る。でも、たった一手ずれるだけで私の『玉』も一瞬で詰まされる。
そんな剣豪同士の闘いのように、最後まで緊張が溶けることは無かった。
外は明るく成り始め、カーテンの向こうでは朝日が顔を出した。
それが分かったということは、私の集中は今、切れたのだ。
「(――△8九竜、▲同金、△同馬……くっ、一歩足りないか)」
彼は大きく息を吸い、そのまま天井を見上げながら大きく吐いた。
「参りました」
盤面を見つめ、そして視線を移す。
「おい、もう一局――あっ」
スースーと寝息を立てて、正座したまま私は眠ってしまった。
なんでかな、彼の指が私の眼を拭ったような気がした。
「――安奈」
私の涙の意味は、私にも分からなかった。
盤上に歩が三枚、と金が二枚。
振り駒の結果、私が先手番となった。
将棋は、上位者(後手番または上手)が『王将』を使用し、下位者(先手番または下手)が『玉将』を使用する。でも、平安時代までは玉将しかなかったっていうから、将棋の最終目的である『王を詰ます』という点において実質的な違いはないわ。
私は『玉将』の駒を手に持ち、自陣に打つ。パチッと真に迫る音が盤上に響いた。
先手、紀国安奈。
初手、▲4八玉。戦法『新米長玉』。
「(……新米長玉。なるほど、安奈がどれくらい将棋を愛してきたのかが分かる一手だ。くそっ、泣きそうになるなこれは)」
これはただの戦法ではない。
将棋は概ね、序盤・中盤・終盤と流れがあり、特に序盤の駒の動かし方においては数多くの戦法が確立されている。
だが、この初手▲4八玉だけは特別。
故・米長邦雄永世棋聖。
彼が最も尊敬し、師事していた人。そう私は理解していた。
だって、彼と先生の棋風が似ているんですもの。
先生が放った初手▲4八玉は、人間相手であれば全く合理的ではない。
対コンピュータ将棋戦において、機械が高速演算するソフトの序盤データを無効化する狙い、ただそれだけの一手。
一手の重みを知る棋士が、通常打つような戦法ではないのだ。
だから、彼にはこの手の意味が伝わると思う。
「(――ありがとな、安奈)」
後手、竹中靖。
2手目、△5四歩。戦法はおそらく『ゴキゲン中飛車』。
大駒と呼ばれる稼働領域の広い駒は『飛車』と『角』の二つ。
縦と横全てに動ける『飛車』を中央に寄せて戦う戦法が『中飛車』。
「(▲7六歩、△4二銀、▲6六歩、△5五歩、▲6八銀、△5二飛……)」
えっ、まさか『原始中飛車』!?
王の守りを堅めずに左の『銀』を繰り出す攻撃的な戦法。でも、これは対策が確立しているから今はアマチュアでも指さないわ。靖さんほどの実力がある人がこの戦法を選ぶとは考えにくい……ここは玉を堅めながら様子を見るしかないわね。
「(――▲2五歩、△5三銀……△4四銀)」
やはり左銀を繰り出してきたわ。『ツノ銀中飛車』の変化から『金無双』に組んで来たわね。
激しい攻防が繰り広げられていた。一手一手が重く、ビシッという駒音が身体に沁み込んでくる。
「(おいおい、マジで強いな。厳しい手ばかり鋭く指してくる)」
彼の狙いが何か、私の狙いが何か、互いに分かっている。だからこそ一切の油断が出来ない。
――何時間か経過していた。
「(――▲7七桂、△5七馬、よしっ、ここは……▲1八玉でどう!?)」
「(――ッ! 『玉の早逃げ』か! しまった、これだとギリギリ寄らないか)」
彼の『王』はもうすぐ私の手の中に入る。でも、たった一手ずれるだけで私の『玉』も一瞬で詰まされる。
そんな剣豪同士の闘いのように、最後まで緊張が溶けることは無かった。
外は明るく成り始め、カーテンの向こうでは朝日が顔を出した。
それが分かったということは、私の集中は今、切れたのだ。
「(――△8九竜、▲同金、△同馬……くっ、一歩足りないか)」
彼は大きく息を吸い、そのまま天井を見上げながら大きく吐いた。
「参りました」
盤面を見つめ、そして視線を移す。
「おい、もう一局――あっ」
スースーと寝息を立てて、正座したまま私は眠ってしまった。
なんでかな、彼の指が私の眼を拭ったような気がした。
「――安奈」
私の涙の意味は、私にも分からなかった。
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