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10呪 はい、喜んで!
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赤福のホームルーム終了後、束の間の生徒達の自由が訪れる。
「結局、小豆ちゃんとの契りはどうなったんだよ」
「そりゃァもう、滅茶苦茶背中引っ掻いたりとか息切れ激しいわで大変だったぜ——」
「やってません‼︎」
京次と小豆の争いから一週間経ち、教室内は平穏が訪れ始めた。
争い直後の翌日は、飲食店の繁忙期ばりに押し寄せる人がドシドシと京次と小豆に質問の嵐をしていたが、今では大半が興味を失いいつもの日常を過ごしている。
大介はその中でも少数派の者で、京次と小豆を揶揄する様に質問し、二人のやり取りを楽しんでいた。
教室の前の引き戸が開く。
開いた戸から入って来たのは右手で腹を摩る馬琴であった。
「馬琴さん、お腹大丈夫ですか?」
「……なんとかな。まァ、授業受けるぐれェならへっちゃらでェ」
血色の悪い馬琴を心配した小豆は、プラダのコスメポーチから鎮痛剤を取り出した。
取り出した鎮痛剤のプラスチック容器を切り分けると、小豆は2錠分を馬琴に手渡した。
「こちらをお飲み下さい。水無しで服薬出来ますよ」
「あんがとな。でも大ェ丈夫。ちょっとしたら治るよ」
はにかみながら言っていたが、京次は馬琴が気丈に振る舞っているだけである事はすぐに分かった。
すると、京次は机を物色し何かを取り出した。
「な、何すんでェ?」
「これやるよ」
「! 良いのかィ⁉︎」
「辛ェんだろ? ここ行きゃ一発で気分良くなるぜィ」
「あ、ありがとう……!」
京次は取り出した物を馬琴に手渡すと、満足そうな顔を見せた。
京次に初めて心配された馬琴は少し喜びながら、受け取った物の詳細を確認した。
名刺の様な物だった。
おそらく病院の名刺であろうと思った馬琴は、左人差し指でなぞりながらその名刺に書かれていた文を読んでみた。
『イけない診療所・あまね』
ゲラゲラと腹を抱え、京次が笑いながら右人差し指で馬琴を指し示した。
しかし、馬琴は怒るどころか太陽の様に明るい笑顔を京次に見せ付け、小豆と大介はその美貌に驚き、息を呑んだ。
(あ、あいつ……こんな可愛く笑うのか……⁉︎)
(京次さんにこんな顔……? よっぽど良い病院の名刺だったのかしら……?)
しかし、あくまでも彼は馬琴だ。
その笑顔のまま、馬琴は右手に手にした広辞苑の角を京次の左目に直撃させる。
その衝撃により、京次は両手で左目を押さえ阿鼻叫喚し、死にかけの蝉の様にのたうち回った。
断末魔の声を上げる京次の惨状を見た大介は、思わず左目を両手で押さえ、必要以上に最大の防御の態勢を取った。
そして、馬琴は決して京次から視線を逸らさず、笑顔を解きゴキブリを見る様な眼差しで「死ね」と言うと、大きな足音を立てながら教室を後にした。
「ちったァ謝ったらどォでェッ‼︎」
「それ、貴方が言います?」
「今のはお前が悪い」
右手で京次は潰れた左目を右手で摘みながら拡張させ元に戻したその時、馬琴と入れ替わる形で違う生徒が教室内に入って来た。
他のクラスの女子生徒だった。
彼女は、栗色の直毛が特徴的な肩まで触れたボブカットが良く似合う少女で、鷹の様にキリッとした黒い目を持ち、女子の割には比較的高い165センチ程の身長と体の凹凸が良く分かる美しい肉付きであった。
