17 / 18
12 取り戻した記憶
しおりを挟む
――グレンへの襲撃は二度あった。
記憶喪失となったのは二度目の襲撃。
一度目は、記憶喪失の一ヶ月前で。
まだ、グレンとリゼルの距離が月と太陽よりも遠かった頃のことだ。
『旦那様!?』
その日、血だらけになったグレンと玄関ホールで行き合ったリゼルは、悲鳴をあげて駆け寄った。
彼は至る所に傷を負い、自力で歩けているのが不思議なほどだった。騎士服は泥に汚れていて、あちこち破けている。
だがグレンは不機嫌そうに眉根を寄せると、冷たくリゼルをあしらった。
『放っておけ。これくらいは怪我のうちに入らない』
『そ、そんなわけには参りません』
鋭い眼光に怯んだものの、リゼルもはいそうですかと引き下がるわけにはいかなかった。どう見たって怪我の範疇である。慣れ親しんだ手つきで髪を一本抜き、回復魔法を発動させた。
リゼルの両手に光が集まり、それがみるみる怪我を治していくのを目の当たりにして、グレンは目を見張った。大人しく治療を受けてくれたので、リゼルも安堵する。
聞くと、魔獣退治の最中に、唐突に興奮しだした魔獣の鉤爪に引っ掻かれたという。
『コーネスト家をよく思わない政敵か、あるいは他の何かか。何でも構わないが……』
忌々しげに舌打ちするグレンを治療しつつ、リゼルはじっと考えこんでいた。頭には、つい先日、異国の魔法書をもとに開発した魔法が思い浮かんでいた。
『あの、旦那様』
おずおずと言うと、グレンは無言でリゼルを見据えた。酷薄な目つきに怖気付きそうになるも、勇気を奮って、リゼルは訴えた。
『旦那様に保護魔法をかけてみてもよろしいでしょうか……?』
グレンが双眸を瞬かせる。真面目な顔のリゼルと、たった今治ったばかりの傷口とを見比べてみて、怪訝そうに柳眉を寄せた。
『何だそれは』
『ええっと、マギナの保護魔法とは本来、物理的な障壁を作成するに過ぎないのですが、それに異国の系統である交換魔法と反射魔法を組み合わせることによって、魔法による攻撃も防ぐことができ』
『わかった。俺にはわからないことがわかった』
目を輝かせて早口になるリゼルをグレンが片手で制する。それからつくづくとリゼルを眺め、
『俺も魔女については調べたが、魔法には代償がいるんじゃなかったのか』
『し、調べられていたのですか? えっと、そうですね。基本的に、代償が重ければ重いほど魔法の効果は高くなります』
軽い驚きとともに首肯すると、グレンが鼻で笑う。
『それで、俺は一体何を求められる? 金か? 命か? 魂か?』
『いえ、特に旦那様から何かをいただこうとは思っておりません』
本心だった。リゼルは別に、グレンの歓心を買おうとして申し出たわけではない。ただ大怪我をした人がこれからも危機に陥るというならそれを阻みたかったし、思いついた魔法を実際に使ってみたいという欲もちょっとだけあった。
リゼルは微笑み、緊張と期待にどきどき鳴る胸元に手を当てて言った。
『この魔法には、私の幸せな記憶を対価にしようかと思います』
グレンの目が大きく見開かれる。
『どういう意味だ。お前にとっては大切なものではないのか?』
『その通りです。だからこそ、魔法の効果も強くなる』
迷いのない頷きに、呆れたようにグレンが首をふる。
『そんなことを言われても信じられるか。友人や家族のことも忘れるかもしれないんだぞ。やめておけ』
それから言葉を切り、少し躊躇った後、探るような眼差しを向けてきた。
『お前は別に、俺を愛しているというわけでもないのだろう』
『はい、ちっとも。でも、目の前で困っている方を放っておくこともできません』
これまた迷いなく頷けば、グレンはますます不可解そうに目を眇める。事実を言ったが正直すぎて失礼だったかと、リゼルは慌てた。
『だ、大丈夫です。私にはあまり幸福な記憶というものがないので。そう惜しまれることでもありません』
眉を下げて笑う。グレンが息を呑んで、じっとこちらを観察するような気配を漂わせた。
『それに、記憶を代償にするのは初めてで……ちょっとやってみたかったんです』
とんでもないことを宣う変な魔女を前にして、グレンは言葉を失くしている。その隙に、リゼルはえいやっと、本当に気軽に――何でもないように、魔法をかけた。
(私なんかの記憶を惜しむなんて、旦那様っておかしな方! ……でも、もしこれで旦那様をお守りできたら……私が嫁いだ意味も、きっとある)
最後に、ほんの少しだけ、胸底にくすぐったいものを感じて。
「あ、それと、もし私の記憶を戻す必要があったらですね――」
そうしてリゼルは全てを忘れた。
この屋敷に来てから、魔法をかけて回ったこと。
それから。
グレンを守ったことを。
記憶喪失となったのは二度目の襲撃。
一度目は、記憶喪失の一ヶ月前で。
まだ、グレンとリゼルの距離が月と太陽よりも遠かった頃のことだ。
『旦那様!?』
その日、血だらけになったグレンと玄関ホールで行き合ったリゼルは、悲鳴をあげて駆け寄った。
彼は至る所に傷を負い、自力で歩けているのが不思議なほどだった。騎士服は泥に汚れていて、あちこち破けている。
