イェルフと心臓

チゲン

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第一部 イェルフと心臓

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 熱い。
 全身が、燃えるように熱い。
 炎が里を焼き払う。
 住み慣れた家を、木を、畑をがす。
 ウタイの体も燃えている。
 ああ。
 どうりで熱い訳だ。
「ああ」
 そこで夢は途切れた。
 目覚めると、まだあかつきだった。
 体が重い。全身、汗まみれだ。
 ウタイは額に手を当てた。やはり微熱がある。
「こんなときに……」
 体を起こそうとして、左足が動かないことに気付いた。痛みを感じないどころか感覚すらない。しびれているのかもしれない。
 何とか上半身を起こして、腕や肩を動かしてみた。こちらは問題なさそうだ。
 周囲を見回してみたが、ポロノシューの姿はない。
 枕元にあった彼の水筒に手を伸ばすと、中身を一気に飲み干した。
「ごほっ!」
 勢いよく飲み過ぎたせいで、水が気管に入り、思い切りむせ返ってしまった。
「もう……!」
 無性むしょう苛立いらだつ。
 干し肉や干し果実が置きっ放しにされているのが目に入った。腕を伸ばして干し果実をひとつ取り、かじりつく。
 少し固かったが、噛むほどに甘味と酸味が口のなかに広がった。
 あっという間にひとつ平らげると、今度は干し肉に取りかかった。干し肉はもっと固かったが、ウタイはむさぼるように食った。
 茂みが揺れ、ポロノシューが姿を見せた。手には、もうひとつの水筒を持っている。
 ウタイは一瞥いちべつくれただけで、干し肉との格闘に専念した。
「あまり消化の悪い食べ方をしない方がいい」
 ポロノシューが、ぼそりと忠告する。
「ふん、何よ、偉そうに」
 ウタイは無視して干し肉を噛み続けた。
 するとポロノシューが、残りの干し肉を全て自分の手元に引き寄せた。
「ケチくさい奴」
 ウタイは恨めしそうに睨みつけると、干し果実を残らず自分の手元に引き寄せた。
「水」
「一気に飲むと、またむせるぞ」
「うるさい」
 ポロノシューが差しだした水筒をひったくると、水をガブ飲みした。
 しばらく、無言の食事が続いた。
 干し果実は予想以上にかさがあったので、全て平らげることはできなかった。
 残すのが悔しくて、無理にでも食べようとしていると、ポロノシューが強引に片付けてしまった。
「ちょっと……」
 さらにウタイの手から水筒を奪うと、中身を一気に飲み干す。
 ウタイは不快げに顔をしかめた。
「だから、わたしが口を付けたものに……」
 彼女の視線に気付いたポロノシューが、怪訝けげんそうな顔で水筒を返してくる。
「いらないわよ!」
 愚鈍ぐどんで無神経。これだから人間は。
「水を入れてくる。おとなしくしていろ」
 ポロノシューは、ウタイの反応などお構いなしに、二つの水筒を持って茂みのなかへ消えた。
 空腹が満たされると、先程までの倦怠感けんたいかんが嘘のように消えていた。熱もだいぶ治まっている。
 気持ちに余裕の出てきたウタイは、ふとポロノシューの荷物に目を止めた。
 背嚢はいのうの側に、ひと振りの曲刀がある。
「不用心ね」
 半ば呆れながら、見るとはなしにその曲刀を眺めていて……表情が強張こわばった。
 昨夜は暗闇のせいで判らなかったが、さやつかに奇妙で美しい紋様もんようがびっしりと刻み込まれている。
 相当な逸品いっぴんだ。
 いや、問題はそういうことではない。
「まさか、魔術文字……」
 ウタイは息を呑んだ。
 つまりあれは、イェルフの秘宝なのだ。
「あいつ……なんで秘宝を!?」
 そこまで言って、ウタイは気付いた。
 ポロノシューも秘宝を狙っているのだ。
 頭に血が昇った。
 あの曲刀は、どこかのイェルフ族の里を襲い、奪い取ったものに違いない。彼女の里を蹂躙じゅうりんした憎き野伏たちと同じように。
 欲深い人間。
 我らを皆殺しにするだけではき足らず、秘宝まで奪っていく強欲で傲慢ごうまんな生き物。
 ウタイは拳を握りしめ、地面に叩きつけた。
「殺してやる……!」
 あの曲刀で切り刻んでやる。死んでいった仲間たちの無念も込めて。
 そう勢い込み、ウタイは立ち上がろうとした。
「ん……」
 だが左足が動かない。
 感覚が戻らない。
「え……」
 血の気が引いた。
 いくら何でもおかしい。
『下手をすると切り落とすことになるぞ』
 ポロノシューの言葉が蘇る。
「動け」
 ももをつねり、叩いた。だがその痛みすら伝わってこない。
「動け、動け」
 何度も叩いた。
「なんで動かないのよ!」
『切り落とす』
「やだ」
 強引に立ち上がろうとして横転した。右肩を打った。
『切り落とす』
「やだ!」
 悲鳴が喉まで出かかった。
 そのとき、茂みを掻き分けて、ポロノシューが戻ってきた。
「!」
 ウタイは我に返り、顔を伏せた。
 悲鳴を飲み込む。
 ポロノシューは、そんな彼女の様子には目もくれない。どこからか拾ってきた太長い枝を、手持ちの山刀で呑気のんきけずりだしている。