教室内に居た生徒は皆、モデルが来たのかと錯覚した。
それは容姿が美しいと称された小豆も同様であった。
しかし、彼女は右目に異質な物……梵字が一文字描かれた黒い眼帯を着けており、端正過ぎる美貌も相まって、話し掛けづらい空気を纏わせていた。
「ありゃ? 美栗ちゃん、どうしたの?」
だが、大介は彼女……金渕美栗に話し掛けると、美栗はやや苛立ちながら三人が居座る席に近付き、京次の左隣の馬琴の席をドスンッと音を立てながら着席した。
「どーしたもこーしたも無いわよ。転校して一日二日ぐらいしか経ってないなら分かる。けど、一週間経ってもまともに話し掛けて来たのはアンタだけってのはどう言う了見よ! 触らぬ神に祟り無し……だっけ? みんながみんな私の眼帯気にしてばっかでバッカみたい」
「そりゃ美栗ちゃんの眼帯怖いしな~。俺はそれカッコいいと思うよ」
「ファッションじゃないから。まあ、この梵字のやつはそうじゃないかって訊かれたらそうではないけど……この子、雙葉の?」
美栗は左片手で頬杖を突きながら、小豆を凝視し始める。
「は、初めまして。黒川小豆です」
「小豆ちゃんね。金渕美栗。適当に『金渕』でも『美栗』とでも呼んで。まだロクに呼ばれた事無いから。で、こちらは?」
美栗は左目に涙を浮かべた京次に視線を向けた。
京次も美栗の姿をジッと見るが、何故か小豆の時とは違い全く口説こうとしなかった。
(恥ずかしがってるのでしょうか……?)
いつもならば、気持ちの悪い台詞と共にいやらしいボディータッチまでが京次のルーティンであるのにも関わらず、そこまでの行動を取らないでいた。
「俺ァ、田造でェ」
京次は真顔で自分の姓を名乗ると、美栗は苛立っていた表情から驚いた様な表情に変え、京次に食い付いた。
「田造? もしかして、赤毛の尼さんと知り合いの?」
「それって萩火の事かィ? どォしてまた」
「北千住で古着買いに行った時、路上で酔い潰れて倒れてた人が居て介抱してやったのよ。それがその尼さんで、『キョウチャンをよろしくね!』って言った手前、爆睡かまして私の家で朝までコースよ。それだけじゃなくて、他所の家で迷い無く朝食食べてから帰るってどーゆー教育してんのよあんた?」
(それで昨日一日中まで居なかったんかィ……!)
思えば昨日、萩火は「北千住で飲んできま~す!」と言ったっ切り帰って来ず、帰って来たのは今日の朝であった事を京次は思い出す。
しかも、運命の女候補の相手に勝手に接触し、迷惑をかけたのだ。
一応京次も人である。
萩火の蛮行に申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちが同居し、更に真顔を崩せないでいた。
すると、京次の事を見ていた美栗はある事に気付く。
「そう言えばあんた、小豆ちゃんとはシたの?」
「してねェよ。してェけど」
「私はイヤです!」
「そーなの。で、ぶっちゃけた話どーしてそんなにシたいのよ? あんた別に顔が悪い訳じゃないんだから選り好みし放題でしょ? それだったら他の女を誘えば良いじゃない」
『契交の呪詛』の詳細は京次と馬琴しか知らない。
京次は別にこの事を公言しても構わなかったが、その事でより解呪し難くなるのを恐れ黙っていた。
当たり障りない言い訳を京次は熟考し、右隣に居た小豆の巻き込み、小豆の右手を軽く触れて口を開いた。
「僕は小豆ちゃんじゃないと嫌だからだよ」
京次のこの発言により、教室に静寂の波が広がった——。
(あれ……こんなんになる筈じゃァ……?)