だがグレンは不機嫌そうに眉根を寄せると、冷たくリゼルをあしらった。
『放っておけ。これくらいは怪我のうちに入らない』
『そ、そんなわけには参りません』
鋭い眼光に怯んだものの、リゼルもはいそうですかと引き下がるわけにはいかなかった。どう見たって怪我の範疇である。慣れ親しんだ手つきで髪を一本抜き、回復魔法を発動させた。
リゼルの両手に光が集まり、それがみるみる怪我を治していくのを目の当たりにして、グレンは目を見張った。大人しく治療を受けてくれたので、リゼルも安堵する。
聞くと、魔獣退治の最中に、唐突に興奮しだした魔獣の鉤爪に引っ掻かれたという。
『コーネスト家をよく思わない政敵か、あるいは他の何かか。何でも構わないが……』
忌々しげに舌打ちするグレンを治療しつつ、リゼルはじっと考えこんでいた。頭には、つい先日、異国の魔法書をもとに開発した魔法が思い浮かんでいた。
『あの、旦那様』
おずおずと言うと、グレンは無言でリゼルを見据えた。酷薄な目つきに怖気付きそうになるも、勇気を奮って、リゼルは訴えた。
『旦那様に保護魔法をかけてみてもよろしいでしょうか……?』
グレンが双眸を瞬かせる。真面目な顔のリゼルと、たった今治ったばかりの傷口とを見比べてみて、怪訝そうに柳眉を寄せた。
『何だそれは』
『ええっと、マギナの保護魔法とは本来、物理的な障壁を作成するに過ぎないのですが、それに異国の系統である交換魔法と反射魔法を組み合わせることによって、魔法による攻撃も防ぐことができ』
『わかった。俺にはわからないことがわかった』
目を輝かせて早口になるリゼルをグレンが片手で制する。それからつくづくとリゼルを眺め、
『俺も魔女については調べたが、魔法には代償がいるんじゃなかったのか』
『し、調べられていたのですか? えっと、そうですね。基本的に、代償が重ければ重いほど魔法の効果は高くなります』
軽い驚きとともに首肯すると、グレンが鼻で笑う。
『それで、俺は一体何を求められる? 金か? 命か? 魂か?』
『いえ、特に旦那様から何かをいただこうとは思っておりません』
本心だった。リゼルは別に、グレンの歓心を買おうとして申し出たわけではない。ただ大怪我をした人がこれからも危機に陥るというならそれを阻みたかったし、思いついた魔法を実際に使ってみたいという欲もちょっとだけあった。
リゼルは微笑み、緊張と期待にどきどき鳴る胸元に手を当てて言った。
『この魔法には、私の幸せな記憶を対価にしようかと思います』
グレンの目が大きく見開かれる。
『どういう意味だ。お前にとっては大切なものではないのか?』
『その通りです。だからこそ、魔法の効果も強くなる』
迷いのない頷きに、呆れたようにグレンが首をふる。
『そんなことを言われても信じられるか。友人や家族のことも忘れるかもしれないんだぞ。やめておけ』
それから言葉を切り、少し躊躇った後、探るような眼差しを向けてきた。
『お前は別に、俺を愛しているというわけでもないのだろう』
『はい、ちっとも。でも、目の前で困っている方を放っておくこともできません』
これまた迷いなく頷けば、グレンはますます不可解そうに目を眇める。事実を言ったが正直すぎて失礼だったかと、リゼルは慌てた。
『だ、大丈夫です。私にはあまり幸福な記憶というものがないので。そう惜しまれることでもありません』
眉を下げて笑う。グレンが息を呑んで、じっとこちらを観察するような気配を漂わせた。
『それに、記憶を代償にするのは初めてで……ちょっとやってみたかったんです』
とんでもないことを宣う変な魔女を前にして、グレンは言葉を失くしている。その隙に、リゼルはえいやっと、本当に気軽に――何でもないように、魔法をかけた。
(私なんかの記憶を惜しむなんて、旦那様っておかしな方! ……でも、もしこれで旦那様をお守りできたら……私が嫁いだ意味も、きっとある)
最後に、ほんの少しだけ、胸底にくすぐったいものを感じて。
「あ、それと、もし私の記憶を戻す必要があったらですね――」
そうしてリゼルは全てを忘れた。
この屋敷に来てから、魔法をかけて回ったこと。
それから。
グレンを守ったことを。
231
あなたにおすすめの小説
私を愛してくれない婚約者の日記を読んでしまいました〜実は溺愛されていたようです〜
侑子
恋愛
成人間近の伯爵令嬢、セレナには悩みがあった。
デビュタントの日に一目惚れした公爵令息のカインと、家同士の取り決めですぐに婚約でき、喜んでいたのもつかの間。
「こんなふうに婚約することになり残念に思っている」と、婚約初日に言われてしまい、それから三年経った今も全く彼と上手くいっていないのだ。
色々と努力を重ねてみるも、会話は事務的なことばかりで、会うのは決まって月に一度だけ。
目も合わせてくれないし、誘いはことごとく断られてしまう。
有能な騎士であるたくましい彼には、十歳も年下で体も小さめな自分は恋愛対象にならないのかもしれないと落ち込む日々だが、ある日当主に招待された彼の公爵邸で、不思議な本を発見して……?
