冷酷な旦那様が記憶喪失になったら溺愛モードに入りましたが、愛される覚えはありません!

香月文香

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7 夜の会話(1)

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 二人は長椅子に並んで腰かける。魔力炉の上では赤い小鍋がふつふつと湯を沸かしていた。紅茶でも淹れようと、リゼルが用意したものだ。

 水面から立ち上る湯気を眺めながら、ぽつんとグレンが切り出した。

「リゼルは、今の俺のことは気に入らないか?」

「……っ」

 直截な問いにリゼルは息を呑む。何と答えるべきかわからず、夜着の胸元の飾りボタンを無意味にいじった。

 気に入らないとかではない。ただ、以前の彼と違いすぎて、どうしたらいいのか困っているだけ。

 言葉を探して黙りこくっていると、グレンが苦笑した。

「記憶を失くしてから、リゼルがずいぶん戸惑っているのはわかっている。……少し焦りすぎたな」

 彼が何を焦ることがあるというのだろう。リゼルはその言葉にこそ戸惑って、グレンを見上げた。真剣な横顔が、魔力炉の火影に浮かび上がっていた。

「目覚めた時、俺が真っ先に思ったのは、この美しい人を守りたい、ということだった」

「えっ!?」

 ガラス越しに星空を透かす天井に、狼狽えきったリゼルの声が反響する。グレンの笑みがますます苦くなり、リゼルは慌てて両手で口を押さえた。

「そこまで驚くことか。君は綺麗だ、本当に」

 わずかに顔を横向けたグレンが、リゼルの方へそっと手を伸ばす。節くれだった指は迷うようにリゼルの頬の近くを彷徨い、それから静かに折りこまれた。

「あのとき、リゼルがあまりに不安そうな顔をしていたから。俺がそんな思いをさせていると考えたら、堪らなくなった」

「そう、でしたか……?」

 リゼルは自分の頬に手をやる。無自覚だった。そんな風に、心配させていることにも。

「だから今は、少しでもリゼルの不安を取り除いてやりたいと思っている。だが上手くいかないものだ。剣ばかり振るってきたから、女性の慰め方などわからない。リゼルは酒場で酒を奢っても喜ばないだろうし」

「そうですね……私はお酒を飲んだことがありません」

 とある魔法系統では『生命の水』などと呼ばれるそれに興味はあるが、機会がなかった。実家ではもちろんのこと、コーネスト邸でも食後の酒を供された覚えがない。時々感じるが、この屋敷の善き人々はリゼルを小さな子供だと思っている節がある。「そうだったのか。それなら今度、とっておきの一本を空けよう」と微笑むグレンの目は優しい。

 それにしても、とリゼルは首を捻る。緩んだ空気につい口が滑った。

「旦那様が、女性に不慣れとは驚きました」

 グレンの眉間に、ぐっと深い皺が刻まれる。あ、しまったと臍をかんだ時にはもう遅い。彼は怒っているというほどではなさそうだったが、決して愉快そうではなかった。リゼルのこめかみに汗が滲む。

「……そう思われていたとは心外だな。かつて俺がそういうことを言ったか?」

「め、滅相もございませんっ。ただ……」

 リゼルはつくづくと目交いの夫の顔を眺めた。蜂蜜を溶かしたような金の髪、すっと通った鼻梁に、鋭い光を放つ翡翠色の瞳。それらが完璧に配置された端正な顔は、凛とした佇まいも相まって、魔法庭園ではなく美術館に一幅の絵画として展示されている方が似つかわしい。

 改めて、なぜこの人がリゼルの夫なのかよくわからなくなってきた。いや祖父の約束のせいだが。でも他のご令嬢から引く手数多ではなかったのか。

 グレンは不機嫌そうに、むっすりと押し殺した声を出す。

「この顔で生まれたからと言って、社交界で派手に遊び回っていたわけではない。そんなことより騎士として剣術を磨きたかった。それがコーネスト家に生まれついた俺に課された役目だからだ」

「役目……?」

「そうだ。コーネスト家の人間は、代々魔獣から民を守ってきた。人々の安全には欠かせぬ職務だ。それを思えば、俺だけが無責任に放り出すわけにもいかない。放り出したいと思ったこともないがな」

 語り口はまっすぐで、彼がいかに騎士団長としての任務を誇りに思っているかひしひしと伝わってきた。軽々しい自分の発言にいたたまれなくなって、リゼルはしゅんと肩を縮める。

(旦那様は、ご自分のお役目を大切にする、とても真面目な方なのね。それなのに私はなんて愚かなことを……)

 思えばリゼルだって、マギナ家の魔女なのに〈鳥の目〉を持って生まれてしまった。器と中身は別のものと、よく知っているはずなのに。

「憶測で決めつけたことを申しあげてしまい、大変申し訳ございませんでした」

 しおしおと頭を下げようとすると、「よせ。俺も頑なになりすぎた」と制される。グレンはしかめ面で、しかしどこか拗ねたように言った。

「女好きなどと誤解されたくはなかったから、つい。俺は社交嫌いで、舞踏会に出るくらいなら魔獣を百匹相手にした方がマシだというのに」

「そんなに、でございますか」

 冗談めかした物言いだが瞳は真剣味を帯びており、語調は端々まで苦み走っていた。

「どうしてそこまで社交がお嫌いなのですか?」

 見た目に惹かれた女性がわらわら寄ってきて迷惑だから、と切り捨てるには根深い雰囲気もある。問えば、グレンの顔つきが苦くなった。

「……聞くか? さして楽しい話でもないぞ」

「よろしければ、お聞かせください」

 リゼルはちょこんと座り直し、膝をグレンに向ける。思えば一年も結婚生活をしていたのに、夫のことを何にも知らないのだ。今まではそれでよかった。でも今は、彼の輪郭を形作るものに、指を伸ばしてみたかった。

「変わっているな」と呟くと、グレンは一度咳払いをして訥々と語り始めた。

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