教室内の生徒は全員京次の方を向き、女子生徒はヒソヒソと内緒話を始め、男子生徒は京次から小豆に視線を変えた。
京次はタラタラと額に脂汗を流しながら、ぎこちない動きで小豆の方へ首を回してみた。
すると、小豆は頬どころか顔全体と肌が露出している箇所全てを真っ赤に染め上げ、京次が触れた手はやや汗ばみ、熱をもっていた。
「それってどう言う——」
「あーあ、はっず……。茶々入れてみようと思ったら、まさかあんた……この子にくびったけだったのね。お熱くて羨ましい~」
小豆が京次に質問するのを阻む様に、美栗も頬を赤く染めながら京次をからかった。
「……ねえ、もし相手を選ばないでシたいならさ——」
美栗は京次の顔に近付いた。
そして、周囲に居る生徒達に聞こえぬよう、左手で京次の左耳を隠す様に翳すと、誘惑するかの小声でボソリとこう呟いた——。
「——私がシてあげようか? その子の代わりに……」
美栗の誘惑は、京次が今まで口にしたどんな食べ物よりも甘く、扇情的で魅力的な言葉だった。
一瞬、京次は美栗のプロポーションを品定めする。
彼女の諸々の体のパーツは一級品である。
顔立ちこそ違うが、小豆や他の女子生徒達と比較しても抜きん出ており、正直、誰しもが憧れを抱く程の美貌の持ち主だと京次は評価した。
その速度、僅か0.2秒である。
「はい、喜んでェ!」
馬鹿みたいにデカい声を上げて京次は了承すると、美栗に熱い抱擁をプレゼントする。
「あ、がっつくな……馬鹿……!」
赤い顔のまま美栗は瞼を閉じ、慈しむ様にハグをし返した。
京次の頭を右手で優しく撫でると、京次は美栗にばれぬよう髪の匂いを堪能する。
柑橘系の香水と優しい石鹸の匂いが混じる彼女の髪の匂いは、京次と言うより男子生徒達にとってはご褒美そのものであり、鼻腔に広がるその芳しい薫りにより京次はマタタビを得た猫の様に酩酊し始めた。
セーラー服越しの美栗の実った果実が京次の胸板に触れる。
ベーゴマや面子、ヨーヨーと言った下町の遊びで鍛え上げられた京次の肉体とは対極に位置する美栗のその体の感触を忘れぬようにと、京次は公衆の面前であるのにもかかわらず、柔肌を堪能する。
(いやァ、体のバランスの良い小豆ちゃんも良いが、この良い肉付きの美栗ってのも捨て難い……いっそ、一人じゃなくて四人全員を抱くってのは反則じゃねェかな……?)
そんな下衆な思考と肉欲が京次の脳内を交錯する中、ふと背中に違和感を覚えた。
誰かが京次の背中を摘み、引っ張っていた。
もしかしてと思い、先程と同様に京次は首をぎごちなく回し、背後を見てみた。
そこには、左の人差し指と親指で京次の学ランの背中を摘む小豆の姿があった。
その瞬間、京次は走馬灯の様に今までの過去を思い出す——。
『俺の勝ちィ~! おら、早くベーゴマ寄越せよォ……!』
僅かに鉛を乗せたペチャ王を削って改造したベーゴマで、シマウマを乱獲した幼少期——。
『俺の地区じゃァ、面子に油は合法なんでェ! 負けたんだから面子寄越せよォ……!』
非合法であるのに強引に連邦法ではなく州法を引き合いにした少年時代——。
『痛ッてェな……別にたまたま窓開いてたから覗いただけだってのに……桶投げる事ァ無ェだろィ……』
普通に覗いた3日前——。
思い返せば、ロクでも無い記憶ばかりの山だったが、京次にとっては両目から溢れんばかりの涙を流す程の大切な思い出である。
京次は覚悟を決め、両目を閉じて投げられる準備を取った。
小豆の小さな口が開いた。
しかし、彼女の声は全く京次には届かずネビギャル閣下と良い勝負の声量であった。
「あのォ~……ちょっと聞こえねェっつゥか……な、何なんでェ……?」
「良いんですか?」
「はへ?」
「わ……私とじゃなくて……良いんですか……?」
京次をとても弱い力で引っ張っていた小豆の姿は意外なものだった。
女好きの京次を毛嫌いばかりしている彼女が、しおらしい態度で他の女性に嫉妬する様に彼に抗議しているからだ。
その言動を至近距離で目にした京次は、謎の動悸に襲われる——。
(な……何でェこりゃ……? 何で俺が……こんな焦ってんでェ……?)
すると、美栗は何を思ったのか、おもむろに京次の尻を揉みしだき出した。
揉みしだかれた京次は苦虫を口の中で潰した様な顔を浮かべると、突然美栗は京次の顔面に自分の顔を近付け、交わる様な姿を教室に居る生徒全員に見せた。
それは、俗に言うキスをする姿そのものだった。
「お、おい見たか⁉︎」
「あの京次に眼帯の子がキスしたぞ‼︎」
「嘘でしょ……あの京次君に……⁉︎」
「あーん! 京様が汚れたー‼︎ うっうっう……ひどいよお……ふえーん‼︎」
京次の素行をよく知る生徒や、呪いの影響で京次に好いていた一部の女子生徒は阿鼻叫喚をし、小豆に関しては、何が起きたのかが理解出来ていないのか、さながら信号機の様に赤くなった肌を一気に青白くさせ、血の気をなくした表情に豹変した。
「な、何すんでェ⁉︎」
「ふふ、恥ずかしがんなって。本当は嬉しいんでしょう? こんな美女と口付け出来たんだから」
「ざけんな糞尼ッ! 大体、キスなんて——」
頬を赤く染めていた美栗が言い終える前に、小豆はすぐに両手で京次を正面に向かい合わせる様にすると、学ランの胸元をがっしりと右手で掴み、柔術の隅落としを繰り出す。
投げられた京次は、受け身を取れずに椅子を破壊しながら床に叩き付けられ、樹木の幹が折れる様な音を立てたと同時に白目を剥いた。
しかし、小豆は止まらなかった。
流れる様に小豆は京次をうつ伏せにすると、京次の右上腕部と肘を両手で触れ、合気道の一教を繰り出した。
肘も異様な音を立てて砕かれ、完全に可動域外の方にまで右前腕部が曲がってしまった。
京次はすぐに理解した。
先程の動機は、己の危機察知能力の過敏反応だったと言う事を……。
「最ッ低! 二度と私に話しかけないで下さい‼︎」
小豆は馬琴と同様に、京次に制裁を加えた後、そのまま前の引き戸を強く開け、教室を後にした。
その時の小豆は、目を涙ぐませており、まるで京次に見損なったと言わんばかりの顔をしていた。
「その前に謝れ……!」
「……ほんとお前って丈夫なのな。つーか、謝れば許すのかよ?」
「俺ァ美人には優しいんでェ」
そう大介に言い返すと、京次は折れた右肘を修復する為、右前腕部を大きく振り子の様に振り始めた。
ものの数秒で完治させ、京次は眉を顰めた。
眺めていた美栗の左手を強く握ると、後ろの引き戸を開き、京次は大介を置いていって二人して廊下へ出て行った。
京次と美栗は二人きりになると、苦虫を噛み潰した様な顔を美栗に向けた。
「お前ェ、何でさっきキスしたみてェな真似したんでェ?」
苛立ちがそのまま美栗に伝わる程の声量で、京次は静かに口を開いた。
先程、実は美栗は京次に唇を重ねてはいなかった。
側から見ればキスをしたかの様に見えたがその実、ただ顔を翳しただけであり、要らぬ誤解を小豆に与えた事を京次は罪悪感を感じたのだ。
その事を指摘された美栗は、悪戯の成功を喜ぶ子供の様に微笑むと、京次の下唇を右人差し指で軽く触れる。
「別に~? ただ私は注目されたいからやっただけよ。この現状だと、私に話し掛けてくれる人達なんて居ないでしょ? だからあんたを利用したって訳」
「あのよォ、そいつァ手前ェ勝手過ぎんじゃねェかィ? 俺ァ小豆ちゃんに惚れてんだぜ? その健気な男心をお前ェは躊躇無く抉ったんでェ。責任ぐれェとってくれよゥ」
「責任も何もその前に。この私が体を触らせてやったのよ? 少しはお礼とか無い訳? ありがとうぐらい言ったら」
「人んケツ揉みしだいてる奴ァそれ言うかィッ‼︎」
美栗のその指を右手で叩く様にして京次は払い落とすと、少し悩む様な表情をし黙り始めた。
「……お前ェには教えてやるよ」
京次は、出会ってから僅か5分も経っていない相手に、自身の呪いの詳細と小豆への対応の理由を美栗に告白した。
「結局、小豆ちゃんとの契りはどうなったんだよ」
「そりゃァもう、滅茶苦茶背中引っ掻いたりとか息切れ激しいわで大変だったぜ——」
「やってません‼︎」
京次と小豆の争いから一週間経ち、教室内は平穏が訪れ始めた。
争い直後の翌日は、飲食店の繁忙期ばりに押し寄せる人がドシドシと京次と小豆に質問の嵐をしていたが、今では大半が興味を失いいつもの日常を過ごしている。
