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五章 離れたくない、そう思った
5‐03 憐憫の情
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「っ……!」
すると身体に衝撃が走り、慌てて踏ん張ろうとしたがそれも虚しく脚がもつれ、後ろに倒れる。
「な、なに……っ」
反射的に手を突いたためか、手の平が痛い。
けれどそれ以上に何をされたのか頭がはたらかず、龍冴は目を瞬かせた。
「……何、って? お前、自分が何言ったか分かってんの?」
先程の比ではないほど低く冷たい声音に、ぞくりと悪寒が走る。
あまりの恐怖から椰一の顔をまっすぐに顔を見れなくて、しかし怒っているのだけは感じ取れた。
「お前しか見てないのに、さっきも疑うようなこと言ってきて。……悲しいよ、俺は」
言いながら椰一が目線を合わせるようにしゃがみ込み、手を伸ばしてくる。
「っ、う……」
そろりと壊れ物を扱うような仕草で頬を撫でられ、なのに椰一に触れられたところから、うじゃうじゃと小さな虫が這い回るような怖気が走った。
反射的に首を振って振り解きたかったが、それはできない。
過度な恐怖で脳が命令を拒否しているのか、指先一つすら動かせないのだ。
「なぁ龍冴」
不意に甘い声が聞こえ、龍冴はきつく閉じていた瞼をかすかに震わせた。
こういう声をする時の椰一は自分勝手な態度を取る、と短い間ではあるがとうに知っているのだ。
加えて先程までは苗字呼びだったのが名前に変わっているからか、いっそう怖気が増していく。
「俺のこと、好きだろ……?」
猫撫で声で囁く言葉は、毒に似ている。
ここで『嫌い』『好きじゃない』と言えば椰一は即座に顔を歪め、持てる限りの語彙で満足するまで罵るだろう。
どんな言葉を言われようと、我慢すればいい。
仮にどれほど身体を痛め付けられようと、周囲には適当な理由を付けて隠しさえすれば済む話だ。
もっとも、後者に至っては目敏い者──特に桜雅や雅玖であれば、すぐに勘付かれるだろう。
そして、誰にやられたのか根掘り葉掘り聞くはずだ。
どちらも本気で怒ると何をするか判断できかねるため、二人の気性の荒さも合わさると龍冴とてすぐには止められない。
(嫌いだ、お前なんか)
龍冴は心の中であらん限りの感情を込め、椰一に言う『はずだった』言葉を呟いた。
本当なら口汚く罵ってやりたい。
数日前に女子生徒と何をしていたのか、何を言っていたのかを事細かに教えてやりたい。
けれど椰一の言う『証拠』がなければ信じてくれないのはもちろん、罵られ損で殴られ損になってしまう。
こちらが傷付くのはもはやどうでもいいが、何よりも目の前の相手に少しでもダメージを与えたかった。
確たる証拠は無いものの、何か言わなければ椰一が更に言葉を重ねてくるのは必至だ。
だというのに、龍冴の唇は針と糸で縫い付けられてしまったかのように、一言たりと声にならない。
だから口を開く代わりに、きっと目の前の男を見つめる。
睨み付ける、と言った方が正しいかもしれないが、そこまで気にしている余裕などなかった。
「……なんだよ、その目」
案の定、椰一の顔がゆっくりと歪んでいく。
無言というのはもちろん、誰かから睨まれるなど今まで無かったのだろう。
(……哀れだな)
それほど椰一は華々しい人生を送ってきたのか、ちやほやされる毎日だったのか、その自信がどこから湧いてくるのか、すべてがとんと理解できない。
ただ、この男の自尊心にほんの少しの傷を付けられたのは確かで、龍冴は内心で笑った。
すると身体に衝撃が走り、慌てて踏ん張ろうとしたがそれも虚しく脚がもつれ、後ろに倒れる。
「な、なに……っ」
反射的に手を突いたためか、手の平が痛い。
けれどそれ以上に何をされたのか頭がはたらかず、龍冴は目を瞬かせた。
「……何、って? お前、自分が何言ったか分かってんの?」
先程の比ではないほど低く冷たい声音に、ぞくりと悪寒が走る。
あまりの恐怖から椰一の顔をまっすぐに顔を見れなくて、しかし怒っているのだけは感じ取れた。
「お前しか見てないのに、さっきも疑うようなこと言ってきて。……悲しいよ、俺は」
言いながら椰一が目線を合わせるようにしゃがみ込み、手を伸ばしてくる。
「っ、う……」
そろりと壊れ物を扱うような仕草で頬を撫でられ、なのに椰一に触れられたところから、うじゃうじゃと小さな虫が這い回るような怖気が走った。
反射的に首を振って振り解きたかったが、それはできない。
過度な恐怖で脳が命令を拒否しているのか、指先一つすら動かせないのだ。
「なぁ龍冴」
不意に甘い声が聞こえ、龍冴はきつく閉じていた瞼をかすかに震わせた。
こういう声をする時の椰一は自分勝手な態度を取る、と短い間ではあるがとうに知っているのだ。
加えて先程までは苗字呼びだったのが名前に変わっているからか、いっそう怖気が増していく。
「俺のこと、好きだろ……?」
猫撫で声で囁く言葉は、毒に似ている。
ここで『嫌い』『好きじゃない』と言えば椰一は即座に顔を歪め、持てる限りの語彙で満足するまで罵るだろう。
どんな言葉を言われようと、我慢すればいい。
仮にどれほど身体を痛め付けられようと、周囲には適当な理由を付けて隠しさえすれば済む話だ。
もっとも、後者に至っては目敏い者──特に桜雅や雅玖であれば、すぐに勘付かれるだろう。
そして、誰にやられたのか根掘り葉掘り聞くはずだ。
どちらも本気で怒ると何をするか判断できかねるため、二人の気性の荒さも合わさると龍冴とてすぐには止められない。
(嫌いだ、お前なんか)
龍冴は心の中であらん限りの感情を込め、椰一に言う『はずだった』言葉を呟いた。
本当なら口汚く罵ってやりたい。
数日前に女子生徒と何をしていたのか、何を言っていたのかを事細かに教えてやりたい。
けれど椰一の言う『証拠』がなければ信じてくれないのはもちろん、罵られ損で殴られ損になってしまう。
こちらが傷付くのはもはやどうでもいいが、何よりも目の前の相手に少しでもダメージを与えたかった。
確たる証拠は無いものの、何か言わなければ椰一が更に言葉を重ねてくるのは必至だ。
だというのに、龍冴の唇は針と糸で縫い付けられてしまったかのように、一言たりと声にならない。
だから口を開く代わりに、きっと目の前の男を見つめる。
睨み付ける、と言った方が正しいかもしれないが、そこまで気にしている余裕などなかった。
「……なんだよ、その目」
案の定、椰一の顔がゆっくりと歪んでいく。
無言というのはもちろん、誰かから睨まれるなど今まで無かったのだろう。
(……哀れだな)
それほど椰一は華々しい人生を送ってきたのか、ちやほやされる毎日だったのか、その自信がどこから湧いてくるのか、すべてがとんと理解できない。
ただ、この男の自尊心にほんの少しの傷を付けられたのは確かで、龍冴は内心で笑った。
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