【R-18】凛と咲き誇る花よ、誠の下に咲く華よ ー幕末異聞譚ー

月城雪華

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明治二年(1869)、五月

終わりの始まり 弐

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(これで、良かったんだ)

 凛は未だ先の戦争の激状が残る、五稜郭ごりょうかくのただ中にいた。
 あちらこちらに銃弾の痕や、敵味方関係ないのぼりの切れ端が散乱している。

 今となってはブーツで大地を踏み締める事にも慣れ、それと同時に哀しくもなる。
 まさかここまで着いて来れると、あの時の自分は思っていただろうか。

 いや、寧ろ遠い蝦夷という未開の地まで来て、尚生きている事が奇跡とも言うのだろうか。

(でも、今更私の帰る場所は……)

 烏の濡れ羽色のような美しい髪が、さわさわと風に揺れる。
 帰る場所はあるにはあるが、そこは凛の本当の居場所とは言えなかった。

 元よりこの戦争が終われば、旧幕府軍は新政府軍に逆らった逆賊として謹慎を言い渡される手筈てはずになっていた。
 それが何ヶ月、何年続く事になるか定かではないが、きっとその時になれば凛の居場所は無いに等しい。

 逆賊という肩書きだけでも目のかたきにされるという事は、とうに理解しているのだ。

(兄上の……駄目だ、もう私は邪魔なはず)

 五つ上の兄である蒼馬そうまは、数年前に一目惚れした女性と所帯を持っている。
 その翌年に子供も生まれ、生業なりわいとしている仕事も今まで以上に軌道に乗り、忙しくも幸せの絶頂にいることだろう。

 蒼馬やその妻は快く受け入れてくれるだろうが、今更転がり込む事はできなかった。

(所詮、今の私はいらないから)

 お腹の子も、と無意識のうちに言葉にして自分に絶望した。

「今、私はなに、を……?」

 自分だけならばいざ知らず、なんの罪もない小さな命にまで「いらない」と言ったのか。
 生まれて来るかは定かではないが、八郎が遺してくれた命を無価値だと言ったのか。
 がくりと凛はその場にくずおれた。

「ごめん、ごめんね。……ごめん、なさい」

 わなわなと口が震え、やがて頬に温かい雫が伝う。
 とっくに枯れてしまったであろう涙が、後から後から溢れて止まらない。

(私は弱くて、でも貴方は何も悪くなくて……)

 まだ薄い腹に、そっと両手を重ねる。
 こうも泣いていては、八郎は呆れるだろうか。
 それとも「大丈夫だ」と傍に居て、慰めてくれるだろうか。

 こんなに弱い母では腹の子が可哀想だと、強くあらねば、と頭では分かっている。
 しかし、その意思に反して心は悲鳴を上げていた。
 もう逃げてしまいたい、八郎の傍に逝きたい、と。

「──凛」
「っ」

 聞き馴染みのある声が聞こえた気がして、びくりと肩が跳ねる。
 低く落ち着いた、凛を呼ぶ時だけとびきり甘くなる声。

 何度も何度も呼んでくれた、愛おしい八郎の声だ。
 凛は泣き濡れた頬を拭いもせず、のろのろと顔を上げた。

「大丈夫、ですか?」
「桐生……さん」

 どくりと心臓が大きく跳ねた。
 ──やはり幻聴だった。
 いや、最初から分かっていた。八郎のはずがない、別の誰かが名を呼んだのだと。

 しかし先程部屋を訪ねてきた桐生が、何故追って来たのかだけは分からなかった。
 何故今にも泣き出しそうな、悲しそうな顔で名を呼ぶのか。
 額に薄らと浮かぶ汗は、そこらを走っただけでは滲むものではない。

 考えている間も桐生は凛の腕を取り、立たせようとする。

「凛さん、ここにいては寒い。待つなら中へ──」

 桐生が何かを言っているが、もう凛の耳には届いていない。
 頭の中を埋め尽くすのは、会いたくても二度と会えない八郎の姿だけだった。

 深い樹々を思わせる緑碧は、いつだって凛を優しげな瞳で見つめてくれたのだ。
 剣に優れた腕で大切に、凛の心も身体もそのすべてをいつくしんでくれたのだ。

 時々粗野なところもあったが、情に篤い八郎の声音は聞いていて心地よかった。

 人を愛する喜びを教えてくれ、二人で分け合う熱を知った。

 この戦争が終わったら共に遠くへ行こうと、一緒になろうと、何度も言ってくれた言葉の数々を、凛は生涯忘れないだろう。

 そうして段々と姿が代わり、昔馴染みの上司から腐れ縁の人間達へ、果てには幼い頃に亡くした両親の姿が浮かんでは消えていく。

(もう、駄目)

 頭の中がぐらぐらと揺れる。
 恋しい人に二度と会えないという恐怖を、うしなうという悲しみを一度に受けたことで、凛の頭は霞がかってきていた。
 このまま永遠の眠りに就いてしまいそうな、そんな錯覚がしてしまうほど自分は追い込まれているのか。

「は、はは……っ」

 自嘲するしかなかった。
 ここまで弱くなってしまった自分に。

「ははは、っ……あははははは!」

 もう何もかもどうでも良かった。
 大切な人を亡くし、生きていくすべの無くなったこの世に。

「り、凛さん!?」

 突然笑い出した凛に仰天してか、桐生は一歩後退あとずさった。

「落ち着いてくれ、凛さん! 今すぐに──」

 桐生の切羽詰まった声は段々小さくなっていき、ついには聞こえなくなった。
 がくん、と今度こそ身体の力が抜け、ぷつりと意識が途切れる。
 深く深く、どこまでも続いていく深淵に、自然と身体が沈んでいく心地がした。
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