大介はその中でも少数派の者で、京次と小豆を揶揄する様に質問し、二人のやり取りを楽しんでいた。
教室の前の引き戸が開く。
開いた戸から入って来たのは右手で腹を摩る馬琴であった。
「馬琴さん、お腹大丈夫ですか?」
「……なんとかな。まァ、授業受けるぐれェならへっちゃらでェ」
血色の悪い馬琴を心配した小豆は、プラダのコスメポーチから鎮痛剤を取り出した。
取り出した鎮痛剤のプラスチック容器を切り分けると、小豆は2錠分を馬琴に手渡した。
「こちらをお飲み下さい。水無しで服薬出来ますよ」
「あんがとな。でも大ェ丈夫。ちょっとしたら治るよ」
はにかみながら言っていたが、京次は馬琴が気丈に振る舞っているだけである事はすぐに分かった。
すると、京次は机を物色し何かを取り出した。
「な、何すんでェ?」
「これやるよ」
「! 良いのかィ⁉︎」
「辛ェんだろ? ここ行きゃ一発で気分良くなるぜィ」
「あ、ありがとう……!」
京次は取り出した物を馬琴に手渡すと、満足そうな顔を見せた。
京次に初めて心配された馬琴は少し喜びながら、受け取った物の詳細を確認した。
名刺の様な物だった。
おそらく病院の名刺であろうと思った馬琴は、左人差し指でなぞりながらその名刺に書かれていた文を読んでみた。
『イけない診療所・あまね』
ゲラゲラと腹を抱え、京次が笑いながら右人差し指で馬琴を指し示した。
しかし、馬琴は怒るどころか太陽の様に明るい笑顔を京次に見せ付け、小豆と大介はその美貌に驚き、息を呑んだ。
(あ、あいつ……こんな可愛く笑うのか……⁉︎)
(京次さんにこんな顔……? よっぽど良い病院の名刺だったのかしら……?)
しかし、あくまでも彼は馬琴だ。
その笑顔のまま、馬琴は右手に手にした広辞苑の角を京次の左目に直撃させる。
その衝撃により、京次は両手で左目を押さえ阿鼻叫喚し、死にかけの蝉の様にのたうち回った。
断末魔の声を上げる京次の惨状を見た大介は、思わず左目を両手で押さえ、必要以上に最大の防御の態勢を取った。
そして、馬琴は決して京次から視線を逸らさず、笑顔を解きゴキブリを見る様な眼差しで「死ね」と言うと、大きな足音を立てながら教室を後にした。
「ちったァ謝ったらどォでェッ‼︎」
「それ、貴方が言います?」
「今のはお前が悪い」
右手で京次は潰れた左目を右手で摘みながら拡張させ元に戻したその時、馬琴と入れ替わる形で違う生徒が教室内に入って来た。
他のクラスの女子生徒だった。
彼女は、栗色の直毛が特徴的な肩まで触れたボブカットが良く似合う少女で、鷹の様にキリッとした黒い目を持ち、女子の割には比較的高い165センチ程の身長と体の凹凸が良く分かる美しい肉付きであった。
教室内に居た生徒は皆、モデルが来たのかと錯覚した。
それは容姿が美しいと称された小豆も同様であった。
しかし、彼女は右目に異質な物……梵字が一文字描かれた黒い眼帯を着けており、端正過ぎる美貌も相まって、話し掛けづらい空気を纏わせていた。
「ありゃ? 美栗ちゃん、どうしたの?」
だが、大介は彼女……金渕美栗に話し掛けると、美栗はやや苛立ちながら三人が居座る席に近付き、京次の左隣の馬琴の席をドスンッと音を立てながら着席した。
「どーしたもこーしたも無いわよ。転校して一日二日ぐらいしか経ってないなら分かる。けど、一週間経ってもまともに話し掛けて来たのはアンタだけってのはどう言う了見よ! 触らぬ神に祟り無し……だっけ? みんながみんな私の眼帯気にしてばっかでバッカみたい」
「そりゃ美栗ちゃんの眼帯怖いしな~。俺はそれカッコいいと思うよ」
「ファッションじゃないから。まあ、この梵字のやつはそうじゃないかって訊かれたらそうではないけど……この子、雙葉の?」
美栗は左片手で頬杖を突きながら、小豆を凝視し始める。
「は、初めまして。黒川小豆です」
「小豆ちゃんね。金渕美栗。適当に『金渕』でも『美栗』とでも呼んで。まだロクに呼ばれた事無いから。で、こちらは?」
美栗は左目に涙を浮かべた京次に視線を向けた。
京次も美栗の姿をジッと見るが、何故か小豆の時とは違い全く口説こうとしなかった。
(恥ずかしがってるのでしょうか……?)