 こちらの異変には、気付かなかったようだ。
「ふう……」
 おかげで、冷静さを取り戻すことができた。
 焦ってはいけない。騒いでも、今すぐ左足が動くようになる訳ではないのだ。
 とにかく養生ようじょうが必要だ。幸いこの男は医療の知識があるようだし、傷が回復してから改めて対策をればいい。
「ポロノシューか……」
 やはり、その名に聞き覚えがある。
「ポロノシュー……」
 記憶の糸を辿る。
 昨日から頭の隅に引っ掛かっていたのだ。
 そうだ。
 幼い頃。
 確か……。
「ふろうふし……あっ!」
 ウタイは思わず声をあげた。
「不老不死の男……」
 信じられないものを見るように、ポロノシューの蒼白あおじろ相貌そうぼう凝視ぎょうしする。
 ポロノシューは、彼女の声が明らかに聞こえたはずなのに、黙々と拾ってきた枝を削っている。
「そうよ。確か、ポロノシューって名前だったわ」
 彼女が思いだしたのは、イェルフ族の間に伝わる、ある伝説だった。
 もう二、三百年は昔のこと。
 ある人間の村に、一人の男がいた。
 男には美しい妻があった。二人は村の誰もがうらやむほど仲むつまじかった。
 ところが、その妻が重い病にかかってしまった。
 男は何日も寝ずの看病をした。様々な薬を試した。しかしどれも効果がなく、病は悪くなる一方だった。
 このままでは妻は死んでしまう。
 男は単身、旅に出た。イェルフ族に伝わる、如何いかなる病をも治す不老不死の秘薬を得るために。
 昼も夜も休まず、寝食さえ惜しんで男は歩いた。山野を越え海を渡り、世界じゅうを流浪るろうして秘薬を探し求めた。
 そしてとうとう、不老不死の秘薬があるイェルフ族の里に辿り着いた。
 ところが、里長は首を縦に振らなかった。
 その秘薬は、ひとつ間違えると、体を異形の魔物に変貌へんぼうさせてしまうかもしれないという危険なものだったのだ。
 里長は善意で男をさとした。あきらめるようにと。だが男は、長が薬を出し惜しんでいると心得こころえ違いをして、こっそり秘薬を盗みだしてしまった。
 男は家に帰ると秘薬を妻に与えた。
 すると妻は突然もがきだし、みるみるみにくい魔物の姿に変わったと思うと、苦しみながら死んでいった。
 男は三日三晩泣き暮らしていたが、四日目に自らもその秘薬を飲み、妻の後を追った。
 しかし男は死ななかった。不老不死の体を手に入れてしまった。
 男はその後、何度も死のうとした。だがいくら毒をあおっても、胸に短剣を突き立てても、男が死ぬことはなかった。
 村人は気味悪く思って、男を村から追いだした。
 男はむくいを受けたのだ。人間の分際で、イェルフの秘宝を奪った報いを。
 そして、自らの手で妻を無惨な姿に変えてしまったという業を背負い、永劫えいごうに生き続けなければならないのだ。
 そのおろかな男の名こそ、ポロノシュー。
「まさか……ただの昔話よ」
 偶然、名が同じだけだ。ウタイはかぶりを振って、下らない妄想を否定した。
「これを使え」
 その当のポロノシューが、枝を削って作った杖をウタイに渡してきた。荒削りだが、丈夫で簡単には折れそうになかった。
 ウタイは、杖とポロノシューの顔を交互に見比べた。
「わたしのために……?」
「試してみろ」
「わたしの足が動かないって……知ってたの?」
 とりあえず、その杖を支えにして立ち上がった。だがもう少しというところで、バランスを崩してしまった。
「きゃっ」
 転びかけた彼女の体を、ポロノシューが抱き止めた。
「え……」
 その体は異様に冷たかった。
 まるで死人のように。
「は…放してっ」
 ゾッとするあまり、思わず突き飛ばしてしまう。
 皮肉にも、その拍子にうまく立ててしまった。
「……あ……」
「歩く練習でもしていろ」
 彼女の態度に気を悪くするふうでもなく、だからといって満足そうな顔をするでもなく、ポロノシューは一人で黙々と出発の支度したくを整え始めた。
「何よ、もう……」
 仕方なく、ウタイは杖で歩く練習をした。
 初めこそ何度もよろけたが、二十歩、三十歩と歩くうちに、だんだんコツをつかめてきた。
「それだけ歩けるなら、何とかなりそうだな」
 められて、ついうっかり笑みをこぼしそうになったが、慌てて渋面じゅうめんを作る。
「……こんなことしてくれって頼んだ覚えはないから」
「ああ。俺が勝手にやったことだ」
「え…ええ、そうよ」
 まさか、そんなふうに返されるとは思わなかった。
 どうも先程から調子が狂う。
「あいつが勝手にやったことなのよ。気にすることなんかないわ」
 自分にそう言い聞かせ、ウタイは顔を上げた。
 そのとき、ポロノシューはすでに背嚢を背負い、彼女に背を向けて歩きだしていた。
「どこ行くのよっ」
「こんな所でのんびりしていたら、また追っ手に襲われるぞ」
「あっ、ちょっと待って……」
 慌てて彼の背中を追いかける。
 慣れない杖がもどかしい。
 歩くことに精いっぱいだったせいで、伝説のことも、隙あらば彼を殺そうと目論もくろんでいたことも、すっかり忘れていた。
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