婚約破棄?結構ですわ。公爵令嬢は今日も優雅に生きております
鍛高譚
恋愛
婚約破棄された直後、階段から転げ落ちて前世の記憶が蘇った公爵令嬢レイラ・フォン・アーデルハイド。
彼女の前世は、ブラック企業で心身をすり減らして働いていたOLだった。――けれど、今は違う!
「復讐? 見返す? そんな面倒くさいこと、やってられませんわ」
「婚約破棄? そんなの大したことじゃありません。むしろ、自由になって最高ですわ!」
貴族の婚姻は家同士の結びつき――つまりビジネス。恋愛感情など二の次なのだから、破談になったところで何のダメージもなし。
それよりも、レイラにはやりたいことがたくさんある。ぶどう園の品種改良、ワインの販路拡大、新商品の開発、そして優雅なティータイム!
そう、彼女はただ「貴族令嬢としての特権をフル活用して、人生を楽しむ」ことを決めたのだ。
ところが、彼女の自由気ままな行動が、なぜか周囲をざわつかせていく。
婚約破棄した王太子はなぜか複雑な顔をし、貴族たちは彼女の事業に注目し始める。
そして、彼女が手がけた最高級ワインはプレミア化し、ついには王室から直々に取引の申し出が……!?
「はぁ……復讐しないのに、勝手に“ざまぁ”になってしまいましたわ」
復讐も愛憎劇も不要!
ただひたすらに自分の幸せを追求するだけの公爵令嬢が、気づけば最強の貴族になっていた!?
優雅で自由気ままな貴族ライフ、ここに開幕!
婚約破棄されたので田舎で猫と暮らします
たくわん
恋愛
社交界の華と謳われた伯爵令嬢セレスティアは、王太子から「完璧すぎて息が詰まる」と婚約破棄を告げられる。傷心のまま逃げるように向かったのは、亡き祖母が遺した田舎の小さな屋敷だった。
荒れ果てた屋敷、慣れない一人暮らし、そして庭に住みついた五匹の野良猫たち。途方に暮れるセレスティアの隣には、無愛想で人嫌いな青年医師・ノアが暮らしていた。
「この猫に構うな。人間嫌いだから」
冷たく突き放すノアだが、捨て猫を保護し、傷ついた動物を治療する彼の本当の姿を知るうちに、セレスティアの心は少しずつ惹かれていく。
猫の世話を通じて近づく二人。やがて明かされるノアの過去と、王都から届く縁談の催促。「完璧な令嬢」を脱ぎ捨てた先に待つ、本当の自分と本当の恋——。
【完結済】春を迎えに~番という絆に導かれて~
廻野 久彩
恋愛
辺境の村から王都の星環教会へやってきた研修生アナベル・ウィンダーミア。
門で出会った王族直属騎士団副団長ルシアン・ヴァルセインと握手を交わした瞬間、二人の手首に金色の光が浮かび上がる。
それは"番"——神が定めた魂の半身の証。
物語の中でしか聞いたことのない奇跡的な出会いに胸を躍らせるアナベルだったが、ルシアンの口から告げられたのは冷酷な現実だった。
「俺には……すでに婚約者がいる」
その婚約者こそ、名門ルヴェリエ家の令嬢セレナ。国境の緊張が高まる中、彼女との政略結婚は王国の命運を左右する重要な政治的意味を持っていた。
番の衝動に身を焼かれながらも、決して越えてはならない一線を守ろうとするルシアン。
想い人を諦めきれずにいながら、彼の立場を理解しようと努めるアナベル。
そして、すべてを知りながらも優雅に微笑み続けるセレナ。
三人の心は複雑に絡み合い、それぞれが異なる痛みを抱えながら日々を過ごしていく。
政略と恋情、義務と本心、誠実さと衝動——
揺れ動く想いの果てに、それぞれが下す選択とは。
番という絆に翻弄されながらも、最後に自分自身の意志で道を選び取る三人の物語。
愛とは選ぶこと。
幸せとは、選んだ道を自分の足で歩くこと。
番の絆を軸に描かれる、大人のファンタジーロマンス。
全20話完結。
**【キーワード】**
番・運命の相手・政略結婚・三角関係・騎士・王都・ファンタジー・恋愛・完結済み・ハッピーエンド
元男装傭兵、完璧な淑女を演じます。――嫁ぎ先はかつての団長でした!?