いつもならば、気持ちの悪い台詞と共にいやらしいボディータッチまでが京次のルーティンであるのにも関わらず、そこまでの行動を取らないでいた。
「俺ァ、田造でェ」
京次は真顔で自分の姓を名乗ると、美栗は苛立っていた表情から驚いた様な表情に変え、京次に食い付いた。
「田造? もしかして、赤毛の尼さんと知り合いの?」
「それって萩火の事かィ? どォしてまた」
「北千住で古着買いに行った時、路上で酔い潰れて倒れてた人が居て介抱してやったのよ。それがその尼さんで、『キョウチャンをよろしくね!』って言った手前、爆睡かまして私の家で朝までコースよ。それだけじゃなくて、他所の家で迷い無く朝食食べてから帰るってどーゆー教育してんのよあんた?」
(それで昨日一日中まで居なかったんかィ……!)
思えば昨日、萩火は「北千住で飲んできま~す!」と言ったっ切り帰って来ず、帰って来たのは今日の朝であった事を京次は思い出す。
しかも、運命の女候補の相手に勝手に接触し、迷惑をかけたのだ。
一応京次も人である。
萩火の蛮行に申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちが同居し、更に真顔を崩せないでいた。
すると、京次の事を見ていた美栗はある事に気付く。
「そう言えばあんた、小豆ちゃんとはシたの?」
「してねェよ。してェけど」
「私はイヤです!」
「そーなの。で、ぶっちゃけた話どーしてそんなにシたいのよ? あんた別に顔が悪い訳じゃないんだから選り好みし放題でしょ? それだったら他の女を誘えば良いじゃない」
『契交の呪詛』の詳細は京次と馬琴しか知らない。
京次は別にこの事を公言しても構わなかったが、その事でより解呪し難くなるのを恐れ黙っていた。
当たり障りない言い訳を京次は熟考し、右隣に居た小豆の巻き込み、小豆の右手を軽く触れて口を開いた。
「僕は小豆ちゃんじゃないと嫌だからだよ」
京次のこの発言により、教室に静寂の波が広がった——。
(あれ……こんなんになる筈じゃァ……?)
教室内の生徒は全員京次の方を向き、女子生徒はヒソヒソと内緒話を始め、男子生徒は京次から小豆に視線を変えた。
京次はタラタラと額に脂汗を流しながら、ぎこちない動きで小豆の方へ首を回してみた。
すると、小豆は頬どころか顔全体と肌が露出している箇所全てを真っ赤に染め上げ、京次が触れた手はやや汗ばみ、熱をもっていた。
「それってどう言う——」
「あーあ、はっず……。茶々入れてみようと思ったら、まさかあんた……この子にくびったけだったのね。お熱くて羨ましい~」
小豆が京次に質問するのを阻む様に、美栗も頬を赤く染めながら京次をからかった。
「……ねえ、もし相手を選ばないでシたいならさ——」
美栗は京次の顔に近付いた。
そして、周囲に居る生徒達に聞こえぬよう、左手で京次の左耳を隠す様に翳すと、誘惑するかの小声でボソリとこう呟いた——。
「——私がシてあげようか? その子の代わりに……」
美栗の誘惑は、京次が今まで口にしたどんな食べ物よりも甘く、扇情的で魅力的な言葉だった。
一瞬、京次は美栗のプロポーションを品定めする。
彼女の諸々の体のパーツは一級品である。
顔立ちこそ違うが、小豆や他の女子生徒達と比較しても抜きん出ており、正直、誰しもが憧れを抱く程の美貌の持ち主だと京次は評価した。
その速度、僅か0.2秒である。
「はい、喜んでェ!」
馬鹿みたいにデカい声を上げて京次は了承すると、美栗に熱い抱擁をプレゼントする。
「あ、がっつくな……馬鹿……!」
赤い顔のまま美栗は瞼を閉じ、慈しむ様にハグをし返した。
京次の頭を右手で優しく撫でると、京次は美栗にばれぬよう髪の匂いを堪能する。
柑橘系の香水と優しい石鹸の匂いが混じる彼女の髪の匂いは、京次と言うより男子生徒達にとってはご褒美そのものであり、鼻腔に広がるその芳しい薫りにより京次はマタタビを得た猫の様に酩酊し始めた。
セーラー服越しの美栗の実った果実が京次の胸板に触れる。
ベーゴマや面子、ヨーヨーと言った下町の遊びで鍛え上げられた京次の肉体とは対極に位置する美栗のその体の感触を忘れぬようにと、京次は公衆の面前であるのにもかかわらず、柔肌を堪能する。
(いやァ、体のバランスの良い小豆ちゃんも良いが、この良い肉付きの美栗ってのも捨て難い……いっそ、一人じゃなくて四人全員を抱くってのは反則じゃねェかな……?)
そんな下衆な思考と肉欲が京次の脳内を交錯する中、ふと背中に違和感を覚えた。
誰かが京次の背中を摘み、引っ張っていた。
もしかしてと思い、先程と同様に京次は首をぎごちなく回し、背後を見てみた。
そこには、左の人差し指と親指で京次の学ランの背中を摘む小豆の姿があった。
その瞬間、京次は走馬灯の様に今までの過去を思い出す——。
『俺の勝ちィ~! おら、早くベーゴマ寄越せよォ……!』
僅かに鉛を乗せたペチャ王を削って改造したベーゴマで、シマウマを乱獲した幼少期——。
『俺の地区じゃァ、面子に油は合法なんでェ! 負けたんだから面子寄越せよォ……!』
非合法であるのに強引に連邦法ではなく州法を引き合いにした少年時代——。
『痛ッてェな……別にたまたま窓開いてたから覗いただけだってのに……桶投げる事ァ無ェだろィ……』
普通に覗いた3日前——。
思い返せば、ロクでも無い記憶ばかりの山だったが、京次にとっては両目から溢れんばかりの涙を流す程の大切な思い出である。
京次は覚悟を決め、両目を閉じて投げられる準備を取った。
小豆の小さな口が開いた。
しかし、彼女の声は全く京次には届かずネビギャル閣下と良い勝負の声量であった。
「あのォ~……ちょっと聞こえねェっつゥか……な、何なんでェ……?」
「良いんですか?」
「はへ?」
「わ……私とじゃなくて……良いんですか……?」
京次をとても弱い力で引っ張っていた小豆の姿は意外なものだった。
女好きの京次を毛嫌いばかりしている彼女が、しおらしい態度で他の女性に嫉妬する様に彼に抗議しているからだ。
その言動を至近距離で目にした京次は、謎の動悸に襲われる——。
(な……何でェこりゃ……? 何で俺が……こんな焦ってんでェ……?)
すると、美栗は何を思ったのか、おもむろに京次の尻を揉みしだき出した。
揉みしだかれた京次は苦虫を口の中で潰した様な顔を浮かべると、突然美栗は京次の顔面に自分の顔を近付け、交わる様な姿を教室に居る生徒全員に見せた。
それは、俗に言うキスをする姿そのものだった。
「お、おい見たか⁉︎」
「あの京次に眼帯の子がキスしたぞ‼︎」
「嘘でしょ……あの京次君に……⁉︎」
「あーん! 京様が汚れたー‼︎ うっうっう……ひどいよお……ふえーん‼︎」
京次の素行をよく知る生徒や、呪いの影響で京次に好いていた一部の女子生徒は阿鼻叫喚をし、小豆に関しては、何が起きたのかが理解出来ていないのか、さながら信号機の様に赤くなった肌を一気に青白くさせ、血の気をなくした表情に豹変した。
「な、何すんでェ⁉︎」
「ふふ、恥ずかしがんなって。本当は嬉しいんでしょう? こんな美女と口付け出来たんだから」
「ざけんな糞尼ッ! 大体、キスなんて——」
頬を赤く染めていた美栗が言い終える前に、小豆はすぐに両手で京次を正面に向かい合わせる様にすると、学ランの胸元をがっしりと右手で掴み、柔術の隅落としを繰り出す。
投げられた京次は、受け身を取れずに椅子を破壊しながら床に叩き付けられ、樹木の幹が折れる様な音を立てたと同時に白目を剥いた。
しかし、小豆は止まらなかった。
流れる様に小豆は京次をうつ伏せにすると、京次の右上腕部と肘を両手で触れ、合気道の一教を繰り出した。
肘も異様な音を立てて砕かれ、完全に可動域外の方にまで右前腕部が曲がってしまった。
京次はすぐに理解した。
先程の動機は、己の危機察知能力の過敏反応だったと言う事を……。
「最ッ低! 二度と私に話しかけないで下さい‼︎」
小豆は馬琴と同様に、京次に制裁を加えた後、そのまま前の引き戸を強く開け、教室を後にした。
その時の小豆は、目を涙ぐませており、まるで京次に見損なったと言わんばかりの顔をしていた。
「その前に謝れ……!」
「……ほんとお前って丈夫なのな。つーか、謝れば許すのかよ?」
「俺ァ美人には優しいんでェ」
そう大介に言い返すと、京次は折れた右肘を修復する為、右前腕部を大きく振り子の様に振り始めた。
ものの数秒で完治させ、京次は眉を顰めた。
眺めていた美栗の左手を強く握ると、後ろの引き戸を開き、京次は大介を置いていって二人して廊下へ出て行った。
京次と美栗は二人きりになると、苦虫を噛み潰した様な顔を美栗に向けた。
「お前ェ、何でさっきキスしたみてェな真似したんでェ?」
苛立ちがそのまま美栗に伝わる程の声量で、京次は静かに口を開いた。
先程、実は美栗は京次に唇を重ねてはいなかった。
側から見ればキスをしたかの様に見えたがその実、ただ顔を翳しただけであり、要らぬ誤解を小豆に与えた事を京次は罪悪感を感じたのだ。
その事を指摘された美栗は、悪戯の成功を喜ぶ子供の様に微笑むと、京次の下唇を右人差し指で軽く触れる。
「別に~? ただ私は注目されたいからやっただけよ。この現状だと、私に話し掛けてくれる人達なんて居ないでしょ? だからあんたを利用したって訳」
「あのよォ、そいつァ手前ェ勝手過ぎんじゃねェかィ? 俺ァ小豆ちゃんに惚れてんだぜ? その健気な男心をお前ェは躊躇無く抉ったんでェ。責任ぐれェとってくれよゥ」
「責任も何もその前に。この私が体を触らせてやったのよ? 少しはお礼とか無い訳? ありがとうぐらい言ったら」
「人んケツ揉みしだいてる奴ァそれ言うかィッ‼︎」
美栗のその指を右手で叩く様にして京次は払い落とすと、少し悩む様な表情をし黙り始めた。
「……お前ェには教えてやるよ」
京次は、出会ってから僅か5分も経っていない相手に、自身の呪いの詳細と小豆への対応の理由を美栗に告白した。
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