中野森
恋愛
貧乏男爵家の長女クラリスは、弟の学費を稼ぐために男装して傭兵団へ入団した。
副団長にまで上り詰め、団長をはじめとした仲間から信頼を得るが、決して正体は明かさなかった。
やがて戦争が終わり、傭兵団は解散となる。
出稼ぎするために流した嘘の悪評により、修道院入りを覚悟していたクラリスだったが、帰郷した彼女を待っていたのは父からの「嫁ぎ先が決まった」という一言だった。
慌ただしく始まる淑女教育、そして一度も未来の夫と顔合わせすることなく迎えた結婚式当日。
誓いの言葉を促され隣からきこてくる声に、クラリスは凍りつく。
……嘘でしょ、団長!?
かつての想い人でもある傭兵仲間が今は夫となり、妻の正体には気づいていない――気づかれてはいけないのだ、絶対に!
本作品はゆるふわ設定、ご都合主義、細かいことは気にしたら負け!
※この小説は、ほかの小説投稿サイトにも投稿しています。
白い結婚をご希望ですか? 良いですよ。私はジャガイモと筋肉を育てますので!
松本雀
恋愛
「……いいか、エルゼ。あらかじめ言っておくが、私は君を愛するつもりはない」
「願ったり叶ったりです! 実は私、国境警備隊に幼馴染の恋人がいまして。この結婚が決まった時、二人で『体は売っても心は売らない』って涙ながらに誓い合ったんです。閣下が愛してくださらないなら、私の貞操も守られます! ありがとうございます、公爵閣下!」
「……こいびと?」
◆
「君を愛するつもりはない」
冷徹な公爵ギルベルトが新婚初夜に放った非情な宣告。しかし、新妻エルゼの反応は意外なものだった。
「よかった! 実は私、国境警備隊に恋人がいるんです!」
利害が一致したとばかりに秒速で就寝するエルゼ。彼女の目的は、愛なき結婚生活を隠れ蓑に、恋人への想いを込めた「究極のジャガイモ」を育てることだった!
公爵家の庭園を勝手に耕し、プロテインを肥料にするエルゼに、最初は呆れていたギルベルト。だが、彼女のあまりにフリーダムな振る舞いと、恋人への一途(?)な情熱を目の当たりにするうち、冷徹だった彼の心(と筋肉)に異変が起き始めて……!?
嫌われたと思って離れたのに
ラム猫
恋愛
私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。
距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。
私を簡単に捨てられるとでも?―君が望んでも、離さない―
喜雨と悲雨
恋愛
私の名前はミラン。街でしがない薬師をしている。
そして恋人は、王宮騎士団長のルイスだった。
二年前、彼は魔物討伐に向けて遠征に出発。
最初は手紙も返ってきていたのに、
いつからか音信不通に。
あんなにうっとうしいほど構ってきた男が――
なぜ突然、私を無視するの?
不安を抱えながらも待ち続けた私の前に、
突然ルイスが帰還した。
ボロボロの身体。
そして隣には――見知らぬ女。
勝ち誇ったように彼の隣に立つその女を見て、
私の中で何かが壊れた。
混乱、絶望、そして……再起。
すがりつく女は、みっともないだけ。
私は、潔く身を引くと決めた――つもりだったのに。
「私を簡単に捨てられるとでも?
――君が望んでも、離さない」
呪いを自ら解き放ち、
彼は再び、執着の目で私を見つめてきた。
すれ違い、誤解、呪い、執着、
そして狂おしいほどの愛――
二人の恋のゆくえは、誰にもわからない。
過去に書いた作品を修正しました。再投稿です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる